2013年:独・ルクセンブルグ・仏。 監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ。
WOWOWからの録画。
地味ながらも注目度の高い映画なので、観てみました。
第二次欧州大戦時にナチスドイツ高官として、多くのユダヤ人をガス室送りにしたアイヒマン氏。
長年の逃亡生活の末についに南米で逮捕されたとの新聞記事を、当時小学生だった自分も
読んだ記憶があります。
一面をぶち抜きにした紙面構成は滅多にないことなので未だに記憶に残っています。

長い逃亡の末に南米で逮捕されたアイヒマン氏。 エルサレムでの裁判を傍聴する許可が下りる。
エルサレムで行われるアイヒマン氏の裁判。しかし敗戦国の人間を裁くなどと
いう行為は東京裁判の例でも判るように、意図は始めから見えているわけです。
これは決してリンチなんかじゃない、と勝者が取り繕うために行われる儀式.....。
世界的に注目度の高い裁判なだけに傍聴希望者が殺到。
審査が厳しくて滅多なことでは受理されない中、ハンナの申請は許可される。
○ ハンナ自身も抑留の経験をもつ在米ユダヤ人であること。
○ 哲学者であり、大学教授であり、世界的に著名なライターでもあること。
○ 彼女のような高名な人間が傍聴することは、今回の裁判の箔付けにもなること。
以上のような理由で例外的に許可が下りたと思われます。
ともあれ友人たちからの祝福と激励を受けてイスラエルへ向かう。

イスラエルの裁判にかけられるアイヒマン氏。 彼の発言から「いたって普通の人間だ」と確信。
実際に裁判に接して、アイヒマン氏の発言を聞いているうちにハンナは確信する。
「この人はいたって普通の人だ」と。
「だが普通の人がある体制の中で自らの思考を停止したとき、人類未曾有の”巨悪”を
無自覚に為してしまう」
「人間にはこの種の悪を裁くことは出来ない。アイヒマン氏個人を裁くことも出来ない。
ただし彼のした行為の結果を彼に負わせるのはやむを得ないだろう」

夫ハインリッヒが倒れる。 しばらくは看病のため執筆は中断。
裁判にハンナが没頭しているさなかに夫のハインリッヒが倒れる。
さいわい早いうちに知人に発見されて命をとりとめる。
急遽彼女は帰米して、しばらくの間は夫の看病に専念。

ユダヤ側にもナチに協力的な者がいたと発言。 これには抗議の電話が殺到。予想ができたことだが。
ニューヨーカー誌に掲載されたハンナの記事は大きな波紋を呼ぶ。次いで抗議の電話の嵐。
ユダヤ人の大量虐殺に関して、ユダヤ人の側にも結果的にナチに加担する姿勢があったとする
彼女の論調が猛烈な反発を招いたのだった。
それは記事を最後まで読まないうちに感情的な反応を示した人たちが大半だったのだが。
映画でテツガクできる、稀有な例でしょうね(^^;
”アイヒマンは大量殺人を為した極悪人=問答無用で死刑が当然だ!”とする感情論も
人間として間違いとは言えないでしょうが、論理的な立場からは浅さが見えてしまいます。
自分もこの作品を観ながら、あれこれと考えてしまいました。
たまにはこんな映画を観るのも結構良いですかね。
この映画のテーマは確かに深いのですが、とりたてて難解というわけではありません。
無用に深刻ぶった作りにはしなかったのは制作陣の手柄だと思います。
WOWOWからの録画。
地味ながらも注目度の高い映画なので、観てみました。
第二次欧州大戦時にナチスドイツ高官として、多くのユダヤ人をガス室送りにしたアイヒマン氏。
長年の逃亡生活の末についに南米で逮捕されたとの新聞記事を、当時小学生だった自分も
読んだ記憶があります。
一面をぶち抜きにした紙面構成は滅多にないことなので未だに記憶に残っています。


長い逃亡の末に南米で逮捕されたアイヒマン氏。 エルサレムでの裁判を傍聴する許可が下りる。
エルサレムで行われるアイヒマン氏の裁判。しかし敗戦国の人間を裁くなどと
いう行為は東京裁判の例でも判るように、意図は始めから見えているわけです。
これは決してリンチなんかじゃない、と勝者が取り繕うために行われる儀式.....。
世界的に注目度の高い裁判なだけに傍聴希望者が殺到。
審査が厳しくて滅多なことでは受理されない中、ハンナの申請は許可される。
○ ハンナ自身も抑留の経験をもつ在米ユダヤ人であること。
○ 哲学者であり、大学教授であり、世界的に著名なライターでもあること。
○ 彼女のような高名な人間が傍聴することは、今回の裁判の箔付けにもなること。
以上のような理由で例外的に許可が下りたと思われます。
ともあれ友人たちからの祝福と激励を受けてイスラエルへ向かう。


イスラエルの裁判にかけられるアイヒマン氏。 彼の発言から「いたって普通の人間だ」と確信。
実際に裁判に接して、アイヒマン氏の発言を聞いているうちにハンナは確信する。
「この人はいたって普通の人だ」と。
「だが普通の人がある体制の中で自らの思考を停止したとき、人類未曾有の”巨悪”を
無自覚に為してしまう」
「人間にはこの種の悪を裁くことは出来ない。アイヒマン氏個人を裁くことも出来ない。
ただし彼のした行為の結果を彼に負わせるのはやむを得ないだろう」


夫ハインリッヒが倒れる。 しばらくは看病のため執筆は中断。
裁判にハンナが没頭しているさなかに夫のハインリッヒが倒れる。
さいわい早いうちに知人に発見されて命をとりとめる。
急遽彼女は帰米して、しばらくの間は夫の看病に専念。


ユダヤ側にもナチに協力的な者がいたと発言。 これには抗議の電話が殺到。予想ができたことだが。
ニューヨーカー誌に掲載されたハンナの記事は大きな波紋を呼ぶ。次いで抗議の電話の嵐。
ユダヤ人の大量虐殺に関して、ユダヤ人の側にも結果的にナチに加担する姿勢があったとする
彼女の論調が猛烈な反発を招いたのだった。
それは記事を最後まで読まないうちに感情的な反応を示した人たちが大半だったのだが。
映画でテツガクできる、稀有な例でしょうね(^^;
”アイヒマンは大量殺人を為した極悪人=問答無用で死刑が当然だ!”とする感情論も
人間として間違いとは言えないでしょうが、論理的な立場からは浅さが見えてしまいます。
自分もこの作品を観ながら、あれこれと考えてしまいました。
たまにはこんな映画を観るのも結構良いですかね。
この映画のテーマは確かに深いのですが、とりたてて難解というわけではありません。
無用に深刻ぶった作りにはしなかったのは制作陣の手柄だと思います。