今日で夏休みは終わりである。(特に関係はないが・・・)
中学3の年の今日だったのだろうか。同級の・・・と言っても1クラスしかなかった。所の友達4人くらいだったか、川で遊んでいて急に「今晩はここに泊まろう!」と意見が一致した。
来年は高校で別れることもあるし・・・の思いがあったのだろう。
それぞれ家に帰り筵やゴザなどを持ちより、河原に竹の柱などを立て一坪くらいの掘立小屋とも言えないもの . . . 本文を読む
抗がん剤の点滴を見つめていると「点滴石を穿つ」という言葉を思い出す。
また、納屋を改造した家の屋根から落ちる雨だれが下の石の上に落ちて、窪みが出来ていた。樋など無かった・・
「点滴」などこの歳までやったことが無かったのに・・・点滴の洪水である。
この前のぶらり旅、平泉の「厳美渓」で川床の岩盤の窪みの中で砂や小石が水流の勢いて回転し、徐々に周囲や下方をえぐり取って、釜や穴を多く出来上がっ . . . 本文を読む
「びわ」は、臆病と言うか、敏感である。
家の外の音にも反応が早いが、特定の物音・・・例えば定例的に来る物売りの車、妻の外出からの帰って来た車の音など確かに私より鋭い。
しかし、その事に神経を注いでいるからのことの様で全部に行き渡っている訳ではないらしい。
あの大地震の時にも怖かったらしい。その後の余震時にもブルブルである。
珍しく来た夕立、雷にも大変である。
遠くで上がる花火の . . . 本文を読む
「酔い醒めの水は甘露の味」とも言われている。過飲した時は熟睡するので普段より早く目覚める。この時に飲む水がことの他美味いのである。昔は水甕から柄杓でグイグイと・・
「末期の水」だとか「死に水」を取るなどとよく言うが、いまだにその場に立ち会った経験が無い。
芸能人などの訃報が相次いで報道されているが、家族知人に看取られた、密葬で・・・
小さなデイサービスの横を通るが、食事中の時が多い。殆ん . . . 本文を読む
寿司屋でランチしたとき、隣の客が「アジのなめろう」を注文していた。
作ってみようと大きいサンマを買ってきて、大葉、味噌で完成した。2匹分はやや多かったが完食。
「なめろう」の由来は、叩いたことによる滑らかな舌触りの食感だからだとか、皿まで舐めるほど美味いからと言われている。千葉の方の漁師が船の上で作っていたもので、醤油だと舟が揺れてこぼれてしまうので味噌だと・・・一理ある・・・「ままかり . . . 本文を読む
自動車運転免許の更新時期が近づき、高齢者講習を受けてきた。何しろ72歳になるのだから・・・これを受けないと免許更新に入れないのである。
3時間の講義、視力検査、運転適性検査、実車などみっちり?6千円余の出費である。
その日の受講者6人の内2人は「もう運転はしないが、持っていても良いと・・・」「身分証明書になる・・」と言っていた。
私なら、運転をしないのならば更新しないと思うが、人それ . . . 本文を読む
母の手料理とかおふくろの味などとよく使う。
外で飲んだ後に寄るオニギリや屋、結構に美味いので必ず寄るようになる。自然と「お袋の味」となって行くのか・・・そうではない・・・やはり・・・
食材が無かった戦後の子供時代の母の手料理・・・これしかなかった・・・
思い出すのは、肉片が少し入ったカレー粉とメリケン粉で溶いたカレ-、野菜は一切入っていなかった。五月頃の柏餅、蒸篭で蒸かした出来たてを食 . . . 本文を読む
9年前の「三峡下り」を思い出した。三峡ダムの完成前、あの勇壮な急流が無くなる直前の旅であった。
途中の支流、神農峡の小舟による上り下りがあった。両岸から人力で引く・・・急流と岸壁を巧妙にすり抜ける竿裁き・・・何十艘ともすれ違う。ライフジャケットは否が応でも・・・と言う訳でもなく絶対に着用せざるを得ない状況である。
