行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

白湯(さゆ)の効能

2016-04-11 12:02:14 | 日記・エッセイ・コラム

 自宅で仕事をしていると、口淋しくなるとついつい口に物をいれる。でもそれでは太ってしまうので甘くない飲み物にした。砂糖を入れないコーヒー、日本茶等、のべつ飲んでいた。でも私は少し不整脈があって、カフェインは良くないという。そこで、ハタと考えた。どうしたものか?

 TVを見ていたら、どこの誰だか知らないが白湯が体に良いと言っていた。私はあまりこういうなんとか健康法というのを信用しない。同じことをいいと言う人と、悪いと言う人がいたりする。マスコミに出ているからといって信用できるとは限らない。でもまあ白湯である。悪いことはないだろう、と思って飲み始めた。お茶やコーヒーを一日一杯か二杯にして、後は白湯を飲んだ。

 これが、思いのほか良い。当然だが身体に刺激が全くない。考えてみると赤ん坊に水分を取らせるには湯冷ましをのませる。してみると身体に優しいのだろう。後口もいい。最初白湯なんてそんなに飲めないだろうと思っていたが、これがそうでもない。朝から晩まで、喉が渇くと飲んでいる。第一安いのがいい。

 ところで、TVを見ている時、「さゆ」という音を聞いて「白湯」という漢字が思い出せなかった。ネットで検索して「白湯」と出てきた。こういう時、以前なら、ああそうだった、とすぐ思い出したのだが、最近たまにそれが無い時がある。知っていて当然なのに、以前一度覚えたという記憶がないのだ。初めて見たという感じ。分かってもらえるだろうか?本格的な呆けの始まり?

 でもこれ白湯(パイタン)とも読むよねえ?


孫の手

2016-04-10 22:58:40 | 日記・エッセイ・コラム

 18年位前、女房が長期で入院したことがある。

 息子はまだ幼稚園の年中さんで手がかかる。勤めていた会社が理解があったのと、女房の両親がまだ元気だったのでなんとか乗り切ったが、入院がいきなりだったので、暫く苦労した。

 みんな細かいことなので、一つ一つはたいしたことはないのだが、次から次とトラブルがあるといささか荷ではあった。

 朝起きてから着替え、食事、幼稚園への送り迎え(お迎えと迎えてから夜、私の帰宅までの時間は人に頼んだ)、夕食、歯磨き、翌日の用意、就寝まで、最初はいちいちスムーズにはいかなかった。

 例えば朝食。朝は忙しいので簡単にすませる。ツナトーストにチーズを乗っけたものと牛乳。女房が朝息子に食べさせていたのを見ている。ツナは息子の好物だ。

ところが

「早く食べなさい。お父さんも着替えてくるからね」

と寝室へ戻って、着替えて居間に戻っても、息子は食事に手を付けていない。

曰く

「ミルクはお砂糖いれて、パンはお耳とって。お母さんのはそうだった」

かっとなった。時間が無い。

「てめー!黙って早く食え。バスが来ちゃうだろ!砂糖は身体に悪い。パンは耳が美味い。第一パンの耳をとるなんざあ、何処かのお嬢ちゃん、お坊ちゃんのやることだ。庶民はみんな食う!分かったか!食わないならお父さんが食うぞ」

言葉は乱暴だが顔は笑っているから怒っても効き目は薄い。

「食っていいよ、耳だけ食べて!」

このあたり、息子のほうが上手である。

母親とおなじには出来ない。色々と不便なことも多かった。

夏休み、息子を旅行に連れて行った。母親が入院しているが、それで毎年恒例の夏の旅行を無しにするのも息子が可愛そうだ。

日光の近くの保養所に泊まった。

何となく土産物を見ていて、ふと孫の手が目に止まった。そうして、このところ背中を掻くのに苦労していることを思いだした。

女房にいわせると私は背中と耳の痒い痒い病だそうだ。そのくらい年中背中や耳が痒いと言った。女房がいなくても耳は自分でかける。ところが背中の一部は自分では如何ともし難い。身体が硬い私はなおさらだ。ものさしを使ったり、柱の角に背中を押し付けたり、色々やってしのいでいたが、どうもすっきりしなかった。幼い息子ではうまくかいてくれない。一度眠ってしまったら、まさか背中をかかせるために起こすわけにもいかない。土産物売り場の孫の手を見た時それをハタと思い出した。

