JR四街道駅の近く、イトーヨーカ堂の裏の公園に記念碑がある。
終戦の昭和20年まであったのだろうか、市が設置した下記の説明文がある。
明治19年4月、下志津原に創立された陸軍砲兵射的学校は、明治30年に陸軍射撃学校と改称され四街道に移転しました。
学校の移転に伴い、それまでは閑散としていた四街道駅(移転の3年前に建設)周辺は次々と整備され、東京に至便な演習場という利便と、明治中期から終 . . . 本文を読む
押入れを整理していたら出てきた。軍歌が脳裏を過ぎる。
恩賜の煙草をいただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は・・(空の勇士) 特攻隊員が最後に吸った紫煙の行方をどんな気持ちで見ただろうか、美味いと思ったのだろか、何を思ったのか、世が世なら我も行っただろうか。
(戦友)これは14番まであるという。その真ん中あたりに・・・・・それより後は一本の煙草も二人で分けて喫み・・・・・外地に赴く輸送船で知り . . . 本文を読む
「白い靴下で伺います」・・・・
即日配達が売りのある大手家電店の広告の内容である。最初はそこまでユニフォームを統一してくるのかと思った。到着していざ搬入となると「白い靴下に履き替える」のであろうか、泥の付いた靴下ではお宅には上がりません・・・・・
TVドラマで見たことがある、運送屋が引っ越し作業の際して、私どもは伺う前にトイレは済ませて行きます。お客様のトイレは使わない事にしております。近く . . . 本文を読む
中学校の2年位の頃か、弁当のおかずに「コロッケ」が定番の時期があった。
昭和28年頃には、生活もどうにか余裕が出てきていたこともあり、母も弁当のおかずを作るのが面倒だったのか、毎朝、私は10円を手渡され、近所のお店に行って「弁当のおかず」に「コロッケを2個」毎日、毎日買っていた。
私も嫌でもなかったので、どれぐらい続いたのか、おそらく中学卒業までであったか、教室でも有名になったくらいだ。 . . . 本文を読む
室温は10°~20°であるが、人も寒い。
暖かいところを探すが落ち着くところはここだ。電気アンカも入っているし、居心地も良いようだ。冬眠状態とまではいかないが、年中寝ているようなもんだ。 . . . 本文を読む
芸能人界の挨拶は「おはようございます」が基本であるという。これには理由があり、朝昼晩の挨拶の中で敬語の言い回しがあるのは「お早うございます」だけだということです。
通っている中国語講座の教室にに入るとお互いに「你好!」朝昼晩これでOKであるが、早上好!(朝の場合)晩上好!(夜の場合)の使い分けもある。この程度はマスターした。
数種の趣味のサークル、老人クラブなどに入っている . . . 本文を読む
篤姫(天璋院)は薩摩藩から13代将軍家定に嫁いだ。江戸まで陸路、海路かでおおよそ60余日を要した。
孝明天皇の妹和宮(静寛院宮)は京都から中山道を経て25日間で江戸へ、14代将軍家茂に降嫁した。いずれも駕籠である。乗っいるだけとはいえ大変だったろう。
溥儀の弟溥傑に嫁いだ華族嵯峨侯爵家の浩、朝鮮王国に嫁いだ皇族梨本宮家の方子、二人は船で行っただろうから精々、4、5日だったろう。
唐の国の . . . 本文を読む
「元え!」
最近ではあんまり聞かないと思うが、軍隊などではよく使われていたのでは・・・・やり直し、言い直しをすることで、例えば、整列して上官が「番号!」「1・2・3・・・」つっかえたり、間違えると「もとえ!」でやり直しである。訛ると「もとい」でからかわれたものだ。
発表などをするとき、言い間違えたりすると「もとえ」と元に戻すことがあった。これが結構癖になるのである。もとえ、もとえ、もとえの . . . 本文を読む
「さわり」とは、 触りのことで、さわること、ふれること、触れた感じの意味があり、また、義太夫の中で最大の聞かせどころをいう。さらに転じて、話などでもっとも興味を引く部分をいうのが一般的になっている。
昔、新聞か雑誌に「ほんのさわり」と題して結構際どく面白い文があった記憶がある。
「お触りバー」などは本当のさわりがあるようだが、今はなくなったか「ダイヤルQ2」などは、色仕掛けで気を持たせな . . . 本文を読む
「お焦げ」も作れるんだよ!
新しい電気炊飯器を買った人の話である。我が家のは14年前のもので、せいぜいすし飯、御強が出来るくらいであるが、これで十分である。
「初めチョロチョロ 中パッパ 赤子泣いても蓋とるな!」最近の主婦は聞いたことがあるが意味が解らないらしい。水加減は手首の踝?(足で言うと)あたりでと聞いたことがある。もう必要ないのか・・・サバイバル(survival)があればやるだろう . . . 本文を読む
最近はあまり聞かない言葉に「結核」がある。
数年前からあちこちの学校や病院から集団感染、発症の報道があり注目された。
江戸明治時代にもあったが、昭和30年頃までこれで死ぬ人が多く、不治の病だとされていたが、ストレプトマイシンなどの抗生物質の登場により、また食料事情、栄養もよくなり格段に減少した感があったところだが根強く生きているのだ。
昔は労咳(ろうがい)と言っていたようで、天保水滸伝 . . . 本文を読む
一昔前になる。職場で「ゼロックスをしてホッチキスで綴じておいてくれ」と原稿などを渡す。これで十分に用が足りていた。
「Xerox」はコピー機の商標であるが、コピー(copy)はゼロックスで用が足りたのである。それほどに普及していたことの証明でもある。
ホッチキスHotchkissというアメリカの兵器発明家の名からきているようで、紙綴器の商品名のようで、ホッチキス即パチン、パチンである。
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最近、デイサービス(DayService)などがあちこちに出来た。
雨後の竹の子のように建ち並び、あそこにも、ここにもである。朝夕には、○○苑、△△センターなど記名された送迎車の往来の多さが目に付く。介護保険様さまで、長生きはするものなのか?するもんか!なのか?まあ、レールは敷かれているので乗るだけだろなぁ・・・・・・・・・・
昨年、ほんの短期間であったが、デイサービスの送迎の仕事をした。 . . . 本文を読む
私の中学校の校歌「千種の流れ水清く・・・・」その7、8㎞上流にある我が高校の校歌にもこの川が登場する。
学校は全国どこでも都市部以外では山裾か麓かで、当然「川」がある。概ねこんな所にあるのがパターンで「水清き」のパターンだと思う。
それぞれに橋が架かっており、そこを通って登下校をした。橋上から下の流れを見ると、鯉やウグイなどが鮮明に見え「水清く」そのものであった。夏休みは毎日のようにその川 . . . 本文を読む
自分では結構系統立ててやってる積りが、どっか抜けている。これは人間に有りうる現象である。
長く生きているとどうしても、俺が、俺がの人生が首をもたげてきて「我」が出てくるのも致し方ない。
「起承転結」が整わないのである。何かを喋っていても始めに言ったことが終わりにちかづくに至って全く反対の方向に来ている。迷路に入り込んだように・・しかし、偉そうに喋りまくるのである。
15年位前、業界紙に . . . 本文を読む