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本企画のタイトルは「東京ウォーカー」とレギュラー放送時には表記されてましたが
DVDでの企画名は「東京2泊3日70km」へと変更になってますね。
たぶんこれは企画を行った当時は「東京ウォーカー」という表記はさほど問題ではなかったけど
2022年現在では商標問題等があると判断して企画名が変更されたのでしょう。
ただ、本記事においては放送時の「東京ウォーカー」の表記を使用しますので、あしからず。
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企画のスタートはいつものHTB本社裏の駐車場からではなく
いきなり羽田空港でのトークから始まりましたね。
(東京ウォーカー 第1夜 オープニングトーク)
(羽田空港でのオープニングトークの場所・2013年撮影)
オープニングトークが行われたのは羽田空港第一ターミナル前にあるP2駐車場脇ですね。
本企画は「大泉さんが東京で行ってみたいと言った場所を巡る」という企画説明から始まり
大泉さんには「全行程を徒歩で移動」という事実は伏せられたまま
とりあえず行ってみたい場所を数カ所その場で選んでもらいましたね。
(東京ウォーカー 第1夜 目的地の場所決め中の場面)
(目的地の場所決め中の場面・2013年撮影)
大泉さんに東京で行ってみたい場所を数カ所答えてもらったあとに
本企画の主題である「東京ウォーカー=東京を歩く」とのネタバラシをして
いつも通りに大泉さんがボヤくという流れがあってから
目的地に向かって移動を開始しました。
ちなみに番組内では大泉さんが東京にあこがれて「東京ウォーカー」を愛読してるから
この企画の流れができたみたいな感じになってますが
DVDの副音声によれば、元々は「沖縄を北から南まで歩こう」という企画案があって
その前に東京をテストで歩いてみようって事で始まった企画らしいですね。
沖縄だと何もない区間が結構あるけど
東京なら2~3km歩けば何かしらあるからいろいろ安心って感じで、とりあえず東京に決めたけど
実際に東京を歩いてみたら結構大変で懲りたから沖縄を歩く企画はボツとなり
その代わりに一時休止後の再スタート時には喜界島程度なら歩けるんじゃね?って事で
リアカーで喜界島一周を行ったとの裏話でした。
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さてさて、話を東京ウォーカーのロケ地巡りに戻して
とりあえず徒歩移動で目的地を目指したどうでしょう班でしたが
スタート地点の羽田空港からすら脱出できずに早速もめ出す始末。
(東京ウォーカー 第1夜 羽田空港から徒歩で脱出できず悩んでる)
(徒歩脱出を出来ずに悩んでた場所・2013年撮影)
この場所は徒歩での道は続いているものの
完全にそこで働く人たちの通勤路専用みたいな歩道を通る事になりますね。
結局徒歩脱出する事が出来ずに一度空港ターミナルまで徒歩で戻ってから
羽田空港を脱出するために羽田東急ホテルへのシャトルバスに乗ったどうでしょう一行。
「東京を徒歩で巡る」という企画の基本部分が
この時点ですでに破綻しましたがいつもの事です。
といったところで、放送の第1夜が終了。
このグズグズな感じが水曜どうでしょうっぽくて良いですね。
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第2夜は羽田東急ホテル前からスタートになりました。
(東京ウォーカー 第2夜 羽田東急ホテル前から再スタート)
(すでに更地になっていた羽田東急ホテル跡地・2013年撮影)
どうでしょう班が再スタートした羽田東急ホテルですが2004年に一旦閉館しており
その後、第2ターミナル内に移転して「羽田エクセルホテル東急」として営業していますね。
ちなみに、羽田東急ホテル跡地の状況は僕がロケ地巡りをした当時はただの更地でしたが
2022年現在は羽田国際線ターミナル直結の「ホテルヴィラフォンテーヌ」が新設されています。
ただし、2019年末からの新型コロナウイルス感染症により
旅客数の大幅減少および感染症対策などの必要性を鑑みて施設の開業は無期限延期となってます。
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なんやかんやありつつ、ようやく企画が開始したどうでしょう班一行。
羽田東急ホテルから約1時間程歩いたところにあったうなぎ屋で昼食をとることに。
(東京ウォーカー 第2夜 昼食のうなぎを食べてるシーン)
(東京ウォーカー 第2夜 うなぎ屋の前でのトーク)
(うなぎ割烹 すゞき・2013年撮影)
Classicでは店名が分かるシーンはカットされてましたが
通常版およびDVDではお店の看板がしっかりと映ってますね。
うなぎのメニューの種類は何だったか不明ですが
分かったところで万年貧乏な僕が食べに行くって事はほぼ無いんだろうなぁ・・・
このお店の前で羽田空港でのスタート時点から取材で水曜どうでしょう一行に同行していた
道新さん(北海道新聞)とはお別れとなりました。
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道新さんと別れて小雨が振るなかを黙々と歩き続けたどうでしょう一行が