 これだ!これがあったじゃないか。それにしても、思い出してみると、この孫の手と木刀、土産物売り場には必ずと言っていい程売っている。旅とは何の関係も無い。どちらも、特に木刀など旅先から持って帰るには邪魔だ。何故売っているのか?不可解。

早速、その日から孫の手は重宝した。どういう訳か、ベッドに入って少し身体が温まって来た時が特に痒くなるようだ。

 


父の掌

2016-04-08 21:58:54 | 日記・エッセイ・コラム

 子供の頃、父が失業していたことがある。

 父と一緒に職安に行った。もちろん私の職探しではない。父が失業中母が働いていて私の面倒を父がみていたのか?子供と一緒に職安に行くなどあまりほめられた話ではないだろうに。

 はっきりとした記憶はないが、広場のような所に大人が沢山集まっていた。それはまるで学校の朝礼のようで、ただ整列ではなく、ばらばらに立っていて、台のようなものに載った大人が拡声器でなにか説明していた。内容は覚えていない。

 みんな前を向いて男の話を聞いている。私も訳は分からないがその男の方を見ていた。

 一度離して、暫くしてもう一度握ろうと父の手を探った。目は前を見たまま、父のだと思う手を握った。ところがその感触が少し違う。父は銅山の工夫だったから、怪我でその仕事を辞めていたが、それでも掌がゴツゴツしていた。でもその手はゴツゴツが感じられなかった。変だなと思って手の主見た。手の主も私を見ている。私はたちまち泣き出した。父ではなかった。

 私の泣き声で、少し前に立っていた父が振り向いた。

 「アホ!離れたらいかん言うたじゃろ」

 と言いながら、私が掴んだ手の持ち主に会釈した。

 男は笑いながら

 「父ちゃんはあっちや。けどええ子やったらおじちゃんとこの子になってもええで」

 

 なぜ、こんなことを思いだしたかというと、今日スーパーで同じ目にあったからだ。勿論私が手を握ったわけではない。突然袖を引っ張られた。

 「ママ、チョコ買って」という。

 見ると幼稚園の年少さん位の女の子。私と目が合うと一瞬ベソをかきそうになった。

 「チョコは良いけど、ママは多分あっちだよ」と少し離れた所にいたお母さんと思しき人を指さした。女の子は少し怒ったような、安心したような顔をして母親に飛びついていった。

 「離れちゃダメって何時も言ってるでしょ」

母親が私に会釈した。

 いつの時代も子供は可愛い。多分私も可愛かった。

 


エイプリルフールとは全く関係なく

2016-04-02 11:45:48 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、世間はエイプリルフール。
 このところ、こういうイベント?には無縁。それを楽しもうとする意思が無くなった。老いたのか?
 という訳で朝から仕事。車庫証明の申請に某警察署へ。最近ガソリンが安い上に電車賃は高いのと、混んだ電車に乗りたくないのとで車。都心をかすめて城南方面へ。一時間もかかるまいと思ったらカーナビに無い道路があって道に迷った。カーナビを更新していない私が悪いのだが。御蔭で一時間半。予定よりかなり遅くなった。
 前にも書いたが、何もしていなくても警察というのは好きになれない。なるべくなら厄介になりたくないと思うが、仕事で行くと案外親切。
 「印鑑証明はコピーでいいのに」
 といって、こちらは何も言わないのにコピーをとって原本を返してくれた。印鑑証明もただではない。2カ所以上へ出す時など原本還付は有り難い。
 この扱いが役所として正しいか否かは知らないが、そんなことをしてくれない役所も多い。
 具体的に書くと今後の仕事に差し障りがあるといけないので役所名は書かない。でも、証明書類は原本を返してくれと言うと、原本のコピーを持って来てください、とうるさそうに言うところもある。そうなるとこっちは客だぞと思ったりする。
 また、ある役所の窓口では、原本還付をお願いします、といったら小額のお金で何度も簡単に取れるような書類の還付はしません、と言われたこともある。いくらなんでもそれは違う。客だぞ俺はと思ったが、まあ原本を返してもらってももう一度使う予定もなかった。3か月経つとどこの役所でも添付書類として受け付けない。だから争わなかった。文句も言わない。でも、兎に角穏便にというこのあたりの自分の姿勢、どうも根性なしである。
 その時も車だったが、車にのってドアを閉めて。
 「バカヤロー、コノヤロー、俺は客だぞ」と周りに聞こえないように叫んだりする。
 自己嫌悪にさいなまれる。私はもうとっくに還暦を過ぎている。