チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

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2007年09月18日 22時17分06秒 | 歴史・社会的状況
4. ユーゴスラヴィア建国当時の旧ハプスブルク帝国領内の郵便切手

ユーゴスラヴィアの旧オーストリア帝国領域ではオーストリア切手、旧ハンガリー王国領域ではハンガリー切手、ハプスブルク帝国の占領下にあった旧ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領域ではボスニア・ヘルツェゴヴィナ切手が、そのまま使い尽くされるまで使用されました。

新しい郵便切手は、スロヴェニアのリュブリャナ、クロアチアのザグレブ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエヴォの各郵政局で発行されました。
クロアチアのザグレブではハンガリー切手に加刷を行い、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエヴォではボスニア・ヘルツェゴヴィナ切手に加刷を行なうと同時に、これら2つの郵政局管内では正刷切手の発行も行いました。
その他に投機目的の私的加刷なども知られています。

スロヴェニアで発行された切手は、低額面のものは奴隷が鎖を切る図案であったため「チェインブレーカー」と呼ばれました。これは、南スラヴ人がハプスブルク家の支配から解放される象徴的な図案で、大衆受けする図案でした。

この切手は王国成立以前から準備していたため、最初は40 vinar以下の額面の普通切手などで「スロヴェニア人・クロアチア人・セルビア人の国」を意味するDRŽAVA SHSと表示したものを王国成立後の1919年1月3日以降に発行しました。DRŽAVAは「国」を意味しています。

SHSは、スロヴェニア人・クロアチア人・セルビア人の頭文字を取ったもので、クロアチアはセルボ・クロアート語でHrvatskaと呼ばれ頭文字はHとなるため、SHSと略して記載されました。このSHSという略号は、この当時にこの地域を呼ぶ一般名として欧米で使用されました。
国名はローマ字以外にセルビア人の使用するキリル文字でも記載されており、民族問題に配慮された表示になっています。

その後、「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」を意味するKRALJEVINA SHSと表示したものが50 vinar以上の額面の普通切手で発行されました。
このKRALJEVINAは、セルビアで使用される言葉で「王国」を意味しています。

オーストリア・ハンガリー帝国通貨の価値が4分の1に下落する交換比率で流通通貨がセルビアの通貨に切り替えられた後に発行された二次チェインブレーカーの表示は、KRALJEVSTVO SHSと変えられています。
KRALJEVSTVOは、ユーゴスラヴィア西部で使用される言葉で「王国」を意味しています。
同じスロヴェニアで発行された切手でありながら、王国を意味する言葉が、セルビア系になったりスロヴェニア・クロアチア系になったりして混乱が見られます。
このように、切手の国名表示の変遷を見ても、通貨の交換比率を見ても、セルビア王国の支配力が顕著になっていることが分かります。

備考: 通貨統一政策
旧オーストリア・ハンガリー帝国の通貨の価値を、セルビア王国の通貨の4分の1に落とすという乱暴なやり方で通貨統一が行われました。
例えば、100万円が一気に25万円の価値しか持たなくなったのです。郵便料金の実例としては、国内葉書が15 vinarから一気に60 vinar (15 para)に4倍に値上げになりました。
これは、あまりにひどい交換比率であり、旧オーストリア・ハンガリー帝国の人々は、財産を一気に4分の1に減らされてしまい、経済力を奪われてしまいました。
恐らくこの政策は、セルビア人の支配力を圧倒的優位にすることを狙ったものだと思われます。
セルビア側が本心から南スラブの各民族の融和を考えていたならば、1対1に近い交換比率にしておくべきでした。このような強圧的政策がセルビアに対する反感を強め、後々の政治的対立に発展していきました。

オーストリアのケルンテン州にはスロヴェニア人が多く住み、当時はユーゴスラヴィア軍の占領下にありました。この地域の帰属は、1920年10月10日の住民投票でオーストリアかユーゴスラヴィアのどちらかを選ぶことが決定されました。
しかし、
①セルビア軍によるクロアチアの敵国扱いの軍事占領
②ザグレブにおける郷土防衛隊の虐殺
③旧オーストリア・ハンガリー帝国の通貨の価値をセルビア王国の通貨の4分の1に落とす
というセルビアによる乱暴な圧制を見せつけられたケルンテン州のスロヴェニア人は、住民投票でユーゴスラヴィアへの編入を拒否し、オーストリアへの残存を決定しました。
このようにセルビアの圧制は、建国当初から南スラヴ人に拒絶されていったのです。
尚、ケルンテンの住民投票に関しては、オーストリアとスロヴェニアの双方から切手が発行されていますので、いずれご紹介いたします。


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