で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1533回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『ハウス・ジャック・ビルト』
潔癖症で強迫性障害で殺人に魅入られた男が語る、その殺人の記録の断片を描くサイコスリラー・ブラックコメディ・ドラマ。
監督・脚本は、『アンチクライスト』、『ニンフォマニアック』の鬼才も奇才、歩く問題作ラース・フォン・トリアー。
物語。
1970年代の米ワシントン州。
建築家(アーキテクト)を夢みる潔癖症の技師(エンジニア)ジャックは、ある男に自分が今までしてきたある2つのことを軸にした自分の人生の断片を語り出す。
それは、殺人と家の建築に取り憑かれ、行い続けた衝動の告白であり物語だった。
原案は、イェンレ・ハルンド、ラース・フォン・トリアー。
出演。
マット・ディロンが、ジャック。
ブルーノ・ガンツが、ヴァージ。
ユマ・サーマンが、レディ1。
シオバン・ファロン・ホーガンが、レディ2。
ソフィー・グローベールが、レディ3。
ロッコ・デイが、グランピー。
コーエン・デイが、ジョージ。
ライリー・キーオが、シンプル。
エド・スペラーズが、警官2。
デヴィッド・バリーが、S.P。
マシアス・ジェリムが、グレン。
ジェレミー・デイヴィスが、AI。
ジャック・マッケンジーが、ソニー。
クリスチャン・アーノルドが、マン1。
ユ・ジテが、マン2。
エミル・ソールストラップが、ジャック(少年期)。
スタッフ。
製作は、ルイーズ・ヴェスト。
製作総指揮は、トマス・エスキルソン、トマス・ガメルトフト、ピーター・オールベック・イェンセン、レオニド・オガレフ、シャーロッテ・ピーダーセン。
撮影は、マヌエル・アルベルト・クラロ。
プロダクションデザインは、シモーネ・グラウ・ロニー。
編集は、ヤコプ・セカー・シュールシンガー、モリー・マリーヌ・ステンスゴード。
70年代アメリカ、潔癖症で強迫性障害の男による殺人の断片と家の建築を語るサイコスリラー・ドラマ。
歩く問題作ラース・フォン・トリアーの問う作。
分断された6つの挿話はすべて6種類の殺人と建築について語られ、悪趣味なブラックなコメディにもなっている。笑ってしまう意識を暴き出す。
隠喩で大きく3つのことについて語る。それを露悪しつつあからさまに隠す。
その特殊造形はぞっとするほどよく出来ている。なのでこれはホラーであり、教育と求め続ける男のドラマであり悲劇でもある。つまり、オールジャンルを内包しようとしている。
その手口は現実のシリアルキラーの模倣であり、多くの古今東西の作品からの引用。
マット・ディロンの目と目の回りがまるっと吸い込む。全キャストの貢献に脱帽。
撮影と美術がグググイっと忍び寄る。
血と凍りがいい色。
ある種の人は、裏の意味で泣ける。
いえ、これは家です、と言えという心の露出狂の煮作。
おまけ。
原題は、『THE HOUSE THAT JACK BUILT』。
『ジャックが建てた家』。
上映時間は、152分。
製作国は、デンマーク/フランス/スウェーデン。
映倫は、R18+。
受賞歴。
ロバート・フェスティバル2019にて、最優秀特殊映像効果賞(Peter Hjorth)と最優秀撮影賞(マヌエル・アルベルト・クラロ)を、受賞。
ボーディル・アワード2019にて、最優秀プロダクションデザイン賞(Henning Bahs Award)を、シモーネ・グラウ・ロニーとZentropa プロダクションズ社が、受賞。
キャッチコピーは、「ゾッとするほど、魅力的」「殺人鬼、ジャック。12年間の告白。」。
問題作12年あえて魅力的としたのでしょうね。背徳性を煽っていいですね。
12年間としてはいるけど、エピソードはバラバラだし、幼少期の話も出てくるので、よくわからないです。
欧州には、こういう見る人を試す作品に向き合うことも芸術であり信仰的行動である、という意識があるそうです。
カメラはArri Alexa Mini。
ややネタバレ。
アーキテクトは設計者として、建築以外でも用いられる。
