で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2020回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『THE BATMAN -ザ・バットマン-』
若き仮面自警者バットマンが市長を殺害した知能犯リドラーを追うサスペンス・アクション・アメコミ大作。
DCのスーパーヒーロー、自警者で名探偵のバットマン(大富豪ブルース・ウェイン)を再々々々リブート。
主演は、ロバート・パティンソン。
共演は、ポール・ダノ、ゾーイ・クラヴィッツ、ジェフリー・ライト、アンディ・サーキス、コリン・ファレル。
監督は、『モールス』、『猿の惑星:聖戦記』のマット・リーヴス。
物語。
市長選の半ばに殺された父と母、それにより孤児となったブルース・ウェインも立派な青年となった。
彼は、2年前から腐敗したゴッサム・シティで“バットマン”と名乗り、父の復讐という名目で悪を懲らしめる自警活動に当たっていた。
警察にも協力者ゴードン刑事を得るまでになってきていた。
そんな中、現市長が殺される。
殺害現場には、リドラーと名乗る男から、バットマン宛の謎が書かれた手紙が残されていた。
キャラクター創造:ボブ・ケイン、ビル・フィンガー
脚本:マット・リーヴス、ピーター・クレイグ
出演。
ロバート・パティンソン (ブルース・ウェイン/バットマン)
ゾーイ・クラヴィッツ (セリーナ・カイル/キャットウーマン)
ジェフリー・ライト (ジェームズ・ゴードン/警部補)
ジョン・タートゥーロ (カーマイン・ファルコーネ)
ピーター・サースガード (ギル・コルソン検事)
アンディ・サーキス (アルフレッド・ペニーワース/執事)
ポール・ダノ (リドラー/エドワード・ナッシュトン)
コリン・ファレル (オズワルド・“オズ”・コブルポット/ペンギン)
ジェイミー・ローソン (ベラ・リアル/市長候補)
ルーク・ロバーツ (トーマス・ウェイン)
ステラ・ストッカー (マーサ・ウェイン/マーサ・アーカム)
アレックス・ファーンズ (ピート・サベージ本部長)
コン・オニール (マッケンジー・ボック署長)
ハナ・ハルジック (アニカ・コスロフ)
チャーリー・カーヴァー、マックス・カーヴァー (ザ・ツインズ/用心棒)
スタッフ。
製作:ディラン・クラーク、マット・リーヴス
製作総指揮:マイケル・E・ウスラン、ウォルター・ハマダ、シャンタル・ノン・ヴォ、サイモン・エマニュエル
撮影:グレイグ・フレイザー
プロダクションデザイン:ジェームズ・チンランド
衣装デザイン:ジャクリーン・デュラン
編集:ウィリアム・ホイ、タイラー・ネルソン
音楽:マイケル・ジアッキノ
音楽監修:ジョージ・ドレイコリアス
『THE BATMAN -ザ・バットマン-』を鑑賞。
現代アメリカ、若き仮面自警者バットマンが市長を殺害した知能犯リドラーを追うサスペンス・アクション・アメコミ大作。
DCのスーパーヒーロー、自警者で名探偵のバットマン(大富豪ブルース・ウェイン)を再々々々リブート。これだけやってきたからこそのこれ。今作は、積み重ねてきた原作に近い感じの探偵ものであり、原作での傑作群の方向性である狂気をはらみ暗いバットマン像をついに実写映像化。やっとバットマンらしいバットマンで、悩めるヒーロの元祖がついに本格的に悩めたという感じです。
その悩みは俺では、この街、この世界を変えられないという絶望でと俺様のエゴです。正義の疲弊です。正義は少数、悪は膨大なのだ。試合は多数あり、正義側の選手は全勝したとしても、ほとんどは悪の不戦勝なのだ。
シナリオ的にはちょい穴もあるんですが、巧みです。『バットマン』の認識度でだいぶ変わるかな。一時間3話のミニシリーズを見た感じ。
