ふーだお通信

2010年までは中国での生活日記。2010年以降は福島(中国語でfudaoと発音)での事。

地方空港

2007-09-30 11:01:04 | 思う事(~2010年3月)
先日友達と日本と上海を結ぶ飛行機の値段について話していたら、そのお友達、この夏名古屋-上海間往復1000元以下で行き来してきた、と言う。

安い・・・。約1万5千円で往復できたのか・・・。

航空会社や時期、日本のどこの空港か、などによってチケットの値段は違うものだが、我が家が利用する福島空港、常に4000元前後の値段設定で、全っ然安くない!中国東方航空なのに!!

それでも、子連れの身にとって、空港から家まで車で約1時間という便利さと、こじんまりした空港なので、成田などに比べて荷物の移動が楽チンだ、という理由で、我が家にとってはベストな空港なのだが、他の航空会社も乗ってみたいような気もするし、もっとお安く乗りたい気もする。

昨日からは羽田-上海・虹橋便も就航し、’上海便、競争激化!’というニュースを読んでも、福島に価格競争は関係ないのか、と悲しくなる。

福島-上海便は、ビジネス客も確かに多いが、「農協の旅行だっぺさ~。」といった風情の金持ちじいちゃん・ばあちゃんが多い。

目を覚ませ!じいちゃん、ばあちゃん!!
ローカル便にも価格破壊を!!!

って、無理か・・・。
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薄着と厚着

2007-09-24 15:14:40 | 思う事(~2010年3月)
先週の金曜日。幼稚園から帰ってきた娘のカバンを開けるといくつかのお知らせの紙と一緒に「中日ナントカ」と書かれたプリントあり。
なんだなんだ、日本がどうした?と思い、よく読んでみる。

娘の幼稚園は、クラスによって担任の先生がある程度の裁量権を持っているようで、担任の先生によって、持って行くものなどが微妙に違っている様子。
娘の担任の先生はなかなか熱心で、親宛てに時々教育関係の新聞やネットに掲載された文章を、メールや印刷物で送ってくる。
このプリントはどうやらその一連の教育コラムのようだ。
内容を訳してみる。

***********************
「中国と日本の児童養育観にはどんな違いがあるか?」
(www.yojochina.com 2007/9/10)

中国と日本の子どもの様子には大きな違いがある。その底には教育観の違いが見られる。
中国人は’子どもというのは体が弱く、寒さに対する抵抗力が低い。そして病気は冷える事が原因なので、子どもは大人よりも衣服を多く着せなければならない’と思っている。それにより、子どもはいつも分厚い服を着せられパンパンに膨れ上がっている。
それに対して日本人は、’子どもは薄着をしていれば皮膚の温度調節機能が鍛えられ、それにより寒さに対する抵抗力が上がる。病気を予防する為に子どもは大人より衣服を少なく着せる。’という考えだ。

中国人の育て方はもう一つ大きな特徴がある。それは’鍛錬を軽んずる’事だ。
多くの大人は、子どもにはたくさん食べさせ、たくさん着せる事が良い育て方だと考えている。体を鍛える事はどうでもいい事だと見なし、結果小児科にはいつでも患者が溢れ、親達は自分の子どもが体が弱く病気がちだと口々に嘆いている。
それに対して日本人は子ども達の体の鍛錬を大切にし、’病気しない子どもに育てる’という事を目標としている。

中国と日本の大人には、子どもの養育方面での考え方で大きな開きがあるのがはっきりしている。
中国人は子どもは大人と同じ身体能力を持っていないので、より手厚く保護してやらなければいけないと考える。
それに対して日本人は、子どもを健全に成長させるには鍛錬が必要であり、自然の環境に適応した育て方を良しとしている。
子どもの生存能力を高めるという事から見ると、日本人のこのような鍛錬型の養育方法は、子ども自身の主体性を高め、自身の能力を引き出し伸ばしていけるといえる。
それに対して中国人のこのようは保護型養育方式は、消極的な養育方法といえる。
子どもは自身の能力を抑制され、しいては人間が本来持っている生存能力を退化させてしまうことになるかもしれない。

中国と日本の親の間では、子どもに対する困難や危険についてどう考えるかという事でも違いが見られる。
日本の親達は子どもに粘り強い性格を作り出す為に小さい時から試練を経験する事を望む。中国の親達はなるべく子どもに試練を避ける事を望む。そしていつも可能な限り子どもを助けていく。これは中国の親達は子どもに粘り強い性格を育てるという事にあまり関心がないとも言える。子どもの人生が平和で幸福であるようにいかなる苦労もさせたくない、という姿勢が中国の親の養育観の底には見える。