エンジニアは技術者のことを指し、現場での作業者も指す。
wikiによると、ヨーロッパでは研究者の方が工学技術者より格上であるという風潮がある。これは、もともと貴族が趣味として自然科学を探求し、先導してきた歴史背景があるためと言われ、実際、応用技術より基礎研究に対する関心が強い。
逆にこのような歴史的背景が存在しないアメリカでは、社会での実践を担う技術者(エンジニア)は大きな影響力を持つため地位が高く、管理職(マネージャー)よりも重視される。指導者的な役割を果たすことが期待され、最高経営責任者(CEO)の多くが技術者出身となっている。
日本国内では、学会と社会が断絶構造となっているため、社会的に科学者は名誉しか存在しない。また技術者は手先の器用な低級労働者として認知がち。
ネタバレ。
6つの挿話は、偶然の受動、自らの能動、複数の狩猟、転嫁された性欲、手段と実験と未遂、自惚れ。
殺し方でも、鈍器、絞殺、銃、切断(絞殺)、銃とナイフ、落下、とバリエーションをちゃんと入れています。
3つのことは、創作、男性性(差別意識)、欲望(宗教性)。
ジャックは男性性の最悪な部分を煮詰めたようなキャラになっている。
豪快なようで細かく、役人(のふり)、暴力的、父(のふり)、孤独と沈黙を好み、車と構築を好み、見栄を張り、乳房へ執着し、差別意識を発散。
劇中でも語られる弱者への被支配欲差別意識がもろに描かれる。
女性、老女、無知、子ども、母、死者、職業、ブロンド、巨乳、黒人、有色人種、老いた男。
欲望も、自己欲求、衝動、創作欲、承認欲求、才能欲、自己顕示欲、金欲、名声(『フェイム』がかかりつづける)、洗練(ミスター・ソフィスケイト)、性欲、愛情、教育欲、訂正欲、支配欲、力の行使、暴力、被罰欲求、否定欲求、孤独欲求、家族欲求、否定欲求、成長欲求、研究欲求などが描かれている。
欲望と宗教は表裏一体のコインですからね。
で、最重要が、創作。
この映画の全体が、ジャックの創作についての物語であるように、創作への考え方を示している。
レディ1は、相手のものを利用。
レディ2は、役人を騙る。
レディ3と子どもは、ごっこ。(人狩りは歴史上で実際に行われた残虐行為とも言える)
シンプルは、性欲の代用で、切り取り線は映画『オールドボーイ』の引用。人皮の小銭入れはエド・ゲインからの引用(『悪魔のいけにえ』でも引用されているので、引用の引用かも)。
未遂に終わった男たちは、再実験。
自分は、自分の発見するがすでに過去に多くの人が失敗した方法。それを自分ならできると挑んで失敗。
つまり、ジャックの殺人のための行動は引用ばかりでオリジナリティがないという。
ほとんどの人はエンジニアである、だが、みなアーキテクトに憧れる。
そして、自分なら出来ると挑むが、その凡百をごまかす、その言い訳のように、材料の魂などと言い出しているとも言える。
いじくりまわし、壊してはつくり直し、それが拡大し、自分だけが持ってると思っている個性(遺体)で作品をつくる。
映画のほとんどのジャンルが入れてある。
ドラマ、コメディ(ブラック)、サスペンス、ホラー、悲劇、クライム、ラブストーリー、宗教劇、ロードムービー、アクション。
出逢い、バイオレンス、犯罪、家族、恋、カーチェイス、銃撃戦、ホビー、困難の突破、成長、完成、父子関係。
セックスと母との関係、友情もないが、それは殺人で代用される。
白黒、多くの画面比、時代ごとの画質、ドキュメントスタイルまで入れ込んでいる。
もっと言ってしまえば、対話(語りでもあり、古典戯曲の形式でもあり、心理治療でもある)の形式ととり、章立てにし、宗教的なものと罰をぶち込んでオチを道徳的につける。
他のアートの取り込み、建築、写真、音楽(あえて、既成音楽しか使っていない)、彫刻、ドキュメンタリー、既成映画、コラージュ、絵画、戯曲形式が入れられている。(舞踊はアクションとしたのかも)
大量と拡大、置き換え、主題、それぞれのパートの質、目的のある語り、誰も手をつけない材料によって、オリジナリティは獲得できるとも言える。
ラース・フォン・トリアー自身の創作のことも告白しているのかもしれない。
隠しきれないナチスへの想いも出ちゃってますし。