ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

斎藤幸平 人新世の「資本論」 集英社新書

2021-01-30 13:47:48 | エッセイ
 斎藤幸平氏は、1987年生まれ、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授だという。大阪市立大学のフェイスブックでの紹介によれば、アメリカの有名なリベラルアーツのカレッジから、大学院はドイツに渡って、フンボルト大学の博士課程を修了したとのこと。渡米前には、東大の理科2類に半年在籍していたと。専門は、マルクス思想。 マルクス経済学者といえばそうなのだろうが、昔風のマル経の学者というのとは、雰囲気を別にす . . . 本文を読む

内田樹 日本習合論 ミシマ社

2021-01-26 22:09:31 | エッセイ
 内田樹氏の語ることは信頼に足ると考える人々が、現在の日本に相応に存在する。私も、そのひとりである。数えてみると、本棚の氏の著書は、30冊を超えている。もっとも最近は、そのすべてを追っかけて買うということにもならず、ときおり、より興味深いテーマのものを選んで買い求めるという具合になっている。この前は、安田登氏との対談『変調「日本の古典」講義』以来ということになるのかな。 今回は、どこかの書評に載っ . . . 本文を読む

紅葉

2021-01-24 12:30:26 | 月刊ココア共和国 投稿詩
死ぬべきものつるべ落としに落ちる秋の陽の光を浴びて影を宿し赤く燃える乾いた有機物落ちるべきもの朽ち果てるもの朽ち果てて黄泉返るものヴィオロンの音色が時雨のようにふり落ちていくかのようにピストルの発射音が谷間の冷気を切り裂いていくかのように〈とうとう〉とも言わず見つけ損ねた波浪の彼方の永遠まで常立の綿津見のくにまで海洋神のくにまで水底の竜宮城まで朱々と燃える西方からの浄らかな陽射しを受けて西北の山脈 . . . 本文を読む

與那覇潤 知性は死なない――平成の鬱をこえて 文藝春秋

2021-01-18 13:13:06 | エッセイ
 与那覇潤氏は、1979年生まれ、東大教養学部から大学院を出てさる大学の准教授となった歴史学者であるが、「双極性障害」いわゆる躁うつ病で、入院も経験したという。その経験も踏まえて書いた書物となる。 先ごろ、精神科医斎藤環氏との対談『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』を読んだところで、ぜひ、この本も読むべきと思ったところである。【人生と時代の転換】「はじめに」は、「黄昏がおわるとき」と副 . . . 本文を読む

東浩紀 ゲンロン戦記「知の観客をつくる」 中公新書ラクレ

2021-01-11 23:34:33 | エッセイ
 東浩紀氏は、1971年生まれの批評家である。 以前は、批評家という肩書は一般的ではなかった。評論家、という言い方はあった。様々なテーマの評論を書き、語るひとびと。その前に様々な専門分野の名称が冠され、文芸評論家とか、経済評論家とか、音楽評論家とか言ったものである。 余談だが、私自身、地方に住んで、地方のことを語る「地方評論家」と名乗ろうか、と考えたこともある。地方自治について語り、地方に住まいす . . . 本文を読む

若松英輔著 「霧の彼方 須賀敦子」 集英社

2021-01-05 21:27:13 | エッセイ
 若松英輔氏は、慶應の仏文科出の批評家、随筆家とある。1968年生まれであるから、私の一回り年下になる。現代詩文学館賞を得た詩人でもあるという。 以前に、中島岳志氏との共著『現代の超克』(ミシマ社)という本を読んでおり、このブログで紹介している。 さて、書物の冒頭は、こう書き出される。「この作者とは深い交わりになる。作品を読む前からそう感じることが稀にだがある。…須賀敦子の場合がそう . . . 本文を読む

民芸 2021

2021-01-01 21:05:37 | 2015年4月以降の詩
民間の芸生活の中の芸術ぼくらが小さなころ民芸はごく近くにあるはずなのに身近などこにもないものだったハイファッションのように雑誌のなかに書物のなかに手の届かないはるか遠くにあるものだった身近にあるものはつまらないありふれたやすっぽいまがいものでしかなかったしかしいまはありふれて気持ちがよくて高価ではないがほんもので美しいそんなものが普通に手に入るいつのまにかそんな時代になったこれは確かにいいことに違 . . . 本文を読む