日本人は子どもに粘り強く強い意志を育てる事を重要視し、子ども自身が逆境を経験する事で目的を果たそうとしている。
私達中国人にはこのようにするのは難しい。安定を求め、試練を恐れる意識が根本的に強い。
中国人の親達は、子どもに試練を与える事を恐れずに教育をするべきであろう。
すぐに効果は現われないが、続ける事で次第に強靭な性格が子どもの中に根付くだろう。
*****************************

日本人の子育てが褒められているよ・・・、とちょっと嬉しい。

確かに日本では薄着奨励、風邪をひいて熱が出ても’すぐに解熱剤!抗生物質!!’の中国式ではなく、’熱を出すのは体の中で白血球が戦っているから悪い事ではない。普通の風邪には抗生物質は必要ない’という考え。
子どものカバンを子ども自身に持たせず親が持つ中国と、小学校1年生でも大きなランドセルを自分で背負って徒歩で学校へ行く日本。

でも、そうかといって日本人がみんな我慢強い訳でもないけどなあ、と思うが、この冬、「こんなに薄着じゃ子どもが寒いじゃないか。もっと着せなさい。」と言われない事を望む。

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子ども達 新学期スタート!

2007-09-17 15:24:42 | こども関係(~2010年3月)
9月から息子は現地校小2、娘は幼稚園中班へそれぞれ進級。
去年の今頃は息子・娘とも新しい学校でのスタートで、それぞれ緊張し、私も心配だったが、今年はそれぞれ今までと同じ学校での進級なので、それほど大きな環境の変化はなし。

小2の息子は、算数でいきなり掛け算登場。
日本の小学校では、2年生の後半から九九が始まるのだが、中国ではいきなり2年生上の教科書トップページからスタートだ。

中国の掛け算の覚え方は

「一一得一、一二得二、二二得四、一三得三、二三得六、三三得九、一四得四、二四得八、三四十二、四四十六・・・」

と、日本の九九のように、一の段・二の段・三の段・・・・と縦に覚えるのではなく、横に覚えるらしい。
だから、「2×1=2」とか、「3×2=6」の暗誦がなく、それは「1×2=2(一二得二)」や「2×3=6(二三得六)」で済まされるみたい。

日本の九九の半分しか覚えなくていい、という事だ。
合理的なような気もするし、なんじゃそりゃ、という気もする。

しかし結果として掛け算や、それに続く割り算ができればいいのだが、日本の九九を覚えずに息子は将来どこかで困る事になるまいか?となんだかちょっと心配。
どこかで「肉十八(2×9=18)」とか「バッパ64(8×8=64 *バッパはいわきで’お婆さん’の事)」など、冗談を言われた時にポカーンとしてしまうのではないか?
いや、その程度ならいいのだが、数年後日本に帰ったりした時に、中国語を忘れてしまう事により中国語の九九も忘れてしまって、掛け算・割り算ができなくなるのではないか?

とにかく日本の「九九のうたCD」はあるので、それでも聞かせておこう、とは思うが、むむむ、彼は一体今後どうなるのだろうか?
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空気悪すぎ・・・

2007-09-14 11:23:24 | 生活(~2010年3月)
無錫市内あちこちで「緑化運動」やらの為に、道路を掘り起こして中央分離帯を作り、そこに土を入れて木を植える、という作業真っ最中。
現在その工事が家のマンション前道路まで到達、私が中国に来て以来体験した中で、最悪レベルの空気の悪さになっている。

おかげで家族全員咳に鼻水、目にもしょっちゅうホコリが入る。
中国人でも最近はマスクをして外を出歩く人増加中だ。

この工事が終わったら素晴らしい緑いっぱいの道路が出来上がって、植物が二酸化炭素を吸ってくれるんだから、ちょっとの間我慢してね、というのなら、少しは我慢のしがいがあるんだろうが、すでに工事完了後の道路脇に新しく植林された細っこい木を見てると、(キミにそんなに酸素を作り出す力があるのかい?)と語りかけたくなる。
「緑化」は結構だが、どうせやるなら蘇州の十全街みたいに、でっかい木を歩道側に植えて、夏場は日差しを遮ってくれて涼しくなるくらいの、立派な並木道を作ってもらいたいのに、歩道側には何もせず、なぜに中央分離帯だけに木を植える?

