菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

帰り道はかき消えても、いく道はいくつもある。 『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(追記あり)

2022年01月10日 00時00分05秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1990回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

 

 

 

スパイダーマンがマルチバースから現れた敵と向き合うサスペンス・アクション。

トム・ホランド版『スパイダーマン』シリーズ三部作の完結編。
MCU第27作。

共演は、ゼンデイヤ、ジョン・ファヴロー、マリサ・トメイらレギュラー陣に加え、ベネディクト・カンバーバッチをはじめ、別シリーズからの豪華キャスト(ウィレム・デフォー、アルフレッド・モリーナら)も多数登場している。

監督は、引き続き、ジョン・ワッツ。

 

 

物語。

ミステリオによって、ピーター・パーカーはスパイダーマンの正体が自分であることを暴露されてしまい、しかもミステリオこそがヒーローでスパイダーマンは彼を殺した疑いさえかけられる。
世間から注目され、普通の生活を送れなくなってしまったばかりか、MJや親友のネッドにも被害が及び、ピーターはドクター・ストレンジに助けを求める。
ドクター・ストレンジはスパイダーマンの正体に関する記憶を全世界から消す呪文を使うことにする。

原作:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ
脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ

 



出演。

トム・ホランド (ピーター・パーカー/スパイダーマン)
ベネディクト・カンバーバッチ (スティーヴン・ストレンジ/ドクター・ストレンジ)

ゼンデイヤ (ミシェル・ジョーンズ・ワトソン/MJ)
ジェイコブ・バタロン (ネッド・リーズ)
マリサ・トメイ (メイ・パーカー)

ジョン・ファヴロー (ハロルド "ハッピー"・ホーガン)
トニー・レヴォロリ (ユージーン “フラッシュ”・トンプソン)
ベネディクト・ウォン (ウォン)
J・K・シモンズ (J・ジョナ・ジェイムソン)

アルフレッド・モリナ (オットー・オクタビアス/ドック・オク)
ウィレム・デフォー (ノーマン・オズボーン/グリーン・ゴブリン)
ジェイミー・フォックス (マックス・ディロン/エレクトロ) 
トーマス・ヘイデン・チャーチ (フリント・マルコ/サンドマン)
リス・エヴァンス (カート・コナーズ/リザードマン)

 

 

スタッフ。

製作:ケヴィン・ファイギ、エイミー・パスカル
製作総指揮:ルイス・デスポジート、ヴィクトリア・アロンソ、ジョアン・ペリターノ、レイチェル・オコナー、アヴィ・アラッド、マット・トルマック
キャスティング:アル・セルロ(パイロット)、サラ・フィン、クリス・ザラゴザ

撮影:マウロ・フィオーレ
プロダクションデザイン:ダレン・ギルフォード
編集:リー・フォルサム・ボイド、ジェフリー・フォード
音楽:マイケル・ジアッキノ

 

 

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を鑑賞。
スパイダーマンがマルチバースから現れた敵と向き合うサスペンス・アクション。
トム・ホランド版『スパイダーマン』シリーズ三部作完結編。まるでエピソード9のような趣。
MCU第27作。
アメコミならではのストーリーが展開する。コミカルでありつつシリアスというミクスチャーはまさに。
ミクスチャーもある種の枠の中では、日本でも受け入れられているんだよな。
ヴィランとの対峙の仕方がスパイダーマンの哲学であり、美学であり、魂を示す。
(NETFLIX版『デアデビル』にも出てきますが、内容がハードすぎて、ちょっと空回りもしていた)
親愛なる隣人と呼ばれる身近なる等身大ヒーローを描き出した。
今作は、ここのところにあったフィクションで現実を癒す提案(クエンティン・タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』など)の流れにある。映画というフィクションが現実に押しつぶされた結果をフィクションで癒している。物語を物語で癒すことが出来る。最近では『ハロウィン』シリーズでもやっていた。フィクションでありながらドキュメンタリーを見ているよう感覚にもなる。そこには、現実のつくり手の戦いが見えてくる。
そもそもMCU『スパイダーマン』は始まりからそうだった。
話自体はシンプル(設定は複雑だけど)で、人物関係の会話が非常に多く、そこにたっぷりのアクションというつくりゆえに長めになる。ドラマ部分はシリーズものとして処理されているからこそだったりする。
ジョン・ワッツは、情報盛り沢山の内容を素直に整理して見せる、クリス・コロンバスに似た感じで、素晴らしい手腕を発揮している。
珍しい感触の終わり方で、名づけるならホープエンドといったところか。
整合性を考えるとムムムと思うところはけっこうあるけど、現実の世界と虚構の融合として見るとそこは飲み込める。ここを取り入れられたのは多様な映画作りをしてきた現在ならではと言えるだろう。
そして、そこにはアイツの存在も連想される。(アイツについてはネタバレで)
嬉し泣き。これも見る側の積み重ねで。だから、新シリーズだけの方には退屈でけっこう。追いかけてきたファンのための超大作がってもいいだろう。
もともとMCU自体がケビン・ファイギらの「俺のマーベル」で始まったのだから。傷ついてきたファンでありマニアでありオタクへのご褒美であり、救済。
だって、アメコミ映画ってだけでバカにされてきたんだぜ。
『ディック・トレーシー』を新宿パンテオンに見に行った時の劇場の熱と世間の乖離を思い出す。
しかも、みんながアメコミだと認識してたのはDCのスーパーマンでバットマン、スパイダーマンは知っていてもマーベルは知らず、マーベルが認識されるのはゲーム『マーヴル VS. カプコン クラッシュ オブ スーパーヒーローズ』あたりじゃないかな。(しかも、ここではまだカタカナ表記もマーヴルだったりする)
東宝の『スパイダーマン』もあったけどね。おいらもここから入ったし。(そして、池上遼一の『スパイダーマン』に行く)
久しぶりに、劇場で鑑賞中に拍手と感嘆の声。これは大型の聖地的な劇場で見たからでもある。邪魔と思う方もいるのかもしれないが。映画館で見る楽しみってこういうところにもあるんです。
正史であり二次創作。そもそも映画化自体がコミックの二次創作でもあるしな。
映画は映画の中で終わらないんだよ。現実と地続きなんだ。
傷ついた人々の癒しは今のフィクションがもっとも取り組んでいる題材。
『ドライブ・マイ・カー』もそこに通じる。いえば『パラサイト 半地下の家族』もそこも取り込んでいた。(さらに皮肉も込めて)
ここに、大作ヒーローアクションの道の新しい道が開かれた。
ああ、新しい時代を生きているんだな。
こういう希望を抱かせる力が娯楽にはあるんだなぁ。
終わりであり始まり。オメガでありアルファ。完結であり開始。
かえり道はかききえたけれど、いく道はいくつもあるんだよ。
一人で戦っている人へ、世界のどこかに同じような人がいると伝える糸作。