小休止をしつつ軽くトークをしたガス橋下。
(東京ウォーカー 第2夜 ガス橋の高架下でのトーク)
(ガス橋下・2013年撮影)
移動中の雨の中ほんとうに会話もせずにただ黙々と歩いたんだろうね
よほど久々の会話だったのか道中の辛い自慢大会みたいなトークが繰り広げられて
全員がそれぞれの話に共感しあいながら楽しそうに会話してますね。
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しばらく歩いた先にあった巨人軍の杭。
(東京ウォーカー 第2夜 巨人軍多摩川グラウンドの杭をみつけてトーク)
この時、触るとグラグラに動かせちゃう境界杭をみて藤やんが
「もうちょっとないかい?巨人も・・・」と言ってましたが
水曜どうでしょうがロケを行った翌月には多摩川グラウンドの施設賃貸契約が満了で
しかもこの多摩川グラウンドはそもそもがサブグラウンドとしての契約だったので
ロケがあった頃には巨人軍の選手がここを使う事はほとんど無くなっており
杭がグラグラになってても仕方いない状況でした。
もちろんこの杭は既に存在しないのでどの場所なのかは不明。
(東京ウォーカー 第2夜 巨人軍だった昔を思い出して声を出す大泉さん)
(旧巨人軍グラウンドのロケ地近く・2013年撮影)
僕がロケ地巡りに行った日が日曜日だったこともあり
ちょうどグラウンドでは少年野球の試合が行われていたので
大泉さんが声を出していたシーンと同じ画角で写真が撮れなかったのは残念。。。
右側にちょこっと写ってておじさんたちが野球を見てる辺りが
大泉さんが声を上げてた場所になります。
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田園調布近くになり多摩川沿いから田園調布駅方面へと移動したところに
大泉さんの幼き日の思い出を刺激する宝来公園があります。
(東京ウォーカー 第2夜 大泉さんが昔よく遊んだ田園調布の宝来公園の滑り台)
(老朽化による取替工事の為フェンスで囲まれている・2013年撮影)
(フェンスの隙間から撮影・2013年撮影)
大泉さんが子供の頃によく遊んだと言って懐かしがっていた滑り台ですが
僕がロケ地巡りに行った時には老朽化に伴う工事が行われる直前だったので
滑り台全体がフェンスに囲まれてしまっていました。
この後すぐに撤去されたのか改修してしばらく残っていたのかは分からないけど
2022年現在、Google mapで確認すると、この滑り台はもう無いようです。
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(東京ウォーカー 第2夜 このバレエの看板を見て昔のトラウマを思い出す大泉さん)
(看板の内容が変わっていた・2013年撮影)
先ほどの宝来公園から田園調布駅に行く途中の電柱には
大泉さんが子供の頃に嫌々通っていたバレエスクールの看板がありましたが
すでにその看板は無くなっており、クリニックの看板になってました。
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(東京ウォーカー 第2夜 第1の目的地 田園調布駅前)
(画角が間違ってるけど、面影は残ってる駅前・2013年撮影)
僕がロケ地巡りをした時はまだ水曜どうでしょうのロケの面影を感じれましたが
今ではこの噴水の池部分は無くなっております。(ベンチは少しだけ残ってる)
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(東京ウォーカー 第2夜 田園調布駅前から次のお台場に行く途中の歩道橋上)
(歩道橋は既に無くなっていた・2013年撮影)
田園調布駅をあとにして、第2の目的地「お台場」に向かう途中で暗くなってしまい
雪が谷大塚の歩道橋でこの日のロケの今後の展開を説明。
お台場は翌日に行く事にして、この日は品川方面のホテルで宿泊することになった。
ロケ地巡りに行った時にはすでに歩道橋(陸橋)は無くなっており
背景のビルからしか場所の特定が出来なかった。
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番組的にはこの後ひたすら雨の中を歩き続けて
ちょこちょこと状況説明程度のトークをはさみつつ
宿泊する高輪プリンスホテルに到着となります。
高輪プリンスホテルの部屋の中でも初日の反省トークがされて
ロケ1日目が終了するとともに東京ウォーカー第2夜も終了となります。
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(東京ウォーカー 第3夜 高輪プリンスホテル前でのOPトーク)
(高輪プリンスホテル前・2013年撮影)
現 グランドプリンスホテル高輪 前でロケ2日目のOPトークをするとともに
この日はテレビブロスの密着取材が行われるとの説明もされました。
ちなみにテレビブロスはインターネットが無い時代に神奈川で一人暮らしをしている時に
新聞を取っていなかったのでテレビ欄を確認するために愛読させてもらってましたが
そんなテレビブロスもインターネットには勝てず
雑誌媒体での定期販売は2020年4月に終了してしまい
