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一期一会

日々是好日な身辺雑記

紅葉の京都旅行予約

2022年09月24日 | 旅行
前のブログに書いたが来週26日、27日と常念岳、蝶ヶ岳の山小屋を予約した。
元々は涸沢カールの紅葉登山目的に1か月前の電話予約で、横尾山荘、涸沢ヒュッテ、涸沢小屋に電話をかけ続けたが繋がらず予約出来なかった。
くそこでB案として槍が岳、穂高連峰の眺望が1番良い常念岳、蝶ヶ岳の縦走を計画した。そして今週は10日間天気予報を確認していたが、一向に雨予報が変わることなく今日予約をキャンセルした。

そんな山小屋予約キャンセルとは関係ないが、紅葉の京都旅行を計画し、3日前から色々と検討していた。京都へはコロナ禍の一昨年12/3〜12/6に行ったが、紅葉の盛りは少し過ぎていた。
紅葉の見頃時期はその年の気候によるのだが、京都は11月中旬から下旬と言われているので、今回は11/23から11/27の5日間とした。ネットのホテル予約サイトを見てみるとこの時期の料金が高くなるのと、既に予約がいっぱいになっている日もある。

今、政府が言っているのが10月からの入国制限緩和と、GOーTOキャンペーンのようなもの8000円の補助と3000円の地域クーポン券らしいが詳しい事は分からない。
京都の寺社巡りは静かな環境で行いたいが、日本文化に惹かれて来日する人達やキャンペーン利用での観光客増加は、コロナ禍で自粛を余儀なくされた観光業にとっては朗報だろう。
ただ、そこまで待たずに予約をする事にした。



京都は若い時から何回も行っているが、今回の一番の見所は(かやぶきの里)の美山である。
京都駅前からの直行バスで2時間の一日往復一便で、京都駅発10:20で美山発13:40なので一泊になり、これがホテル予約や日程を組む上でネックになる。
新幹線+ホテルのパックがコストダウンになるのだが、新幹線往復日とその間同じホテルでの宿泊が条件となり、美山一泊では新幹線パックが使えない。
新幹線とホテルの別料金ケースなどをネットで比較検討し、最終的に美山をJR在来線+バスを利用の日帰りにして、新幹線パックを利用する事にした。実質京都観光4日の内2日を美山で過ごすのも、と思った。
新幹線パック利用でコストは12000円安くなった。色々な予約サイトをチェックしたが、さすがにJR東海が一番安かった。
他のツーリストのパックは早朝発の(こだま)がベースとなっており、それを(のぞみ)に変えたり出発時刻を変更すると6400円のアップとなる。もちろん同じホテルでだ。

そんな事でホテルは何年か前に泊まった五条烏丸の京王プレリアホテルにし、11/23東京発6:30、12/27京都発17:30で予約した。このホテルは烏丸通りの四条と五条の中間という位置にあり、大型の風呂があるのが良い。
娘が3日目25日から合流するので、美山行きは初日か2日目になるだろう。

今回の旅行のもう一つの目的は、西宮に居る息子の嫁さんと孫に会いに行くのだ。
息子が12月下旬に成田到着の便で一時帰国し、我が家に数日滞在し、その後西宮に移動して元日には3人で関空から上海に戻る予定だ。中国は入国後2週間のホテルでの隔離生活だったが、それが1週間になったらしい。それにしても正月に中国のホテルの部屋で1週間の隔離生活というのはどんなだろう。(郷に入れば郷に従え)で、かの国のルールなので仕方がない。

コロナ禍の前であれば上海は距離的にもいつでも行ける場所だが、ゼロコロナ政策を取っている限り行けない。そんなことで今回の旅行はお別れの挨拶を兼ねた旅行である。
昨年8月の単身赴任により上海と西宮での別居生活を余儀なくされたが、これでようやく親子三人での生活になるので、ホッと一安心だ。

