玉田氏は、仙台在住の詩人。1947年北海道旭川市生まれ。
「それにしても、玉田さんの詩は美しい。」と、原田勇男氏が書かれている。「ゲノムの森によせて」と題した栞の一文を読んでいただければ、全てが明らかとなる。原田氏と玉田氏とは「THROUGH THE WIND」の、ふたりきりの同人であり、盟友である。原田氏が書かれる以上のことを、私が書けるわけはない。
しかし、それにしても、玉田さんの詩は美しい、と、重ねて、私も書こうと思う。
山脈はふくよかにふくらみ
浅いみどりに色づいていた
まっかな夕陽が
春霞に身をかくし
ゆれながら消えていった
去ってしまった人々は
もう帰ってこない
春がはないろに染まるのは
人々の色とりどりの哀しみが
咲いたからだ と気づくのは
そんな春のおわりの夕ぐれ
徐々に昏れなずんでいく
山脈が闇と一体となるころ
しずかに散ったはなびらは
ひっそりと大地にだかれ
春の彼方にすがたをかくす
冒頭の「はないろ」全編である。
美しい。この美しさは、哀しい。
この詩に限らず、詩集には、既に逝ってしまった人の影がつきまとう。
玉田氏の失った人々が、ふっとたちあらわれたかと思うと、すぐに街角を曲がって姿を隠してしまうかのように再び失われてしまう、とでもいうように淡く、決して前景に描かれることはないのだが、確実にそこに影として存在している。
失われた人々のなかのひとりは、言うまでもなく、玉田氏にゲノムを受け渡した父親である。
そして、玉田氏も、言うまでもなく私たちも、やがて失われてしまう。
だから、玉田氏の詩は美しく、常に哀しい。
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