で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1651回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『フォードvsフェラーリ』
1960年代後半のル・マン24時間レースに挑むアメリカ最大の自動車メーカーのフォード社から、連覇中の絶対王者フェラーリ打倒を託された、はみ出し者2人のプライドと情熱を懸けた挑戦と戦いの行方を迫力のカーレース・シーンとともに描き出す実話ドラマ。
マット・デイモンとクリスチャン・ベイルが初共演。
監督は、『LOGAN/ローガン』、『3時10分、決断のとき』のジェームズ・マンゴールド。
物語。
1950年代後半にレーサーとして活躍するも引退を余儀なくされたキャロル・シェルビー。今はスポーツカーの製造会社を立ち上げ、気鋭のカー・デザイナーとして活躍していた。
その頃、アメリカ最大の自動車メーカー、フォード・モーター社では、ル・マン24時間耐久レースで絶対王者に君臨していたイタリアのフェラーリ社との買収交渉が進められていた。
ところが契約成立を目前にして創業者のエンツォ・フェラーリが態度を急変。
会長のヘンリー・フォード2世は激怒し、レースでの打倒フェラーリを誓う。
シェルビーのもとに絶対王者フェラーリに勝てる車を作ってほしいとの不可能とも思える依頼が舞い込む。
大事なのはドライバーだ。シェルビーは、友人の45歳の英国人ドライバーのケン・マイルズに白羽の矢を立てる。だが、マイルズはレーサーとしての腕前は超一流ながら、その言動は扱いづらさ満載。
脚本は、ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、ジェイソン・ケラー。
出演
マット・デイモンが、キャロル・シェルビー。
クリスチャン・ベイルが、ケン・マイルズ。
カトリーナ・バルフが、モリー・マイルズ。
ノア・ジュープが、ピーター・マイルズ。
ジョン・バーンサルが、リー・アイアコッカ。
ジョシュ・ルーカスが、レオ・ビーブ。
トレイシー・レッツが、ヘンリー・フォード2世。
JJ・フィールドが、ロイ・ラン。
レモ・ジローネが、エンツォ・フェラーリ。
レイ・マッキノンが、フィル・レミントン。
ジャク・マクミランが、ピーター・アガピュー。
スタッフ
製作は、ピーター・チャーニン、ジェンノ・トッピング、ジェームズ・マンゴールド。
撮影は、フェドン・パパマイケル。
編集は、アンドリュー・バックランド、マイケル・マカスカー。
音楽は、マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース。
60年代アメリカ、フォードからル・マン連覇中フェラーリ打倒を託されたはみ出し者チームの戦いを描く実録ドラマ。
人間味あふれるエピソードと映画的示唆に富んだ痺れる脚本と演出に震えが止まらない。
重ねてくる構成にアメリカ映画の神髄を見る。シャレードの巧さも逸品。
言葉のイメージからの映像化も冴えている。
アクセルvsブレーキだったりで、タイトルのようにいくつものっけてくる。
内容的には、実際の題は、『フォードvsシェルビー』 って感じ。
知と血のマット・デイモンと熱と骨のクリスチャン・ベイルがガソリンと空気の混合の化学反応。
60年代の濃い人物像に右手に油、左手にマッチを握る。脇キャラ愛も規定以上に。
環境音からの音楽の入り方が絶妙で、しかも、その音楽の複雑なリズムに心が加速する。
話、演出、芝居、撮影、美術、運動、音・・・映画の全要素が混然一体となって、回転数を上げる。
なんといっても、小難しいことすっ飛ばして、映画館の椅子を運転席に変えてくれる。
二つのペダルが、お前はどっちだと問うてくる炎作。
おまけ。
原題は、『FORD V FERRARI』。
『フォード vs フェラーリ』。