昨日はカミさんがウィチャットで、予定を決めたいので電話をくれと連絡したらすぐ電話がきた。
旅行で世界遺産の黄山に来ていると言ってたらしい。知らない所だったのでネットで見たら、岩山の渓谷にもやがかかる水墨画のような風景だ。是非行ってみたいものだ。
4月からの2ヶ月にわたるロックダウンで心配していたが、それなりに楽しめているようで何よりだ。

夏の温泉&高原旅行

2022年08月06日 | 旅行
先週に続いてということになるが、木•金と飲み友達Sさんの菜園付き貸別荘クライトガルテン八ッ場へ行き、温泉•宴会•高原散策と楽しんできた。隣町に住むもう一人の飲み友達Iさんと浦和からの特急に乗り、12:00前に中之条駅に到着。駅には前日から来ていたSさんが迎えに。
そして駅前の蕎麦屋(はしや)でいつものそば定食を食べ、その変わらぬ美味しさと720円というコストパフォーマンスの良さに満足。食事の後はヤオコーに寄り夕食宴会用の食材を買って帰る。

(草津温泉 御座之湯)

食材と荷物を置いてから、車で30分くらいの草津温泉へ。怪しい雲行きだったが、途中から雨が降り出し大滝の湯の駐車場に着いた時には本降りになる。
Sさんが立ててくれたプランは初めての(御座之湯)での温泉浸かりだったので、傘をさし歩いて5分くらいの湯畑近くの(御座之湯)に向かう。
そこは木造の建物と浴場の太い梁の、昔の草津温泉を感じさせる良い湯場だった。




草津温泉から戻ったのが16;00頃で宴会を始めるには早い時間だったが、(湯あがりのビールで一杯)ということで、買ってきた食材と菜園で取ったトマトを並べ宴会がスタート。

いつも八っつあん、熊さん的に時事放談話で盛り上がるが、今回は参院選の結果、安倍元総理銃撃事件や、世界での日本の国力が落ちた理由など話しのタネは尽きない。
安倍元総理の国葬については(?)という事で
意見が一致した。

菜園の向こうに連なる山並みを眺め、何の物音もしない静けさの中で、虫の音を聴きながら飲む酒は、ここでしか味わえない贅沢な時間だ。

それに加え標高600mの地なので、クーラー要らずで、Tシャツに長袖シャツをはおる気温だった。そんな宴会も22:00でお開きとして、眠りについた。



翌日は雨も止んでいたので、朝食を食べNHKの朝ドラを見た後に荷物をまとめ、野反湖へのドライブへ発った。
トップ写真が野反湖だが、この写真で見る以上に実際の景色は素晴らしかった。
幾つかのトレッキングコースがあり、湖畔一周も3時間くらいらしいので、今度は秋にでもまた来てみたいものだ。
近くの展望台への道を散策してから戻り、帰りの途中で六合の道の駅に寄り、トウモロコシ3本、モロッコいんげん一袋、トマト4個入り一袋で620円だった。
トマト中玉4個は180円だった!我が町のスーパーではどこも390円なのだ!
何だか主婦目線の話になったが、実際週3回の夕食担当として買い物をしているので、食材の価格については敏感なのだ。

(八ッ場ダム)



野反湖散策の後は八ッ場に戻り、(やんば資料館)へ。ここには八ッ場ダム建設に関わる色々な資料が展示されており、このダムが1949年に計画され、2020年3月に完成するまでの70年の歴史が分かった。
ダム堤防からエレベーターで降りることが出来て、そこから見上げるダムの迫力は写真では分からない。
(野菜天ぶっかけうどん)

