菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

その穴に無意識が零れていく。 『パラサイト 半地下の家族』 (※四回の追記アリ)

2020年01月16日 00時00分58秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1649回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

『パラサイト 半地下の家族

 

 

 

 

半地下の家に暮らす4人全員無職の極貧家族が富裕家族の家に入り込んでいく計画の行方を描くサスペンス・ブラック・コメディ。

 

韓国映画初のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた。

 

主演は、ポン・ジュノ監督とは4度目のタッグとなるソン・ガンホ。

 

監督は、『殺人の追憶』、『グエムル -漢江の怪物-』のポン・ジュノ

 

 

 

物語。

失業中の父親キム・ギテクとその妻チュンスク、そして、大学受験に失敗続きの息子ギウと美大を落ちた娘ギジョンの4人は半地下の部屋に暮らしている。
家族でやる、しがない内職で糊口を凌ぐ日々だったが、ある日ギウのもとに友人からの頼みで、富裕家族の娘ダヘの家庭教師をやることに。
さっそくギウは経歴を偽り、IT企業の社長パク・ドンイクとその家族が暮らす高台の大豪邸へとやって来る。

  

脚本は、ポン・ジュノ、ハン・チンウォン。

 

 

 

 

出演

ソン・ガンホが、キム・ギテク。
チェ・ウシクが、キム・ギウ。
パク・ソダムが、キム・ギジョン。
チャン・ヘジンが、キム・チュンスク。

イ・ソンギュンが、パク・ドンイク。
チョ・ヨジョンが、パク・ヨンギョ。
チョン・ジソが、パク・ダヘ。
チョン・ヒョンジュンが、パク・ダソン。

パク・クンノクが、ユン運転手。

イ・ジョンウンが、ムングァン。
パク・ミョンフンが、オ・グンセ。

パク・ソジュンが、ミニョク。

 

       
       

 

 

 

スタッフ

撮影は、ホン・ギョンピョ。
照明は、キム・チャンホ。

美術は、イ・ハジュン。

助監督は、キム・ソンシク。

音楽は、チョン・ジェイル。

武術は、ユ・サンソプ。

 

 

 

 


現代韓国、半地下の家に暮らす全員無職の極貧家族が富裕家族へすり寄る計画を描くサスペンス・ブラック・コメディ。
ポン・ジュノがその作家性をさらに凝縮させた。
韓国映画初のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞し、米アカデミー賞にて作品賞にノミネートしている。
ミクスチャーでミニマムにおける完璧な脚本の一つの形がここにある。
シーンの中でさえコロコロと変化しながらメインテーマとサブテーマが常に浮き上がってくる。
全体としても、前半寄生計画の部分はコメディで、そこからじょじょにジャンルが変わっていく様は虫の変態のようでまさに名は体を表す。そのサブテーマでさえ、メインテーマの中に寄生している。格差はもちろんその先を描き出す。もはや映画マトリョーシカ。
気づけたら口元には喜びの笑い、目元に悲しい涙、心に怒り、見ている自分に嬉しさが。
ソン・ガンホの象徴となりえるダメ男には役者の到達点がある。チェ・ウシクの変幻の粘土ぶりからは何もかもが造形できる気さえする。ああもう、全役者陣が完璧にはまっている。韓国映画の最高峰の顔の映画になっている。変貌に目を瞠れ。
よくいわれる、必要なエロス、が上品な下品さをもって、ある。
二つの家も主役。美術の凄み。
至宝ホン・ギョンピョの撮影は徹底的に物語を語る。
チョン・ジェイルの音楽も二つの世界が組み込まれている。
家族という最小単位から国、世界が見えてきて、韓国、日本、アメリカの関係さえも穿つ。
社会派サスペンス・ブラックコメディ・ホラー・ラブ・ヒューマン・エンターテインメント、最低二つの理由で泣ける、ここまで行ってくれてありがとう、ここまで行けるにはどうすれば・・・。ああ、映画ってここまで穿てるのか。
その階段の真ん中の踊り場で生きる傑作。

 
 
  

 
 

 

  

おまけ。

原題は、『기생충』。

英語題は、『PARASITE』。

『寄生虫』。

 

 

 


製作国は、韓国。
上映時間は、132分。
映倫は、PG12。

 

 

 