 

おまけ。

原題は、『SPIDER-MAN: NO WAY HOME』。
『蜘蛛男:無帰路』。

2021年の作品。


製作国:アメリカ
上映時間:149分

 

配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

 

 

リス・エヴァンスは、『キングスマン ファースト・エージェント』でラスプーチン役もやっていて、悪役で世界を席捲中。
おいらは、『ノッティングヒルの恋人』の同居人スパイクが好きだなぁ。

 

 

今作とは、ほぼ関係ない話だが。
アメコミはアメリカ映画によく出てきたが、日本では知られていない時代が長く、字幕などでは、ほぼないことになっていた。
一例をあげると『ベビーシッター・アドベンチャー』では自動車修理工をマイティ・ソーに例えるネタがあるが、字幕では「バイキング」となっていた。
アン・リーの『アイス・ストーム』はアメコミ(特に『ファンタスティック・フォー』)に家族ドラマを重ねた名品だけど、日本では語る人がいない一本だし、これを見るとアン・リーが『ハルク』を撮る理由がわかる。
ケヴィン・スミスの『モールラッツ』にはスタン・リーがキャストとして神のような扱いで出てくる。(のちのバットマンのベン・アフレックも出てる)そして、未公開。(続編らしき『Twilight of the Mallrats』が準備中)
ケヴィン・スミスはアメコミマニア。所蔵のアメコミを売って初長編映画『クラークス』の製作費を調達した。劇中でアメコミのキャラのようなサイレント・ボブも自身で演じ、のちに映画化している。
続く『チェイシング・エイミー』の主人公はアメコミ作家。
のちに本人もアメコミの原作者となる。
だが、自作以外のアメコミ映画をつくったことはない。

 

 

スパイダーマンノーウェイホーム新しいIMAXポスター

 

 

 

ややネタバレ。

アヴィ・アラッドへ感謝の言葉の言葉がクレジットされている。

 

デルマズ・サンドウィッチは『ホームカミング』で爆破されたお店。
直って営業再開したのね。

 

ベティは『ファー・フロム・ホーム』では学生だったが、現在はデイリー・ビューグルのインターンになっている。

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

マット・マードックことデアデビルがNETFLIX版ドラマの『デアデビル』のチャーリー・コックスで登場。
『ホークアイ』でキングピンが出てましたしね。
これは、コロナ禍で今作との公開順が逆になったからよね。
噂では、ドラマシリーズの『エコー』か『シーハルク』にも出てくるとのこと。

だから、今作はマーベル・スタジオ、ディズニー、ソニー、パラマウント、NETFLIXと五社を渡った作品となっており、これは現実でもマルチバースしていると言える。

今作は『ホークアイ』の一年前の話であろう。
なので、ホークアイはピーター・パーカーのことを覚えていないので、ニューヨーク住まいの彼に連絡をとらない。とはいえ、ハッピー・ホーガンにもとってないけど。

あの壊したロボットアーム(ダミー)は『アイアンマン』に出てきたトニー・スターク制作のアーム。
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』で飛行機に積んでいたファブリケーターもハッピーの家にある。
実は、ハッピー家にはモーガン・スターク(トニーの娘)の作の絵も飾られているそう、いいおじさんをしているようだ。

