例年の如く「門松」を貼った。巷でも本物の竹を使った大きなものはあまり見かけない。前日の飾りつけは良くないようであるが、例の如く伸ばし延ばしで・・・
一般の家庭でも小さな本物の松を飾っていたこともあったが、これも無くなった。
昨今では市役所などで無料配布される紙製が主力である。
今年の大晦日は晴天である。三が日も晴れ模様であるが何処に出掛けることもないだろう。
TVを何となく、チャンネ . . . 本文を読む
大抵の官庁などは28日で「御用納め」となる。国会議員の方達は年末も年始もなく慌ただしく働いているようだが、忙しくない方もおられるだろう。なんとかチルドレンはどうしてる?
かって公務員だった私の28日は、大掃除などをして午後は落ち付いたところで「ミカン」などを食べて早めに退庁などをしていたものであった。
4日の仕事始めまでの6日間まるマル休みの人もいる。最少限度確保の宿直当番には、新人とい . . . 本文を読む
最近急に視力が落ちた感じである。いや、落ちていることには間違いない。
医者は「白内障は少しあるが、手術をするまでのことではない」という。
この症状は何時ごろからかと思い起したが、ある時期に、ブログ作成時の文字が小さくて見辛くなったのである。
文字サイズを1から3にあげ、更に太字にした。
遡ってみると、10月の末頃からで、こんな小さな字でよく読めたもんだったな~とサイズを上げた。
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新聞等を読んでいると、時たま難しい漢字が出てくる。すぐに電子辞書を引いてみる。
「遺憾」に思う。「慙愧」に堪えない。「忸怩」たるものがある。「矜持」を保つ・・・などは何回も辞書を引く。それほどに頭に入らず、難しいものであるからである。
新大阪市長の橋下氏に「秋波」を送る・・・があった。・・・70年生きてきて初めて・・なんだろう。
秋の澄み渡った水波、美人の涼しい目許の意から媚をあらわす . . . 本文を読む
早朝からペッタン、ペッタン、ペッタンコ、各家から音が聞こえてくる。子供の頃の郷里でのことである。
今はもう無いと思うが、少しは残っているかも・・・今思えば、年末の風景・風物詩であった。
29日は苦餅といって、31日は何だか知らないが餅つきはやらない。28日か30日にやっていた。
本家に近くの子供の4世帯が集まっての餅つきであった。私達(孫)は搗き上がるのを待ってアンコロ、カラミ、黄粉な . . . 本文を読む
近くに日本陸軍の演習地だった地域が、終戦のその年に開拓が始まった地域があるという。。
それも、あの市原の満蒙開拓青少年義勇軍だった人達が入植したのだという。現地に「歴史民俗資料館」があると聞いたので一度訪れようと思っていた・・・・
開拓時代の農具や生活用品、写真などが展示されていた。農地なども少なくなって工場や住宅が多くを占めている現地の発展と当時の荒涼とした場面を較べてみるに戦後66年 . . . 本文を読む
今年のスクールガードも22日で終わり恒例の忘年会と相成った。
懐メロ、軍歌など延々3時間のカラオケ・・・時折、子供の話も出る。
登校する児童の後ろ姿、外套というかオーバーコートというか、皆、洒落た各種型色のものを着ているのを見るにつけ、自分の同時代の頃を思い出す。
小中学時代にコートなどを着ている者はいなかった。買えなかったのか、物が無かったのか、皆、貧しかったには違いない。
寒さ . . . 本文を読む
・・・「下手な考え休むに似たり」・・・
幾ら考えても時間が経つばかりで何の効果も無いことをいうが、こんなことが多いのでは・・・諺にある位なのだから・・・
何をするでもない。どっちでもいいことは兎角、先送りをしてしまう。されてしまう。
若い頃は、前倒しで仕事をしてきたと自負している。手前味噌ではないが、我ながらよくやってきたと思う。
今日やれることは明日に持ち越さないでやってしまう。明 . . . 本文を読む
クリスマスが間近だと言うのに今年は例年のようにジングルベルが流れて来ない。お店もラジオもTVも・・・その後は「お正月」もういくつ寝たら・・・であるが・・・
大震災などの影響か寂しい気もするが、あの喧騒は風物詩と感じることもある。
サンタクロースはいるのかいないのか、信じるのか信じないのかなどとよく言われれて来た。
私とクリスマスはプレゼントとは全く関係が無いが、チョットした思い出とい . . . 本文を読む
老後の為に歳をとっておくことは良いことなのだろうか。どうも、今、老後であることを忘れているようである。忘れることは良いことですか、いけないことですか・・・
僅かな年金を少しでも残していって「老後のために取っておく・・」何をおっしゃいますの、あなたは今、老後真っ最中でっせ・・・・
葬式代も密葬では200万円もあれば十分十分・・・ハイ、サヨナラ、さいならでんがな!
年金の20%位は源泉徴 . . . 本文を読む
自他共に許す「健啖家」と言われた、言われてきた男も、もうアカンワ!そのなれの果てがこれである。
2年前の急異変、胃変?、有るグループのランチ会食の時、全く食べられなくなった。隣の女性に「これ食べて・・・」、その後の同好会の一泊旅行でも頑張ってC賞にヤットコサ-と頑張ったがどうにもならず、「タベテー・・」となってしまった。
この悔しさは、今でも思い出すたびに残念至極である。
健啖家のイ . . . 本文を読む
3、40年くらい前のことか、妻の実家、福島・海通りに冠婚葬祭などで子供を連れてよく行っていたものだった。マイカーで片道400キロ近くあった。
今は20キロ圏内、避難勧告区域とかで大変らしい。
あの当時の常磐自動車道は、そんなに伸びておらず、殆んど平場であった。自然と立ち寄る場所も限定されるのか、水戸市内の「結城家」?の鰻、勿来の関のシーサイドレストランのランチなどを食べるのが定番で楽しみ . . . 本文を読む
東北のある市で、あの大津波で打ち上げられた全長60mもある大型魚船をモニュメントにするしないで賛否両論があるという。
前にも書いた・・・保存の費用は誰が、何処が出すのか、国にやって貰いたいのか、義捐金から捻出するのか、各市町村が一か所ずつ作っていけばその規模を競い合うようになる。そんなカネの余裕があるのだろうか、あの船を見ると家族や我が家を流された悔しさが込み上げて来る・・・・・との反対もあ . . . 本文を読む
・・・あんたとこ どこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもとどこさ せんばさ・・・・・
肥後は熊本県である。
小中学生のころ「肥後守」という小刀があった。
男子ならだれでも持っていた。ノッチ?梃の応用で刃を出すが固定出来ずす。これを手に持って走っていて手を血だらけにしていた子がいた。何時の間にか消えてしまった感じであるがマニヤもいるようだ。
鉛筆を削るにも小刀が無いと削れない。「 . . . 本文を読む
昨日は真珠湾攻撃70周年であった。
私が生まれた年の2年後のことであった。
「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が発せられた。「12月8日、午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意の暗号であった。
「トラ・トラ・トラ」は映画の題名にもなった。「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する暗号である。
ここから、所謂泥沼の日米の太平洋戦争が3年半余続き日本は壊滅した。詳細は資料などで研究されたい。
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