ロバート・パティンソンの鬱々としたバットマンは、顔面蒼白で陶器製のように危なげでよいです。
ポール・ダノはお得意の方向性にダニエル・デイ=ルイスの傾向まで取り入れた感じ。ゾーイ・クラヴィッツの小さいのにバネがある刃物、女性の武器も自分の物として使いこなしている感じ。ジェフリー・ライトが清涼剤でバディものにしてくれてます。コリン・ファレルの役者根性に惚れます。『ディック・トレイシー』のアル・パチーノや『スポーン』のジョン・レグイザモを思い出したり。
こういうジャンル物で、活躍してきたキャストが経験を持ち込んでこのジャンルをさらに一段上げようという意思をひしひしと感じます。
監督は、『モールス』、『猿の惑星:聖戦記』のマット・リーヴス。
今まで以上に、原作が描いてきた探偵としてのバットマンとして、ヒーローの危うさを暴いていく。悪とコインの裏表の存在である復讐の自警者を描き出す。
コミックなユーモアをシリアス一辺倒の中に忍び込ませてきます。でも、ごついスーツの狂気が逆に独特のユーモアも醸し出してます。だって、『セブン』の世界にコウモリコスプレ男が低い声で象のようにやってきて知的な謎解きしてはタコ殴りなんですから。つまり、『レゴバットマン・ザ・ムービー』の実写化でもあるわけです。
そうそう、めちゃくちゃ引用いっぱい。『ゾディアック』、『ブレードランナー』、『大統領の陰謀』、『ダイ・ハード3』、『ミッション:インポッシブル』の2と4、『ゴッド・ファーザー』……。ある意味、現代的な映画作りともいえますな。
そして、その視線を子どもに向けているのが明白なのがいいんです。
だって、劇中ずっと雨が降り、水浸しなのよ。これって、『ブレードランナー』の酸性雨の世界、自然が壊れた人間の罪を洗い流すノアの箱舟の挿話のような天の怒りの大雨を意識させるのよね。つまり、『天気の子』でもあるわけです。
旬の巧者グレイグ・フレイザーがウェットでダークな絵のような画面づくりでフィルムノワールで貫き通す。前傾刮目させ、へとへとにしてきます。
ちょっと編集が重厚過ぎるところはあるけど、工夫があって、とてもいいです。
ジェームズ・チンランドは『アベンジャーズ』や『ファウンテン 永遠につづく愛』で培ってきたリアルなゴシック感でゴッサムに連れて行ってくれます。
にしても、ハリウッドってネズミ好きよね。『ザ・スーサイド・スクワッド』もネズミだったし。
そういう意味でも、アメコミ映画はここまで来たぞ!と言う新たな鏑矢であり狼煙となる一本。(『バットマン』、『スパイダーマン』、『ウォッチメン』、『ディック・トレイシー』、『シン・シティ』、『300』、『バットマン・ビギンズ』、『ダークナイト』、『アイアンマン』、『ジョーカー』などのアメコミ映画史を飾る一本となった)
90年代的な赤い闇でベリーを食べてカフェラテを飲まない!?作。
おまけ。
原題は、『THE BATMAN』。
『ザ・バットマン』。
製作国:アメリカ
上映時間:176分
映倫:G
配給:ワーナー・ブラザース映画
新しいアニメ版『ザ・バットマン』から、若く、自警活動2年目のバットマンで、アフリカ系のゴードンという設定を引き継いでいるとのこと。
今作はDCEUとのつながりがない、DCフィルムズ・マルチバース内の<アース2>が舞台である。
ゾーイ・クラヴィッツは、映画『レゴバットマン・ザ・ムービー』でもキャットウーマンの声を当てていた。
ややネタバレ。
今作のリドラーは実際に起きたゾディアック事件の犯人ともう一人ある人物を元にしている。
『大統領の陰謀』、『ゾディアック』、『セブン』の影響を感じる。
影響元として、フィルム・ノワールのジャンルとして『チャイナタウン』、ギャングものとして『グッドフェローズ』などのマーティン・スコセッシや『ゴッドファーザー』などの影響がみられる。
