【俺は好きなんだよ】第1833回
『アメリカン・フィクション』(2023)
原題は、『AMERICAN FICTION」。
『米国虚構小説』。
英語では、「フィクション(fiction)」が虚構小説の意味でもある。(ノンフィクションもあるため小説そのものを指すわけではないので、そこも取り込んでいる)
fiction の語源は、ラテン語で「形作られたもの」を意味する 「fictio」なので、ある意味、既成イメージ(ステレロタイプ)の雰囲気も残しているのかもしれない。
製作国:アメリカ
上映時間:118分
公開情報:Amazonプライム・ビデオで配信
スタッフ。
監督:コード・ジェファーソン
製作:ベン・ルクレア、ニコス・カラミギオス、コード・ジェファーソン、ジャーメイン・ジョンソン
製作総指揮:ライアン・ジョンソン、ラム・バーグマン、パーシバル・エベレット
原作:パーシバル・エベレット
脚本:コード・ジェファーソン
撮影:クリスティナ・ダンラップ
美術:ジョナサン・グッゲンハイム
衣装:ルディ・マンス
編集:ヒルダ・ラスラ
音楽:ローラ・カープマン
出演。
ジェフリー・ライト (セロニアス・エリソン/モンク/モンキー/スタッグ・R・リー)
ジョン・オーティス (アーサー/代理人)
トレイシー・エリス・ロス (リサ・エリソン/姉)
スターリング・K・ブラウン (クリフォード・エリソン/クリフ/兄)
レスリー・ウガムス (アグネス・エリソン/母)
マイラ・ルクレッタ・タイラー (ロレイン/メイド)
レイモンド・アンソニー・トーマス (メイナード/保安官)
エリカ・アレクサンダー (コラライン/お向さん)
イッサ・レイ (シンタラ・ゴールデン/作家)
アダム・ブロディ (ワイリー・ヴァルデスピーノ/プロデューサー)
キース・デイヴィッド (ウィリー・ザ・ウォンカー/父)
オキーリート・オナオドワン (ヴァン・ゴー・ジェンキンス/息子)
ミリアム・ショー (パウラ・ベイダーマン)
マイケル・シリル・クレイトン (ジョン・ボスコ)
パトリック・フィッチェラー (マンデル)
ニール・ラーナー (ウィルソン・ハーネット)
J.C.マッケンジー (カール・ブラント)
ジェン・ハリス (アイリーン・フーヴァー)
物語。
現代アメリカの都市。
セロニアス・エリソン(通称モンク)は小説家。
上流階級出のアフリカ系アメリカ人で、ロサンゼルスの大学教授でもあり、その作品は文学界から評価されているが、一般的には作品は売れておらず、前作から数年が経っている。
新作を書き上げたものの、出版社から「出来はいいが、黒くないから売れない」と拒否される。
彼は暴言により大学の職を追われかけ、家族問題で追い込まれ、金銭問題で追いつめられており、やけになって、軽蔑するステロタイプな黒人小説を書き上げ、代理人に送りつける。
彼はかような返事が返ってくるのを期待していた。「こんなばかばかしいもの出版できない」か「このパルプ小説はその手の出版社なら喜ぶかもね」と笑いのネタになるだろうと。
だが、事態は思わぬ方向に転んでいく。
今の黒人イメージに辟易している大学教授の作家が追い詰められ、軽蔑するベタな黒人小説を書くことで思わぬ事態に発展するコメディ・ドラマ。
パーシバル・エベレットの小説『Erasure』(消去)を脚色し、実写映画化。
主演は、『007』シリーズのフェリックス・ライター役などで知られるジェフリー・ライト。
今作で、アカデミー主演男優賞にノミネートしている。
共演は、スターリング・K・ブラウン(彼も助演男優賞にノミネートされている)、『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』のトレイシー・エリス・ロス、『アース・ママ』のエリカ・アレクサンダー、『バービー』のイッサ・レイ。
監督は、『ウォッチメン』『グッド・プレイス』など人気ドラマの脚本家として活躍してきたコード・ジェファーソン。長編監督デビューを果たした。
アカデミー賞の前哨戦として重要視されるカナダのトロント国際映画祭で最高賞にあたる観客賞を受賞して注目を集め、第96回アカデミー賞で作品賞、脚色賞、作曲賞、主演男優賞(ジェフリー・ライト)、助演男優賞(スターリング・K・ブラウン)の5部門にノミネートされ、脚色賞(コード・ジェファーソン)を受賞。
アメリカの出版業界や黒人作家の作品の世間の扱われ方を風刺的に描いたブラックコメディではあるが、メインは家族とのドラマで、それぞれが抱えるもやっとした圧力について描いている。
それは、ちゃんとしてるはずなの受け入れられないこと、周りへの期待、アイデンティティ、世間の目、病気、世間に迎合してしまう自分などなど。
上流階級の黒人の話を、例えばウディ・アレン的な、ただ白人のそれを映しただけの物語になっていない。今作だけのオリジナリティと映画史でも稀有な視点がある。
丁寧にこの物語の世界を敷設し、日常を構築し、その上で、ドラマチックな匿名で娯楽小説を書くというベタなプロット部分を面白がらせる。ベタにしない知的な作劇がある。
多くのアメリカの黒人の状況を映してもいるので肌感としてわからない部分もあることはあるが、映画におけるアメリカの黒人の状況を映しているので、黒人映画を見ているならわかる部分も多い。
映画観客に向けた映画的アレンジになっているのが伝わる。
