日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

国債は格差社会化を加速する

2018年05月12日 09時44分50秒 | 日々雑感
 現在日本は1千兆円を越す借金を抱えているにも拘わらず、財政の健全化を目的とするプライマリーバランスは、2027年に再先送りとされ、更に雪だるま式に増え続けている。GDPとの比較では既に2倍以上になり、終戦直後の経済状態より悪いとのことだ。行く手には何が待ち受けているだろうか。

 膨大に累積された借金は、貨幣価値の低下、すなわちインフレ発生を招くと思われる。これは、第2二次世界大戦後の歴史からの教訓である。

 しかし、これを全然問題視しない経済学者もいる。その根拠とする理由は、政府の借金の約9割を占める国債の保有者内訳を見ると、国内の民間金融機関が約5割、中央銀行(日銀)は約4割で、海外からの借り入れは6%にも満たない、がある。

 個人が直接保有する国債はごくわずかだが、実は個人資産の多くがその預金や保険の積立金として金融機関を通じて間接的に国債に投資されているそうだ。すなわち、日本国をひとつの家族と見れば家族内の貸し借りの問題で、親が子供にいくら金を借りても全然問題とならないとの理屈である。この理屈は短期的には一見もっともらしく聞こえる。

 日本には個人の貯蓄が1700兆円以上もあり、政府の1000兆円強の借金を差し引いても国全体で見れば700兆円規模の資産があることになるそうだ。現在日本は超低利金利政策を実行中であり、銀行に預けるより、国が保証する国債への投資は十分に利益が得られる投資であるため、国債を買う人が後を絶たないとの話だ。特に金に余裕のある人は国債に投資しているだろう。

 日本国一家族論からすれば、子供には十分な貯蓄があり、子供は親に金を預けるのが得になるをいいことに、親は借金体質のぬるま湯に浸かって、今が良ければと我が世の春を謳歌しているのかも知れない。

 また、日本の企業や個人、政府が海外に持つ資産は、2016年末の合計で949兆円だそうだ。すなわち、日本国内が放漫経営であっても、海外資産を十分持つため、日本国としての信用は落ちず、従って円安にはならない、つまり貨幣価値の下落、インフレが起きないとの理屈だ。

 同じ借金大国のギリシャが経済破綻したのは、ギリシャの発行した国債の多くが外国人に買われていたため、国際問題化したためと言われている。この理屈で言えば、国債を国内で売りさばいている限り、今後更に700兆円程度の借金をしても日本一家は安泰となる。

 戦後の経済状況と現在とでは全く異なり、戦後の教訓が当てはまらないと言うことかも知れない。このあたりの分析は、歴史学者か経済学者に任せたいが、異次元金融緩和の効果にしても経済学者の言い分は全く当てにならないことは証明済みであり、眉に唾を付けて聞く必要がある。

 歴史が筋書き通りに進めば問題ないが、不測の事態が起きて市場が崩れ、国債価格が暴落するような事態になれば、終戦直後のように、大増税や超インフレに見舞われるのは確実であろう。

 それでは不測の事態が起きさえしなければ安心してよいのであろうか。異次元緩和を始めた時、インフレは簡単に起きると思っていたが、現在なおその兆候は見えないが、別の所に大きな問題があった。

 国内の経済格差の増大である。先述の日本国を家族と見る説において、兄弟間の格差が広がる問題である。兄弟が仲良くできれば、問題が無いが、骨肉の争いとなると大問題となるが、その兆候は既に現れている。

 例えば喫緊の問題として派遣社員、フリーターなどの非正規労働者の増加や母子世帯の増加による世帯収入の格差の拡大がある。

 この根本原因は、経済のグローバル化に伴う経済効率化最優先社会の到来にあると思うが、この格差を加速させている一因が国債にあることは間違いない。国債は株式と同様に保有しているだけで、労せずして金が入って来る。株式は会社がつぶれれば紙くずになるが、国債は国が存続する限り、安全な投資であり、このシステムが崩れることは想定できない。

 所得の格差が強まると、富めるものはますます富み、貧しい者はますます貧しく、貧困から抜け出せない状況になり、格差の固定化となり、日本社会の分断、二極化となる。2018.05.12(犬賀 大好-441)

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