エレクトロが言う黒人のスパイダーマンは、マイルズ・モラレスへの目くばせ。
『スパイダーバース』の主人公ですね。

シナリオ的には、MCUが目指したチームプレーが活かされてる。
実は、サノス軍の負け方には、巨大な軍ではあるが、チームプレーがないというところがあった。
ブラックオーダーも一見協力しているように見えることもあるがほとんどは単独プレー。
サノスは最後、そのチームプレーに破れる。
トニー・スタークは一度チームプレーを手に入れるが、『シビルウォー』で失い、スティブ・ロジャーズとバッキーの親友コンビに負ける。友人であるローディも離脱。
『インフィニティ・ウォー』でもトニーは協力しているようで、一人で戦っている。宇宙船内でピーターが提案することでチームプレーでストレンジを救う。
ピーターは『ホームカミング』でも、正体がすぐにネッドにばれてチームに、さらにトニーの力も加わり、チームプレーをしてきた。敵も単独のようで会社の同僚というチームプレーだった。
『ファーフロムホーム』でもミステリオと仲間になったと思ったら、裏切られ一人の戦いを強いられるが、ハッピーやニックなどともチームを組む。
ミステリオもチームプレー。
チームを見てきたのがトム版ピーター。

そこを踏まえて、チームとしてストレンジに頼るが、そこで仲間と考えの違いという仲違いをする。
新しいチームになるノーマンはゴブリンへ戻る。
そこに単独の戦いをしてきたアンドリュー版ピーターとトビー版ピーターとチームプレーを繰り広げる。
さらに先の経験からの協力を得るが、チームプレーに長けたトム版ピーターがリーダーシップをとる。
敵たちもチームプレーだ。(だからこそ、治療されたドックオクはあえて敵のふりをしていてくれた)
チームを大事にしたからこその魔法への注文でマルチバースの扉を開いてしまう。
トム版ピーターはチームの素晴らしさとチームに頼ることの危険さも知る。
そして、チームを失わないと救えない事態がクライマックスに訪れる。
それらにより、彼は大いなる力には大いなる責任が伴うことを思い知る。
そこから、たった一人でもヒーローを続けることを決意する。

アンドリュー版ピーターとトビー版ピーターは前のシリーズを知らない人には知らないキャラではあるが、スパイダーマンであることは分かるはずで、あえて言えば、知らない人でもその力や言葉や経験を語ることで仲間に慣れることを示している。
彼らを知ってる人の盛り上がりに気圧されずに、知らないということからでも生まれる関係を楽しめるはず。

 

『バタフライ・エフェクト』っていう人もいるかもしれんけど、『ネバーエンディングストーリー 第二章』も思い出したよね。

あと、最後に主人公だけが記憶をなくしてしまって、世界のどこかに飛ばされてしまうが、それを仲間が探すの(漫画だったかしら)もあった気がする。

 

『スパイダーバース』からの影響もあるよね。
ピーターBのね。

 

クレジット。
出演。
アンドリュー・ガーフィールド (ピーター・パーカー/スパイダーマン/ピーター3)
トビー・マグワイア (ピーター・パーカー/スパイダーマン/ピーター2)

トビー・マグワイアは、役者業から少し距離を置いている(病気などいろいろな事情がある)ので、2014年以来のちゃんとした出演だったりする。
彼はアメコミファンで、病気で体調管理が難しいにも関わらず、肉体改造を行って、『スパイダーマン』の主演を勝ち取った。
(ロバート・ダウニーJrとは、お互いの主演決定を祝った仲だそう)
『2』の前の『シービスケット』の撮影で背中を痛めている(腰ネタはそこから生まれた)ので『スパイダーマン3』が特に大変だったそう。そのため、「もうスパイダーマンはやり切った」と発言していた。なので、出たとしても、かなり短い出演ではないかと予想されていたのだった。

アメコミ映画は、ティム・バートン版『バットマン』のヒットはあったものの、子供騙しなどとどこか蔑まれていた。多少ヒットはしても、出来がいいものは限りなく少なかった。サム・ライミはスパイダーマンの大ファンで、実写化したいと企画を出したものの通らず、道を作ろうと『ダークマン』(リーアム・ニーソン!)でスパイダーマンスタイルのダークヒーローをつくる。だが、そうヒットせず。
それらの努力が実り、サム・ライミはついに『スパイダーマン』の監督に抜擢される。
いわゆるアクション俳優ではなくトビー・マグワイアやウィレム・デフォーのような演技力ある俳優が加わり、まるでシェイクスピア劇のような内容となり、アメコミ映画の新しい道を開き、大ヒットを達成した。
その上、難しい続編『スパイダーマン2』でアメコミ映画の最高傑作を放った。(のちにそれは『ダークナイト』へと継承される)
それはMCU誕生へとつながってもいく。(アン・リーの『ハルク』は失敗したので、権利が戻ってきていたのでMCU第一弾となり、『アイアンマン』は単独製作きなかったので、いまだにマーベル・スタジオに権利が全部はない)
そして、そのサム・ライミを監督に迎えたのが今作に続く『ドクター・ストレンジ2』だったりする。そのサム・ライミによる新たなるアメコミ映画の続編に期待せずにはいられないじゃないか。