『アダプテーション』も引用しているので、ハリウッド的アート系娯楽映画、ユダヤ人的映画、黒人的映画の構造を取り込んでいて、かなり多層的にしている。
なので、その重さと軽さの悦妙な配合と映画的なパロディを取り込んだシーンの描写は笑いと呆れと怒りと悲しみを湧き立たせられた。
日本語吹替もあったが、しゃべり方の違いなど、オリジナル音声の方により耳で感じられる。
ただし、コメディとして素直に見るなら吹き替えも十分な質を保っているし、日本語吹替ならではの面白い効果をもたらしている。
日本語吹替では、主人公のモンクの神経質なアメリカ人的高めの声を、教授という人物に合わせて、低く威厳のある声にしている。
ウディ・アレン的な内面の性質をその高い声が担ってもいるので、ここにも映画的なイメージの利用がある。(そもそもウディ・アレン的な映画にしたことはイメージの利用による脚色であろうと推測される)
オリジナル音声でも見たあとで、何シーンか聞き比べて見ると、今作の狙いを日本の観客にスッと実感させてくれるのではなかろうか。
ややネタバレ。
音楽には、多くのジャズが使われているが、主人公の愛称の由来となっているセロニアス・モンクのものはない。
映画『プレシャス』の原作小説で起きた黒人イメージの消費化論争もインスパイア元になっているそう。
ネタバレ。
当初、モンクは、小説のタイトルを『My pathology』(我が病理)と打ち込んだ後、わざと綴りを間違えた『My pafology』にしている。ある意味で教育を受けていない、という病理を強調してもいる。
スタッグ・R・リーは、実在のギャングスタ―であるスタッガー・リーのもじり。
「Stagger Lee」こと”Stag" Lee Stetsonは黒人チンピラ。
彼は、1895年12月27日、アメリカ南部セントルイスのとあるバーでWilliam "Billy" Lyonsと口論の末、カウボーイハットを引ったくられたことにカッとして相手を射殺してしまう。
スタッガー・リーはすぐに逮捕されたが、この事件は帽子のために男を殺した「ファッションに命を懸けた男」というエピソードで伝わり、長く語り継がれ、Stagger Lee伝説となった。
モンクが選考会議中に階段で背負っている写真は、ケネス・クラーク博士とメイミー・クラーク博士の研究『人形テスト』からのもの。
『人形テスト』(人形実験)
マミー・クラークの修士論文を継続して拡張した研究。
1954年のブラウン対教育委員会裁判の判決において人種分離政策は子供に心理的な害を引き起こすことを証明するという重要な役割を果たした。
マミー・クラークは彼女の夫ケネスとともに実験を行なった。
この研究での結果は判決史上、確かな証拠として提出された初めての社会科学研究となった。
実験では肌色以外は全く同質の人形4体が用いられた。
3-7歳の子供達に対し、人種に関するアイデンティの認識と選好についての質問を行なった。
その質問はこういうものである。
「あなたが一番好きな、それか、一番遊びたい人形を教えて」
「『良い』人形を教えて」
「白人の子供みたいに見える人形を渡して」
「黒人の子供みたいに見える人形を渡して」
「自分と似ている人形を渡して」
この実験は、すべての質問に対して、白人の人形が好まれる傾向と白人の人形に対して正の行動を示すことが明らかにされた。
マリー・クラークは「偏見、差別、人種分離」が黒人の児童に劣等感や自己嫌悪をさらに発展させていると結論づけた。
マリー・クラークは、「もし社会が白人の方が良いというならば、白人だけでなく黒人もそう信じるようになります。そして、子供は自身の人種を否定することで劣等感から逃れようとしている恐れがあります。」と結論づけた。
人種分離のされた学校に通う別地域の子供300人を対象としたインタビューからも同じ結果が得られた。
人形実験の中で、マリー・クラークは少年と少女の輪郭の線画を配り、子供自身と同じ肌の色を塗るように伝える実験を行い、黒人の子供達は肌の色を白や黄色に塗ったことも明らかにした。
以上の人形実験の結果から、人種分離政策は就学児に負の影響を及ぼすことを明らかにした。
原作は、かなり知的な考察に満ちた、怒りを含んだダークなコメディだそうで、映画で描かれる軽みやコメディシーンは脚色によるものとのこと。
ゆえに、タイトルを『Erasure』から『アメリカン・フィクション』にしたのかも。
文句が、スタッグ・R・リーの名で、『My Pafology』を書き上げ、のちに『Fuck』に変更するのは、原作通り。
小説『My Pafology』の全編が『イレイジャー』(2001)内に掲載されていて、そのほかの小説部分の文章のスタイルとの差を読者が理現実的に理解するようにしている。()
小説中で、『My Pafology』は黒人作家フアニータ・メイ・ジェンキンスの『We's Lives In Da Ghetto』の人気に刺激されて書くが、その内容は、リチャード・ライトの『Native Son』(1940)とサファイアの『Push』 (1996)に部分的に基づいて、風刺的な返答として描いていると言及されている。
『プッシュ』は映画『プレシャス』の原作小説。
そういった現実の状況と小説内で言及することで、ノンフィクション的な内容も取り込み、この小説自体が、スタッグ・R・リーが浸食してくるメタ構造をも内包した多層構造の小説なのだそうです。