昼食は八ッ場ダム近くのうどん屋(麦の香り)で、野菜天ぶっかけうどんを食べる。
野菜の天ぷらがカラッと揚げられ、うどんも腰があり美味しく、これが780円というコスパの良さだ。
この店はSさんの馴染みの店で、NHKの放送で見たご主人が食後のコーヒーをサービスとして持って来てくれた。
近所の人には親しく声をかけ、この店でも厨房まで覗きこんで声をかけるSさんのOpenMindな人柄にいつも感心させられる。クライトガルテン八ッ場には何度も訪れているが、その都度ツアーコンダクターのように色んなプランを立ててくれることにも感謝だ。

この日に千葉の家に帰るというSさんに渋川まで車に乗せてもらい特急で帰ってきた。いつもながらの楽しい旅だった。


木曽路旅行

2022年07月31日 | 旅行
28日(木) から2泊でカミさん、娘、義妹、姪と毎年恒例の夏の信州旅行に行ってきた。カミさんの先祖代々の墓参りを兼ねての旅行は40年近く続いているが、昨年は母親が入院したこともあり、私は不参加だった。昔は2台の車に三家族分乗しての旅行だったが、ここ数年はこの5人が常連メンバーとなっている。(女3人寄れば•••)と言うが、普段何かと会っている4人なので、いつものように笑いの絶えない賑やかで楽しい旅行だった。

今回の旅行は信州阿智村にある富士見台高原ヘブンスそのはらの全長2,500m、高低差600mのローブウェイに乗り、標高1,400mの地での満天の星空を見るナイトツアーと木曽路散策だった。同じ信州でも阿智村は岐阜県境で、小諸からはだいぶ遠いので、墓参りは別途行うことにした。

(妻籠宿)


(妻籠宿)

(ゑびや茶房) 



(妻籠宿)

今回はバスと現地でのレンタカーの利用にして、パスタ新宿6:55発の長野県飯田行きの高速バスで向かった。途中双葉サービスエリアで20分の休憩を挟み、11:10に飯田駅前に着いた。
いつもの関越道、上信越道のドライブと比べ、中央道は山間部を走るので、その景色を見たり(三国志)を読んだりして過ごせるので、バスでの移動は気楽なものだ。

夏休みに入り金沢、高山と廻ってきた娘と合流し、レンタカーを借り娘の運転で阿智村の昼神温泉に向かった。
初めて行く山あいの地にある昼神温泉は大型のホテルや旅館もあるが、日本一の星空と称する閑静な温泉地だった。その星空を見るナイトツアーを予約していたが、2夜連続で曇り空となった為キャンセルした。

その星空を撮る為に一眼レフカメラ、望遠レンズ、3脚まで持参した姪はガッカリ。諦めきれず旅館近くの星空が見えるスポットにカメラ持参で2夜通ったが見えなかった。
私は満天の星空は3000mの山小屋で何度も見ているし、3500円のツアー代も高いと思っていたが、そんな身も蓋もないことは言わなかった。

満天の星空と言えば、現役時代の50代の頃にカミさんとレンタカーでニュージーランドの南島を10日間で一周したことがあり、その時にマウントクックのハーミテージホテルでの夕食の後に見た星空が1番印象に残っている。街灯もない山道を星明かりを頼りに歩いて降りた。

(島崎藤村生家)

(馬籠宿)

(馬籠宿)

この旅のもう一つの目的である木曽路散策の妻籠宿、馬籠宿には姪の運転で2日目に行った。昼神温泉からは車で1時間、島崎藤村の(木曽路はすべて山の中)の通りのドライブで、普段山の自然に縁のない4人は、気持ち良いと感激の様子。

夏休みの最中だろうが、意外と観光客は少なくゆっくりと散策が出来た。コロナ禍もあり海外からの観光客がいないせいでもあるのだろう。妻籠宿の(ゑびや茶房)ではかき氷の抹茶ミルク金時を食べたが、甘いもので好きな粒あんと練乳に大満足だった。