「原発事故」までの「安全神話」・・・これも崩壊した。ライフジャケット?はな . . . 本文を読む
今日は何にしょうかなァー・・またマタ、食べることで恐縮である。
本当は、ビールの当ての心配である。何しろ、一人分となればスーパーでも、おいそれとはいかないのである。
「おい」と言われ「それ」と簡単に応じることが出来ないの意の通りなかなか決まらないのである。一品の量が多すぎてどうにもならない。
「おかず」は数を取り合わせる意、飯の菜、オカズ惣菜・・・「おかず横丁」もあるぜよ・・・
御飯 . . . 本文を読む
我が病床?では午後になるとクーラーを29度に設定し7時ころまで点けている。
ビワもこれ位が良いようである。クーラーが無い時は、廊下でベッタリとしている。
リクライニングシートが空いているときはチャッカリそこに・・・布団が空いているときはその上に来て寝ている。
昔はこんなに暑かったのかね?!と人は言う。確かに「地球温暖化」は進んでいる。冬も寒くはならない。 暖かいことは着る物から見ても . . . 本文を読む
66回目の終戦記念日が巡って来た。8月15日には「全国戦没者追悼式」が政府主催で行われる。
昭和20年のあの日の記憶は全く無い。5歳と10カ月であったのでそんなものだろう。
疎開や食糧難も厳しい感じはしていなかった。何とか食べさせて貰っていたから・・戦争をしていたとか、終わったとかは記憶にもなかった。
昭和21年4月、小学1年生で・・・戦後教育の始まりであった。教科書は近所の一年先輩 . . . 本文を読む
深夜にTVのスイッチを入れると何かしらの「お笑い番組」がある。
タレントが数人でワイわいガヤガヤで、面白さを取り越してうんざり飽きるぐらいである。
「ヨシモト」が殆んどであるようで生存競争、浮き沈みも激しいようである。
古くは、中田ダイマル・ラケット、都蝶蝶・南都雄二などなどのんびりとテンポも遅かった。ボヤキ万歳もあった。
今は若手が目白押し走り回ったり、引っ叩いたり・・なんでだろ~ . . . 本文を読む
カレーには「福神漬け」、牛丼には「紅生姜」ビールには当てが「?枝豆」刺身には「ツマ」である。これ絶対のもので、これは私説である。
「富士には月見草がよく似合う」と太宰治が言ったとか・・・・
「やはり野に置け蓮華草」・・これは「瓢水が遊女を身請けしようとした友人を止めるために詠んだ句で、蓮華(遊女)は野に咲いていて、まだ自分のものではないから美しいので、自分のものになってしまえばその美しさは失わ . . . 本文を読む
子供のころ毎日のように魚釣り、水泳などで遊んでいた川がある。
誰が名付けたか「「蛇淵(じゃぶち)」と呼はれていた。川幅は20メートル位で、下流に向け45度位に右折し、下流に行くその手前のコーナーがパワーポイントである。
そこは川幅もやや広く、淀んで深くなっていたり、チョットした砂浜?があったり・・・水流がぶつかる所には石垣があった。
そこで、釣り糸をたれたり、泳いだりしていた。魚が釣れ . . . 本文を読む
先日、世界遺産に登録された「平泉」にでもと・・・・奥州藤原四代の歴史と義経の街を歩く・・・
一ノ関駅から定期観光バスで中尊寺へ・・・駐車場は既に観光バスで混雑しており、金堂拝観にも行列が出来る程の人であった。
レストランも一杯で生ビールと定食がやっとであった。
毛越寺・庭園、厳美渓などを巡って一ノ関駅に・・・ビジネスホテルを探したが高校総体があり満室で、ヤット、近くに飲食店などが無い所 . . . 本文を読む