で、ロードショーでは、どうでしょう? 第582回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『渇き。』
中島哲也監督が、深町秋生の第3回このミステリーがすごい!大賞受賞作『果てしなき渇き』を映画化した戦慄のバイオレンス・サスペンス。
失踪した娘の行方を追う元刑事のロクデナシ親父が娘の秘密を知って困惑していく様と娘の失踪の原因となる3年前の中学時代の同級生の少年の地獄の日々を、交互に、スタイリッシュかつ過激な映像表現満載で、2時間暴走する。
日本では映像化されるにしても、毒が薄まるから意味がないと言われたエログロノワール小説をほぼ余すところなく映像化しているが、映倫はR15+で収まっている。
物語。
妻・桐子の不倫相手に暴行をし、警察を追われ、警備員として、自暴自棄の暮らしを送る元刑事の藤島昭和。
しかも、コンビニで起きた殺人事件を現場を通報し、容疑者となっていた。
そこに、桐子から、高校生となった娘の加奈子が失踪したとの連絡が入る。
中学の頃から、加奈子は、成績優秀で容姿端麗で、学校中の憧れの対象であった。
残された鞄からは、覚せい剤が見つかり、昭和は警察には知らせず、自ら捜索に乗り出す。
だが、捜索を進めるうち、自分が娘のことを何一つ知らなかったことに愕然とする・・・。
脚本は、中島哲也と門間宣裕と唯野未歩子。
出演。
元刑事の藤島昭和に、役所広司。
大御所がこういう人物を演じてくれないとエンターテイメントは危ないです。
さすがの説得力と安心感でドラマをひっぱってくれます。
その娘の加奈子に、小松菜奈。
スクリーン・デビューで、この役を引き受けた覚悟を買いたい。
それに応えたあの笑いには拍手。
映画のもうひとつの軸であるボクに、清水尋也。
彼のどちらにでもいけそうな佇まいがよい。
元妻の桐子に、黒沢あすか。
『六月の蛇』とのキャラクターの逆転も感じる。
後輩の刑事に、妻夫木聡。
笑顔とヘタレのイメージを逆手に使った不気味さが素晴らしい、
中学時代の同級生に、二階堂ふみ。
日本映画界の若き女優凶器がここでも本領発揮。
塾の友人に、橋本愛。
その友人であり、加奈子の中学時代の同級生に、森川葵。
不良中学生で、ヤクザの射程となっている松永に、高杉真宙。
加奈子のかかりつけの医師に、國村隼。
中学時代の教師に、中谷美紀。
ヤクザに、青木崇高。
謎の男に、オダギリジョー。
それぞれ、タイプキャストでもあり、それを逆手にとってもいる面白さがある。
製作は、依田巽と鈴木ゆたか
プロデューサーは、小竹里美と鈴木ゆたか。
さすがに、『進撃の巨人』を降りたあと何度え、東宝ではなくギャガ製作。
でも、これにGOを出した判断と覚悟は素晴らしい。
撮影は、阿藤正一。
照明は、高倉進。
美術は、磯見俊裕。
装飾は、林千奈。
ハリウッド並みの高速大量カットを処理した編集は、小池義幸。
音楽は、GRAND FUNK ink. 。
音楽プロデューサーは、金橋豊彦。
音楽鳴りっぱなしなので、このギリギリの程々感と現在進行形の同時代的音選びはナイスセンス。
アジア的陰湿さと日本的悪ふざけポップテイストに、無国籍アクション、青春映画、フィルム・ノワール、バイオレンス・ムービーのミクスチャーが、ある映画的なコンセプトによって、マヨネース的に乳化している日本映画のエンターテインメントの底力を感じさせる力作。
