名古屋ボストン美術館へゴーギャン展を見に行ってきました。
今回の展示の目玉は“我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”というゴーギャンの最高傑作といわれる作品です。
画家に転身してしてからのゴーギャンは不運だったようです。
タヒチで描いた絵はパリでは評価されず、再びタヒチ渡りますが貧困と病苦、さらに愛する娘の死。そうした絶望のなかで、遺書代わりに描かれたのがこの“我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”という作品だそうです。
かねて彼の頭の中にあったという大画面の絵で、右下の赤ん坊が誕生。中央の人物が活力ある生。左下の老婆が死を象徴していわれ、ゴーギャン自身の苦悩を表わしたのかもしれません。
いずれにしてもこの絵は迫力がありました。絵の大きさは3.7m×1.4mくらいあり、その全体が見えるように、絵の3mほど手前に高さ50cmくらいの参観台が設けられていました。
そのため、参観者は多かったものの、しっかりこの絵を楽しむことができました。
また、見終わった後で解説ビデオを見せてもらったため、より印象深く感じることができました。
写真は――
(1)我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか
(2)二人のブルターニュ女のいる風景
(3)かぐわしき大地
今回の展示の目玉は“我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”というゴーギャンの最高傑作といわれる作品です。
画家に転身してしてからのゴーギャンは不運だったようです。
タヒチで描いた絵はパリでは評価されず、再びタヒチ渡りますが貧困と病苦、さらに愛する娘の死。そうした絶望のなかで、遺書代わりに描かれたのがこの“我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”という作品だそうです。
かねて彼の頭の中にあったという大画面の絵で、右下の赤ん坊が誕生。中央の人物が活力ある生。左下の老婆が死を象徴していわれ、ゴーギャン自身の苦悩を表わしたのかもしれません。
いずれにしてもこの絵は迫力がありました。絵の大きさは3.7m×1.4mくらいあり、その全体が見えるように、絵の3mほど手前に高さ50cmくらいの参観台が設けられていました。
そのため、参観者は多かったものの、しっかりこの絵を楽しむことができました。
また、見終わった後で解説ビデオを見せてもらったため、より印象深く感じることができました。
写真は――
(1)我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか
(2)二人のブルターニュ女のいる風景
(3)かぐわしき大地