菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

夢は病み上がりのように。  『恋は雨上がりのように』

2018年06月18日 00時00分17秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1318回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

『恋は雨上がりのように』

 

 

 

 

ケガで思うように走れなくなった17歳の陸上選手の女子高生が、冴えない45歳のファミレス店長へ恋心を募らせていく、青春のきらめきを繊細かつユーモラスに綴る青春ストーリー。

 

眉月じゅんのヒット・コミックスを小松菜奈と大泉洋の主演で実写映画化。

 

監督は、『帝一の國』の永井聡。

 

 

 

 

物語。

陸上部の短距離走のエースとして、トップクラスの成績を出して活躍していた高校2年生の橘あきらは、アキレス腱を断裂し、競技を続ける気力を失くしてしまう。現在は、ファミレスでバイトに精を出す毎日。
冴えない店長の近藤正己は、バツイチで頭を下げてばかり。バイトからは頼りなく思われ、あきらからは厳しい視線を感じていた。
だが、近藤店長こそ、あきらがここでバイトしようと思った理由だった。

原作は、眉月じゅんのコミックス『恋は雨上がりのように』(小学館『週刊ビッグコミックスピリッツ』連載)

脚本は、坂口理子。

 

 

 

 

出演。
小松菜奈が、橘あきら。
大泉洋が、近藤正己。


清野菜名が、喜屋武はるか。

松本穂香が、バイトの同僚の西田ユイ。
山本舞香が、倉田みずき。
葉山奨之が、クラスメイトの吉澤タカシ。

磯村勇斗が、バイトの先輩の加瀬亮介。

篠原篤が、大塚。
濱田マリが、バイトの先輩の久保佳代子。


吉田羊が、母の橘ともよ。
懸田怜央が、息子の近藤勇斗。

戸次重幸画、小説家の九条ちひろ。

 

 

 

 

スタッフ。

製作は、市川南。
エグゼクティブプロデューサーは、山内章弘。
プロデューサーは、春名慶、石黒裕亮、唯野友歩。
ラインプロデューサーは、熊谷喜一。
共同製作は、久保雅一、村田嘉邦、弓矢政法、山本浩、中江康人、高橋誠、細野義朗、吉川英作、田中祐介。
プロダクション統括は、佐藤毅。
キャスティングは、田端利江。


撮影は、市橋織江。
照明は、崎本拓哉。
VFXスーパーバイザーは、神田剛志。

美術は、杉本亮。
装飾は、安藤千穂。
ヘアメイクは、荒木美穂、波多野早苗。
スタイリストは、櫻井まさえ。

助監督は、藤江儀全。
スクリプターは、田村寿美。

編集は、二宮卓。

録音は、豊田真一。

音楽は、伊藤ゴロー。
音楽プロデューサーは、北原京子。
主題歌は、鈴木瑛美子『フロントメモリー』。(神聖かまってちゃんのカバー)

 

 

 

 


現代日本、ケガで陸上にくじけた女子高生が小説にくじけた中年店長に恋心と夢の後先を探す青春ドラマ。
少女漫画系恋愛映画の亜種、恋の病を描く人生再起もの。
品の良いトースト。ベタな漫画的描写が焦げをつくるが削って、ジャムを塗ればよい。ユーモアがバター。
キャストにはムラはあるが飲める。小松菜奈の暴走を見よ。芝居は巧くないが存在感で見せるスター力を大泉洋が発揮。脇キャラ愛あるようで記号化してるだけなのが残念。陸上女子の足ががっしりしてるのが良い。
脚本では対比を丁寧に陽と風にするが、映像ではタイトル通り雨と陽のイメージで湿らせ乾かす。
市橋織江の画が見やすく手を伸ばしてリレーする。伊藤ゴロー音楽のタイミングが110mハードル。
子供と大人の平行と垂直の棒高跳び。
恋も夢も病の熱を帯びた雨宿りの靴作。

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

おまけ。

上映時間は、112分。
製作国は、日本。
映倫は、G。

 

 

 

 

 

キャッチコピーは、「その人は、どしゃぶりの心に傘をくれた。夢を失った17歳、夢を忘れた45歳。ふたり、人生の雨宿り中――」。

長めですが、内容をきちんと示していて、フレーズも決まっていて、なかなかです。ただ、傘があるのに雨宿りというのは少し気にかかる。
あえて、「夢にくじけた17歳女子と夢を書けない45歳店長。ただいま人生の雨宿り中」ぐらい割り切ってもよかったか。

 

 

 

 

こういう佳作が今後のこのジャンル映画に影響するといいのですが・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

ややネタバレ。

友だち同士の小松菜奈と清野菜名の菜でナナ、バイト先の松本穂香とライバルの山本舞香の本と香、親同士の大泉洋と吉田羊の羊、という名前の相似形は偶然の面白味。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

好きな子に焦げた料理を出し続けるとか、足が悪くなっているのに妙にカッコつけた走りをOPで見せるとか、妙な漫画演出がノイズ。
小説の終わりの見せ方には、品の良さがあるのに、残念。

 

 

感情の出し方が下手というあきらが、最後に素直に気持ちを泣きながら伝えるという小さな成長こそが肝。

それが、はるかとの距離を生んだし、素直なみずきと対比されていた。
なにより、近藤店長は、謝罪というつくられた感情を仕事にしている、気持ちを描くことが出来なくなった小説家志望という同調がある。
最後に、素直にこの仕事でやっていくよ、という吹っ切れが見える。小説での成功ではなく止まっていた歩みを踏み出せたことが大事。(ただ添削されているのでプロの編集者が入ったのか?)

若き片思いという暴走、未成年の気持ちに理性で答える制動は、肉体と心の物語になって、美しい対比構造を持っている。

陸上と小説も、年齢も、まさに肉体と心。

筆を走らせられない男と走れない少女が、時を経て、男が車を走らせていて、少女が走っているところに出くわす。

実に、映画的なのだが、せっかくのイメージが弱い。画は整っているのに。
雨と停止にばかりモチーフが偏ってしまった。

 

恋の病を実際の病で終わらせるなど、定番だが整っている。

部屋の病気のシーンが『勝手にふるえてろ』のクライマックスと似てしまうのは、邦画のイメージ共有の狭さを感じさせもする。

 

雨の表情がいい。
光の動きも。
丁寧な仕事のたまもの。 

 

 

好みの台詞。
「それは未練じゃなくて執着だ」

 

 

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