もちろん、後味はいい感じに最悪です。
見終えたら、ヘトヘト必至。
気軽にはオススメ出来ません。
おまけ。
キャッチコピーは、「愛する娘は、バケモノでした。」
なんだけど、これで半分くらいネタバレしているんだよなぁ。
見ている時のサスペンスは薄れていく。
安心感はあるので、日本的とも言える。
まぁ、原作あるからなぁ・・・。
ネタバレ。
映画全体が、ドラッグ中毒状態の記憶の混乱、思考の低下、暴力的な苦しみ、アッパーとダウナーの繰り返し、
意味不明の言動と破壊衝動、音楽の心地よさと音響のズレ、感覚器のゆらぎ、倫理観の喪失、セックスの感度の上昇などなど、が映画全体を覆う。
それは、混乱した編集にも表れている。
ドラッグの混乱を反映した編集を全体に施した映画があったような気もするが・・・思い出せない。
とはいえ、部分的にドラッグ描写を見せる時に、定番の編集方法でもある。
DJプレイを反映した編集を全体に施した『ドラゴンヒート』に似た部分もある。
そう考えると藤島加奈子の存在は、そのままドラッグのメタファーなのではなかろうか。
みなが探し、愛しくて殺したい、人々を愛して地獄に突き落とすものだからね。
(と書いたあとで読んだのだが、実際、原作者の深町さん自身がそういう部分もあるという発言をしている)
まさに、ヒロインはヘロインいう感じ。
ヘロインは、陶酔感と多幸感、そのあとの喪失感、強烈な中毒性で、一度で地獄へまっしぐらのドラッグ。
廃人製造薬。
深すぎて、底につかない穴だ。
なにより、中毒者は喉が渇く。
映画の中でも、友人のピンク髪の女の子や液体をガブ飲みしている描写がある。
そして、ドラッグを渇望するという意味の渇きでもあるのだろう。
覚せい剤の隠語は、“冷たいの”、“アイス”とも言われる。
コカインの別名には、“ホワイト”、“H”、“スノー”というのがある。
映画では、冷たい雪から始まる。
ラストも、汗滴る夏から突然、雪降る冬になる。
ドラッグ中毒者は、体温の低下を感じながら汗が止まらなくなる。
刑事をやめるあの夜は、ホワイト・クリスマス。
まんま、雪に埋もれている死体を探す描写はその直接的な表現だ。
これはこじつけだが、エッチ=セックス(売春・レイプ)が地獄に落とす。
スノーホワイトで白雪姫になる。
『不思議な国のアリス』がモチーフになっているが、死体にキスする描写は、そのまま、ディズニー映画版『白雪姫』で姫を起こす王子の行動だ。
毒りんごはそのままドラッグのメタファーとも言える。
冒頭から、実は死体になっている加奈子は、世界で一番美しい白雪姫であり、毒りんごを食わせる王妃であり、姫を死から起こす王子でもある。
昭和は、王妃に依頼されて白雪姫を探す猟師であり、世界で一番美しい娘を探し、殺そうとする王妃自身と言える。
オリジナル『白雪姫』の王子は、死体愛好家で死体でいいから、と白雪姫を引き取るので、加奈子の死体を探し続ける王子だとも言える。
白いスーツを着ているのは自身がホワイト=クスリを入れたように見える。
なにより、映画全体を白色の光が覆っている。
そして、それで際立つ現職の洪水。
セックス、バイオレンス、ミュージックは映画の娯楽の三大要素だ。
そこにドラッグ、クライム、ラブ、リベンジ、チェイス、ミステリーがあり、アッパーとダウナーを繰り返す『渇き。』はエンターテインメントのスピードボール(コカインとヘロインを混ぜた最悪のドラッグ)とも言える。