妻籠と馬籠を比べると町並みが妻籠の方が長く、歴史がある感じである。
馬籠は島崎藤村の生誕の地で、その実家が藤村記念館となっている。島崎藤村は小諸や我が家が14、5年住んでいた川越にもゆかりのある作家だ。小諸には明治32年から6年間小諸義塾の教師をしながら執筆活動をして「千曲川スケッチ」「破戒」を書いている。

川越は藤村が56歳の時に再婚した静子夫人が川越生まれで、再婚後父親をモデルにした「夜明け前」の執筆を始め、市内の(割烹旅館 佐久間)に度々宿泊していた。
中学生の時に読んだ「破戒」を、息子の本棚にあったので何年か前に再読したが、さすがに文体は古いと感じた。
藤村記念館は展示室が3部屋あり、30分のDVDも見ながら1時間近く過ごした。




ホテル近くの広場で6:00から8:00まで朝市が開かれており、朝取りの野菜が超安値で売っていた。試食で勧められた生のトウモロコシは甘かった。それにしても我が一族の女性連は朝市が好きで2日連続で通い、道の駅も見つけると寄り、安い!安い!の連発だった。

(信州料理)

(鯉の甘露煮)

(鮎の塩焼き)


旅館の夕食には信州旅行で必ず食べる鯉の甘露煮と鮎の塩焼きが出たが、鯉の洗いはなかった。
毎年夏になるとカミさんの叔父さんの家を訪れ泊めて頂き、叔父や従兄弟達が千曲川で釣った鮎をご馳走になっていた。叔父さん家族には子供達も含め良くしてもらった。

(下栗の里からの南アルプス)

(下栗の里)


3日目は前日の姪に替わり娘が運転、標高1100mの下栗の里へ。狭い山道があり対向車への対応があるので、私が運転しようと思ったが娘に任せた。老いては子に従えだ。
狭い山道なので、心配性のカミさんからは(スピードを落として!)(側溝に気をつけて!)の声がとび、無事到着したら(疲れた)とひと言。
下栗の里は(にほんの里100選)に選ばれた、南アルプスから伸びる尾根に拓かれた絶景の地だ。
75分のビューポイントコースを散策した。

そんな木曽路散策を終え、19:00にバスタ新宿に戻ってきた。
今までの小諸や軽井沢を中心にした信州旅行と違い、山深い南信州の旅は4人にも楽しめたようだ。

松山城と坂の上の雲ミュージアム

2022年06月30日 | 旅行
松山旅行最終日となる昨日は14:40発の便で帰る為に、午前中に松山城、秋山兄弟生誕地、坂の上の雲ミュージアムを見ようと、8:00にはチェックアウトし、スーツケースとバッグを預け、歩いて5分の場所にあるロープウェイに乗り松山城へ行く。

松山城は慶長七年(1602年)から築城が始まり、25年かけて勝山山頂に築きあげられたものだ。
山頂に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸と広大な規模の城郭である。
標高132mの山の上に築かれた城は、市内からは見上げるように聳え立ち、正に勇姿である。
本丸の高さ17mを超える石垣は壮大で、迷路のような石垣の重なりは、堅固な防衛の城だ。
天守や城門、櫓などが重要文化財に指定されている。
今まで姫路城、松本城、松江城などを見てきたが、色々な面で一番印象的な城だった。











司馬遼太郎本は殆ど読んでいるが、その中でも(竜馬がゆく)(坂の上の雲)(峠)がベスト3だと思っている。
(坂の上の雲)で正岡子規と共に主人公として描かれていたのが、陸軍大将秋山好古と海軍中将秋山真之の兄弟だ。
その秋山兄弟の生家を原形に近い形で復元した施設が、松山城から歩いて下ると20分位の所にある。
秋山好古は日露戦争で日本の騎兵隊を指揮し、世界最強といわれたロシアのコサック騎兵隊を撃退した。元帥への推挙を断り、松山に帰郷し中学校の校長になる。

