五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

学校に対する当局の干渉

2015-01-27 04:00:15 | 五高の歴史
高木総代の総代日誌から「日本人は親善と阿諛との区別さえ知らぬらしい。彼等に通訳したり接待したりするのを戦傷兵を迎え遺骨を迎えるよりずっと光栄にしている連中が少なくない。

ヒットラーユーゲントの青年達は皆日本の青年団程度の者達である。といって彼等を軽んずるものではないが、しかし彼等をそんなに歓迎して当局は我国をどう思わせるというのだろう。聞けば女学生のマスゲームを彼らの観覧に供すべく、眼鏡をかけているものはそれを取らせ、又身長五尺以下の者は参加させなかったのだそうだが、おかしな教育者もあるものだ。」

新原総代就任当時の・・総代日誌・・・「吾人は常に流れる時の連鎖の中に於いて常に事故の姿を凝視しなくてはならぬ。正しき自己批判に於いて、伝統は過去に生き現在に生きて来る。吾人は常に実践的創造的積極的でなくてはならぬ。退廃的なる無気力はここに一掃されるべきである。吾人は習学寮を構成するゲマインシャフトの中に生活する。されば吾人は主観的に生活しなくてはならない。客観的に独立せる抽象の世界として寮生活を見てはならない。現今我国学生の共弊たる無気力はこの生活の手段化と、内的修養の欠如とに依る。寮の自治はこの自覚に基いた個人の自己修養――完成への道を歩む未完成の姿によってその成果を挙げることが可能である。そこでは安逸な生活は排されねばならぬ。」――――

昭和十二年頃には既に学校に対して当局の干渉が見られる。学校当事者は学生になるべく関係しないように治める事が大事であったようだ。

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