平成11年(1999)3月、定年前の退職者3人で記念にどこかに行こうということになり、「韓国・ソウル」に決まったのである。
3泊4日の往復キップとホテルの予約だけの自由行動で着いた日は市内見物、次の日は景福宮、一時は日本の朝鮮総統府の置かれた所、ソウルタワー、南大門、明洞など市内あちこち、その夜は韓国伝統の踊りなどと「韓定食」のコースだった。結婚式が多かったのかあちこちで新郎新婦が写真を撮って . . . 本文を読む
桂林は広西チワン族自治区の観光都市で一度は訪れてみたいところであった。
市内街路樹は,黄色い木犀の花で一色でまさにモクセイの街であった。中国語で「桂花」、地酒で「桂花酒」もあるそうだ。
平成16年(2004)6月、職場の同僚と「桂林・石林・昆明」ツアーに出発した。
広州経由で桂林へ、桂林での定番は何と言っても漓江下りである。大きな遊覧船で陽朔まで数十キロ下る。この川下りツアーでの両岸の . . . 本文を読む
「三峡下り」この言葉も今は昔である。
長江の中流域に山がそのまま川に落ち込む壮観な風景が延々と続き両岸から絶壁が迫る。黄土色というか褐色の激流が・・・正に天下の絶景である。そこが有名な三峡である。平成14年(1902)中国语会话同学と行ってきました。
広州着入国そして、宣昌に飛んだのだが、整備の都合か予定より数時間空港で待たされ、途中どっかの空港に着陸、十数分で . . . 本文を読む
何故「いかなご」は、それは郷里にいるとき、時節にはよく食べていただけのことであり、炭火で焼いたのを砂糖醤油で食べるのである。結構大きなもので15センチ位はあって、それ以上だとエラビレなど硬いので食べるには適しない。
関東ではまずお目にかかれないがスーパーでたまに、今頃になると10センチ位のが店頭にでることがある。これを見つけたときには躊躇せず買ってみる。ワサビ醤油でも食べられる。
郷里に . . . 本文を読む
待ちに待った地方公務員生活の60歳定年、5年間の外郭団体での嘱託もつつが無く終えた。
大過なくとは「珍香も焚かず 屁も放らず」で毒にも薬にもならない、居るか居ないかわからない空気のような能無し人間の例えであり、この状態は害毒であることに気付いていない人も多いが、正にこの私の姿である。 愚直に真面目にやってきただけのこと、決して「天下国家」のお役にたったわ . . . 本文を読む
生まれて初めて証券会社に飛び込んだ。「京成電鉄2千株を下さい!」 「指値ですか?、成行きですか?」 「何のコッチャ」 「成行きならすぐ買えます」 「すぐ買いたい」 「買えました!」 「株券はどうしますか?」 「株券を見たことがないので手元に置きたい!見てみたい!」(タンス株も昨年ペーパーレスと相成りました、トップの写真のものは何故手元にあったのでしょうか、不思議ですネ)
&nbs . . . 本文を読む
行ってみて見て視る看るかいな・・百聞は一見に如かず、近くて遠いなんて、大きい、広い、訳が解からない、言葉が I do not understand.電気スタンド・ガソリンスタンド・ブックスタンド電気スタンドが解からない人はスタンダップ!!!!水を入れたバケツを両手に下げて廊下で立っていなさい!!!こんな時代もあったようで・・・・
中国語を勉強するからにはなにはともあれ実地に見ておこうと、平成 . . . 本文を読む
かって私は頭痛持ちであった。小学校時代には、月に1回位は後頭部が痛くなり眼底が真っ暗になり見えなくなってしまう程ひどいときもあった。
普通の人は、前頭部が痛いものの様だが私には解からない。勿論、学校は休みで半日寝ていれば治るのである。中学、高校になるに従い回数も少なくなり、上京してから今日まで皆無になったが、最近、目に来ることがある。
当時は、ゴム製の「水枕」で冷やしたり、水で絞ったタオル . . . 本文を読む
鹿児島県薩摩半島南部知覧町ここは「特攻のまち」である。
昭和20年3月、最悪の戦局を挽回しょうと陸軍は「特攻隊」を編成した。
全国各地で編成された特攻隊は知覧基地に集結した。短期の訓練の後、出撃命令を待ったのである。
遡る19年10月、海軍では大西滝治郎中将が「神風特攻隊」を編成し、「皆は既に神である」と訓示し隊員一人一人に熱い握手を交わし、「俺も必ず後から行く」と送り出し、終戦の翌日、 . . . 本文を読む
人から聞いた話
ペコちゃんがお風呂に入っているのをポコちゃんが覗いた。
ペコちゃん「 M i l k y !!」 你打算看马? Mind to watch !
ここからは、創作です。`
ポコちゃん「Kakusuki!」 你打算掩盖马? Mind to hide !
甘いものやお菓子に縁の無い育ちをして . . . 本文を読む