ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

平川克美 株式会社の世界史 東洋経済新報社

2021-12-25 22:17:28 | エッセイ
 平川克美氏の昨年11月刊行の著作である。 序章は「株式会社という幻想共同体」。冒頭は、こう始まる。「本書は株式会社について論じたものである。」(11ページ) 平川氏の論じる株式会社は幻想であるという。ということは、現実のシビアな世界に日々生きるビジネスマンには、無縁の、不要な書物、ということになるのだろうか?日々の蓄積した疲労を癒やすファンタジーノベルのようなものなのだろうか? もちろん、そうで . . . 本文を読む

霧笛138号掲載詩

2021-12-11 20:10:17 | 詩誌霧笛137号(2021)以降
男として - 湾人間の男として女を愛する女がかつてこう語った「わたしたちは墜ちたままそれしかほかに知らない仕方でむさぼりあったシイツの草叢で祖先たちの墓の上で」(新川和江「地上の愛より」第三連)今男として女を愛することを語り直すおれたちは天上に昇ったり地獄に堕ちたりを繰り返しながらむさぼりあった正しいことと誤ちと多様な方法を試みて愛し合ったシイツを皺寄せながらフランスの歴史を辿りながらロシアの大地 . . . 本文を読む

霧笛138号編集後記 

2021-12-11 19:55:08 | 霧笛編集後記
〈編集後記〉◆気仙沼は、なんと言っても「おかえりモネ」の話題で持ちきりだった。開始前、私は、あの傑作「あまちゃん」を超えるドラマは難しいだろうと悲観していた。しかし、始まってみると今回は全く別種の作品として成り立っていた。一方の徹底した軽さに対して、重さのドラマだった。しかし、清澄な重さである。生々しい悲しみを濾過した深い哀しみ。上澄みのような苦悩。被災地の私たちを突き落とすのでなく、透きとおる美 . . . 本文を読む

古川一義 『失われた時を求めて』への招待 岩波新書

2021-12-10 14:54:20 | エッセイ
 古川氏は、1948年生まれ、パリのソルボンヌ大学博士号を得て、現在、京都大学名誉教授、岩波文庫版の『失われた時を求めて』の翻訳者とのことである。 プルーストの長編『失われた時を求めて』、私が読んだのは、鈴木道彦訳の集英社版である。全十三巻本の十三巻目の発行が、2001年で、直後に読んだわけではなかったはずだが、いずれ震災前ではある。もちろん、ブログに本の紹介を始める前、モンテーニュのエセー(宮下 . . . 本文を読む