①酢・醤油・砂糖・酒・七味をレンジで30秒 ②白子に小麦粉をまぶしフライパンで焼く①をかけて出来上がりである。
INで「レシピ、白子」で何か美味い料理はないかナーアーと、適当に美味そうだと思うのに挑戦である。
酢がもう少しだったか・・・・そんなに美味くはなかったが、不味くもない。
まあ・・・見た目は悪いが、歯にはいいんではないかいナ~、柔らかいからである。
レシピはINで解決する。 . . . 本文を読む
「年寄りの冷や水」がぴったりくるこの頃である。
この現象は、30歳代に始まった。中学校時代には砲丸投げの選手だったので職場の大会で投げてみた。足元に落ちただけだった。
50代での町会の運動会、ズタ袋に両足を入れピョンピョン跳ねるのに出たら十歩も進めなかった。
先日、シルバーセンターの斡旋で陸上競技場の補修作業でレンガ運びをしたら一発で腰に来た。
私と同年位の方々の後姿は、矍鑠としてい . . . 本文を読む
年功を積まれた方などは早々と遺書、資産家は財産争いを想定して遺言状を準備されているかも・・・・・これは余りにも若すぎる二十三歳の若者の遺書である。
20年くらい前だったろうか、知人Sから、彼の叔父Tの遺書のコピーを貰っていた。特攻の当時、Sは満一歳であった。
「一億火の玉!」だったのも事実である。「特攻」の親子達に迷いはなかったのは事実だったのだろうか・・・今、親として子として考える余裕 . . . 本文を読む
「何かない?冷たいの」と冷蔵庫を開ける。目的は食べるものではなく、飲み物であるのが普通である。
マタマタ昔話である。冒頭の写真は「ラムネ」である。レモネード(lemonade)が訛ったか?
これを冷蔵庫なんてなかった時代であるから、冷水に浸けて売っていた。単に常温に入れているだけのことであり冷えていると言えるものではなかったがこれだってなかなか飲めなかったのである。小遣いなんて貰えなかった . . . 本文を読む
冒頭の写真、これは何でしょうか、答えは一応「トラロープ」です。
わかるかなぁ~適切な理由付け解説がなければ正解と認めません。
「トラトラトラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ)真珠湾攻撃に成功した暗号文を読み上げて上官に報告している映画の光景が目に浮かぶ。トラトラトラ!
昭和16年12月8日、日本中は沸いた。そして4年後は万歳!である。
手も足も出ないのに足掻いてあがいて両手を上げた・・・そして6 . . . 本文を読む
スーパーでよく見かける光景でもある。
品物の裏の記載を読んでいるのか、見ているのか。「中国」など書いていると戻す。
やっと「国産」を見つけるとカゴに入れる。
相変わらず「産地偽装」「日付改ざん」「使い回し」などが流行っているのに、何の疑念もなく偽装されているかもしれないものを買う。我が家は全て国産でありますから大丈夫ヨと。
商品の「鰻のかば焼き」を見た眼で産地を見分けられますか、食べ . . . 本文を読む
結婚式は自宅でが多かった。床の間で親戚の数だけお膳が並び長老が「高砂屋や~・・」である。昭和20年代までは結婚式場など私は聞いたことがなかった。
記念写真は町に一軒くらいしかない写真屋さんが出張してくる。蛇腹式の写真機を三脚に設置し、裏が赤、表が黒の布を頭から被りガラス板を覗いて、マグネシウムを入れた取っ手のついたものを翳し、「ハイいきますよ」でマグネシウムの閃光、一瞬あたりが真っ白になる。 . . . 本文を読む
空を飛んでいるものは飛行機以外、四足では椅子とテーブル以外は何でも食べる。これは中国人の食文化を表しているという。
