今更~離縁にすると云うのなら~元の十九に戻してよ~・・・沖縄の民謡「十九の春」何故か心に残っている。
数年前、チョット石垣・宮古島など島めぐりをした。
由布島へ水牛車に乗り、三味線と哀調のある歌にゆられユウラユウラと定番の海渡り・・牛もたまにはストライキか動かない。あちこちで勤務明けの水牛が草を食んでいる。
一昔前は「花」が人気だった。子供のころ歌っていたのが「つぃんだら節」、最近は「涙 . . . 本文を読む
二日前に、京都、嵯峨嵐山にチョット行ってきました。紅葉にはまだ早いのは承知していましたが週末で結構人は出ていました。
これがシーズンともなれば大混雑のようです。
定期観光バス定番の大覚寺、桂川あたりを散策し天竜寺、竹林など観て疲れたので人力車で落柿舎などを巡り、仁和寺を観ました。
龍安寺を訪れ、かの有名な「石庭」は芋の子を洗うようで「話の種」にしかならない感じでした。外人も多く訪れてお . . . 本文を読む
実際に経験した話である。職場を定年退職した先輩が、関連会社に天下りか、天上りか知らないが入社、前の職場に顔を利かせにやってくる。
名刺に「元○○××・・」と最後の役職を冒頭にひっ掲げて・・・後輩に俺はここでは偉かったんだとデモンストレーション・・・・今でも思い出すあの光景、なんとこの人は!!と呆れ返る。帰ったあと「名刺」を囲んで大笑い。
そうこうするうちに我が身も定年だ。天下りの隙間もな . . . 本文を読む
Virus(ラテン語)、一般には細菌、病原体くらいの知識しかないが、HIV感染、ウイルス肝炎にはABCDE型などありもう感染しているかも知れない、知らぬが仏である。まあ「バイ菌マン」程度では楽勝である。
数年前のある日突然、Myコンピューターが5分おき位に再起動を繰り返しだした。PCやインターネットの会社へ問い合わせたところ「同様の問い合わせが多数あり、ウイルス感染らしい」とのことだった。ど . . . 本文を読む
本家の仏間に掲げられている額入りの写真、祖母は「義勇軍に行って死んだ」と言っていたが特に気にもすることがなかった。
私が小学3年の昭和23年頃の三回忌法要の写真が残っており、混沌としていたあの時代にシベリアから戦死の公報が届く筈もなく今にして思えば、不思議なことである。・・・・・・・・母の弟、叔父の写真である・・・・・・・
あれから50年、定年後の職場で見た一冊の「満蒙開拓青少年義勇軍」の . . . 本文を読む
帰郷達せず 徴兵年齢が19歳に引き下げられたことから、召集になる前に故郷に一度帰りたかったが、昭和18年暮れころから、関釜連絡船(下関~朝鮮の釜山)が魚雷攻撃で沈没している状態であり、帰国しても応召出来なくなるおそれのあることからこれを断念した。
開拓地の草原に寝転び、偲ぶは故郷の「真菰池」の蜜柑畑であっただろうか、昭和18年11月ころ、朝鮮羅新(満州との国境近く)の「満鉄」に . . . 本文を読む
一年半前、暇にまかせて始めました。 何とか写真が入れられるようになり、そこで、何時もながらのストップです。くだらないネタは充分にストックされているのですが、中途半端で公開までには至りません。 ブログの機能を最大限に駆使できるよう、動画などと共に更なる内容 . . . 本文を読む
この道路は誰が名付けたか渡満道路と言われている。
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所での訓練を終了した86,630名が満州に向け銃に擬えた樫の鍬の柄を担いで行進した「渡満道路」である。
叔父も、昭和15年(1940)6月14日、満州開拓こそ聖業と信じ「五族協和」「王道楽土」を夢見て出発した。
大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発、戦況は日々に厳しくなり、関東軍の主力が南下し、ソ満国境に配置されていた . . . 本文を読む
頑張って行ってきます! 14才4ヶ月の叔父は、昭和15年3月26日、故郷の駅で両親兄弟に見送られ、二度と再び帰ることのなく、「内原訓練所」に向かった。
満州で現地関東軍召集・終戦・ソ連連行・強制労働・ザバイカル州にて病死したことから、その軌跡を求めるため、先ず、茨城県茨城郡内原町を訪ねた。平成11年6月のことであった。
この義勇軍は、満州を建国した日本がその防衛強化と集団開拓の補強手段とし . . . 本文を読む
二十歳過ぎた頃、思いつきで日暮里のダンス教室に行った。チケットを買い早速レッスンに入ったが、女性の教師はフロアに白墨でスッテプをスラスラと書いたのには驚いた。
こんなもので憶えていくのか、こりゃ大変・・・3回も通っただろうか、もう行かなかった。
それから20年、職場では独身の男性や女性の寮のクリスマスなどの催しに招待される。そこで社交辞令か儀礼か知らないがダンスのお誘いである。マンボなどは . . . 本文を読む
毛利元就・三本の矢の訓えの「萩」にブラッと行ってみた。半日の定期観光バスに乗り5,6人の観光客と松陰神社・松下村塾、萩焼窯元、高杉晋作・木戸孝多允の武家屋敷などを巡ってきた。
そう若くないガイド嬢の案内の中でチョット心にひっ掛ったことがあった。「明倫館」前を通過するとき、「私もここの小学校を卒業しています。いまでも松陰先生の言葉を1年生は暗誦している」とスラスラと「ある言葉」を紹介したのだが . . . 本文を読む
ハモのコース料理があるらしい。夏の季節、祇園祭りの京都が有名だ。鱧ずくしを食べてみたいが、最低一万円以上するらしい。値段を気にながら食べるぐらい不味いものはない。
例年、今頃の時期になるとスーパーの店頭に出ることがある。この時には思いを京都の料亭に馳せながら、少しはり込んでの「498円」で我慢をするしかない。
付いている梅肉、からし酢味噌で一杯やるのがささやかな楽しみである。
魚体全体 . . . 本文を読む
高峰三枝子の「懐かしのブルース」・・古い日記のページには涙の跡のそのままに・・」昭和23年頃か、もう、日記もパソコン、ブログなどペーパーレスに変わりつつある。
株券もペーパーレス時代に入り、投資家・株主はトラック一杯の株券を・・・など語り草になった。
現金もキャシュレスが進み、デビットカード、キャッシュカード、クレジットカードなどが普及し、人によって価値観が違う「大金」を持ち歩かなくても . . . 本文を読む