地下鉄谷町4丁目で「大阪城」へ、大手門から入り京橋に出た。前に見た記憶があるが、それは単にコンクリートの城壁だけののっぺりしたもので、イメージが全く違う。実際には見ていなかったのだと思う。
秀吉が築城したものを徳川の権威を示すため再建した。落雷で焼失していたのを昭和6年に三代目が再建された。
「通天閣」へと地下鉄天満橋から南森町で乗換え恵比寿町下車、通天閣に出た。午後3時ころだったか人通 . . . 本文を読む
9時前には新大阪駅に着いた。半日は市内巡りの定期観光バスでと思って乗り場を探したら、大阪駅にあるという。大阪駅に行って聞くと3月一杯で廃止になったという。インターネットには搭載されていたのだが・・・・・・
どうでもよかったので御堂筋を歩いてみることにした。梅田から難波まで4、7キロ㍍あるという。これが歌にある御堂筋か、銀杏並木はパリのマロニエと競うとか、淀屋橋、北御堂、道頓堀橋、新歌舞伎 . . . 本文を読む
突然ですが「くいだおれ」が呼んだのか、ぶらり大阪である。
考えてみれば、大阪に行った記憶は40年くらい前に法善寺横丁と阪急デパートの屋上での生ビールぐらいである。心斎橋でかの1枚の写真がある。
郷里へ往復の際の途中下車など考えたこともなかったが、この度、叔母の三回忌法要で帰郷することになったので、1日余裕をもって大阪を歩いてみることにした。
一人で生きてくなんてできないと・・・(2番) . . . 本文を読む
デパート、スパーなどで全国駅弁大会と銘打って開催している。高崎のだるま、牛すき焼き、イクラ丼、うな丼などである。鮎、小鯵など寿司も多い。
現地で作って空輸しているんだろうか、八重洲のデパートでは「北海道から空輸」と表示されていた。材料一式を空輸してきているのだろうか、まあ、味は変わらないだろうと思う。
新聞広告に出ると溜まらず、よく買うのが「鱒のすし」である。木の桶の蓋を開け、包んでい . . . 本文を読む
昭和35年ころ、大都市のドヤ街あたりではでその日の仕事にあぶれた人たちが、その日の糧を得るために血を売っていた。
これが「化粧品」になるという噂を聞いたことがある。実際、血を抜きすぎて土色の顔色の人が「立ちんぼ」していた。
貧しい人は二つある腎臓の一つを売る。生活には支障はないようだが、何らかのマイナスはあると思う。背に腹は代えられぬ、苦渋の決断であったろう。この移植を海外に求める日本 . . . 本文を読む
山道や坂などの険しく急なところを「胸突き八丁」という。どっちが語源か知らないが、富士登山で頂上まで八丁、約872メートルあたりが一番苦しいというのが有名である。
転じて、ここぞという大事な場面、局面で使われる。正念場ともいう。
これまで自分に「胸突き八丁」の局面があったのだろうか、思いつかない。あったとしても大したものではなかったであろう。
やはり、富士登山の9合目の鳥居あたりしか思い . . . 本文を読む
新聞の人生相談である。40歳代前半の派遣社員の女性から、正社員に「おばちゃん」と呼ばれるので腹立たしいと感じると・・・
回答者「私を名前で呼んでください。おばちゃんはつらいんです」とお願いしてみましょうと・・・
確かにつらいと思うよ!それだけでなく、処遇など多岐にわたり恨みツラツラであろう。
定年退職後、紺色の地味な制服を着ての外回りをしていた時のことである。公園の公衆トイレのそばの . . . 本文を読む
映画「最高の人生の見つけ方」(Bucket List) を火曜日に観てきた。最高の人生の見つけ方 - goo 映画 末期がんで偶然にも、余命6か月を宣告された自動車整備工と資産10億円(ドル?)の実業家が病院で相部屋となる。
死ぬまでにやりたいことのリストを書き出し実行に意気投合した。
スカイダイビング、カーレース、アフリカ、エジプト等々、そして死んでいく。
ストーリーとしては他愛のない . . . 本文を読む
近くの商店街を通った時ツバメが飛んでいた。30年位前はあちこちに巣があったが、最近では全く気にしていなかった。久しぶりという感じで当時に思いを馳せた。
なにしろ、商店街をスゥイースゥイーと行き交い、巣もアーケードに十や二十あり、子ツバメがピーピーギャーギャーと煩く、糞害に憤慨していたのだから・・・・・・・・・・・・・・・
それが、唯一あったのだ。子ツバメがいたので写真をと思っていて数日経 . . . 本文を読む
鉄の女サッチャー、ヒラリー・クリントン、土井たか子、福島瑞穂もびっくり・・・
小説「風と共に去りぬ」(Gone with the wind・マーガレット・ミッッチェル)の女性である。
この映画化、アメリカ南部ジョージア州アトランタ、第一部終了時、真っ赤に燃え盛る炎を背景に立つ主人公スカーレット・オハラ・・・・・
・・土を食ってもとか、砂を食ってでもとか生き抜くとか・・・・そんなようなこと . . . 本文を読む
ある投書から・・・・孫が遊びに来た時、上の子がよくはいていたズボンを下の子がはいていた。よく見ると、両方のヒザに継ぎ当てがしてある。何だかうれしくなった。(61歳のみどりさん)・・・・
みどりさんは昭和21年生まれか、小学1年生頃の「継ぎ当て」の思い出があったのだろう・・・
私も中学に入るころまで継ぎ当てであったように思う。何処の家庭でも母親の夜なべは衣類の繕いであった。肘、脛、臀の部分は . . . 本文を読む
「言い訳」物心ついた子供の頃から始まり、長じて職場での失敗など言い訳で取り繕いの連続の人生だったともいえる。
言い訳という言葉に縁のない人は権力の頂点に達した人くらいしかいないと思う。
失敗ばかりしていると、言い訳を先に考えるようになるのは重症で、歳を経るに従って言い訳がつい出てしまうのとは異質のもので悲惨である。
物事の筋道を説明することから転じて、過ちを謝するため、事情・理由を説明 . . . 本文を読む
昭和24、5年の小学生のころ、巡回映画かで見た「この子残して」である。
勿論、モノクロである。
長崎の原爆で妻と長女を亡くし自分も被爆して白血病となった永井隆博士の著書の映画化であった。
私たちと同年ぐらいの男の子と女の子を抱えた病床でのシーンが多くあった。
つい最近、あの女の子が死んだと報道された。筒井茅野さん、66歳とあった。兄の方は健在か・・・・・・・
夕べの星に母を恋い . . . 本文を読む
「この木なんの木、気になる木」私はズーッと、そこは、オーストラリアの何処かにあると思っていた。
ハワイのオアフ島モアナルア・ガーデン・パークにあるという。日立のコマーシャルで、古いが今でもTV「世界不思議発見」に出てくる。
映画・サウンドオブミュジック(The sound of music)のオーストリア・アルプスの自然にコダマする歌声、ミュージカル映画の傑作の場面や「ドレミの歌」など数々 . . . 本文を読む
大型連休もそろそろ終わりであるが「びわ」には関係がない。交通渋滞関係なし。何処かへ連れて行ってでもなく私の掛け布団の上でゆったりしている。
幸せ、不幸せなど感じているんだろうか、人間のように欲得、損得などないと思う。ただ、家にいるだけである。
朝晩2食、ドッグフードと水である。仲間がいると食べ物のことで争いをするのだろうか、たまには天麩羅とか刺身を食べさせたいが、これで満足しているようだ . . . 本文を読む