日本人も負けずに何でも食べる。鯨など肉、油、骨など全部利用すると本に書いてあったことを思い出した。鰻を獲るのに鯨の髭を買って使ったことがある。
牛、豚などは臓物までも、毛はブラシなどに利用している。昔は場の辺りに骨が散らばっていた。最近では、骨肉粉事件があり、骨までも餌 . . . 本文を読む
「赤飯」が食べられるのはお祭りとか祝いごとの時でしかなかった。子供の時のことである。「赤飯を炊いて祝う」のは結婚式とか落成式で折詰が定番であった。
昔のことである。今でもあるのだろうか、人事異動で「赤飯を炊く」とはチト意味合いが違っていた。
昇進異動では本人の家族は「赤飯を炊く」「炊いて」のお祝いである。
部下は「赤飯だ!赤飯ものだ!」と嫌な上司と決別出来るので喜びのお祝いである。
「赤飯 . . . 本文を読む
Copy &Pasteのことである。
{コピー・アンド・ペースト(Copy and Paste)とは、文章やデータなどをコピー(複写・複製)し、そのコピーしたものを貼り付け(ペースト)するという操作を表すコンピュータ用語である。略称としてコピペを使うことがある。・・・・・・コピーしたい範囲を選択したうえで一定の操作を行うことでクリップボードにデータをコピーでき、クリップボードにコピーされたデー . . . 本文を読む
泣いて昔が返るなら 何で愚痴など言うものか 花の命は短くて よしておくれよ 気休めは~「お吉物語」の下田港のお吉さんである。
落ちぶれ居酒屋で飲んだくれて、ぐだを巻いてる姿が瞼に浮かぶ。
病人に対してかける言葉には気を遣う。
思い出されるのは、昔、職場で精神を病んで自宅休養の女性がいた。同僚達が見舞いに行きたいと話してきた。
私は絶句した。頑張って!早く良くなって出てきて!などは禁句で . . . 本文を読む
徒然なるままに日暮し硯にむかいていうことなし・・・・・あやしうこそものくるほしけれ 吉田兼好・・・徒然草・・・・ 枕草子(清少納言)、方丈記(鴨長明)と並び日本三大随筆で鎌倉時代の作と言われている。
「徒然草」って退屈を凌ぐために何か書いたのかイナ~ワタシャ何も書けませんので尻尾を振ってます。
下らないものを弄しているようだが、下だらなくても「ブログ」というものを一度書いてみたい。これを読 . . . 本文を読む
早朝の農道などは高齢者の散歩銀座である。夫婦者?お友達同志、お一人でなど途切れなく目に入る。ここにも高齢者社会の波が押し寄せている。
襲われるなどの心配はない。誰も襲いはしない。金も持っていないだろうから・・一人だと心臓麻痺などがあるかも知れないが・・
散歩を兼ねての朝の作業か、草叢からビニール袋に栗を一杯入れたお年寄りが出てきて停めてあった車に乗り込み立ち去った。
栗を拾ったのだろうが . . . 本文を読む
あるところで蒐集品を見かけました。上京するまでは車窓からよく見かけておりました。
鉄の地に白の琺瑯びきか、線路際の家や納屋に掲げられていた。
シーボルト様の帽子の「仁丹」「一粒百メートル・グリコのゴールの選手の絵」雄鳥の「蚊取り線香」などが目に入ってきたものでした。
最近は、鈍行列車と違い高速度の新幹線ではズーッと遠方の山あたりにコマーシャルが出されています。
これは大きなものだろ . . . 本文を読む
長崎は天然の入江で安全な港であったことから、ポルトガル船などが来航した。 鎖国時代は出島で唯一西欧との窓口としてオランダ人と貿易してきた。
都市の発展、キリスト教の布教と禁止弾圧の歴史、原爆、終戦の数奇な運命を辿ったのも長崎である。
滞在24時間、観光などは12時間でサーッと流しただけでの予定より一日早く切り上げ故郷に寄ってくることができた。
長崎は市電・バスの多い町だとの印象があ . . . 本文を読む