今では不定期刊行をしつつ、メインはデジタル媒体での情報発信となったそうです。
(もう見てないから詳しくは知らない)
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ロケ2日目は東京ウォーカー第2の目的地「お台場」を目指して歩きだし
レインボーブリッジを歩いて渡ることになりました。
(東京ウォーカー第3夜 レインボーブリッジの遊歩道入口)
(レインボーブリッジ遊歩道前・2015年撮影)
レインボーブリッジの遊歩道前まで来て通行料(300円/人)がかかることを知り
「なんだよぅ~、金かかんのかよ」とボヤいていましたが
それは仕方ないということでお金を払ってレインボーブリッジを歩いて渡るどうでしょう一行。
僕がロケ地巡りに行った2015年には歩行者の通行料は無料となっていましたね。
あと、通行料でボヤくシーンはclassic版では入ってたはずですが
DVD版だとカットされちゃってますね。
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(東京ウォーカー第3夜 レインボーブリッジ遊歩道を渡ってる最中)
(似たような景色が延々と続くのでさすがに場所の特定はならず。2015年撮影)
すっかり番組ではおなじみの掛け声「トローリ―!」「オウ!」がここでも出てます。
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(東京ウォーカー第3夜 第2の目的地「お台場」到着)
(お台場の砂浜からの景色・2013年当時)
お台場まで渡ってしまうとロケ当時とそんなに雰囲気は変わってない感じがしますが
奥の方をよく見るとビルがだいぶ変わって高くなってるのが分かります。
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(東京ウォーカー第3夜 第2の目的地「お台場」到着)
(お台場の砂浜からのフジテレビ方面の景色・2013年当時)
ちょっとだけロケした場所と撮影した場所が違うっぽいけど
家族連れとか恋人達とか幸せそうな人たちがたくさんいて
孤独なロケ地巡りをしてる俺には砂浜に2~3歩踏み入れるので精いっぱい。
やたらとカメラを向けてると通報される時代なのでこれが限界でしたわ。(辛い)
この後、第3の目的地「六本木」に向かう事になるのですが
番組内では藤やんが「俺たちは海の上は歩けないでしょ?」という強引なトークの入りで
水上バスがお台場から出てて浜松町までいけるという情報を大泉さんに伝えたところ
特に反論が無いまま次のシーンでは水上バスに乗ってたりしますが
東京ウォーカーという企画でありながらあっさりと水上バスに乗ったのは
また歩いてレインボーブリッジを渡るのが面倒だったことに加えて
レインボーブリッジを渡る料金と水上バスの料金が大差なかった事が理由だそうです。
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(東京ウォーカー第3夜 ブロスさんが素っ気ないとグチる大泉さん)
(増上寺の山門前 2013年撮影)
六本木が近づくにつれて歩くスピードが速くなったテレビブロスさん一行。
特にインタビューするでもなく、横を歩いてるノーマークのミスターに話しかけるでもなく
取材どころか同行してるかどうかも怪しいくらいの距離感で
とにかく六本木まで歩いて早く解散したいという雰囲気を感じたらしいw
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(東京ウォーカー第3夜 東京タワー前)
(東京タワー前 2013年当時)
この東京タワー前にくる少し前の何気ないトークの中で大泉さんは
「東京タワーまで来るの初めて。」って言ってますが
個人的に僕も東京タワーまで来たのはこの時が初めてでした。
この後、東京タワーまでたどり着いた大泉さんは東京タワーに登りたいと言ったら
一人で東京タワーまで登らされてましたね。
僕は東京タワーのふもとまで行って料金の高さと人混みに負けて未だに登った事はないですが
スカイツリーの方は天望回廊(高い方)まで行ってきた事がありますよ。(プチ自慢)
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(東京ウォーカー第3夜 第3の目的地「六本木」)
(六本木交差点前 2013年当時)
この日、高輪プリンスから同行していたテレビブロスとはここでお別れ。
ブロスさん達は「いってらっしゃ~い」と
次の目的地に出るどうでしょう一行を手を振りながら見送ってくれた。
少し前まではブロスさん達の悪口を言ってたが
居なくなったらいなくなったで心なしか寂しさを感じてしまった大泉さん。
ちなみに番組内でも大泉さん達がチョロっと言っているけど
六本木アマンド前は水曜どうでしょうの思い出の場所でもありますね。
ピンクのパネルにに青い文字で「水曜どうでしょう」と書いて
大泉&ミスター両氏がアマンドを背景に持ってる映像は
レギュラー放送開始当初に使われた映像でもあり
レギュラー放送最後のベトナムのエンディングの最後にも出てきた映像の場所になりますね。
2009年にアマンドの入ってたビルが老朽化に伴い建て替えとなったため
