チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

建国当時のユーゴスラビアの軍事検閲

2008年07月27日 11時15分45秒 | 歴史・社会的状況
建国当時のユーゴスラビアの軍事検閲

建国当時のユーゴスラビアは、まだ国境が確定していませんでした:
①オーストリア国境
ユーゴ軍がスロヴェニア人の多く住むオーストリアのケルンテン州とシュタイヤーマルク州の鉄道路線Luttenberg-Spielfeld沿いの地域を占領し、オーストリア軍とにらみ合っていました。
また、スロヴェニア北部のMaribor市近辺にはドイツ人が多く居住していたため、オーストリアはこの地域の領有を主張し、この地域の一部のドイツ人がオーストリアへの帰属を求めて政治活動をしました。
②イタリア国境
ソチャ側流域、トリエステ、イストリア半島、北ダルマチア地方をイタリアが占領し対立していました。フィウメは、当初は連合軍が占領し、その後にイタリアの詩人ダンヌンツィオの私設軍隊が占領しました。
③ハンガリー国境
プレコムリエ、メジュムリエ、バラーニャ地方をユーゴ軍が占領し対立していました。
④ルーマニア国境
テメスヴァル地方のユーゴ軍による占領と、その近隣地域の帰属で対立していました。

このように周囲の4カ国と軍事的に対立していたことに加えて、国内では
⑤ロシアの共産主義革命の影響による革命気運の影響や農民による土地占拠による国内の社会的混乱がありました。
⑥1918年12月からセルビア軍がクロアチアの軍事占領を開始し、1918年12月5日に、クロアチアのザグレブで、セルビア軍による占領に抗議するクロアチア人の郷土防衛隊がセルビア軍により虐殺されたことに見られるように、特にクロアチアとセルビアの対立は当初から深刻でした。
⑦セルビアがモンテネグロ王国を軍事力を使って強制的に併合したため、モンテネグロでは蜂起した国王派との内戦が続いていました。

このような理由のため、数多くの葉書や封書が軍事検閲され、多くの種類の検閲印が知られています。


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