今作のまだ台本が提示できない時(全員OKになるか不明だったので)に出演依頼されたのだが、OKを出している。これはアンドリュー・ガーフィールドも同様だそう。

余談だが、前述した『アイス・ストーム』にトビー・マグワイアはポール役で出演している。
小説 『アイス・ストーム』の内の記述で「ポール自身がベン・グリムだったり、ピーター・パーカー、別名スパイダーマンだったりした」とある。(ベン・グリムはファンタスティック・フォーのザ・シングの本名)

 

MCU版『ファンタスティック・フォー』はジョン・ワッツが監督することが決まっている。
この『ファンタスティック・フォー』に『スパイダーマン』チームの誰かが出る可能性は高い。

 

実は、今作は準備中に台本は2種類用意していたそう。それは、出演が適わないバージョンととにかく今までの重要人物が全部(キルスティン・ダンストのMJやエマ・ストーンのグウェン、モーガン・スタークなども出てくるバージョンがあったそう。そこで、とにかく出演承諾を取り付け、それからOKの人で話を再度構築し直した後で、さらに物語に必要な部分だけの人物だけに再度直して、絞って行った。そして、現在の形になたそう。

ちなみに、モーガン・スタークは実際に会うシーンが撮影されたが、カットされたとのこと。削除シーンでいづれ出てくるのではないかと。

 

ポストクレジットは2つ。
1つ目の『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネージ』のポストクレジットとつながっている。
スパイダーマンの正体がピーター・パーカーだと知っているものが引き寄せられたということなので、ヴェノム(シンビオート)は記憶を共有しているからってことね。
トビー版『スパイダーマン』にヴェノム(シンビオート)出てきたし、そのことを話すシーンもあった。

2つ目は、『ドクター・ストレンジ2』の予告編。
(アメリカ公開より少し遅れたため、すでに日本でも公表済のものになってしまった。同時公開だったら初見だったはず)
今作のまんま続きと言われているので、やり直しのチャンス(セカンド・チャンス)の物語なので、今回失敗したドクター・ストレンジのセカンドチャンスがポストクレジットで『ドクター・ストレンジ2』の予告が出ることで現れる。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」は、彼にも向けられている。
だから、ウォンに至高の魔術師の称号に渡している。
たぶんサノスを倒したことで、彼は元の性格の傲慢さが戻ってきて、調子に乗っているのだ。その調子に乗っちゃったから彼は事故を起こしたし、手を失ったのに。
兄弟子がエンシェント・ワンに背いたように、修業でも精神性を高くするには長い時間がかかる。

今作はソニーの権利を貸し出している形でのマーベル・スタジオとの共同製作(パスカルピクチャーズもクレジットされている)なので、ポストクレジットもソニー作品的な感じになったと言える。
大人の事情を感じる。
だが、その大人の事情を分からせた上で面白がらせているし、面白がれる。
大人の事情があるので、ソニーは今後新たに『スパイダーマン』の新三部作をつくることになるので、ある意味、今後MCUからスパイダーマンが消えることも示唆したラストになっている。
スパイダーマンはいて、ピーター・パーカーの記憶だけが消えたってことなので、戻ってこれるけどね。

ヴェノム(シンビオート)からもピーター・パーカーの記憶は消えている。

今作の展開は、魔法が現実に影響されているからともいえる。
ご統合主義や整合性がついてないと言ってる方もいるけど、これって、『デッドプール3』へつなげるのではないか。
デッドプールは『スパイダーマン』とも多く絡むキャラで、第四の壁を超える能力をもっているので、現実というマルチバースを理解している。
ドクター・ストレンジの魔法は現実には影響しないから、デッドプールはピーター・パーカーを覚えている可能性がある。

 

原作では、ネッドは洗脳されてホブゴブリンというヴィランになる。

 

『フラッシュポイント』はDCの大転換点の名前。

 

他の世界線の影に、クレイヴン・ザ・ハンターというソニーで映画化が動いている作品のキャラの影が映るそうです。

 

「ペンキを落とす」も治療につながっている。
でも、落ちなくて、裏返して着ている。
防御力が強いし、コンピューターを使いたかっただろうね。
それは、トニー・スタークに守られているということでもあった。
だが、それもやめ、手作りスーツになることで、トム版ピーターは独立したヒーロー、自立したヒーローとなった。
それは、そのままトニー・スタークの下を離れて、真のヒーローへの道を歩みだした、いやスイングしだしたってことなんだ。

 

赤いゴンドラは、サム・ライミ版『スパイダーマン』に出てきたもの。(『アメイジング・スパイダーマン2』にもちらっと出ている)

アメリカでは、『1』のグリーンゴブリンのマスクに結構批判があったらしく、ノーマンはマスクを壊すシーンになったのではと推測されている。

 