受賞歴。

2019年のカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を受賞。

他に、100以上の賞を受賞。

 

米アカデミー賞でも主要賞にいくつかノミネートされる快挙を果たし、受賞に期待が持たれている。

 

 

 

 

撮影のホン・ギョンピョは、ポン・ジュノ作品以外でも、『バーニング 劇場版』、『哭声/コクソン』、『10人の泥棒たち』、『地球を守れ!』、『イルマーレ』も担当している、韓国映画界の至宝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ややネタバレ。

『グエムル -漢江の怪物-』の英語題は『THE HOST』で「宿主」の意味。今作の『寄生虫』と対になっているのもあって、製作発表時には続編と思われたそう。
ポン・ジュノ曰く偶然だそうです。

ちなみに、「グエムル」は韓国語で「怪物」で、ポン・ジュノは『グエムル -漢江の怪物-』は怪物がその名の通り出る映画、『パラサイト 半地下の家族』は寄生虫がその名の通りには出てこない映画だと説明していたそう。

他にも、ポン・ジュノは本作を階段映画、『スノーピアサー』は廊下映画だと言っている。

 

 

パク家の家具はデザインしてのつくり起こし。

 

 


ソン・ガンホは『ジョーカー』のジョーカーとも呼応している。
 
主題歌もチョン・ジェイルとポン・ジュノ、歌もチェ・ウシクで、映画の物語を広げていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

思い出した作品、『アンダーグラウンド』、『善き人のためのソナタ』、『地下室のメロディ』、『インサイド・マン』、『ディスコード -DISCORD-』、そして、もう一本、『太陽がいっぱい』。

ヨットは、ある意味、半地下。

『私がクマにキレた理由(わけ)』もちょっと思い出したよね。

 

 

そこにあるのは、貧困と富裕や格差。そして、その奥にある、非差別意識と差別意識。
そして、その先にある、卑下、どうせの気分、上手く行かないと思ってしまう意識、誰もがもつ劣等感。コンプレックス。

それでも生き残ってやるという生存本能と下に見る保身、奴隷になれない、上にも下になれない、いわば、半地下根性ともいうものも。
富裕家族の人々の性格の良さを描き出しているのが、そこがまた、心をえぐり出す。

キム家は、パクの人々を、純粋だとバカにする。そして、憧れ、自分と比べる。

チュンスクは言う 「金は心のしわを伸ばすアイロン」と。私たちだって、金があれば、ああなれると。

 

 

妻は昔、メダルを獲るくらいの選手だった。気はいいが、要領が悪く、丁寧にできない不器用さがあるが、何でも表面上はこなせる子機良さがるだけに苦しい。仕事をいくつもやってきて、店なども持ったが、失敗し続けてきた。だからこそ、パク・ドンイクへの同等だと思っている節がある。
彼は自分ができない人間だと知っているが忘れてしまう。それは内職のピザの箱で外された四分の一から始まっている。いい息子といい娘の出来の悪さも自分のせいではないかと思っている。言い分は妻からのものだと。
そして、彼の中にあるプライドが匂い、社長のあの鼻をつまむ仕草が自分の劣等感を強烈に焙り出す。
侮辱、侮蔑、誇りを傷つけられたとき、人は感情に支配される。

ギテクは妻の尻に敷かれている、ギウは妹に下に見られている。母は娘に下に見て、お互いにギスギスしている。
キム家では、男は女への劣等感を抱き、パク家では女は男への劣等感を抱く。
ダヘは、弟ダソンの天才のふりを家庭教師に告発する。
家族にも劣等感、優劣をつけて、コンプレックスを抱く。

みな、どこかで、その劣等感を利用して、相手より上に立つ。
妻は夫に、妹は兄に、夫は妻に、家庭教師はその学力と学歴と教師という立場で、生徒は女性という性で。

 

階層をここまで画にした映画があっただろうか。
半地下、階段の上下、ベッドの上と下、ソファの上と机の下、地下、犬の写真はインターホンの上にある。
目の前にいるにパク一家からはキム一家は見えない。

キム一家は家族という表を捨てて、階層を上がろうとする。

 

貧富の差を示す境界線もひたすら画面に刻み続けられる。

 

『寄生虫』はキム家の人々、ムングァン夫妻のことだけでなく、それぞれの心の中に生まれる疑いや劣等感をも指すのではなかろうか。
こういった気分や感情や病の元を、日本では虫で表現する(腹の虫なんて言う)が、韓国でもそうなのかもしれない。