昨日のニュースで、アメリカの環境団体ブラックスミス研究所が発表した「世界でもっとも汚染された10の都市」の中の2箇所は中国、という記事を読み、まさか無錫が!?と心配になって調べたら、さすが中国は広い。山西省臨汾という石炭の街と、安徽省田営(?)という鉛産業の街だそうで、哀しいくらい環境汚染がすすんでいるらしい。
(ニュースソースはこちら http://www.blacksmithinstitute.org/ten.php)

しかし息苦しいくらい空気が悪い今の無錫。そういえば北京の空気も悪いというが、今の家の近所レベルなのかなあ?この空気レベルの中では私はマラソンなんかできないけど・・・。

「緑化」の為に出したホコリやチリと、「緑化」後の効果を誰か測って報告してもらいたい。
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日本の本はなぜ小さい?

2007-09-12 09:58:53 | 生活(~2010年3月)
先日、うちのダンナさまが髪の毛を切りにいつもの美容院へ行った時の話。

その日、ダンナさまは日本の文庫本を持ち、カットの間読んでいた。
するといつも彼を担当してくれる美容院のおにいちゃん、

「なんだ、あんた日本人だったのか。韓国人だと思ったよ。」

と話が始まり、

「一体何読んでるんだ?日本の本か?日本の本はずいぶん小さいな。」

と言ったそうだ。
ダンナさま、

「これは小さい本だけどもっと大きい本もある。日本で新しい本が出ると、はじめはもっと大きくて値段も高いが、時間が経つとあまり売れなくなる。そうすると、もう一度売れるように値段を安くした小さい本にしてまた売る。安くなったからまた買う人も出てくる。その方が小さいから場所もとらずお店にとっても良い。この本はその小さくなった本だ。」

というような事をおにいちゃんに話したそうだが、ダンナさま曰く、

「その人頭悪くて何回話しても理解できないんだよ。」

そのうち、近くで二人のやりとりを聞いていたお店のおばちゃんが、

「あんた、この日本人が言ってるのはこういう事だよ。」

と、おにいちゃんに説明を始め、やっとおにいちゃんは理解したそうだ。

そういえば、文庫本というのは日本独特のものなのかな?
説明されると、なるほどよく考えてるなあ、と私も思ったりして。
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たくさん読みました

2007-09-07 20:45:20 | 日本で(~2010年3月)
日本に帰っていた夏、子ども達の本や自分が読む本を借りに私は地元の図書館をよく利用する。

しかし今年の夏は、私の住むいわき市で、10月に総合図書館ができる事に伴うシステム変更の為、とかいう事で、7月末で貸出が終わってしまい、8月から10月後半まで図書館の本が借りることができなくなった。

システムが良くなる為なので一時的な不便は御理解してください、という事なのだが、それにしても夏休みの、子ども達が一番図書館を利用するであろう時期の貸出禁止はかなり不便。
ましてや夏休み日本に戻って、さあ、たくさん本を読むぞ~、と思っていた我が家にとっては、え~っ、なんじゃそりゃあ!!といった感じで、かなりガッカリ。

7月中に借りなくちゃ!と、子ども達もたくさん借りたが、私もかなりの読書量になった。

無錫で古本市を開催している関係で、無錫の我が家には日本の本が集まってきて、ここ最近、無錫にいる時は手元にある本をちょこちょこ読んでいる。
今まで読んだ事がない作家の本にも出会えて、じゃあこの作者の本をもっと読んでみようか、と今年の夏よく読んだのは、横山秀夫の本。
そして一番印象に残ったのは、恩田陸の「夜のハイキング」だった。

「夜のピクニック」は第二回本屋大賞に輝いた本だそうで、同じく第何回だかに受賞した「東京タワー」と一緒に借りて読んだのだが、高校生の話で、久々に爽やかな本を読んだなあ、と思った。

無錫の家に集まる本、どちらかというと男性好みの本が多く、ビジネス書に時代モノ、ハードボイルドものといったところ。それもそれでおもしろいが、青春モノもたまに読むと、なんだかノスタルジーに浸ってしまう。

日本でおいしい野菜や魚を食べて、少しは体の中が浄化されたか、と思うが、心もちょっと浄化されたような気がする。
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ダメダメだった危機管理

2007-09-04 10:59:02 | 生活(~2010年3月)
7月初め、私達が日本に戻ってすぐに我が家のダンナさま、財布をなくしてしまった。
外で買い物をして財布を取り出した後、家に帰ってみたらカバンが開いていて財布がなくなっていた、というので、たぶん抜き取られたのだろう。