自由の女神にキャプテン・アメリカの盾をつけようというのは、アメリカの防衛とはいえ戦闘的な傾向になりつつあるとうかがえる。
今作で盾を落として、その上で戦うことは、「戦うよりも治療」を映像的な比喩にもなっている。
しかし、『ホークアイ』の中で、新しい自由の女神を見たい、というセリフがあるので、どうやら盾はついてしまった模様。

 

ドクター・ストレンジに魂を外に出された状態でも体を操っていたのは、ムズムズ(スパイダー・ティングル)のおかげで、あれが最後の3人が心を合わせるアイディアにつながっている。トム版ピーターは理解してたってことよね。

 

ヴィランたちだけでなく、スパイダーマンの正体がピーターだと知っているのはスパイダーマンも。
だから、ヴィランたちを同じ頃にトム版たちの世界にやってきていた。
知らない世界に来て、ピーターと呼ばれたので、アンドリュー版ピーターはネッドたちにマスクを脱いで見せたのよね。
助けてもらいたかったんじゃないのかな。

 

 

デス・スターのレゴは再度、壊される。
これは『スターウォーズ』でも2度壊されることのオマージュでしょうね。
そして、映画『スター・ウォーズ』全体の構造へも目くばせしているようだ。
3つのシリーズにより一応の完結。

今作で、ヴィランを治療しようとしたように、現実のフィクションも癒そうとしている。
これは最近の一つの流れで、前述の『ハロウィン』シリーズだけでなく、『コブラ会』、『ボバ・フェット』、『エヴェンゲリオン』、『マトリックス』などもある。単なるリブート(『シン・ゴジラ』とか)ではなく、スピン・オフや続編的に、きちんと正史の物語のその後としての状況や人物が描かれること、主人公が違ったりしてもやり直し的なことをするのをその特徴としたい。
だが、もちろん、それは基本的には同じ世界の中にある。
『スターウォーズ』のEP7と8がその代表ともいえる。(EP9はその部分はほぼないと言える)
だから、今作がすごいのは、リブートではあったが、それが同じ世界の中にあり、続きでもあるということ。
『ハロウィンKILLS』の後に続く『ハロウィンENDS』が今作に近いと言えるけど、あれはなかったことになっているので、他のマイケルが一緒に出ることはない。
やり直しだけど、なかったことにしない。
実は、『ワイルド・スピード』シリーズがシリーズ内でそれをやってるのよね。
ほとんどのキャラが出てない『3』のキャラも出してるので。

それゆえに、もっとも傷ついた『アメイジング・スパイダーマン』がもっともドラマチックになる。
ある意味でハッピーエンドでもなく、バッドエンドでもなく、オープンエンドでもない、どこか悲劇的でもありつつ希望をつなぐ珍しい感触のエンドのスタイルともいえる。(『バタフライ・エフェクト』も近い)
アンビバレンツ・エンドと言った感じだが、名づけるなら、ホープエンドといったところかな、と。

 

言い出すと、トビー版ピーターは過ぎた時間から来ていて、グリーンゴブリン、ドック・オク、サンドマンは過去から来ている。
これはアンドリュー版ピーターも同様。
なので、考え出すと、実は非常にややこしい。
おいら的には、パラレルワールド的に実は少しずつずれた世界からやってきたのではないか。
だから、グリーンゴブリンのノーマンも実は、トビー版ピーターの世界のノーマンではない。だが、同じ顔で記憶は同じなので、お互いを認識できる。
つまり、時間がズレた世界から来たのであって、トビー版ピーターとノーマンの二人が戻る世界は違うのではないか。
だから、エレクトロが治療されても時間が巻き戻るわけではなく、あのエレクトロの戻った世界ではグウェンが死なないというだけで、アンドリュー版ピーターが戻った世界でグウェンが蘇るということではないのだろう。

トム版ピーターもスパイダーマンの存在は消えてないけど、ピーター・パーカーは消えているので、映像やデータも消えているということなのよね。
魔法って、便利である。

最後のピーター・パーカーはどういう状態なのかね。
戸籍などはあるが記憶されていない状態ということだから、今回のことから周りに危機が及ばないように誰にも正体を明かさない覚悟を決めたということなのだろう。
でも、なんで高校を卒業してないことになっていたのか?
新しく大学を受けるということじゃないのかしら?
アメリカのルール? 字幕ミス?

 

なにより、『アメイジング・スパイダーマン』で傷ついたアンドリュー版ピーターはあそこで消えたのではなく、その後、長く苦しみ続けたのちにその明るさを取り戻してりう世界線が続いていることが示された。
無理矢理まとめられた悲劇的な終わりになったトビー版ピーターは自ら殺めてしまったノーマン(親友の父)や尊敬するオクタビアス博士を今度は救えたという経験を得たし、タイガーと呼ばれた最後からMJとは複雑でも関係が続いているそうだし。
(あれが2007年とすれば、2024年設定らしい今作からすれば、17年前でトビー版ピーターは40歳くらいだ)。
キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースの70年を取り戻させたエンドゲームに続いて、ヒーローの過ぎてしまった時間を取り戻すという思いがここでも引き継がれているのがわかる。
しかも、今作では、死んだヴィランたちの魂も治療する。
『エターナルズ』ではサノスにも理があったことが示されていたしな。
MCUはフィクションが描ける現実の希望として、単純に善悪で分けない、勧善懲悪だけではない新しいヒーロー像の構築に挑んでいるのだろう。

