行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

光陰は矢のごとしだなあ

2016-12-31 21:37:19 | 日記・エッセイ・コラム

 光陰矢のごとし

 昔、古今亭志ん朝さんの噺の枕でよく聞いた。時期的には年の瀬が多かったと思う。

 「光陰矢の如しと申しますが、 どういう意味かといいますと、えーと、ですから、つまりですな、光陰というものは矢の如しだなあ、と言う意味ですな」

 などと言ってから噺に入った。

 さて、今年もあと3時間を切った。だからどうだというわけではない。年が新たまるとはいえ、昨日の続きで今日が来て、今日の続きで明日がくるのに変わりはない。天邪鬼の私としては昔からそう思っていた。だがこの所そのスピードがやたらに速く感じる。どんどん時間が過ぎて、いつのまにか棺桶の中という気がする

 二十歳を過ぎた頃、30過ぎると速いよ、40過ぎると飛んでくように時間が過ぎ去って、あっと言う間に歳とるよと言われた。なるほど50を過ぎてからの時間を思い出すと、驚く程特に速く過ぎて行った気がする。60を過ぎた今、さして忙しくもないのに、もっとやたらに速く毎日が過ぎて行く。日曜日ごとにプロテスタントの教会に行くが、もう日曜かと毎週毎週驚く位だ。まさに「光陰矢のごとし」

 あと何年生きられるか、55歳くらいから病気がちだ。でも生活に支障があるような自覚症状はない。薬はのんでいるが、見た目は至って健康である。今年は食道から肛門まで内視鏡検査をやって、大腸ポリープというやつを取ったが、それ以外消化管は異常無し。

 なるべく健康で生きて、健康なままある日急に出来ればスッと音もなくあっという間に消えたいものだ。  

 我死なば焼くな埋むな野に捨てて

            飢えたる犬の腹を肥やせよ

 一休さんの弟子で地獄太夫という堺の遊女の歌だときいた覚えがあるが、いま調べてみると出てこない。他の人の作となっている。どちらにしろ、そんな格好の良いことをいうつもりは無いが、死んだ後もなるべく手をかけないで、葬式など無しにして葬ってもらいたいものだと思っている。ただし、願わくは焼く前にちゃんと死んだことだけは確認してほしい。