 

天才ポン・ジュノでさえも、例えば、アジア人ということで、西洋への劣等感を味わってきたのだろうか。

 

息子キム・ギウは、ミニョクへの劣等感をダヘを奪うことで満たす。
自分は自分たちは出来るんだと。
だが、ミスと災害によって、自分を信じられなくなる。信じるためにグンセの殺害へと走り、ささやかな計画は失敗する。

悲しいのに、頭部を損傷し、笑ってしまう。
そして、刑事に見えない刑事と医師に見えない医師に希望を見出す。
金持ちになって、父を救おう、と。
自分も父も生き残れたんだ、まだ自分は出来るんだ、と希望を抱く。

 



 

彼らの優越感は性への向き合い方で現れる。人前で触れ合う。それは特別さでもある。ギテクはパク夫妻の前で見えないように妻の尻をつかみ、パク夫妻は息子の前で見えないように愛撫し合う。同じ人間であることが見える。

ダヘは教師へのタブーに身悶える。 ミニョクともそういう関係であったのだろう。

 

尊敬を見せ、へりくだることで、相手にすり寄ろうとする。下に入ることで、相手の優越感を刺激する。
そして、実際に尊敬をし、心酔さえし、どこかで憎みさえする。

ラスト、ギテクは名前思い出し思い出しなのに、ムァングン様と呼ぶ。
台湾カステラの店の失敗をして借金で地下隠れることになった、グンセはギテクである。そして、ここで、前フリ脚本はギテクの未来を示す。

 

 

 

伏線によって抱いたイメージが事実になった時にそのイメージさえも変える。
すでに人間オ・グンセだと知っている観客は、ダソンが一年生の時に幽霊を見たというエピソードとそれを信じる母は、純粋さと特別性と愚かさの表現になる。

トラウマという西洋作劇法から、宿命という古代作劇を用いて、その2つの呪いに囚われた現代作劇へとなっている。

パク一家が西洋的で、キム一家が東洋的な配置になっているとも言える。その下にはさらに第三国が存在する。
つまり、韓国の縮図でもある。
パク一家→アメリカ(英語)、キム一家→韓国、ムァングン夫妻→北朝鮮(スパイと地下)。
そして、ミニョクの家は日本(水石は日本文化)。

ダソンのアメリカ製のテントは鶴翼の陣の前で日本となる。

ダソンが幽霊だと思ったグンセは北朝鮮という韓国が抱える潜在的恐怖の具現化とも言える。

 

 

タイトルからそうだが、象徴、メタファーがセリフにもあるように、映画全体がそれによって、語られる。
象徴的だとギウは何度か口にする。

ポン・ジュノは本作を階段映画と言っているが、家映画でもある。家=生きていく場所を奪われる映画でもある。

インディアン(ネイティブ・アメリカン)のネタは差別と侵略のメタファーとしても機能している。

ヨンギョの言う「地下鉄の臭い」によって、半地下に住んでいない観客の多くへ、これはあなたの匂いでもあると広げた。

ギウは父の手紙を地下鉄の中で解読する。

 

韓国カルト映画の一つ『下女』の影響がけっこうあるようだ。なかなか見れない映画だが、リメイクの『ハウスメイド』はNETFLIXにもあり、こちらも美術監督はイ・ハジュン。

 

 

立小便の匂いも染みついた半地下の匂い(切り干し大根、布巾の匂い、地下鉄の乗客の匂い)は、下水の匂いへと強烈にグレードを上げる。

 

 

前半のシーン内の構成が巧みすぎて、脚本賞を獲りまくってるのも納得。
2つの情報で納得と興味を起こさせ、サスペンスで終わらせることで、次への推進力を与える。キム一家が4人とパク一家に入り込むまではこの構成だけで進み続けている。

全体の大きな構成は、起承転転承結。
2つのジャンル展開するミクスチャーの基本展開を転の連続を承にさせて一気に持って行く応用型。
起(現状と計画開始)、承(計画進行と新たな生活)と転(地下を知る)がくっついて、さらに転(床上浸水)が承(パーティと強襲)と繋がって、結(事後)になる。

 

 