財布の中身は現金とciti bankのカード。クレジットカードは家にあったので被害には遭わず。
銀行にはすぐに連絡して引出をとめてもらう。

我が家の場合の中国での生活費は、給与の一部がciti bankに円で振り込まれ、現地の中国銀行などのCD機で元で引き出し使用。

citi bankのカードがないので、中国で暮らすダンナさま、人民元が手元にない状態になり、生活費にも事欠く毎日となった。

いざという時を考えて、私はcitiのカード以外に

・手元に日本円をいくらか常備。
・人民元も多少は常備。(しかしあまりの高額な人民元を置いておくとそれはそれで怖い。)
・ビザカードでキャッシング。それに伴い日本でのクレジットカード引落口座が不足しないように日本帰国時に補充。それプラス、ネットバンキングを数口座開設、それぞれ口座にいくらか入れておく。
・郵便局の口座も’郵貯セゾンvizaカード’で活用。海外でもplusに加盟するCD機で現地通貨が引き出せるとの話。

と、それなりの予防線を張っていたのだが、私が日本にいる事で、無錫のダンナさまの手元には殆どなにもない状態。ありゃりゃ、これは家計を預かる責任者として失敗・・・。

とにかくciti bankにカード再発行の依頼をするのが第一なのだが、今回、カードを作った時に自署のサインだったか印鑑だったかで行き違い、登録印鑑も思っていた印鑑ではなかったなどもあって、2度再発行依頼が不受理になってしまった。
銀行への連絡も、口座開設者本人からしか依頼を受け付けてもらえず、国際電話料金もかかったが、再発行されたカードが無錫に届いたのが結局8月末。カード紛失から約2ヶ月もかかってしまった。

citiのカードがないなら、vizaカードでキャッシングだ、と無錫のダンナさま、1枚だけ持つクレジットカードを頼りにしようと思ったら、vizaカードの暗証番号を本人が忘れていた・・・。
こちらの方は、カード会社に連絡すると郵送で登録住所である日本の私の元に暗証番号がやってきたので、3日ほど待てば良かったのだが、その間、彼は会社にお金を借りたりして、なんとか急場をしのいだらしい。

海外生活の中で、いざという時に、といろいろ考えていたつもりだったが、だいたい銀行の登録印鑑を勘違いしていた時点で、まるでダメダメな危機管理意識だったなあ、と反省。

災難は、忘れた頃にやってくる。
いざという時どうするか、と再検討する機会だった。

*今まで中国で一度も使わなかった’郵貯セゾンvizaカード’、この機会に一度使ってみよう、と思い、無錫に戻ってからplusのマークがつくCD機で引き出そうとすると、おろせない・・・。
 調べてみると、海外で使用する時に前もって使用する上限金額を申告する必要があるようで、それをしていない(ような気がする)事が原因か?
 やっぱりダメダメだ・・・。

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ドラえもんな夏

2007-09-01 16:19:35 | こども関係(~2010年3月)
7週間の日本での夏休みも終わり、8月末に無錫に戻り、今日から子ども達の新学期がスタート!

今年の9月1日は土曜日だが、日本の学校は9月3日からスタートのところが多いというのに、子ども達の学校は1日から。土曜日なので会社はお休みで、朝、お父さんに「いってらっしゃい。」と送り出されて不満そうに登校していった。

この夏休み、息子はマンガ「ドラえもん」を20冊近く読み、頭の中がすっかりドラえもんワールド。朝起きてすぐドラえもん、ちょっと暇があるとドラえもん、夜寝る前もドラえもん、同じ巻でも何度も何度も読み直し、話す事も「のび太ってこんな計算もできないんだよ。」「ドラえもんは前は黄色かったんだよ。」と大変なはまり様。ゴロリと寝転んでドラえもんを読み、ゲラゲラ笑う姿はすっかりのび太そのものだ。

小学校1年生の女の子を持つ日本の友達にそんな息子の様子を話すと、
「うちもそうだよ。学童保育の児童館にドラえもんがあるから、ドラえもんを読むために学童に行きたいって言ってるよ。」
という。
子どもって同じ年頃に同じようなものにはまるのか、と二人で納得。

自分の子どもの頃を振り返ると、確かにドラえもんはおもしろかった。ドラえもんから得た知識も結構あったし、本来ならば普通の児童書を読んでもらいたいところだが、ドラえもんならまあいいか。

ドラえもんを読んでいる時は、いるのかいないのかわからない位静かな息子。成長したなあ、と思う半面、彼のマンガ人生がいよいよスタートしたのか、これからマンガばっかり読んでたらどうしよう、と心配でもある。


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