ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

ホルモン

2007-12-30 04:47:55 | これってグルメ
 放るモン、放り投げるもの、捨てる物、つまり人間の食べる物ではないと言う意味があったようだ。  関西の田舎にいる頃、「ホルモン焼き屋」があり1、2回入ったことがある。  今でもよく行く「モツ焼き屋」のレバー、ハツ、シロ、ガツ、カシラ、タン、コブクロ、ツル、ゾウキン、ゼンマイなどのように、しっかりした名前があって単品で出される訳ではなく、何やら得体の知れない臓物が種々雑多にゴチャ混ぜを鉄板の上で焼 . . . 本文を読む

曲がり指

2007-12-28 08:22:22 | 可笑しい話
我が身の足や手のことが続いて我ながら可笑しいことである。  小遣い稼ぎにチラシ配りをやったら、左手の人差し指に異変が起きた。  第一関節が内側に曲がったままで元に戻らない。周辺の靱帯が延び切ったらしい。鞄の中で二種類のチラシを手探りで揃えるのに相当な力を入れたらしい。  パソコンでタッチタイの練習をしょうとキーを打っても全く感覚がない。ビールを飲むのにコップを握っても指に感覚が伝わってこない . . . 本文を読む

腹も身の内

2007-12-26 15:57:10 | 可笑しい話
仕事を辞めてから、三年ぶりの健康診断を受けた。  胃カメラも鼻からのものが主流になったようで、喉からの時とは格段に楽であり、そのため、内部の様子も余裕を持って見るたことができた。  冒頭の写真は、砂漠と化した地球ではない。私の胃の内部で78年間の長きにわたり、暴飲暴食に耐えてきた表彰状ものの胃である。  「ここに腫瘍らしきものがあります。組織を採っておきましょう」などと言われないかと心配して . . . 本文を読む

クリスマスプレゼント

2007-12-25 08:11:04 | 思い出はホロ苦く
イブの前日、早々に孫達がプレゼントを買って貰いにやって来た。  私は長い時間をかける買い物は苦手で付き合いたくないのでパス。  ばっちゃん達とオモチャランドとかに行き夕食などしての数時間後、それぞれが好きな物を持ってホクホク顔で帰ってきた。  一頻り遊んで帰る段になって、「じっちゃんに有り難うは?」と水を向けると「じっチャンは何も買ってくれない!」捨てセリフをそれぞれが言って帰っていった。 . . . 本文を読む

早食い

2007-12-23 12:21:12 | 思い出はホロ苦く
 40年位前の我が職場の月例係長会議での昼食の光景である。  いつもの仕出し弁当が出て食事となり、一斉に「頂きます!」である。  殆ど沈黙のまま食べているが、そのうち、ガッチャと蓋をする音がする。相当の早食いの人がいる。私も早食いなので周りの様子を見ながら食べ終える。もうガッチャ、ガッチャである。  会議の出席者は私と同年代かそれ以上で、終戦直後の食糧難時代に5,6歳であった「餓鬼」「飢餓」に . . . 本文を読む

儘にならぬもの

2007-12-22 08:44:27 | 可笑しい話
 ままにならぬもの、最近パソコンの動きが悪くなりセイフティモードで最低のことしか出来なくなった。単純なメンテナンスで直せるのだろうが、恥ずかしながらまだその域に達せないでいる。  予備の極小パソコンに急遽、ウイルスセキリュティを入れてどうにかこの場を凌げるようになった。  誠に「儘に・随に」は、その状態・心情などにそのまましたがうさま、そのように、通りに、するにつれて、随っての意であるが、「な . . . 本文を読む

親指の爪

2007-12-18 06:52:28 | ジジィの昔話
 左足の親指である。豚足ではない、誰のものでもない、我がものである。  歴とした我が身体に68年付き合っているものでもある。  何時の頃か、小学生の頃か、この指に爪がないことについて聞いたのか、聞かされたことがある。  生れて間もなく、異常に泣いたそうだ。不審に思い身体を調べたところ、足の指の爪が剥がれ腫れていたので、これが原因と分かったという。何かの拍子にか剥がれたようだ。  そんなことで . . . 本文を読む