ただ、そうなるとキングピンのような複雑な悪党やシリアルキラーや生物学上の捕食者の扱いはどうなっていくのか。
治療できる悪だけではないだろうに。
もちろん、スパイダーマンの歴史として、敵の悲劇性というのがあるしね。
勧善懲悪しかない世界で違うことを示すことの覚悟。
勧善懲悪はDCで見られるとは思いますしね。

 

最後のピーター手作りのスーツは、原作初期のデザインになっている。

 

トム版ピーターはおばさんしか身内が出てきていない。
トニー・スタークが父のような存在になり、トニーを失って、ハッピーがそれを引き継ぎそうになるが、ミステリオが父になりかけ、裏切られる。
父になりかけたハッピーは分かれてしまう。
今回、父ではなく兄が二人現れる。
トビー版ピーターの父に当たるノーマンを殺してしまった。
同じ道を歩み始めたトム版ピーターを止める。
そして、ノーマンと邂逅する。
いわば、スパイダーマンにおけるヴィランとはすべて父であり大人。
ピーターはそれを超えて、子供心を残したまま大人になっていく。
トニーが父を超えようとしたように。

実際、スパイダーマンは蜘蛛に噛まれた高校生がそれに浮かれていたら身内を失い、一回闇に落ちかける。
そして、ヴィランも近い同じ状況にいる。
スパイダーマンにはその時にそばにいてくれる誰かがいた。
その誰かにトム版ピーターとピーター2、ピーター3、MJとネッド、メイおばさん、ハッピーはなろうとする。
他の大人が見捨てたようにしない。
かつて見捨てられた作品のようには、アイアンマンが出来たのは知名度がなくて権利を買われなかったからだし、ハルクはヒットせず権利が継続されなかったからだし、MCU版も大きくはヒットしてない。
サム・ライミ版は予算が大きくなりすぎて、『4』はキャンセルされてしまって、『3』に無理やりヴェノムを出すことになり、製作費と興行成績のバランスで終了した。マーク・ウェブ版は『3』さえキャンセルされた。(実は、マーベル・スタジオが権利買戻しを仕掛けたコオtも影響しているとも言われている)
映画版『デアデビル』はそこそこヒットしたがスピンオフの『エレクトラ』はまれにみる失敗作と言われた。NETFLIX版『デアデビル』は傑作と言われたがマーベル・スタジオによってシーズン3で停止中。
『マイティ・ソー』はMCU初の失敗と言われたが『3』で盛り返した。
いくつもの失敗をやり直して、MCUは続いているのだ。

重要なのは、スパイダーマンはラブストーリーでもある。
その時、女性性はそう扱われてきたかは見ての通りで、守られる側もしくは悲劇をもたらすものか抱えるものとして描かれてきた。
サム・ライミ版では自立も描かれたが、それも恋愛要素のエッセンスに埋もれてしまう。
今作では、メイおばさんによって、女性の自立が描かれる。
ヴィランには女性がいないのは過去からの敵でもあるので、まさに過去の娯楽作が男性性に支配されていたことが見えもする。
MJは今回チームの一人として戦いに参加もしている。
だが、やはりどこか守られる存在であることは変わっていない。
そこは『エターナルズ』や『ホークアイ』にける女性性の現代的な描き方からはどうしても遅れるところがあると言える。
だが、男性性との対立は描かれている。
スパイダーマン3人はどれも男性性をそこまで打ち出さない。
ヒーローだが戦うよりも癒しへと向かっていく。

しかし、今後、『ドクター・ストレンジ2』ではワンダ、『マーベルズ』、『エコー』、『シーハルク』、『マイティ・ソー:ラブ&サンダー』、『アイアンハート』と女性ヒーローがどんどん増えて、女性性が描かれていく。
21世紀のヒーロー像、平等で公平なヒーロー像が。

 

脚本家の話では、今作のストーリーはスパイダーマンの原作コミック『ワン・モア・デイ』と映画『素晴らしき哉人生』を混ぜたそう。

 

今作により、どのチームがつくる、またはつくったマーベル作品も別バースの出来事としてあったことになった。
これを大人の事情でしょうがないゆるい選択と取る人もいるだろうけど、おいらは、すべてのファンとつくり手を肯定する愛だと思う。
ライト層や一言さんお断り的な方向に進んでいくのは、逆に言えば、お付き合いの長いファンを大事にすることにしたという今までないがしろにされてきたアメコミの市民権(ほとんどの国は日本と違って漫画の市民権は高くないのだ)こそを大切にすると決めたからだろう。(ダメな作品だって、俺は好きなんだよって思ってる人がこの瀬業界を支えてきたし、評価が変わることだってある。同じファン同士でもちょっとした蔑みはあるものだ)
今作が目指したものは、それこそ、差別の撤廃であり、蜘蛛に噛まれていないピーター・パーカーのような(日本で言うなら、のび太)攻撃されたオタクやナード、下手すりゃ気狂い扱いされた日々を救おうとする癒しなのだ。
今作の癒されるヴィランは僕らであり、彼らやあの人らでもあるんだよ。