アマンドは建て替え後に同じ場所で営業再開しましたが
僕が行った時には番組内でつかわれた外観よりも落ち着いた感じになってしまってました。
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次の目的地「武道館」に行く途中に通りがかった国会議事堂前。
(東京ウォーカー第3夜 国会議事堂前)
(国会議事堂前 2013年当時)
国会議事堂前に来たところで本職に戻らなきゃいけないと言って
実は新潟から出馬した45(しじゅうご)歳のタレント議員だった衆議院議員の大泉さん。
ミスターに衆議院があるのは国会議事堂の右と左のどっち?と聞かれて
「向かって右側が衆議院」と答えたタレント議員の大泉さんだったが
こっち側は実は勝手口だから間違えたと言い訳。
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第4の目的地「武道館」に到着
(東京ウォーカー第3夜 武道館に到着)
(武道館前 2013年当時)
僕が行った日はちょうど高橋 優のライブが行われる日だったらしい。
柵があったのでロケ場所まであと数メートルの所で入る事が出来なかった。残念・・・
ちなみに、水曜どうでしょう名物の登山家の格好で大泉さんが武道館前で即興コントをしてた時に
青いベンチコートを着たおじさんがハーモニカを吹きながら乱入してきて
おじさんと登山家の緊急セッションみたいになった。
(東京ウォーカー第3夜 登山家とおじさんのセッション)
(おじさんとのセッション会場 2013年当時)
番組としてはここで藤やんの笑い声とともにフェードアウトして画面が暗くなっていき
東京ウォーカー第3夜が終わるのだが
DVD副音声によると実はこのセッションが終わった後に
おじさんに「お金下さい」と言われて困ったので小銭を渡したら
おじさんからはウルトラマンのぬいぐるみを大泉さんがもらって更に困ったそうですw
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本来、予定の場所ではないけど次の目的地 「浅草」に近いという理由で立ち寄った両国国技館。
(東京ウォーカー最終夜 両国国技館前で上裸になる大泉洋)
(両国国技館前 2013年当時)
暗がりの中で上半身裸になって相撲の土俵入りを披露する大泉洋さん。
しかし、あまり手ごたえを感じる笑いにならなかったため、ここのシーンはあっさり終了。
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第5の目的地「浅草」に到着。
(東京ウォーカー最終夜 第5の目的地「浅草」に到着)
(東京・浅草の雷門 2013年当時)
番組的には浅草に到着したものの特に何かトークをするでもなく
雷門の提灯を1カット入れただけで浅草到着のくだりは終了。
番組の映像からは分かりにくいけど、この時ちょうど雷門の改修工事中だったため
門全体が防護シートで覆われてしまったので提灯直下からのワンカットになったらしい。
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浅草に到着した後はその日の宿となった「浅草ビューホテル」
(東京ウォーカー最終夜 浅草ビューホテルに到着)
(浅草ビューホテル前 2013年当時)
このシーンも特に会話も無く出演者2人がホテルに入っていくだけのシーンとなっている。
この後番組的には翌日の目的地「大泉学園」についてどうするか激論がかわされたりするが
結局、2日間歩いて分かったのは「大泉学園に歩いて行くのは無理」という事。
そんな皆があきらめムードになった時に
どうしても自分の地元「大泉学園」にみんなを連れて行きたい大泉さんが
「明日、大泉学園に行かなかったら番組を降ろさせてもらいます!」と宣言。
それを聞いてミスターさんや藤やんはオチが決まったと大喜びし
俄然、全員の気持ちが「大泉学園に行く」という方向に傾くことになった。
それ以降はオチに向かっての伏線やネタを盛るトークがガンガンに繰り広げられて
話の流れで、今後はフレキシブルにいろいろと考えて柔軟な対応をするという結論になり
大泉さんが爆笑してるところでビューホテルでの映像はブツ切りとなり
DVD版では乱暴に翌日の浅草ビューホテル前のシーンから始まり
険しい顔のお二人が一言も発さずバスに乗り移動してるシーンが映り
次にシーンが切り替わったら大泉学園駅南口の前にいました。
↓
(東京ウォーカー最終夜 大泉学園駅南口前に到着)
(大泉学園駅 南口前 2013年当時)
大泉学園駅南口は僕が行った時には既に改修されており建物は全く違うものになってました。
番組的にもここで東京ウォーカー最終夜が終了となりました。
ーー【ロケ場所の地図】ーーーーーー
ーー【ロケ地巡りの元記事】ーーーー
水曜どうでしょうの企画『東京ウォーカー』のロケ地巡り。
・羽田空港 他 東京ウォーカーのレインボーブリッジ以外の全てのロケ地
・六本木アマンド前(サイコロ1 他)
レインボーブリッジ遊歩道
・レインボーブリッジ
ーー【記事投稿および修正】ーーー
2022年 10月30日(初稿)
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