日本におけるアイドル依存もパーティシーンでの楽曲でわずかに目配せされている。
アイドルグループの名前は、『でんぱ組.inc』で楽曲は『でんでんぱっしょん』。
ポジティブさやメジャーさという世間の風潮という暴力もそこには存在する。
住宅CMはそれ自体が劣等感と狂気の引き金として機能させられており、トップCMクリエイターでもある中島哲也の毒が溢れている。
原作は『果てしなき渇き』だから、映画の題名の『渇き。』で、終わりを意味する[。]がついているのは、逆の意味になっていて、面白い。
ちなみに、『渇き』という邦題の映画は三本あり、邦画でも一本ある。
[。]がついてるのはないが。
パク・チャヌクの吸血鬼映画『渇き』はその内の一本だが、あれも白を基調とした画面作りをしていた。
あれは血の色を際立たせるための選択であり、主人公の神父の宗教性を表現しているのだろうが。
この映画による劇薬は、ドラッグへの嫌悪を引き起こすエンターテインメントという魔力がある。
だが、それを引き起こしたいなら、もっと嫌悪を起こさせて欲しかった。
これぐらいでは、ドラッグは楽しそうだとさえ思えてしまう可能性あるんじゃないのかしら。
韓国映画に迫る邦画の力は見せてもらったが、それゆえに、韓国映画の嫌悪や悪夢をもエンターテンメントにしてしまう一歩も二歩も先に行ってる凄さを逆に思い知らされてもしまった。
なぜなら、描写がやはりどこかで逃げているんだよな。
せいぜい、写真とか細かいカット割りとかで。
まぁ、品がいいというかね。
これは、褒め言葉でもある。
『ファニーゲーム』を思い起こしもした。
品の良さは、暴力描写のあとにアニメを差し込むリズムが一番わかりやすい。
『悪魔が見た』、『チェイサー』、『悲しき獣』、『アジョシ』、『悪いやつら』、『オールドボーイ』、『復讐者に哀れみを』、『悪い男』、『トガニ』、『母なる復讐』、『ファイ』とか見せられてしまってるからなぁ。
新人作家、メジャー作品、ベテラン作家、スター主演作でガンガンやっていて、日本でもヒットしたりもしてるしなぁ。
韓国以外でも『セルビアン・フィルム』とかあるしね。
いまだに、あの悪夢が蘇る。
あれはもう別の暴力だしな。
それに並ぶものを、今の日本でちゃんとした予算でスターでやったことには敬服しかない。
重ねの演出が多く、車でぶつけるシーン、ベッドの出し方は意識的に繰り返されている。
役所広司の主演作には、シャブ漬けヤクザを演じた『シャブ極道』があり、それがどこかキャスティングの決め手だったりしてね。
とはいえ、ダイワハウスや車やビールのCMをやっている役所広司を確実にマイナスになるシーン満載で描いたのは素晴らしい皮肉。
映画俳優はこうでなくっちゃ。
ある種、タイプキャストでもある。
タイプキャストなのは、他にもいて、裏の顔がある医師の國村隼は、ドラマ『アリスの刺』でも、近い役を演じていたし、オダギリジョーはここんとこ近い役を二度ほど演じている。
原作は違うのだろうが、ミステリーにしては、映画を最初から見ていて解けない謎が多すぎる。
まぁ、中谷美紀のキャスティングによって、あの教師は重要な役だろう、ということが推理できたので、ある意味、TVの定番2時間サスペンスドラマ的な下卑た要素もある。
つまり、広告代理店的な世界とその向こう側にある現実の淀みが見事に対比されている。
原作にはあるのかもしれないが、加奈子の持ち出した写真をばらまいたのは誰なのか?