DCネタもちょこちょこ入るようになったので、いつかDCとのクロスオーバーもあり得る。
しかも、MCUは宇宙も舞台になっているから、あの中では『スターウォーズ』の世界だって存在しているのかもしれないのだ。

『アメリジング・スパイダーマン3』として、『シニスター・シックス』がつくられる可能性もあるのだ。『スーサイド・スクワット』にバットマンが出たように。
その時のピーターは、大人になったアンドリュー版ピーターになる可能性も出てきた。

 

「真水? 塩水? どっち?」

 

映画は反復の芸術であることを思い出す。
そして、映画館に行かないと会えないという意味で、映画は出会いの芸術なんだ。

 

それぞれのテーマ曲もアレンジされて流れてましたね。

EDで流れるのは、デ・ラ・ソウルの『The Magic Number』。
「3」それは魔法の数字、と歌っている。
『3』と3シリーズ、3人のスパイダーマンだけでなく、ピーターとMJとネッドと魔法をかけているんだろうな。
で、和訳歌詞を出してもよかったと思うのよ。

De Las Soul(デ・ラ・ソウル)はPosdnuos(ポス/ポスノウス)、Pasemaster Mase(メイス/ペースマスター・メイス)、 Trugoy the Dove(トゥルーゴイ・ザ・ドーヴ)の3人による、ニューヨークのヒップホップグループ。彼らが1989年にリリースしたのが"The Magic Numver"。

歌詞の一部。

「3」それは魔法の数字 そうさ、それは魔法の数字
このヒップホップコミュニティのどっかで
この「3」人は生まれたのさ
メイスにドーヴに、そして俺(=ポス)
てなわけで、それは魔法の数字なのさ (どういうこと?) 

難しいこと説くのはポスの喜び
娯楽と説くことはハートから始まる
俺の中でななんか音楽をよくさせること
俺の音楽を測る定規 それには「3」つの基準がある
さりげなく見えるようにしな
ソウルのようにやるんじゃねぇぜ
さりげなく見えるように、と、目に見えるように、は全くの別物
目に見えるようだと、猿(猿真似、モンキー)っぽい
ヒップホップしなよ ロックンロールじゃなく
お前の名前がブリュースターじゃないならな
だってブリュースターはパンクなんだ (「3」)

親は諦めな だって、ほら、奇跡が起こりそうなんだ
ラップをクサすってことは、あんたはどっかズレてるってこと
やめなさい フレッド・アステアにしなさい
メイスがあんたの娘とダンスをしたってムッとすんな

三脚とカメラが動画を撮り始める 俺らがはじめる用意ができてるからさ
「フライ」と韻踏む単語はデイジープロダクションに保存
デイジーは「てめーら、内なる音に耳を澄ませ」て意味
信じていい 手品なんかじゃない それよりももっとうまく機能する
みんなDJになりたい みんなMCになりたい
話し手になるのは最高 想像しなくても分かんだろ
デ・ラ・ソウルは「3」人組 そして、それは魔法の数字

ここにあるのはパイの一部なんだ デザートじゃない でもそれは俺らが食べるもの
毎皿食べるたび 最低「3」回 「んー!(美味しい!)」って言う
君の頭にデイジーが咲いてるかタイミングで
自分の本当の立場を伝えてくれる このパイの一部は
パイのなくなった部分にキスしてんだ
虫歯みたいにネガティブが埋め込まれたら 引き算しちまいな

(「3」を)幸運な相棒と呼んでもいい ただのおまけと呼んでもいい
けどな、奇妙なことに「1」と「2」がなかったら存在しねんだよ、「3」は
メイスにポス、そして俺 そして、それは魔法の数字なのさ

目的は魂が示されて、生み出されんだ
粋ないき方を見せつけた魂はたっぷりの称賛を浴びんだ

 

 

「アベンジャーズだって!? そりゃ、すごい! で、それはなんなの?」

 

 

 

__________________________________

追記。

今回のスパイダーマンはトニー・スタークが師匠。
『アイアンマン』一作目のラストは、自分の正体を隠せたのを明かす。
今作は、無理矢理正体を明かされたピーターがそれとどう向き合っていくのかという正体明かしで繋がっている。
もちろん、すでに有名人(しかもお騒がせセレブ)であるトニー・スタークと名も無きただの高校生であるピーターでは全く立場が違うし、経験も違う。
でも、ストーリーの状況上では師匠と同じものを体験することになる。