ノワールに別ジャンル(スーパーヒーロー、アメコミ)を加えたという点では、『ブレードランナー』の影響を感じる。
それは、続編『ブレードランナー2049』のあるシーンや、『ブレードランナー』にオマージュした韓国映画『狩りの時間』にルックがそっくりだからなのよね。
哲学的犯人を追いかけるヴィランハンターという設定も似ている。
もちろん、原作としては、アメコミ『バットマン』の方が古く、DC(ディテクティブ・コミックス=探偵漫画社)のコミックだったので、元々『バットマン』は探偵ものだったのよね。その連載の長さも相まって「バットマン=世界一の名探偵」という呼び名もあったりする。
ゆえに、フィクションにおける、なぞなぞを出す犯人はリドラーがもっとも有名で、初登場も1948年までさかのぼり、単独作も多く、一時期は自身も私立探偵をやっていた話もある。
実写での登場も映画で2度目で、ドラマでも2度描かれている。
なぞなぞを出す敵が出てくる有名な映画の代表は、『ダイ・ハード3』で、これの原題は『Die Hard: With a Vengeance』で、With a Vengeanceは、猛烈に、ひどく、といった慣用句(『猛烈に死なないやつ』という意味のタイトルになっている)が、Vengeanceはもちろん復讐なので、直訳すれば、『復讐と共に、なかなか死なないヤツ』となり、今作で、バットマンは、「我が名は復讐」と名乗るところと重なる。
ただし、メディアに手紙を送った犯人と言えば、1888年の切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が圧倒的に有名である。その名前は新聞社に送られてきた「親愛なるボスへ」という手紙に自らが名乗っていた。ただし、最初の手紙は新聞社による偽造説も根深い。二通目の「地獄よりの手紙」は被害者の物と思われる内臓が同封されており、実物の可能性(本物が便乗したのか)もある。
リドラーも切り裂きジャックが元ネタだろうと思われている。
加えて、リドラー(ポール・ダノ)の素の姿の印象は、『プリズナーズ』に似ている。
ペンギンとのカーチェイスは、『プリズナーズ』の車を走らせるシーンからインスパイアされたと思われる。
ギミックの使い方が、『ミッション:インポッシブル』、特に『ゴースト・プロトコル』からの影響を感じたなぁ。
そして、リドラーのギミックは、『SAW』のジグソウ的。
ちなみに、今作は、新たなシリーズ開始前提のリブートなので、三部作で構想があり、続編がほぼ決定している。
すでにアメリカでは、ヒットしており、続編は間違いないと思われます。
2025年までには公開予定だそう。
しかし、こうやって並べると、アメコミ映画を革新してきたのは、『バットマン』関連作なんだと言うのがわかる。
ネタバレ。
好みの台詞。
「俺はヴェンジェンス(復讐)だ」
「恐怖は武器になる」
バットマンは、その存在がヴィランとの鏡像関係や、ヴィランがいるからバットマンがいるなどの善と悪のテーマを背負うことが多く、今作はまさにその点を軸にしている。
リドラーは、ブルース・ウェインを恵まれた孤児と呼んでおり、孤児である自身を恵まれていない孤児だと位置づける。
リドラーとブルース・ウェインが点対象ならば、リドラーとバットマンは線対称のような関係だと描く。
リドラーはバットマンを同志だと感じている。
そもそもリドラーは、ネットコミュニティ上で、信者(その多くは恵まれていない孤児だと思われる)をつくっている。リドラーは仲間がいると考えているのだ。
もっと言えば、バットマンの活動がリドラーを生み出した可能性も高い。
リドラーの信者は、つかまった後で、「我は復讐なり (I’m vengeance)」とのたまうところからも、バットマン=リドラーだったことを自ら言っていたことがわかる。
