なにか、こなれないタイトルである。英文の直訳みたいな、ネイティブな日本語話者ならつけないようなタイトル。あえて名づけたタイトルなのではあろう。
しかし、一読して、この「者たち」とは誰のことであるかわからない。いったい、何を語ろうとするのか、何をテーマに語ろうとする本なのか分からない。
この奇妙なタイトルの謎、表紙カバーに描かれた夜空に浮かぶ羊の頭のみの塑像の謎めいた絵柄もあいまって、そ . . . 本文を読む
〈編集後記〉
◆昨年十月に、川戸富之さんが逝去されたとのこと。私もだが、西城さんはじめ他の同人のみなさんも一度もお会いしたことはないはずである。岩手県北の葛巻町の方。平成元年九月の第二〇号から入会、二五号でいったん脱会、三八号から復帰。八十号のあと、第二期として再出発の際、脱会されたが、詩を書き続ける意欲旺盛で、西城さんにお便りを寄せられ、平成一八年の第二期第五号から再入会された。第二期四〇号を . . . 本文を読む
私は私である
私は私ではない
あなたはあなたである
あなたはあなたではない
あなたは私である
私の外にあるもの
私ではないひとびと
私のなかには何もない
外から絶えず侵入され
何かを取り込み何かを拒絶する
私のなかにいくつかの小さな枠組みをつくり
必死に持ちこたえようとする
小さな枠組みのモザイクを
必死に守ろうとする
私 . . . 本文を読む
蓮の華が咲き
どこからともなく穏やかな陽が差す池のほとり
真っ青に晴れわたるわけでもなく
どんよりと曇っているわけでもない
あるひとびとは平穏な池面を見るともなく眺め
あるひとびとはベンチにゆったりと腰をかけ
せかせかと速足で歩くひとはいない
厳しい視線でひとを問い詰めるような監督者はいない
小賢しく立ち回り自分の居場所を探し求める必要もない
そこにおのずからゆったりとたたずんで . . . 本文を読む
副題は、文学部唯野教授・最終講義。
筒井康隆は、小説家にして役者。SF作家だったり、少女小説家だったり、フリー・ジャズ・ピアニスト山下洋介ばりのスラップスティック作家だったりしていたわけだが、いつのまにか私好みの純文学作家ともなっていた。そういえば、蜷川幸雄かだれかの芝居に役者として出演したのを、いちど観ているな。
『虚航船団』とか、純文学化して以降は、何冊か読んでいる。その中でも『文学 . . . 本文を読む
サブタイトルは、生き延びるための知の再配置。
編集者は、東京大学先端科学 技術研究センター准教授、小児科医、脳性まひの当事者である。 彼の名は、國分功一郎氏の『中動態の世界』ではじめて知った。同じ臨床心理学増刊、第9号『みんなの当事者研究』の編者であり、石原孝二編 『当事者研究の研究』(医学書院)でも執筆されている。
冒頭の「知の共同創造のための方法論」で、本特集の目的として、かれはこう . . . 本文を読む
三陸縦貫道が、気仙沼から仙台までほぼ全通して、快適にハイウェイをドライブできる。
よく晴れた5月の休日。助手席に女を乗せて、窓を全開にして仙台に向かう。ボズ・スキャッグスのコンサートを聴きに行く。
ボズのコンサートは、はじめて。外国のロック・ミュージシャンのコンサートを聴くこと自体が、数十年ぶりのことである。なぜか、そういうことを避けて通ってきた。年が明けたころに、仙台に来ることを知って . . . 本文を読む
豊崎由美と広瀬大志による対談。連載の第一回目は「現代詩のフォッサマグナはどこだ?」。
広瀬大志は、現代詩文庫から詩集の出ている詩人のようで、「音楽業界で、マーケティング分析により販売戦略を考えたり流通チャンネル開拓する仕事を長くやってい」るそうである。
豊崎由美は、書評家らしい。
「フォッサマグナ」は、新潟県糸魚川から静岡あたりに走る、日本列島を西と東に分断する大断層のことだが、ある . . . 本文を読む