フランス題は、『LE MANS '66』。
『ル・マン’66』。
実際は、『フォードvsシェルビー』 って感じです。
製作国は、アメリカ。
上映時間は、153分。
映倫は、G。
キャッチコピーは、「絶対王者に挑んだ男たちの奇跡の実話。」。
そのままですが、そのままでいいのです。
こういう映画の帰り道は注意が必要。アクセル踏んじゃうよね。おいら自転車だからペダルだけど。
ややネタバレ。
計画についてなど、『パラサイト 半地下の家族』と『フォードvsフェラーリ』にけっこうシンクロがあって、同時代に生ける作家のセレンディピティやシンクロニシティを感じて、にやり。
ちなみに、手前味噌ですが、わずかに『希望の旗』でも似たテーマを扱っていたり。
ネタバレ。
大きくは二つのテーマがある。
まず、決断、どこで止まるのか進むのかについて。
心臓病での引退、車のスタートの仕方、規定違反、国税庁、ブレーキポイントの話、ブレーキ交換、副社長を部屋に閉じ込め社長の乗った車をスタートさせる、など進むのか止まるのかがずっと語られる。
ケンがドアストッパーを欲しがるエピソードは無理やりだが、直接的なメッセージになっている。ケンが欲しがったのは黒いゴムのドアストッパーで、最後にシェルビーの机の上にあったのは木の楔。
もう一つは、作る者と売る者、いうなればクリエイティブとシステムの関係。
フェラーリに勝つためには、フォードが手に入れたのは小さなフェラーリ=シェルビーとマイルズだったということになる。
帽子でそれは繋げられ、ストップウォッチをもらうのはまさにシェルビーたちが彼らと同じになるからだ。
今のハリウッド、ひいては世界の企業体質も批判しているのだろう。
作り手任せの危険さも最初のテーマによって描いているのが巧い。
イメージの映像化が優れている。
ムスタングの新車発表の時に飛行で会場に来る。
高速になるとフロントが上がって浮くことをシェルビーはまるで飛行機と言う。
ケンは車はロケットじゃないと言った後で車の向こうを飛行機が通過する。
モノローグの入り方も応用編で、はじまりの7000回転の世界は引退するときに入れ、終わりでは死の後に入れる。アメリカ映画技法の定番である前後での円環構造をズラしている。
『パラサイト 半地下の家族』と『フォードvsフェラーリ』のシンクロは、計画について、ズラした円環構造やライトモチーフと小気味よく飛ばしていくシナリオ展開、音楽のミックスのさせ方、父と息子の関係などなど。
音楽はリズムがかなり複雑な曲ばかり。二つのリズムで速度を表現。
かけ方も、まず音楽無しの効果音で聴かせておいて、ここぞ!というところからがっつり入れて加速感を後押し。このタイミングが素晴らしいのよ!
優れた拡大ライトモチーフ(小さなテーマを繰り返すこと)で構成された脚本で、トランクのくだりが、ルマンでのドアのエピソードのドア叩きになったり、シャルビーがピットで燃えるエピソードが二度の炎上になる。
シェルビーがマイルズを訪ねるシーンも何度も繰り返される。ピーターが父の隣に乗るのは、フォード2世が助手席で父の話をすることに繋がり、シェルビーがスピーチで父の話するところから繋がっている。
車を売る人と批判されたシェルビーは嬉々として車を売っていたが作る人になり、フィルとの関係が反転し売ることへの抵抗をする。
ストップウォッチとドアストッパーがライトモチーフで繋げられてはいる。
スポーツ映画でこんなに興奮したのは「ロッキー」以来。この映画はすごいわ。
昨日に引き続きの対比を軸にした分析ありがとうございます。私はもうシアターではなくスタジアムにいるノリだったので。
音響が心地よかったですねー!
爆音上映が来るのが楽しみです。
近々のはもう席がなかった・・・。
ケンカの時に、缶からパンに持ち替えるところとか細かいとこ好みです。
一押しは、レイ・マッキノン演じるフィル・レミントンの右腕ぶり。