実は、『アイアンアン』の元の台本では、あの正体晴らしはなかったそうで、通常のヒーローものの終わりだったそう。
ヒーローを引き受けるヒーローは、キャプテン・アメリカでも描かれている。
その二人の逆を受け入れられなかったのがトム版ピーター。
MCUのヒーローはヒーローであることを受け入れていく。それが情報発信時代のヒーローとして現代的であったが、スパイダーマンはそれを経た上で、あえて隠す古典を取り戻すその光と闇を引き受けないヒーローの価値を考えさせる。
匿名性(=アノマニー)。
『キャプテン・アメリカ4』はその開示されたヒーローが描かれるのではないかしら。

今シリーズ、スパイダーマンとしては三回目ということで、特殊蜘蛛に噛まれるシーンがない。
その雲はどうなったのか、なぜ生まれたのかが不明のまま。
サムライミ版が優れていたのは、その雲とグリーンゴブリンとも繋がっていたこと。
自分をヒーローにしたものと近いところでヴィランになった者同士の戦いだった。

新三部作でもきっとこの蜘蛛については扱われないんだろうなぁ。

 

『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネージ』のポストクレジットのJ・ジェン・ジェイムソンのスパイダーメナスは発言は、前から言ってたみたいです。
わたしのうっかりでした。

 

スパイダーマンはヴィランに科学や開発に強い人物が出てくる。
今回治療されたのは、その暴走の部分で、科学の暴走ともかけているところはある。
科学の暴走や副作用を治療したともいえる。

スパイダーマンは突然屁にではあるけど、あまり、それに飲み込まれなかった。
トビー版ピーターは飲み込まれたので、一度スパイダーマンになるのを放棄している。
責任をとったともいえるし、無責任でもある、といえる。
で、今作は、その暴走は魔法の暴走になっていて、その原因であるトム版ピーターが責任を取る。
壊れかけた世界の治療をする。

正体を明かさないというセナ宅は、トニー・スタークを逆である意味師匠とは逆の選択をして、だが、同じ独立独歩の道を歩む。

 

さて、MCUは「ヒーローとは?」というところをテーマにしている。
今作は、トム版ピーターの行動こそ正しいという風に見えるが、エレクトロは停電を起こしているなど、姿の見えない普通の人々が苦しんでいる。電気のことなので死亡した人もいるかもしれない。
ドクター・ストレンジが犯罪者をかばないのはそういったことを想像したら正しい。だが、彼らがいる世界では彼らが戻ることでそういう人が増えることでもあるが、自分の世界を救うことしかできない悲しい理解をしているわけだ。
だが、トム版ピーターはヴィランにも救われる価値がある、そのための犠牲があることはあまり李あkしていなかった。それによりメイおばさんが亡くなる。
メイおばさんもヒーローでもあるので、犠牲への覚悟をしていた。
だが、あのアパート崩壊でも怪我人が出ているので、その責任をトムはとれない。
それでも、ヴィランを救おうとするのはエゴにも見える。だが、救おうとする心と行動はヒーローともいえる。
ドクター・ストレンジも、トム版ピーターも逆の思想だがヒーローである。
この思想の対立こそが、『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』から『シビルウォー』でのヒーロー同士の対立を生み出したものでもある。

ドクター・ストレンジのヒーローとしての立場は『ドクター・ストレンジ2』で語られるだろうか。
ワンダは個人的な動機で力を使ったある意味でヴィラン的なヒーローなので。

 

今作により、映画の外から見るか、中から見るかという視点を問われるようになる。

映画におけるサプライズについても考えさせる。

配信とコロナ禍によって、映画館が衰退しかけている中で、ネタバレされたくない映画という部分をさらに強調されている。
サプライズてんこ盛り。
そして、そのリアクション動画がSNSで拡散されている。
ギリギリ犯罪なのに、それ自体も宣伝になってリうが、どういう対応になっていくのか。

 

『スパイダーマン:ノーウェイホーム』への一つの考察として、欧米における聖書(バイブル)文化か見るというのはあると思う。
元のコミックこそが聖書であり、それを映像化し映画にしたのがMCU。スタン・リーは聖人、ケビン・ファイギは司祭だろうな。
ベースとなる発想、スパイダーマンという聖人をどう物語化するかは送り手、預言者や伝道者に託される。神話化だ。
そして、映画(物語化)として制作されたことで、その作品もまた新訳聖書化していく。
原作をバイブルとするのは、日本でも原作至上主義ということで認知されている。

 

 

改めて、この作品が凄いところは、劇場で皆がリアクションしてしまい、それを誰かに伝えたくなってしまう。
そして、動画サイトで、劇場内が撮影され、世界中の祖のリアクションが見れた。
劇場での撮影は犯罪になりかねないが、それを製作側も許容し、世界中でシェアされた。
ああ、世界中、同じところで心が動いたんだと、目にした。
映画で人類がこれだけの感動を強雨出来たのを目にしたのは初だったし、これから先、これに続くものがどれだから現れるだろうか。
続編で、届くだろうか。

映画は歴史的なイベントになり得るのだと思い知った。

それは、コロナ禍で映画館に足を向かわせる力にもなった。

しかも、それは喜劇的な悲劇で終わる。
それは次の改善に向けた希望を抱かずにいられない形で。
これはもう希望劇の希劇と呼びたい。


 

 

 

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