だから、リドラーの手紙は、バットマンに宛てられており、ブルース・ウェインはターゲットになっている。
バットマンは、ネットの信者と同じように、手紙になぞなぞ(命令書=預言書)を書けば、その謎を解き、追いつめてくれる、という意味では、信者=バットマンと言える状況になっていく。
バットマンは両親を通り魔(だと思っている)に殺され、その復讐のため、再開発で街を救おうとした父トーマスの遺志をついで、バットマンとして悪党に恐怖を与える自警活動を行い、ゴードンと組み、バットサインにより、街を恐怖で守ろうとしていた。
孤児であるリドラーは、トーマスの再開発で救われるはずが、その死によりそれを奪われ、“復讐”という動機で、その再開発を食い物にした、悪党へより強烈な方法で戦いを挑む。
その計画をつくり、その通りに行動している点でも同様。
リドラーは(Q&)Aであり、ブルースはA&B(AT)となる。
二人は、A∽(相似形)Bの関係として描かれる。
今作では、それをバットマン自身が気づくことでヒーローへと変わる姿を描き直した。
『ダークナイト』がダークナイト(闇の騎士)として、汚名を着たままの正義に生きることを決めたのと真逆の誕生譚となっている。
だが、それも『バットマン・ビギンズ』で、悪に育てられた正義となったバットマンと大富豪ブルース・ウェインという二つの姿を持つ、どちらが本当の顔か分からない男の次の段階=バットマンこそが本当の自分になりかけていた男が、その姿を受け入れる話になっていた。(ゆえに、『バットマン・ライジング』での決着に至る)
今作では、ブルース・ウェインの姿はほぼ描かれない。つまり、バットマン=ブルース・ウェインは一致している。(リドラーも2つの証明書を持っていたのもその一致を強化だろう)
クラブに行くシーン、リドラーの前のシーンで、その違いは示されつつも、来た目的やリドラーに見抜かれるなど、一致を提示される。
だが、コミュティでのアイディア出し合い(『バクマン』でも似たようなのありましたね)で、あそこまで暴走した感じが現代的で、リドラーもバットマンも、闇の大衆の代表となる。
オープニングのまるでウェイン家の在りし日を見るようなリドラーの覗き、それと呼応するセリーナを覗くバットマンの姿の重ねやリドラーが残したメッセージ「大局(Big Picture)を見ろ」から、ブルースが実際に床に大きく図を描いていくことなどで、プロファイルの一つである同化(相手の思考で考える)も行っていき、実際に一致させもする。
その上で、セリーナ(キャットウーマン)もブルースとの線対称となる。
セリーナは、現在、失いかけている人物。
友人アニカだえkでなく、実の父であるファルコ―根を自ら仕留めようとしている。
これは、展開上、ブルース・ウェインを同じになる。
彼の復讐の理由であるトーマス(マーサ)の裏の顔を知って、同様の状況になっていく。
アニカの復讐に突き動かされるセリーナは、B(AT)の次のC(AT)となる。
3人は、A∽B∽Cの関係として描かれる。
最後、リドラーはゴッサムを愛憎で破壊して収監され離れられなくなり、バットマンは愛憎で守ろうとして救うため離れないを選び、セリーナは愛憎を忘れようと離れていく。
双子(ザ。ツインズ)を出す(原作ではトゥー・フェイスの部下キャラ)ことでも示唆している。
キャットウーマンが向かう北の街“ブルードヘイヴン”は、原作ではバットマンの相棒の一人であるナイトウィングが活動拠点にする街ですね。
アーカム・アサイラムに収容されているリドラーに、「少なければ少ないほど価値が上がるものはなーんだ?」と話しかけるのは隣の房の男。リドラーはそれに「友達」と答え、笑い合う。彼は「頂点に立ったかと思えば、ピエロになる」とも言っており、ジョーカーと思われる。(実は、マット・リーヴスがジョーカーだと明言している)