ストーリー伏線に加え、テーマ伏線が非常に細かく仕込まれている。

ストーリー伏線の高度な前振りセリフは、『ソーシャル・ネットワーク』でもやっていたが、それはどこか計画的だった、今作では運命的かつ気まぐれに描くことで、神のいたずらの様相を帯びさせる。皮肉な喜劇、皮肉な悲劇を醸し出す。
計画がある、洪水になる、パク一家が帰ってくるなど、口にしたらそれは神の計画のように、幸運も不運も同じように襲いかかる。

 

 

映画における水の使い方は基本文法。
なかでもポンジュノは徹底的。
今作でも水を象徴としてがっつり使う。
立ち小便と芝生のへのスプリンクラーの対比に始まって、大雨での浸水へといたる。
雨が降り、その中を通過すると、化けの皮が剥がれる。ムァングンは雨の中でインターホンを推す姿は以前とは雲泥の差だ。
今作での水での技ありは、水石。これは水がないのに、そして、水を想像して楽しむという石の存在。
wikiから引用すると・・・。
水石(すいせき)は、室内で石を鑑賞する日本の文化、趣味である。自然石を台座、または水盤に砂をしいて配置して鑑賞する。
水石という呼称には、水盤に入れた石に水をふりかけると色が濃くなり、美しく見えるからであるという説と、古来、日本の公家社会・武家社会の茶席などで、床の間を飾る置物として、山水景を感じとれる石として重用された「山水石」もしくは「山水景石」が省略されたものであるという説がある。

これによって、水は石になる。
立小便をする男を懲らしめるためギウは水石を持って出ていくが、父によってそれは水に姿を変える。

水は石になれるはずだった。

あの家の地下はすべて水になったはずだった。
だが、ギウが川に水石を入れた時、それは交わらないことを示す。しかし、共にあるという姿をも示す。


しかも、浸水の時に、ギウはあの石が水に浮いてきたのを見つける。
つまり、あの石は紛い物。
だから、友人の祖父は譲ったのだ。
そして、その石が紛い物で軽かったから、あれで頭部を打たれてもギウは死ななかった。

 

雪山に上るギウは、あの家の中をガラス越しに見る。そこには丸いガラスに覆われた光が点滅する。

 

梅のシロップと血が交わらないあの画の恐ろしさ。

 

 

エンドクレジットに流れる『soju one glass』(『소주 한 잔』)にも、「苦い焼酎をグラスに注ぐと 爪の汚れが湿る ついに私の紅い右頬に雨が降る」という歌詞があるほど。ソジュは韓国焼酎のことで、意味は『焼酎一杯』。作詞はポン・ジュノ、作曲はチョン・ジェイルで、歌はチェ・ウシク。

 

【歌詞意訳】(菱沼訳、映画字幕と英語に訳された歌詞から)

道は埃や汚れやPM2.5でいっぱいの白い靄が覆っている
雪なんて降らない
雨もまだ降らない

砂漠のような私の足の裏
掃いては押しのけ、またつかむ
どこだかわからない筋肉が痛む
毎日、まっ白に燃えつきている
掌はかたく、カチカチだ
ああ

冷たい焼酎をグラスに注ぐと
爪の中の汚れが湿る
乾いた空に雨雲が集い始める

苦い焼酎をグラスに注ぐと
爪の中の汚れが湿る
ついに私の紅い右頬に雨が降った

 

チェ・ウシクも、映画後のストーリーとしてギウがそれを語るように歌った、と言っている。(ポン・ジュノに歌って欲しいと頼まれたときにそう考えたそう)

ギウが工事現場のような埃がたつ道を歩いて、仕事を終える。
あんなチャンスや幸運を待ちわびているが、まだやってこない。
足も手の皮膚もカチカチに硬くなるなるような肉体労働で毎日へとへとに働いている。
仕事はきつく、長く働いていて、体が痛む。
仕事帰り、白く汚れた作業着で、行きつけの屋台に行く。
いつもの安い焼酎を頼む。
なみなみに焼酎をつぐ。コップからこぼれるほどに。
こぼれた焼酎で爪に残った汚れがふやける。
黑い水が流れる。
飲むと疲れた体に沁み渡り、じょじょに暗い気持ちが心に浮かんでくる。
計画、失敗、後悔、現状、将来、父さん、ギジョン……。
日焼けした上、酔っぱらってさらに赤くなった頬に涙がこぼれる。

