私の「大義」であった。 何が?
これま現総理大臣を支持してきた総理大臣は「応援するのが大義だ」と述べ、小沢氏支持を明らかにした。
「私の一存で小沢前幹事長に民主党に入って頂いた。その経緯からして、私としては応援すること、それが大義である」
これまでの現総理支持は「民主党の一議員として応援することは当然だという意味だ」と説明し、挙党態勢を築くことを求めて小沢氏と現総理の仲介役を務めてきた . . . 本文を読む
22、3歳のころ、57、8年前のことだったろうか、独身寮の同僚と「鎌倉」へでも行こうと繰り出したのだろう。
もう、あの頃が夢のようである。皆んなどうしているのだろう。何時の間にか疎遠になってしまっている。
ここ何十年も海には行っていない。暑い、熱い砂浜を素足で歩くのは嫌なものである。思い出すのも・・・・あれも夢なら、これも夢・・・
子供のころは、近くに海はなく、川へ泳ぎに行っていたも . . . 本文を読む
「走った距離は裏切らない」アテネ五輪の金メダリスト野口みずきの言葉である。
一般に「努力」は裏切らないと言われてもいる。それだけのことはあり、報われるという。
b元ジャイアンツ桑田真澄は、練習は「量より質」である。一球入魂かいな~
石川遼プロは、日々の練習が大切、自分は天才ではない。
努力すれば誰でも大成する訳でもないが、絶対にするべきものである。そして、頂点に立つには「運」もあ . . . 本文を読む
第二の職場で、外交で一緒に組んだり、飲み歩いたりしていた「同年同月生まれ」の元同僚の訃報に接した。
そんなことから、以来何年間も年賀状200枚をパソコンで作ってあげていた。退職後も・・・一昨年の暮、奥さんを連れて我が家に来た。
電車賃のことを考えれば高い物につくのにと・・・勿論、掛った費用は「そのうち一杯飲ませてもらうからと・・」結構に、シコタマ飲ませて貰らったりしてもいた。
昨年の . . . 本文を読む
高校三年、昭和32年、53年前、学校の運動会、各地区で出し物として「仮装行列」をやることになった。
我が地区は「狐の嫁入り」であったが、我が三人は急遽、出し物には捉われずに写真の様なものを作ろうと、前日の午後に決めた。
竹を切ってきて、紙を用意する、出来上がったのは午前を悠に過ぎていた。3、4時間は寝ただろうか、眠い眼を擦りながら自転車に乗せて学校まで・・・・
三人が中に入り、仮装行 . . . 本文を読む
レシピ(recipe)という言葉を最近になって知った。料理や調理法の本などをいう。
今は世の中平和、定年親父の食事学とか、教室が大盛況である。
暇なもので本などを見ながら作ってみるが、上手くいかなくて「これじゃ、食べるだけの方がいい!」後片づけなんかも・・・
小学生の昭和23、4年のころ、家に「料理の本」があった。昭和13、4年ころのものか、現代のレシピ本と同じ位の内容も色彩も豊富なも . . . 本文を読む
ノンポリ(non-political)って・・・・
政治や学生運動に関心を示さないことである。安保闘争の華やかなりし頃、デモなどに参加せず無関心な学生をそう言った記憶がある。ノンポリ学生も面白半分に参加して捕まったドジもいたようである。
信念を持って筋を通す、道理を通し、首尾を一貫させる事が望ましいのだが、得てして、どっち就かずで、フラフラしている。シッカリとした信念、芯棒の様なものがなく . . . 本文を読む
昨日、何時も終戦記念日になると懸案の、予科練記念館「雄翔館」(茨城県阿見町陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校内)に行ってきました。
自宅から50キロ以内、1時間半で到着、近接の阿見町立「予科練平和祈念館」も見た。ゆっくりと3時間をかけて・・・
予科練とは、海軍飛行予科練習生のことで、高等小学校卒業者で満14歳以上20歳未満で厳しい試験に合格した者のみ採用された。その後、緊急に増員されていき、延 . . . 本文を読む
コツコツと仕事をして、コツコツと生きてきた。
負け惜しみではないが、コツコツ(矻矻兀兀)と、コツコツと金を貯めようとも思わなかった。
「コツを掴む」のコツの語源は「骨」であるという。体の中心にあり、体を支える役目、人間の本質であるという。
転じて勘所や要領を意味するようになり物事の本質を見抜き自分のものにすることから「コツを掴む」と言うようになったという。
コ . . . 本文を読む
ある会話から・・・・中国(満州)からの「引揚げ」の話である。
私と同年のその人の出生地は「大連」だと言うので少し聞いてみた。母は教員、父は軍人ではないようであった。
終戦後の早い時期に引き揚げたようで、思い出すことは殆んどない中での「引揚げ船」内で「飯上げ!飯上げ!」の声だけは憶えていると言う。
運搬食などを受領し、運ぶことや体調不良で寝込んでいる者、組織の幹部等へ、食事、飯を運ぶこと . . . 本文を読む
何故か、鯵のフライ「アジフライ」が好きである。天麩羅も好きであるが、この揚げたてが美味い。
出された時に、ジュージュー音がしていて、油が滴れ落ちているようなヤツ、ガッシとサクサク食べるのは何とも言えない。
ファミレスなどしか行けないが、マアマアのが出て来ると嬉しいもんである。
何でも揚げたて、取れ立て、採れたて、獲れたて・・などは新鮮で美味い、新鮮だから美味いのである。美味いのは新鮮だ . . . 本文を読む
田舎での蝉の思い出である。
すぐ裏の荒神さんでは、夏休みになると蝉がミ~ンミーンかジージーか五月蠅く啼き出す。
小学校3、4年頃までは、毎日、午前午後と言わず「蝉取り」をしていた。
採ってどうする訳ではないが、ただ習慣のように・・・である。
油蝉が殆んどで、珍しくもなんともないが、何か引き摺り込まれるように幻想の世界に入っていくようであったような気がする。
真夏のベトナムのホーチ . . . 本文を読む
自宅から10分以内の所にある蕎麦屋で、思い立ったら「吉日」?すぐ行けるのである。 隠れた人気で、グルメスポットかいナ~
数年前は「沖縄そば屋」であった。一回行った記憶があるが客はいなかった。何時の間にか廃業、暫くして「蕎麦屋」になった。
口コミか何かで知ったのか、3年くらい前、スポーツクラブの仲間を誘って何となく行ってみた。
当時は火曜日が休みで日曜日はやっていたのである。「せいろう」 . . . 本文を読む
そうか、夢だったのか。
古い昔の夢を見る事がある。目覚めてから、ナカナカ思い出せない。
今度こそはと気を付けていたら、上手く表現できないが、家の壁にワイヤーか何かを引っかけて一生懸命引っ張っている。金縛りの一種だろうか・・・・途轍もない忘れていたことが出て来る。脳や心の中にあったのだろう。
子供のころの、終戦前後の古い記憶は、もう夢のようで、夢だったかも知れないと思うようになった。
. . . 本文を読む
昭和85年である。
昭和20年8月15日、昭和天皇の「玉音放送」が流れたが、わが村では誰も聞いてはいないようだった。ラジオが無かったのである。
その時、満5歳であったが、前後のことは途切れ途切れでも少しは憶えている。
心臓が悪くて兵役に行かなかった父は、その時は39歳であった。徴兵年齢上限40歳を45歳になりかねなかった時代で、病人まで召集されたのに・・・・・なんせ、走ることは出来なかっ . . . 本文を読む