塩狩峠

2007-12-15 19:58:10 | 世相雑感
 クリスチャン、三浦綾子の小説に奔流している、自分はどこまで人を許せるか、人は自己をどこまで犠牲にできるのかの問いかけに真に正対はできない。それほど高邁な精神に恐れ戦く。  「氷点」から「塩狩峠」「道ありき」などを、結核、脊椎カリエス、直腸癌など病気のデパートを抱え病床で三浦光世に支えられながら執筆、平成11年77歳で没した彼女の生きざまは壮絶である。 ・・・・・明治42年(1909)北海道 . . . 本文を読む

吉原雑念

2007-12-13 17:18:25 | 思い出はホロ苦く
 私が浅草の地に赴任したのは昭和34年9月である。 花屋敷の傍の「ひさご通り」を北に言問通りを横断し「千束通り」を行く。少し行き左に入るとすぐに「吉原」であるが、五、六百メートルも行くと商店も疎らになり日本堤消防署で終わりである。そこに「地方橋」がある。  吉原、正確には新吉原の灯は昭和32年に売春防止法が完全実施となり消えていた。あの地域は、一時は修学旅行の宿にもなった。  だがしかし、裏 . . . 本文を読む

限界集落

2007-12-10 08:48:30 | 世相雑感
「限界集落」 地域で65歳以上が50パーセントを超えるとこう言うそうだ。 山村での過疎化、高齢化のことだと人ごとのように思っていたら、最近来た「回覧版」に、わが町内が36パーセントとかで近隣町ではトップクラスであったのを思い出した。  ここまでくると、冠婚葬祭などの社会的共同生活が維持できなくなるか困難になるという。「準限界集落」とか「超限界集落」もあるようだ。そして「消滅集落」に至る。若者や . . . 本文を読む

スジ肉

2007-12-07 16:12:00 | これってグルメ
牛すじ肉、肉の筋のことで硬い、包丁でもなかなか切れない。  アキレス腱なのだろうか。関西が主流か、関東でもたまにスーパーに出ていたので安かったしもの珍しいので買ってくる。  これをグツグツ時間をかけて煮ると思いの外柔らかくなる。アクをとり、味付けをして食べてみる。  大阪などでは「スジのおでん」が欠かせないようである。カレーにも入れるようである。  昭和33年、関西から上京するまで肉類は . . . 本文を読む

吾妻橋のビヤホール

2007-12-05 06:30:51 | ジジィの昔話
 昭和35年前後のことである。当時住んでいた浅草の独身寮で一杯やったほろ酔いの連中が誰ともなく行こうということになり、ブラブラと歩いて吾妻橋を渡った。渡ってすぐ左の吾妻橋アサヒビヤホールに入った。  煙草の煙が濛々としているホール、大ジヨッキと焼き鳥などをを注文し、ワイワイガヤガヤ話し声など聞こえない。そしてまた歩いて帰るのである。  今はウンコビールなど昔の情緒など微塵もない。現代風に、高級 . . . 本文を読む

裕次郎といわれた男

2007-12-04 07:29:55 | 可笑しい話
 長かろうが身近かろうが・・・我が人生に悔いはなし・・・ 石原裕次郎「我が人生に悔いなし」である。 殆どの映画を観たなー「錆びたナイフ」砂山の砂を指で掘ってたらー・・・  相手役は笹森礼子、浅丘るり子などで「狂った果実」の北原三枝と結婚した。    没後20年になる。赤木圭一郎、小林旭、宍戸錠など日活のスターの黄金時代であった。  そこで登場するは、會ては一桁の人に裕次郎と言われた男である。 . . . 本文を読む

肥溜め

2007-12-03 17:15:00 | 思い出はホロ苦く
「肥溜メですー」と最初に一発かます・・・・現役時代に「小枝」という姓の人がよく使って意表を突いていた。  私めに教えてください、私めにお伝えくださいと謙った「め」である。  そこで、コエダメーですが、肥料にする糞尿を溜めておく所、肥やしだめである。今ではもう、日本国中探しても相当な僻地でもないと見ることができないだろうが、昔から糞尿処理は近郊の農家が早朝に大八車で汲み取りにくる汚穢屋が活躍してい . . . 本文を読む