(湿ったカビ臭い半地下の家で母さんが寝ているだろう。
ピザの箱も倒さないようにしなきゃ……。
電柱のところで小便をしないようにしなきゃ、母さんにまた怒られる。
「焼酎もう一本!」
クソッ! 俺はまだなにか出来るはずなんだ、シバルマ(チクショー)……)

お気に入りの曲なので、おいらなりに歌詞を。

 

<曲に合わせた日本語歌詞>

『酒は降らす』

道を靄が隠し
肩に白くつもる
雨はまだか
雪でもいい
払おうと手を振る

何かつかんだはず
やけた肌をたどる
せめるたびにかたくなった
なにもない手の平
あぁあぁあぁ あぁあぁあぁ

苦い酒がまた零れて
湿る右手がちぢんで
瞼閉じあおぐ
あかりにくらんで
苦い酒がまた零れて
そっと左手がほどけて
はれて火照る頬にぽつりおちる雨

 



 

途中で、オ夫妻がかけるレコードの曲はイタリアの曲で、ジャンニ・モランディの『貴方に膝まづいて』だそう。

 

 

ポン・ジュノは予期せぬ出来事に巻き込まれる人々を描いてきた、犬泥棒、犬殺し、妻の横暴、連続殺人、怪物による強襲、息子の逮捕、大寒波、ペットを連れ去られる、大雨・・・。そして、そこには、いつも穴があった。

水以外に、ポン・ジュノは穴という映画記号を使いこなす数少ない映画作家でもある。『殺人の追憶』のトンネルに排水溝、『母なる証明』の空き家の窓、『スノーピアサー』は穴の中で全編が繰り広げられる。

今作では、地下の穴に加えて、鼻の穴もその一つに入っている。『オクジャ』でも巨大豚の鼻が使われていた。

今作では、その穴に水が流れ込む。

 

ガラス越しもポン・ジュノのよく用いる映画的モチーフで、今回はさらにコップやシロップの甕、酒瓶、ガラス越しの遺影にまで及ぶ。

映画は、半地下の窓越しの世界で始まり、庭が望める巨大な窓の扉が開く妄想するギウがその窓の下で世界に背を向けて、手紙を読み終えるところで終わる。

『soju one glass』はガラスに液体を入れる歌だ。

 

 

 

ギテクは計画があるという。それは計画をしないこと。 無計画。それに変幻自在に対応すること。ギウはそれは難しいだろうと体育館の床に寝そべりながら思う。今日の昼間は太陽の下、芝生に寝そべっていたのに。
だが、彼は思い付きの誕生パーティに集った優雅な人々をみて、無計画を計画したかのようにこなす人々を見てしまう。その芝生の上には鶴翼の陣が広がり、歌と塩素が披露されている。強烈な劣等感に襲われる。

 

計画をすれば、しくじる。だから、無計画がいい。と言われても、息子は計画を立てる。それは失敗するとしか思えないことが、私たちが抱えた病理。
そして、上手く行くと思ってしまうことさえも病理。

父の劣等感は、息子へと引き継がれていく。
救い出そうともがく負の連鎖で、計画の穴に水が流れ込む。

それでも、彼は計画を立てる。

 

 

 

 

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追記。

原作小説はあるが、黒沢清の『クリーピー 偽りの隣人』にも似ている。『パラサイト 半地下の家族』の発想自体は『スノーピアサー』の頃からあったようだから、これもまた同時代作家のシンクロニシティか。

 

実際の争いは、貧困層の二つの家族で起こっており、富裕層はとばっちりを食らった花袋にな手散るのが、恐ろしい。
金持ち喧嘩せず。
そこには今の経済構造、格差の原因がある。
『家族を想うとき』でも上の存在は出てこず、下の者たちで争っている。

 

ポン・ジュノはインタビューで「労働という意味では富裕層は労働者階級に寄生しているといえる。視点によって関係は逆転関係は逆転する」という旨の発言をしている。

そして、彼らを引き寄せたのはパク社長であるとも発言。だが、彼は彼らにこれ以上は入ってくるなと線を引く。だが、匂いはその線を超えていくのだと。

 

『シェイキング東京』にも、積まれたピザの箱が出てくる。
桃は『殺人の追憶』で最悪の形で出てくる。

 