弟秋山真之は聯合艦隊参謀としてロシア・バルチック艦隊を撃滅して日本の危機を救った。
日本海でバルチック艦隊発見の報告電報の(本日天気晴朗ナレドモ波高シ)が有名だが、その前文(敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす)の後に続くのだ。

真之は正岡子規や夏目漱石との交流などで、文才もあったのだろう幾つもの名言を残しているが、日本海海戦にあたり全軍の士気を鼓舞するためにZ旗(Z=後がない)を掲げ、(皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ)との檄文をうつ。

(坂の上の雲)では二人の特質を明治人、武人として描いており、その人物像を深く知ろうと小説以外の関連本を何冊か読んだ。好古の生活の質素さや、9歳下の真之の葬儀では(弟は例え、秒分の片時でも、「御国のため」という概念を捨てなかった。この事だけは兄としてはっきり言いうることです)と挨拶し参列者を感動させたという。

この施設も見学者は我々だけで、年配男性の学芸員の方が30分くらい熱心に説明してくれた。興味深い話ばかりだったが(坂の上の雲ミュージアム)見学の時間もあったので失礼した。

(秋山兄弟生誕地)



(秋山好古像)

(秋山真之像)

坂の上の雲ミュージアムは安藤忠雄の設計になるもので、館内は打ち放しコンクリートや自然光の取り込みなど氏らしいものだ。
ただ展示コンセプトは司馬遼太郎の(坂の上の雲)をベースにした展示なので、正直なところピンとこなかった。(坂の上の雲)はあくまで司馬史観による小説なので、資料としての展示ではないので、どうなんだろうと思った。
それでも小説としての(坂の上の雲)を否定するものではなく、再読しようかと思っている。
因みに今回の旅行には20代の頃に読んだ吉川英治の(三国志)を持ってきており、帰りの機中から読み始めた。現在日経夕刊に連載中の(諸葛亮)から(三国志)を読んだ時のワクワク感が湧いてこないので、読み返す事にしたのだ。

坂の上の雲ミュージアムの後は同じ敷地内の萬翠荘を外から見物した後で、空港へのリムジンバスの時間もあるので、今回の旅行でまだ食べていない鯛めしをホテル近くの(かどや)で取る。
小鉢の出汁に卵が入っており、そこに鯛の刺身を入れご飯の上に小鉢から注ぐという食べ方で、卵かけご飯の変形版のようだ。食べ方を説明してくれた店の女性が、おひつのご飯が足りなかったら言って下さい、と言ってくれたが、その量を見て食べきれないと思ったが、変形卵かけご飯なので
するすると入り、おひつのご飯を平らげた。
そういえば、温泉旅館の朝食では必ず卵かけご飯を食べていたものだ。
(萬翠荘)




JALマイレージを使った(何処かにマイル)で岡山、松山、鹿児島、高知の組み合わせから松山に決定した今回の旅行は、食べ物、歴史、自然、文化と初めての四国旅行を楽しめた。
飛行機での旅行は2019年9月のブタペスト、ウィーン、ミュンヘン旅行、11月の広島旅行以来だったが、ワクチン接種も4回目が予定されており、少しずつ日常生活が元に戻ってくればまた海外旅行にも出かけられるだろう。

歴史ある町並み大洲から内子へ

2022年06月28日 | 旅行
松山滞在3日目の今日はJR予讃線の特急に乗り、明治から大正時代の面影を残す町並みの大洲と内子に行ってきた。9:07発の特急に乗り伊予大洲に着いたのが9:40。
小さな町で駅に降り立ったのは私達だけで、先ずは駅の脇にある観光案内所で見所の行き方、廻り方について教えてもらう。

最初の目的の場所である大洲城へは歩いて20分、市内循環バスで15分という事だったが、今日の愛媛県は気温35度で熱中症警戒アラートが発せられる暑さで、歩くのは無理とのカミさんの意見に従い、バスも待ち時間があるので、タクシーで行く事にした。
(おはなはん通り)