加奈子を連れ出したのは、あの教師なら、それをすることが出来るのは、誰もいない。
写真自体は、自分の命の保険として、あの友人に預けられていたとしても。
あの殺されたガキどもなのだろうが、それをする理由がない。
まぁ、加奈子の行動にはほとんど意味がないのだが。
チャウとかなんだか全くわからんし。
ええ、もちろん、つじつまとかいいんだろうけどね。
原作にはあるんだろうし。
(追記:写真は、教師に連れ出せれる前に加奈子がばらまいていたようです)
この映画とアメリカ版『オールドボーイ』が同時公開であるのは、なかなか興味深い。
どちらも、娘と離れていた孤独な父親が娘を探す過程で狂気に陥っていく話だ。
二人とも歪んだ愛をつきつける。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『渇き。』
中島哲也監督が、深町秋生の第3回このミステリーがすごい!大賞受賞作『果てしなき渇き』を映画化した戦慄のバイオレンス・サスペンス。
失踪した娘の行方を追う元刑事のロクデナシ親父が娘の秘密を知って困惑していく様と娘の失踪の原因となる3年前の中学時代の同級生の少年の地獄の日々を、交互に、スタイリッシュかつ過激な映像表現満載で、2時間暴走する。
日本では映像化されるにしても、毒が薄まるから意味がないと言われたエログロノワール小説をほぼ余すところなく映像化しているが、映倫はR15+で収まっている。
物語。
妻・桐子の不倫相手に暴行をし、警察を追われ、警備員として、自暴自棄の暮らしを送る元刑事の藤島昭和。
しかも、コンビニで起きた殺人事件を現場を通報し、容疑者となっていた。
そこに、桐子から、高校生となった娘の加奈子が失踪したとの連絡が入る。
中学の頃から、加奈子は、成績優秀で容姿端麗で、学校中の憧れの対象であった。
残された鞄からは、覚せい剤が見つかり、昭和は警察には知らせず、自ら捜索に乗り出す。
だが、捜索を進めるうち、自分が娘のことを何一つ知らなかったことに愕然とする・・・。
脚本は、中島哲也と門間宣裕と唯野未歩子。
出演。
元刑事の藤島昭和に、役所広司。
大御所がこういう人物を演じてくれないとエンターテイメントは危ないです。
さすがの説得力と安心感でドラマをひっぱってくれます。
その娘の加奈子に、小松菜奈。
スクリーン・デビューで、この役を引き受けた覚悟を買いたい。
それに応えたあの笑いには拍手。
映画のもうひとつの軸であるボクに、清水尋也。
彼のどちらにでもいけそうな佇まいがよい。
元妻の桐子に、黒沢あすか。
『六月の蛇』とのキャラクターの逆転も感じる。
後輩の刑事に、妻夫木聡。
笑顔とヘタレのイメージを逆手に使った不気味さが素晴らしい、
中学時代の同級生に、二階堂ふみ。
日本映画界の若き女優凶器がここでも本領発揮。
塾の友人に、橋本愛。
その友人であり、加奈子の中学時代の同級生に、森川葵。
不良中学生で、ヤクザの射程となっている松永に、高杉真宙。
加奈子のかかりつけの医師に、國村隼。
中学時代の教師に、中谷美紀。
ヤクザに、青木崇高。
謎の男に、オダギリジョー。
それぞれ、タイプキャストでもあり、それを逆手にとってもいる面白さがある。
製作は、依田巽と鈴木ゆたか
プロデューサーは、小竹里美と鈴木ゆたか。
さすがに、『進撃の巨人』を降りたあと何度え、東宝ではなくギャガ製作。
でも、これにGOを出した判断と覚悟は素晴らしい。
撮影は、阿藤正一。
照明は、高倉進。
美術は、磯見俊裕。
装飾は、林千奈。
ハリウッド並みの高速大量カットを処理した編集は、小池義幸。
音楽は、GRAND FUNK ink. 。
音楽プロデューサーは、金橋豊彦。
音楽鳴りっぱなしなので、このギリギリの程々感と現在進行形の同時代的音選びはナイスセンス。