 

地下鉄臭の話は、『私の愛、私の花嫁』(2014)にも出てくるので、韓国では普通に言われていることなのかもしれない。(韓国人なら普通に分かることらしい。実際、韓国で乗った地下鉄は鉄錆の匂いがした)
『私の愛、私の花嫁』は1990年の大ヒットラブコメのリメイクなので、そのオリジナルにもそのセリフがあるのかは気になる。
『私の愛、私の花嫁』(2014)のエンドクレジットは主演二人による結婚で変わってしまった相手のことについての『私の愛、私の花嫁』という主題歌。ほかにもいくつか類似点があり、影響を受けているのか、もしくは1990年作の方からのものか。

 

 

韓国映画では、主題歌を主人公の気持ちでつくって本人が歌うというのが、いくつかラブストーリーにあったので、それをドラマに応用したのかもしれない。ドラマに使うというのも普通にあるのかも。

 

 

 

隠し部屋に潜むものが物語で重要な意味を持つことが多い。
『バーニング 劇場版』では、子供の頃に落ちた井戸を探す描写や押し入れが重要な意味をもち、彼女の部屋自体がどこか隠し部屋っぽくさえある。
『お嬢さん』では、秘密の地下室で朗読会が行われている。
『EXIT』では、地下鉄の備品を命がけで取りに行く。
『鋼鉄の雨』では、北朝鮮のトンネルの位置が取引の材料にされる。
『サバハ』では、隠し部屋、納屋の奥などが重要になっている。

これはジョーダン・ピール作品でも顕著。階段下の倉庫部屋、地下、心の奥などでそれが示される。
前述した『ジョジョ・ラビット』、『ナイブズ・アウト』でもそれは描かれるので、現代的映画のモチーフ、見えないものを画にする方法として選ばれているところもあると考えられる。

パク・チャヌクはアメリカで撮った『イノセント・ガーデン』でも最も小さな隠し部屋として靴箱が出てくる。
『パラサイト 半地下の家族』では、ダヘの日記もそれに当たる。

 

ダヘの日記は、ギウの心をとらえるのは今日会ったいいことが書いてあるからでもある。
ギウは、未来のことしか書けない。偽造された大学の証書、ノート、手紙・・・。それは現在にいいことがないからだ。
ダヘの日記には、今日あったいいことが書いてある。未来もまるで叶うことのように書いてあるのだろう。
彼は、その未来の計画に希望を抱いている。
だが、父ギテクの手紙には、やはり現在のことが書いてあるのだ。悲しい現実が。

この物語にもわずかな希望はある。
その希望は明るくはないが、ダメだと言われても計画を立てるギウだ。
彼は失敗すると言われても、実際失敗しても、それでも父を救いたいと夢を書くのをやめない。くじけない彼は絶望しない。
それはオープニングのWi-Fiを探すギウが新しい店によってふたたび接続を手にするところから託されている。
愚直な彼はそれでも失敗すると言われても探し続ける。
その絶望しない姿こそ希望と呼ばれるものだ。

ラストに絶望を感じる観客、つまり私とあなた自身が格差を増長させ続けているとも言える。信じられるのはそれでも愚直に進む者だ。その愚直がいま右傾社会をつくったとも言えやしないか。

 

 

貧困の拡大は、戦争の予兆。
富裕と貧困の格差を描くことは反戦について描くことでもある。

 

 

 

 

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再追記。

アドラー心理学の考え方を取り入れたのかもしれない。

・劣等感とは、理想の自分と実際の自分を比較して落ち込むもの。
・変えないという決心に立ち向かう。
・優越コンプレックス
  自分を実際より優れているように見せる。
  他者からどう見られているかを気にする。
・自分をことさら不幸や弱く見せることで、得意な優越感を持つ。(我々の社会では先鋭的な弱さは権力になりえる)

・過去の原因(トラウマ)ではなく現在の望み(ホープ)を見る。

・対人関係以外の問題はない。

トラウマの克服は西洋作劇の基本で、アドラー心理学によって、それを超えようとしたのではないか。

・対人関係を解決する方法は他者に関心持っているときにだけ解決できる。

・社会が私を中心としないなら世界の方を切り取って私を中心にする。

・承認欲求とどう向き合うか。
  自分の人生を自分として生きる。

・他人は変えられない。自分は変えられる。
  ありのままの自分で生きる。
  与えられているものをどう使うのか。

・共同体感覚を持つ。
  自己から他者へ関心を切り替える。
  同じ場所に住んでいると理解する。
  縦の関係ではなく、横の関係に変えていく。

 