クレジットでは、見えないアーカムの囚人となっているのは、バリー・コーガン。
彼は、「ゴッサムは再起の物語が好きだ (Gotham loves a comeback story.)」と続編を匂わせる。
エンドクレジットのあとにちょっとした映像(ポストクレジット)がある。
劇中でリドラーがバットマンに用意したウェブサイトと同じ表記の仕方で緑色の文字の「GOOD BYE <?>」が表示された後、一瞬URLが映し出される。
これは劇中に登場した<https://www.rataalada.com/>。
このサイトに行くと、なぞなぞや資料、暗号表がアップされているそう。
これを解いていくとリドラーの暗号表が埋まっていく仕組みになっている。
すでに、先週公開の国のファンの間で解読がされ、暗号表も完成している。
しかし、暗号は26のアルファベットの内25にしか対応していない。
欠落しているアルファベットは「J」。
Jと言えば、「ミスターJ=ジョーカー」を想起させ、いづれ、その「J」がやってくるという予言となっているのではないか。
『スパイダーマン』も『スパイダーマン』、『スパイダーマン2』、『スパイダーマン:NWH』と革新をもたらしているシリーズ。
マーベルは『スパイダーマン』、DCは『バットマン』でアメコミ映画を発展させてきた。ただ、バットマンがあくまでただの人間であって、スパイダーマンが超能力があることの差がお互いの磨き合い方が違うのもよかったんだろうな。
重いように見えて、実はダークなユーモアがいくつかある。
クラブに尋ねるなどの繰り返しや、ペンギンにペンギン風に歩かせたり、言葉遊び(Big Picture)と言われて実際に大きな絵を描くなど、ゴードンとの軽妙な会話など。
最後の展開は、まるでホワイトハウス襲撃のQアノンによる事件を想起させる。
「翼のあるネズミ」はまずコウモリが浮かぶよね。アルフレッドが密告者とかエル・ラータとか言うから気づかなかったというか「バットマン」を見てる身としては、まずそこが浮かぶと思うのに、結局そこが最後のネタだったりするし。(URLとの二重仕掛けではあるが)、アルフレッドがそこそこ無能(リヂラーが有能には見えないという意味で)、アルフレッドが特殊部隊で富豪の執事なのに郵便物に警戒心なさすぎとかね。
ペンギンをターゲットにしたのも間違いだったわけだし。
見ていて、ああ、今回はトーマスが悪人でファルコーネが黒幕だって気づくのよね。これは伏線をちゃんと張る丁寧な語りだからしょうがない部分はあるけども。
あの距離の爆発物さえ防ぐバットスーツが強すぎるよなぁ。まぁ、ウイングスーツ化したときに衝撃吸収するくらいのってことなのかね。
バットモービルは、まるで車が獣ようで、最後のバイクで見送るシーンは、動物が戯れているようだ。
今作のブルース・ウェイン=バットマンのもう一人のモデルは、カート・コバーン。
だから、ニルヴァーナの『something in the way』が流れる。
「草を食べてれば生きていける」、「命は奪わない」と菜食主義について書かれてはいるが、そこから、「魚には感情がないから食べてもよい」と命の線引きについて言葉は切り込んでいく。
「something in the way(=何かひっかかる/邪魔が入る)」という意味で、直訳だと「なにかが道にある」となる。
アルフレッドが疑似父と言う立場で、戦闘以外には何も教えられなかったのが、謎解きは出来ても、館は鈍いという探偵になってしまっている。
大事な謎解きは、そもそもリドラーがつかんでヒントを出しているし、ペンギンのヒントありき暗号も解いている。なぞなぞは得意だけど、推理は巧くないのよね。