アジア的陰湿さと日本的悪ふざけポップテイストに、無国籍アクション、青春映画、フィルム・ノワール、バイオレンス・ムービーのミクスチャーが、ある映画的なコンセプトによって、マヨネース的に乳化している日本映画のエンターテインメントの底力を感じさせる力作。
もちろん、後味はいい感じに最悪です。
見終えたら、ヘトヘト必至。
気軽にはオススメ出来ません。
おまけ。
キャッチコピーは、「愛する娘は、バケモノでした。」
なんだけど、これで半分くらいネタバレしているんだよなぁ。
見ている時のサスペンスは薄れていく。
安心感はあるので、日本的とも言える。
まぁ、原作あるからなぁ・・・。
ネタバレ。
映画全体が、ドラッグ中毒状態の記憶の混乱、思考の低下、暴力的な苦しみ、アッパーとダウナーの繰り返し、
意味不明の言動と破壊衝動、音楽の心地よさと音響のズレ、感覚器のゆらぎ、倫理観の喪失、セックスの感度の上昇などなど、が映画全体を覆う。
それは、混乱した編集にも表れている。
ドラッグの混乱を反映した編集を全体に施した映画があったような気もするが・・・思い出せない。
とはいえ、部分的にドラッグ描写を見せる時に、定番の編集方法でもある。
DJプレイを反映した編集を全体に施した『ドラゴンヒート』に似た部分もある。
そう考えると藤島加奈子の存在は、そのままドラッグのメタファーなのではなかろうか。
みなが探し、愛しくて殺したい、人々を愛して地獄に突き落とすものだからね。
(と書いたあとで読んだのだが、実際、原作者の深町さん自身がそういう部分もあるという発言をしている)
まさに、ヒロインはヘロインいう感じ。
ヘロインは、陶酔感と多幸感、そのあとの喪失感、強烈な中毒性で、一度で地獄へまっしぐらのドラッグ。
廃人製造薬。
深すぎて、底につかない穴だ。
なにより、中毒者は喉が渇く。
映画の中でも、友人のピンク髪の女の子や液体をガブ飲みしている描写がある。
そして、ドラッグを渇望するという意味の渇きでもあるのだろう。
覚せい剤の隠語は、“冷たいの”、“アイス”とも言われる。
コカインの別名には、“ホワイト”、“H”、“スノー”というのがある。
映画では、冷たい雪から始まる。
ラストも、汗滴る夏から突然、雪降る冬になる。
ドラッグ中毒者は、体温の低下を感じながら汗が止まらなくなる。
刑事をやめるあの夜は、ホワイト・クリスマス。
まんま、雪に埋もれている死体を探す描写はその直接的な表現だ。
これはこじつけだが、エッチ=セックス(売春・レイプ)が地獄に落とす。
スノーホワイトで白雪姫になる。
『不思議な国のアリス』がモチーフになっているが、死体にキスする描写は、そのまま、ディズニー映画版『白雪姫』で姫を起こす王子の行動だ。
毒りんごはそのままドラッグのメタファーとも言える。
冒頭から、実は死体になっている加奈子は、世界で一番美しい白雪姫であり、毒りんごを食わせる王妃であり、姫を死から起こす王子でもある。
昭和は、王妃に依頼されて白雪姫を探す猟師であり、世界で一番美しい娘を探し、殺そうとする王妃自身と言える。
オリジナル『白雪姫』の王子は、死体愛好家で死体でいいから、と白雪姫を引き取るので、加奈子の死体を探し続ける王子だとも言える。
白いスーツを着ているのは自身がホワイト=クスリを入れたように見える。
なにより、映画全体を白色の光が覆っている。
そして、それで際立つ現職の洪水。
セックス、バイオレンス、ミュージックは映画の娯楽の三大要素だ。
そこにドラッグ、クライム、ラブ、リベンジ、チェイス、ミステリーがあり、アッパーとダウナーを繰り返す『渇き。』はエンターテインメントのスピードボール(コカインとヘロインを混ぜた最悪のドラッグ)とも言える。
日本におけるアイドル依存もパーティシーンでの楽曲でわずかに目配せされている。
アイドルグループの名前は、『でんぱ組.inc』で楽曲は『でんでんぱっしょん』。
ポジティブさやメジャーさという世間の風潮という暴力もそこには存在する。