『パラサイト 半地下の家族』はフロイト的なトラウマ解決による西洋作劇から離れて、アドラー的な劣等感と対人関係の克服による新しい作劇を獲得したのかもしれない。

だが、恐ろしいのは、解決ではなく、その失敗を提示し、その先を観客に委ねているところ。しかも、一部では克服もしている。

 

 

いろいろ韓国映画を見ると、『パラサイト』に出てくるものがいくつも出てくる
つまり、今作は韓国映画を煮詰めたザ・韓国映画。
つまり、高級肉を使ったチャパグリで、あれは今作とポン・ジュノの意図を象徴している料理。

日本語字幕では「ジャージャー麺」と訳されたが、実際は2種類のインスタント麺を合わせた料理「チャパグリ」。
「チャパグリ」とは、農心が発売するチャパゲティ(ジャージャー麺)とノグリ(旨辛ラーメン)の合成語。
貧富の二つが融合しているあの家の状態(=世界)を表してもいる。

 

 

韓国映画を煮詰めた『パラサイト 半地下の家族』は、日本映画を煮詰めた『東京物語』と相似しており、さしづめ、アジア映画の大きなくくりで言わせてもらえば、21世紀の『東京物語』とも言えるのではないか。

 

 

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再々追記。

白黒版を鑑賞。

白と黒、光と闇で、キャラクターの感情を表現しているのがはっきりとわかった。

考えたら、絵コンテは白黒で描いているのだから、そこを意識して当然なのだが、かなり緻密で、脱帽。

服の系統が、白と黒と灰色で配分されている。
不道徳や負の感情に取り込まれる時、灰色や黒い服を着ている。
罰を受けた後である病院の患者服屋、裁判での囚人服は白と灰色であり、その後、雪で白く染まる。

 

匂いのバラエティは色があった方が感じると思うが、一色の濃い匂いが漂っていた。半地下の匂いだ。

 

 

ピザ箱の4分の1の不良品は、父と息子で半分ずつであったのではないかと思った。
ギウは、4回の受験失敗で自信を無くしている。だから、家庭を持てているだけでも父は尊敬の対象なのだろう。
その意味で、ミニョクは彼が安心だった。
階段から父が落ちることでピンチになったように、ギウも石を落として敗北する。
父は殺人をしても逃げ切っているというある意味での成功を果たしている。
ギジョンは死んでいるのに。
だから、ギウは父を救う計画を立てることで、自信を取り戻そうとしている。

 

立小便男を懲らしめるとき、ギテクとギウはその不器用ぶりを発揮している。

 

母ヨンギョは娘ダヘに劣等感を感じている。ダソンと違って、成績はどうでもいいと言い、チャパグリの時も呼ばない。
ダヘは、かまわれるダソンへと嫉妬し、劣等感を感じている。
社長もまた愛がないことに劣等感を感じている。愛という言葉に仕事で返す。息子には愛を注げるのに、妻には愛を感じていない。

地下の夫婦はアートや笑いがわかるという優越感で劣等感を克服している。

 

 

そして、あの半地下は、山の手のあの豪邸の地下シェルターよりも地形的には下にある。
高低を示すと、豪邸を見下ろす丘、豪邸、地下シェルター、街、半地下となる。
ギウはそのすべてに行き、半地下へと戻ってくる。

 

 

地下の住人だけが血を流す。
金持ちで唯一を血を流すのパク社長も一代で富を築いたので元地下の住人だったといえるのではないか。

 

 

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再三追記。

TV放映で吹き替え版を初めて見た。
チャパグリをジャージャーラーメンにするなど、言葉をどう置き換えるかがなかなか面白かった。
韓国ドラマは山ほど地上波で放送されているけど、韓国映画はかなり久々だと思われる。
純粋な映画では『私の頭の中の消しゴム』あたりかな。
ドラマ版の『バーニング』はNHKでやっていたが、あまり好みの吹替ではなかった。


ネットの感想で見かけた家族写真のダヘの目が一重で、現在は二重というのは、なかなかエグい。

 

