
15日(土)成田発18:15のJALの直行便でボストンに向かった。
ボストンに最初に行ったのは1993年1月で、35歳から48歳まで勤めていた会社のボストン本社への出張だった。
この時は正月休み明けの出張となり、ボストン到着翌日に浩宮、雅子様の婚約報道が現地紙に載り、
雅子様がハーバード卒業という事からか紙面扱いが大きかった記憶がある。あれから25年、時の経つのは速いものだ。
もう一回の出張は、2月上旬の出発当日が大雪で、地下鉄で箱崎シティエアターミナルまで行きバスで成田空港まで行こうと思ったが、
高速道路も通行止めで箱崎シティエアターミナルに8時間位足止めになり、昼出発のシカゴへの便が深夜になった。
2004年4月のカミさんとのボストン行きでは、ニューヨーク乗り換えだったが到着が遅れ、ボストンへの便に乗れず、
航空会社が用意したワゴン車でニューヨークからボストンへ4、5時間かけて行った。
そんなアクシデントが続いているボストン行きだが、東海岸へのハリケーン襲来の影響も受けず、12時間のフライトで無事ボストンに到着。

何年か前からJALマイレージの関係からワンワールドの提携航空会社を利用しているが、JALそのものを
利用したのは、
2016年にマイレージを利用したベトナム旅行以来だが、改めてJALのサービスの質の高さを感じたフライトだった。
食事前に配られる暖かいオシボリや、CAさんが頻繁に行うトイレ掃除など、他の航空会社には無いサービスが随所に見受けられる。
2010年1月に会社更生法適用になったJAL破綻のキッカケの一つが2008年のリーマンショックだろうが、
その再生施策からか航空機の小型化がなされたのだろう、座席も2、4、2の配列になり、トイレも1ヶ所になっていた。
そして逆に座席間隔が広くなったのか、前の座席との間がゆったりとなった。

20時頃に配られた食事前の飲み物では、眠れるようにとビールを飲み、食事の時はウィスキーも飲んだが
全く眠れず、機中の灯りが消え本を読めなくなってからは、「終わった人」「空飛ぶタイヤ」
そして日本では未公開のコメディ「ライフ・オブ・ザ・パーティ」と3本の映画を観て、その後にビデオ
で安室奈美恵のコンサート、それとプロレスのタイガーマスクのデビュー戦という貴重な物を観ていたらボストンに着いた。
ローガン空港に着いてからの入国審査は以前より厳しくなった感じがした。
出発前にインターネットでビザ免除プログラムのESTA (電子渡航認証)の申請をしたので、
入国審査手続きがスピード化されたのかと思っていたがそうではなかった。
ESTAのカメラ付き端末で手続きをするのだが、日本語表示はなく幾つかの質問にYES、NOで答えて、
次に両手親指以外の4本とパスポートをスキャナーにかけ、顔写真を撮るとプリントアウトしたものが
出てきて、それを持ってしばらく進むと入国審査のブースがあり、そこでも顔写真をメガネを外して撮り
右手、左手それぞれ4本づつスキャナーにかけ、また親指を別にかける。
日本のヤーさんのように小指を詰めた人間はどうなるんだろう。
ローガン空港からは無料シャトルバスで地下鉄(Airport駅)まで行き、そこから宿泊するボストンパークプラザホテルのある(Arlington)で下車、そこから地上に出ると直ぐにホテルが見えるという便利さだ。
この地下鉄は1897年に出来たという120年以上の歴史のあるアメリカで最古の地下鉄だ。

ホテルに入ると表面にメインバーがあるのだが、研修出張で来た時はここを会社貸切でウェルカムパーティが行われた懐かしい場所だ。
チェックインした部屋は11階で、格安料金のせいか出張で泊まった部屋より23㎡と狭かった。
やはり会社が手配してくれた部屋とは違うようだ。
荷物を広げた後は小腹が空いたので、近くのセブンイレブンでサンドウィッチを買い、部屋で食べ22時に
就寝。