ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

広井良典 ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 岩波新書

2022-07-02 23:42:52 | エッセイ
 広井良典氏は、1961年生まれとのことで、私より5歳年下ということになる。東大の教養学部から修士課程で科学哲学を学び、厚生省に勤務、社会福祉、公共政策に関わったあと、千葉大、マサチュ―セッツ工科大、東大、そして現在は京都大学人の社会の未来研究院教授ということになるようである。ウィキペディアを見ると「専攻は公共政策、科学哲学。社会保障、医療、環境、都市・地域等に関する政策研究から、ケア、死生観、時間、コミュニティ等の主題をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。環境・福祉・経済を統合した「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱」、という具合で、関心領域は、ずいぶんと広い範囲に亘っておられる。こういう広い範囲の関心の持ち方は、私など、大変に共感を持ってしまうところである。
 もっとも、国の役所に勤務し、社会福祉、公共政策に関わったとなれば、当然に関心を持ってしかるべき領域ということにもなる。大学で一応哲学を学び、その後市役所に勤務し、公共政策(の一部)に関わり、社会福祉事務所で生活保護のケースワーカーをも務めた私が、共感を持ってしまうのは当然の成り行きでもある。
 まず「はじめに―「ポストヒューマン」と電脳資本主義」から読んでみる。

「…近代科学と資本主義という二者は、限りない「拡大・成長」の追求という点において共通しており、その限りで両輪の関係にある。しかし、地球資源の有限性や格差拡大といった点を含め、そうした方向の追求が必ずしも人間の幸せや精神的充足をもたらさないことを、人々がより強く感じ始めているのが現在の状況ではないか。」(ⅳページ)

 これは、まったくその通りのことである。

「このように考えてくると、…私たちの生きる時代が人類史の中でもかなり特異な、つまり“成長・拡大から成熟・定常化”への大きな移行期であることが、ひとつのポジティブな可能性ないし希望として浮上してくる。」(ⅳページ)

「…そうした移行は、何らかの意味で資本主義とは異質な原理や価値を内包する社会像を要請することになるだろう。こうした文脈において、「ポスト資本主義」と呼ぶべき社会の構想が、新たな科学や価値のありようと一体のものとして、思考の根底にさかのぼる形で今求められているのではないか。」(ⅳページ)

 このあたりの行論は全く異論がない。私がこのところ読んでいる書物の著書は、すべからく同じことを語っていると思う。心ある学者、思想家、著作家は、すべて現在の資本主義社会が限界に達していること、既存の惰性のまま同様の経済成長を継続していくことは無理であることを主張なさっている。
 広井氏は、定常化への移行こそがポジティブな希望である、と語る。
 然るに何故、われわれは成長への妄執から軌道修正ができないのか?
 成長への妄執とは、あたかも、沈みゆくタイタニックの船内の宴会場で享楽に耽り、美酒に酔い、美食に耽溺し、美しい旋律に身を任せているようなものでしかないというのに。
 しかし、私たちはサービスを享受する顧客であるのみではなく、客船の安全航行を担う航海士の一員でもあるはずである。国民主権であり、民主主義という理念をわれわれは失ってはいないはずである。

「…人口減少社会として“世界のフロント・ランナー”たる日本は、そのような成熟社会の新たな豊かさの形こそを先導していくポジションにあるのではないか。」(ⅴページ)

 この書物は、現今のこの社会において、この地球上において、私たちがなすべきことの海図を提示し、羅針盤を与えてくれるものと期待されるものである。

「そうした可能性のビジョンを描くことが、本書の基本的な趣旨に他ならない。」(ⅴページ)

 目次を見ると、序章は「人類史における拡大・成長と定常化―ポスト資本主義をめぐろ座標軸」と題される。
 第Ⅰ部は「資本主義の進化」、その第1章は「資本主義の意味」、第2章「科学と資本主義」、第3章は「電脳資本主義と超(スーパー)資本主義vsポスト資本主義」である。
 第Ⅱ部は「科学・情報・生命」でふたつの章が置かれる。
 第Ⅲ部「緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」は第6章「資本主義の現在」、第7章「資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義」、第8章「コミュニティ経済」。
 そして、終章「地球倫理の可能性―ポスト資本主義における科学と価値」で閉じられる。
 この各セクションのタイトルを見るだけでも興味深いものがある。
 膨大な参考文献から柄谷行人、カール・ポランニー、マルクス、見田宗介、水野和夫、大森荘蔵、廣松渉と並べてみても、どうだということにもならないかもしれないが、ローカルへの着目、また、各地の神社への着目など、社会福祉については、もともと専門分野に違いないとして、松下圭一的なローカル、中沢新一的な人類史なども含みこんだ行論の広がりは、私として、たいへんに興味深いところである。
 広井氏は、アメリカのMITI(マサチューセッツ工科大学)で学んだ経歴を持つ方である。序章で、ハリウッドのSF大作も引き合いに出しながら こんなことを述べる。

「…私たちが今後実現していくべき社会が、現在のアメリカのような、甚大な格差や「力」への依存とともに限りない資源消費と拡大・成長を追求し続けるような社会ではなく、ヨーロッパの一部で実現されつつあるような、「緑の福祉国家」ないし「持続可能な福祉社会」とも呼ぶべき、個人の生活保障と環境保全が経済とも両立しながら実現されていくような社会像である…」(13ページ)

 アメリカで学んだ方であるにかかわらず、現今のアメリカ流の、アングロサクソンふうの経済成長至上主義からの脱却を唱えられている。
 あとがきでは、

「ポスト資本主義への移行は、ここ数百年続いた「限りない拡大・成長」への志向から「定常化」への”静かな革命“であり、今後二一世紀を通じて人々の意識や行動様式を変えていく―同時にその過程で様々な葛藤や対立や衝突も生じうる―、真にラディカル(=根底的)な変化であるだろう。…それは…もっともシンプルに言えば「歩くスピードを今よりもゆっくりさせ、(未来世代を含む)他者や風景などに多少の配慮を行うこと」といった、ごく日常的な意識や行動に根差すものだ。」(255ページ)

 真にラディカルな変化は、ごく日常的な意識や行動に根ざすものだとおっしゃる。
 『日本の社会保障』という岩波新書も、ぜひ読んでみたいものである。



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