チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

1903Bドイツからの小包到着便、スロヴェニア5vinarと10vinarにPOTRO加刷

2007年10月22日 20時19分38秒 | 小包第1期
1903Bドイツからの小包到着便、スロヴェニア5vinarと10vinarにPOTRO加刷

小包送票:ドイツで使用された小包送票のカットスクエアー
備考:この時代にドイツでこの使用例と同一の書式の小包送票が使用されていたことは、実物の写真により確認済みです。

発信局:不明(ドイツ国内)
中継局:オーストリア;SALZBURG 2、VILLACH 2
到着局:MARBURG an der DRAU 1 ? III 19 –1 (1919年3月)
切手:スロヴェニア普通切手5vinar(Mi.100石版)と10vinar(Mi.101石版)にハンドスタンプでPORTO(不足を意味する)を黒色で加刷して不足切手として使用。

料金:不足料15 vinarを小包の受取人から徴収しています。現在入手している料金表では、ドイツからの小包到着便の通知料金、配達料金などの料金が分からないため、どのような料金なのか不明です。
スロヴェニア国内便とオーストリアからの小包の場合には、通知料金5 vinar、小包私書箱の保管料金10 vinar、配達料金20 vinarまたは30 vinarなどになりますが、15 vinarに該当する料金は料金表に記載されていません。
ここに貼られている15 vinar分の切手は、あの当時に小包送票に貼られた切手の一部だけが切り取られて残っている可能性もあります。しかし、既に示しましたように、これと同様の15vinar分の切手を貼ったカットスクエアーがもう一枚私の手元にあります。このため、15vinarの不足料金を徴収した可能性も高いと推定しています。
この時期はオーストリア帝国の料金と制度が適用された時代です。オーストリアの郵便史の専門家の方でご存知の方があればお教え下さい。

備考:小包送達の鉄道路線
1919年当時は現在と異なり国際的な長距離トラック輸送は無く、国際小包は鉄道か船で輸送されていました。ドイツ・オーストリア・スロヴェニアは陸続きですから、鉄道で小包が輸送されたと考えられます。
鉄道路線図を見ると、ドイツのMünchen、オーストリアのSalzburg、Villach、スロヴェニアの首都Ljubljana、北部の都市Marburg (Maribor)が鉄道で結ばれています。
オーストリアのSalzburgは、ドイツから入ってくる小包の玄関口であるため、ここでまずチェックが行われたと思われます。
そして、Villachはオーストリアからスロヴェニア(ユーゴスラヴィア)に出国する出口であるため、ここでもチェックが行われたと考えられます。
オーストリアの二都市でのチェックの証拠が、小包送票に押されている消印であると考えられます。
恐らくこの小包は、オーストリアのVillachから鉄道でスロヴェニアの首都Ljubljanaに送られ、そこからさらに鉄道でMarburg (Maribor)に送られたものと考えられます。
この鉄道ルートは現在も存続しており、Google Mapによりたどることができますので一度お試し下さい。Villach Austriaで検索し、灰色の二重線に枕木を渡した図で表示される鉄道路線が表示されるまで拡大して(上から7番目の目盛りより大きい拡大倍率)、ドイツ側とスロヴェニア側へ移動させて行けば比較的簡単にたどることができます。鉄道沿線の衛星写真を見て、あの地域の自然地形や都市の配置、農村の状態を見るのも面白いと思います。


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