大洲城は肱川に沿った高台に建ち、4層4階の天守閣を持った国指定の重要文化財で、藤堂高虎時代の伊予藩における大洲の重要性が偲ばれる。

そこからは歴史的町並みの残る(おはなはん通り)まで歩いて行く。(おはなはん)と聞いて分かるのは我々世代以上の人達だろう。
樫山文枝主演で1966年4月から1年間放送されたNHK朝ドラである。
おはなはん通りはそのロケが行われたことからその名前がつけられたが、江戸時代の町割りと家並みが残り、北側の蔵並びが商家、南側が武家屋敷となり、その境となる通りとなっている。

この町は1991年に放送された人気ドラマ(東京ラブストーリー)の舞台にもなっており、最終回にこの町が出てくる。
織田裕二、鈴木保奈美、江口洋介が演じるラブストーリーで、当時はサラリーマンとして最も忙しい時期だったので、このドラマは見れなかったが、昨年再放送された時に見た。
織田裕二の肩パッドが入ったスーツと鈴木保奈美の天真爛漫さが印象的なドラマだ。
小田和正が歌う主題歌(ラブストーリーは突然に)は大ヒット作だし、そのCDも持っている。
(臥龍山荘)








歴代大洲藩主の別邸として使われていた(臥龍山荘)は肱川の景勝地に建つ数寄屋作りの別荘で庭園が素晴らしく、清流肱川の風が気持ち良かった。

(蕎麦つみ草料理 下芳我邸)




(内子の町並み)





大洲観光の後は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋で栄えた内子に電車で移る。
13:00になっていたので昼食を築140年以上の豪商の屋敷を利用した蕎麦つみ草料理の下芳我邸で取った。
カラッと揚げた天ぷらも蕎麦も美味しかった。この屋敷の2階がギャラリーになっており、木蝋と並ぶ産業だった和紙を使ったランプシェイドなどの作品が展示されていた。
ギャラリーの女性の説明が懇切丁寧で、内子の歴史、和紙の話、建物の構造の話などでそこから木蝋産業の豪商ぶりがうかがえた。
今でも分からないのは蝋燭の需要がいつ頃まであったのだろうという事だ。歴史保存地区になっている通りには、往時の繁栄ぶりが分かる商家が並ぶ。



16:30頃にホテルに戻り暑さと歩きに疲れたカミさんはグロッキー気味だったが、腹は普通にへるようで18:30に電話予約しておいた食事処へ。
この店は図書館から旅雑誌に載っていたのだが期待外れだった。同じくその旅雑誌に大きく載っていた(はしまや)は潰れていた。
2020年の出版だが情報誌の情報もあてにならない。
食べログの情報も評点のアルゴリズム公開訴訟で敗訴したように、その情報に疑問が生じる。
昨日の(仁平)のようにホテルフロントお薦めの店が確かかも知れない。
否定的な話の場合は名前を出さないというモットーにより、旅雑誌も店名も出さない。
旅先での食事では野菜が足りないと注文した野菜サラダは私の作った方が美味しいだろうと思った。



因みに上の写真は私がジム通いの時の昼食で、ジムに行く前にサラダを作っておき、帰ってきてから冷蔵庫から出して豆腐と豆乳で食べる。サラダはサニーレタス、春菊、紫玉ねぎ、パプリカ、トマト、チーズ、ひよこ豆で、時にバリエーションでブロッコリーやシラスをニンニクと炒めたものをのせる。筋トレの後のタンパク質は大豆主体なので、鳥のささみをのせる時もある。
日経新聞にエッセイを連載している50代のウルトラマラソンランナー鏑木毅の本を読み、低糖、低脂質で抗酸化の食事を参考に手間いらずの食事として考えたものだ。
週3回から4回の昼食メニューだ。

夕食は外れだったが、電車に乗り歴史あるある町並みをぶらり歩きするという充実した1日だった。