住宅CMはそれ自体が劣等感と狂気の引き金として機能させられており、トップCMクリエイターでもある中島哲也の毒が溢れている。
原作は『果てしなき渇き』だから、映画の題名の『渇き。』で、終わりを意味する[。]がついているのは、逆の意味になっていて、面白い。
ちなみに、『渇き』という邦題の映画は三本あり、邦画でも一本ある。
[。]がついてるのはないが。
パク・チャヌクの吸血鬼映画『渇き』はその内の一本だが、あれも白を基調とした画面作りをしていた。
あれは血の色を際立たせるための選択であり、主人公の神父の宗教性を表現しているのだろうが。
この映画による劇薬は、ドラッグへの嫌悪を引き起こすエンターテインメントという魔力がある。
だが、それを引き起こしたいなら、もっと嫌悪を起こさせて欲しかった。
これぐらいでは、ドラッグは楽しそうだとさえ思えてしまう可能性あるんじゃないのかしら。
韓国映画に迫る邦画の力は見せてもらったが、それゆえに、韓国映画の嫌悪や悪夢をもエンターテンメントにしてしまう一歩も二歩も先に行ってる凄さを逆に思い知らされてもしまった。
なぜなら、描写がやはりどこかで逃げているんだよな。
せいぜい、写真とか細かいカット割りとかで。
まぁ、品がいいというかね。
これは、褒め言葉でもある。
『ファニーゲーム』を思い起こしもした。
品の良さは、暴力描写のあとにアニメを差し込むリズムが一番わかりやすい。
『悪魔が見た』、『チェイサー』、『悲しき獣』、『アジョシ』、『悪いやつら』、『オールドボーイ』、『復讐者に哀れみを』、『悪い男』、『トガニ』、『母なる復讐』、『ファイ』とか見せられてしまってるからなぁ。
新人作家、メジャー作品、ベテラン作家、スター主演作でガンガンやっていて、日本でもヒットしたりもしてるしなぁ。
韓国以外でも『セルビアン・フィルム』とかあるしね。
いまだに、あの悪夢が蘇る。
あれはもう別の暴力だしな。
それに並ぶものを、今の日本でちゃんとした予算でスターでやったことには敬服しかない。
重ねの演出が多く、車でぶつけるシーン、ベッドの出し方は意識的に繰り返されている。
役所広司の主演作には、シャブ漬けヤクザを演じた『シャブ極道』があり、それがどこかキャスティングの決め手だったりしてね。
とはいえ、ダイワハウスや車やビールのCMをやっている役所広司を確実にマイナスになるシーン満載で描いたのは素晴らしい皮肉。
映画俳優はこうでなくっちゃ。
ある種、タイプキャストでもある。
タイプキャストなのは、他にもいて、裏の顔がある医師の國村隼は、ドラマ『アリスの刺』でも、近い役を演じていたし、オダギリジョーはここんとこ近い役を二度ほど演じている。
原作は違うのだろうが、ミステリーにしては、映画を最初から見ていて解けない謎が多すぎる。
まぁ、中谷美紀のキャスティングによって、あの教師は重要な役だろう、ということが推理できたので、ある意味、TVの定番2時間サスペンスドラマ的な下卑た要素もある。
つまり、広告代理店的な世界とその向こう側にある現実の淀みが見事に対比されている。
原作にはあるのかもしれないが、加奈子の持ち出した写真をばらまいたのは誰なのか?
加奈子を連れ出したのは、あの教師なら、それをすることが出来るのは、誰もいない。
写真自体は、自分の命の保険として、あの友人に預けられていたとしても。
あの殺されたガキどもなのだろうが、それをする理由がない。
まぁ、加奈子の行動にはほとんど意味がないのだが。
チャウとかなんだか全くわからんし。
ええ、もちろん、つじつまとかいいんだろうけどね。
原作にはあるんだろうし。
(追記:写真は、教師に連れ出せれる前に加奈子がばらまいていたようです)
この映画とアメリカ版『オールドボーイ』が同時公開であるのは、なかなか興味深い。
どちらも、娘と離れていた孤独な父親が娘を探す過程で狂気に陥っていく話だ。
二人とも歪んだ愛をつきつける。