両親の仲がよくなく、家にいるのが嫌だった若いころのわたしは、
家族よりも友だちと一緒にいることが多かったです。
趣味の仲間と楽しかった青春時代。
そのまま50歳ぐらいまで、いや最近までかな、
ずっと小娘のような気持ちのまま暮らしてきました。
結婚の経験がなく、妹は若くして亡くなり、両親も亡くなって、
わたしには家族と呼べる人間がいません。
もし、私に子供がいたら、もし、妹に子供がいたら、
自分の血筋の子供たちの成長を、見守っていたのだと思います。
そして、その子供たちの成長とともに、
自分の年齢が増えていくごとに、
心の年齢もゆるやかに増えていったのではないか。
たらればになってしまいますが…。
それが定年の少し前、親の介護で会社を辞めると、
突然シニアの波が押し寄せてきました。
心にも、体にも、お財布にも。
少し前のわたしは、第2の更年期。
浦島太郎のように、年齢の違和感を強く感じていました。
わたしを見る社会の目が変わったのではなく、
わたしが現実の自分に気づいたのです。
昔、よく言われた「若く見えるね」は、誉め言葉ではなく、
ノー天気で無責任なわたしの生き方を、映し出したものだったのだ、
今なら、そう思います。
どんな風に生きていくのか?
どんな風に老いていくのか?
どんな風に死んでいくのか?
その場しのぎで生きてきたわたしに、
今、
わたし自身が問いかけ始めました。
さあ、どうする、わたし!
怖い現実が見え始めてくる世代になってきましたね。姑も見送り子供なし、主人1人の私も色々考える年頃です。
そうですね。
いろいろ考えてしまいますね。
若いころは野垂れ死んでもいいって思ってましたが、
現実にはなかなか難しい…。
美味しいものでも食べて、ちょっと現実逃避しなきゃです
ん~~ とてもシリアスなテーマですね。
親を見送った後には 自分の老後と向き合うことになる
とは聞いていたのですが、その通りですね。
夫一人おりますが、兄弟姉妹、子供もなく
これからは いかに上手に孤独とつきあうか
ということなのかなと思っています。
そうですね。逃げないで ちゃんと向き合って
いかなくちゃ!
やっとこさ、でございます
父の介護が終わってしばらくの間、
何をしていいのかわからず所在ない日が続きました。
あんな父でしたが、わたしにやるべきことを与えてくれていたのでした。
一息ついて、次は自分の始末に取り掛かろう!と、思った次第です