
現代詩手帖に、2019年から3年にわたって、断続的に掲載された連載の単行本化である。
広瀬大志氏は、1960年生まれの詩人。豊崎由美氏は、1961年生まれの書評家、ライター。
私は、といえば、1956年生まれで、数えでいえば古希、馬齢を重ねているというべきだろう。
さて、ここでいう「ポエム」は、詩を英語で言えばpoemだというわけで、幅広く詩のことを指しているわけである。いわゆる「ポエム」に限定しているわけではない。
「豊崎 …本来ポエムは「詩」を意味する単語ですよね。だけどある時期から「頭がお花畑」みたいなイメージで使われているじゃないですか。」(p.10)
「ポエム」という言葉がそういう使われ方をされていることは百も承知の上で、あえてタイトルにもってきている。もちろん、「カッコいい」などという言葉も、ふつう、現代詩には似つかわしくない(ただし、私はたまに使う)わけで、「萌える」(こちらはほぼ使わない、と思う)などという言葉も同様である。
あえて、イメージ的に現代詩的ではない言葉を連ねてタイトルにしている書物である。
挑戦的ではある。ウケねらいでもある。キャッチーでもある。興味を引いて部数を伸ばそうという魂胆が透けて見える、というよりは、あからさまである(これは、決して悪いことではない)。
「豊崎 男の人はモテたくてバンドを始めたりするでしょ。中原中也の時代とかだと、詩人ってモテてたと思うんです。ぶっちゃけ、広瀬さんはモテたくて詩を書くようになったんですか?
広瀬 はい(笑い)。」(p.11)
はい。私も同様です。中学生でバンドを始めたり、詩のマネごとを書き始めたり。もちろん音楽が好きだというのは半分はあるのだけれども、モテたいという動機なしにバンドを始めるような男はいないはずである。これは断言できる。ランボーだの、ボードレールだの、クリームだの、キングクリムゾンだの、ビートニクスだの…。
というようなことで読み始めると、おふざけが続いていく、わけではなく、内容は案外まじめである。
古今東西のカッコいい詩を、ふたりで対話しながら読み解いていく。
ちょっとランダムにページを開いてみると、少女マンガ家の高野文子も出てきたり、狭義の現代詩だけでなく、彼らが現代詩的であると想定するカルチャーにも広く目配りしている(実は、読んでから多少時間を置いたので、ちょっと定かではないが、江戸期以前の日本の詩には触れていなかったような気がする)。
全般、面白く読ませていただきました。現代詩にあまり馴染みのない方もだが、興味津々で囓り始めたという方々に最適の入門書たりうるだろう。
これも、パラッとページをめくって発見したのだが、p.387に「現代詩」といわゆる「ポエム」と、あいだみつをらの「励ま詩」(これはおふたりの造語)の3つの円を使った相関図がある。なるほど、と思う。
もう少し詳しい内容については、以前『現代詩手帖』連載時に、第Ⅰ回目と6回目を紹介しているので、そちらを参照して欲しい。
末尾に広瀬大志氏の「必読カッコいい詩集100選」とか、広瀬大志と豊崎由美両氏それぞれのヘンアイ詩集1ダースなどというものも紹介されている。良き羅針盤たりうるだろう(そこでは、もちろん、私の詩集は紹介されていない、これは蛇足)。
現代詩手帖 2019.4月号 連載 カッコよくなきゃ、ポエムじゃない - 湾 (goo.ne.jp)
現代詩は難解であるか 現代詩手帖 2021年4月号 特集・ケア 詩と災害Ⅱ その3 - 湾 (goo.ne.jp)
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