市長が狙われた時点で、市長関係者(トーマス含む)には聞き取りや調査をしないし、身内に甘いし。ペンギンだとも追い込み、一般人が巻き込まれるような方法をとっている(悪と紙一重という構造だからだけど。あれは逮捕されるレベルよね)。(ティム・バートン版は見せないけど爆弾で殺してるハードなヤツだったし、『ダークナイト』はけっこう身勝手だし、じょーかーが殺しまくるから戦争状態として仕方ない部分を演出した上、最後その責任をとって悪名かぶる)
2年目とはいえ、ゴードンが頼る理由がちょっと薄い。
というか、ゴードンはブルース・ウェインだと気づいているから利用している可能性さえある。
セリーナの最初のキスは、契約のキスだろう。
ホステスでもあるセリーナは、自分の体を道具に出来る。
だからこそ、二度目のキスは彼女の自身のキスなのだろう。
ゴッサムを押し流す洪水は、命の選別を行ったノアの箱舟の挿話を想起させ、その中で、モーゼのように発煙筒を掲げて、聖人のようにバットマンは救助を行う。別名「ケープド・クルセイダー(くるまれた聖十字軍兵)」というのがある。「ダークナイト(闇の騎士)」も別名なので、『ダークナイト』がダークナイト誕生譚だとしたら、今作はケープド・クルセイダー誕生譚になっている。
それは、闇の中の光であり、ただ行く先を示し、前を進む者だ。
ゆえに、次のカットで子供を助ける時は、ヘリへと運ぶだけであり、あれはバットマンでなくても出来ることをしている中継者であって、過去と未来をどうつなげるかを示す。
過去の罪に侵されたバットマンとリドラーは鏡どころか、同一化しており、その上で、鏡として決別する。
後者は同志を得て、刑務所という動けぬ檻の中、復讐を誓う囚人となる。
前者は孤独を得て、スーツという動ける檻の中、前に進む運転者となる。
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追記。
今作の“ザ・ジョーカー”、モデルの一つになっているのは1928年のサイレント映画『笑ふ男』で、コンラート・ファイトが演じたグウィンプレン。
幼い頃に、政治敵によって常に笑っている顔に外科手術されてしまった男の物語だ。この映画は、そもそもコミックのジョーカー誕生にも影響を与えたとされるそう。
実は、ジョーカーとバットマンが会うシーンが撮影されたが、削除されたのだそう。
今作の原作は、『バットマン:ロング・ハロウィーン』。
今作が描くのは、若いバットマンではあるが、2年目の新人自警者。
実は、『バットマン・ビギンズ』ではバットマンを始めるところがあるので、若くないが1年目はすでに描かれたことがある。
「これバットマンでなくてもいいじゃない」という意見に対して、一応書いておく。
彼があの格好をしてるか、みなさん、80年代からでも11本も映画があったので、もう知ってますよね、なので……。
あの格好してなければバットサインはいらないし、ゴッサムを恐怖で良くしようという彼の病が見えてきませんし。あれは彼のトラウマの具象化なので。
もっというと、あの格好で歩いているだけで金持ちだってわかる、仮面をしているのに、どっかの金持ちの道楽というのが伝わって、バカにされているのが見えるんです。
つまり、頭がおかしいと思われている劇場型犯罪を行うリドラーたちの病と同じように、あの格好をしないではいられないのがブルース・ウェインなのよ。
だから、バットケイブには蝙蝠を巣くわせて駆除しないし、バットモービルは怖いだろうってエンジンをふかすんです。
彼はシンボル(正義の悪魔。ニューヨークにおける自雄の女神のような)になって、抑止効果を発生させようとしている。だから、あれで人前に出ていくのです。それは、冒頭でバットサインを見上げる犯罪者たちの恐れる顔でもう文化的記憶も込みで描写済。
その特性部分を知りたければ、『バットマン・ビギンズ』を、両親の死を知りたければ、ティム・バートン版『バットマン』を見ればよい。