今回の感想で、そこに映画を見る目とは何かを思わされたのが、次々と人が入ってきて、あの富裕家族は怪しいと思わないのか、という意見。
これにはいくつかの理由がある。
コメディの話法として、上層にとって下層は目に入らないという誇張、「奥さんはシンプル」という評価が伏線、など。
特に、今作では二つ目の目に入らないという点に、上記した差別と無垢も関わっている。
そして、ミニョクの紹介で自分たちと同じレベルだと受け入れたなら、同じに見ることが出来るというのも、そこに関わっている。
ミニョクもまた差別と無垢を同時に持っている。
ギウの実力は認めているが、ギウではダヘは好きにならないと考えている。
それは、逆のルッキズム、階層が違えば、同じステージにはいないものだと見ているのが伝わってくる。
これが女性だったら、どうだろうか。
ダヘが息子で、彼の家庭教師を務める女性の友人はギジョンに家庭教師を頼むだろうか?


改めて見て、富裕層の育ちは時計回りで表現され、貧困層は反時計回りで示されている。
反時計回りで乳首を愛撫するパク社長が元は貧困層であったともとれる。
ハンマー投げの回転は反時計回り。
パク夫人は化粧も時計回り。
パク社長は己の育ちを憎んでいるともいえる。
そして、パーティのテーブルの配置を示すときは時計回りと反時計回りの両方で示される。

 

『soju one glass』の内容は「上手くいかなかったこと=ギウの未来について」で、計画は上手くいかなかった。
これは、ギテクの指摘(計画はうまくいかない)を証明し、ギテクの物語を強調してるといえる。
この物語で、唯一、ギテクだけが成功(パク社長を殺そうとして殺し、逃げ切ろうとして逃げ切っている)している。
つまり、この物語が、実はギウのしくじりとギテクの物語であることが示されているともいえる。
これは、『母なる証明』と相似形(母は逆説的な成功をする)になっている。

 

ギテクはギウに演技指導されているシーンでは、妻娘も上から見ており、ギテクだけができていないことを示す。
ギテクだけが違う感情表現をしているわけで、ギテクの物語であることを示している。

 

 

編集分析動画
https://nofilmschool.com/parasite-montage

 

 

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再四追記。

仮タイトルは『デカルコマニア』。
ロールシャッハ・テストのことらしい。

伏線が多いので、関係なものも伏線に見えてくる。
伏線とシンボルやモチーフが混同される。

 

ダヘは「助けて」のモールスを無視したという説が多いが、幽霊がいると思っているから、自分の見たものを信じる霊の存在を補強した上、誰かに言っても伝わらないことを理解したのだととも読み取れる。
それゆえに、スピリチュアルに対抗するため、ネイティブ・アメリカンに傾倒していったのではないか。
彼はまず攻撃を行う。
ギウに矢を射るし、匂いに気づくし、明滅をモールスではと読み取ろうとする。
庭にテントで外に出るのも家を嫌っている。
彼は無意識に異物を感じ取っている。
姉はそれをふりをしていると嫉妬する。
そこには、また劣等感が零れてくる。

 

韓国の政治状況も映している。
全体で朝鮮半島になっている。
パク一家はアメリカと日本。(アメリカかぶれ、ネイティブ・アメリカン、日本製品が地下との壁を隔てている)
キム一家は韓国。(寄生して半地下をのし上がろうする)
オ一家は北朝鮮。(北朝鮮のアナウンサーのマネもする)

キム一家はスポーツ、学歴、経済的失敗、アート(美術や映画=演技)と韓国の持つものとも重なる。

 

ここでギテクが言う計画とは、希望に近い意味も持つのだろう。
希望を持つから絶望する。
計画を立てない=希望を持たない、そうすれば絶望もなくなる。
エンドロールで歌われる歌は絶望についての歌にも受け取れる。

ポン・ジュノがインタビューで黒澤明の『天国と地獄』を意識したと言っている。
金持ちの家は丘の上にある。

格差社会を描いているが、災害における対策がnまるで感じられないところなどからも裏では格差を見過ごす現政権を批判している、ともいえる。
前述したように、国の名前の出し方などにヒントがある。
計画がないというのは、反転して、韓国の現在の政治のあり方ともいえる。
キム一家が韓国、パク一家はアメリカと日本と受け取れる。


 

 

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