昨日は真珠湾攻撃70周年であった。
私が生まれた年の2年後のことであった。
「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が発せられた。「12月8日、午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意の暗号であった。
「トラ・トラ・トラ」は映画の題名にもなった。「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する暗号である。
ここから、所謂泥沼の日米の太平洋戦争が3年半余続き日本は壊滅した。詳細は資料などで研究されたい。
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大本営発表!帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり・・・ 昭和16年12月のことであった。
あの大本営である。予てから行ってみたかった太平洋戦争の負の遺跡、松代大本営予定地跡をとうとう訪ねた。
戦局は皇国に利あらず、敗走に敗走を重ね、ついに本土決戦に備えて、政府、軍、皇居を長野・松代に疎開させるまでに至った。
昭和19年から終戦の日まで極秘裏に実施して来 . . . 本文を読む
一般に畑仕事で「軍手」を必ずと言っていいほど着用する。
60年ほど前に線路工夫のアルバイトをしている時に使ったのが最初だったか。指の部分に穴があくほどボロボロに・・・
「軍足」も履いたことがある。踵の無い奴である。寸胴(ずんどう)で、いずれも軍隊、兵隊さん用であった。これが発祥であろう。
米の配給制の時代、旅館に泊まるのに「米」持参、軍足に米を入れて持っていき旅館に差し出していたのだ。 . . . 本文を読む
花も蕾も若桜・・・ チョット前に書いた。
お隣の韓国で「海兵隊志願者続々・・・」の新聞記事があった。
あの国は「徴兵制」で19歳になると徴兵検査を受けるのが基本である。
この中で、海兵隊は危険が大きい特殊任務のため「志願制」であるが、延坪島砲撃で兵2人が死亡したことの影響で「砲撃の影響で志願者が減ると懸念していたが、無用の心配だった」という。
ところが、志願者の応募が跳ね上がってきた . . . 本文を読む
「集落に次々砲弾 防空壕へ」今日の朝刊に出た。「北朝鮮 韓国を砲撃」の見出しである。
昭和20年の終戦前、何処の家にもあった「防空壕」が我が家にも掘られた。1.5m×2.5m、深さは1.5mもあったのだろうか、何しろ、5歳半位の身には、はっきりとしないが、入って遊んだ記憶がある。空襲警報が発せられるとここに入ったのだろう・・・
今思えば、空襲で焼夷弾を落とされ、家が焼ければ蒸し焼きになる . . . 本文を読む
看護学校2年間在学中に現在の勤務先(病院か)より奨学金を貰っていた。内容は、月額5万円、卒業後2年間の勤務で返済を免除する。勤務が2年に満たない場合は全額返済するであった。・・が・・・
一身上の事情が生じ、1年5か月( 17 か月)で勤務を辞めることになった。受取った奨学金の 返還義務は有るや否や・・・・払いたくなのである。大学などの奨学金でも、貰う時は嬉しいが、返さない人もいて問題になった . . . 本文を読む
「月月火水木金金」何のことだろう?
朝だ 夜明けだ 潮の息吹 ぐんと吸い込む銅色の 胸に若さの漲る誇り 海の男の艦隊勤務 月月火水木金金 ・・海軍では、休日など無かった。
土日祝祭日お休みなんて、想像も出来なかった。つい最近までは、土曜半ドンだった。
マタマタ歌、忽然と「軍歌」である。
勝ってくるぞと 勇ましく 誓って故郷を 出たからは 手柄たてずに 死なりょうか ・・・軍歌は何と言 . . . 本文を読む
天気晴朗なれど波高し「風平浪静了」、何故か「トラ・トラ・トラ」・・・が浮かんでくる。映画か、小説か、「坂の上の雲」か・・・
あの日露戦争、日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊との決戦で、東郷平八郎司令長官は「本日天気晴朗なれど波高し」と大本営に打電して旗艦三笠以下を率いて出撃した。
対馬沖で、バルチック艦隊と連合艦隊は激突し、東郷長官は、旗艦三笠のマストに「皇国の興廃此の一戦に在り、各 . . . 本文を読む
昭和85年である。
昭和20年8月15日、昭和天皇の「玉音放送」が流れたが、わが村では誰も聞いてはいないようだった。ラジオが無かったのである。
その時、満5歳であったが、前後のことは途切れ途切れでも少しは憶えている。
心臓が悪くて兵役に行かなかった父は、その時は39歳であった。徴兵年齢上限40歳を45歳になりかねなかった時代で、病人まで召集されたのに・・・・・なんせ、走ることは出来なかっ . . . 本文を読む
明日に何をするってことも無いので、有ってもどうでもいい遊びの予定くらいもので・・・早く寝て・・・と言っても昼寝の延長で、午前1時ころに目覚め、寝床でTVや録画したもの等を観ていると朝になっていることが多い。
今年も終戦記念日が近づき戦争記録、証言ものが古いものや新しいものが放映されている。
私は戦争体験はないが、戦後のひもじい思いは体験している。
私たちの年代以降の昭和の後半や平成生ま . . . 本文を読む
引き籠り70万人、この予備軍155万人の報道があった。
苛めか何かの理由で自分の部屋に閉じ籠ったりの登校拒否、出社忌避・・・昔は自分の部屋など無かったものだが・・・・
止せばいいのに、親が食事を運んでやる。食べカスはドアーの外へ。
これを止めると夜中に冷蔵庫を漁る。親の金をチョロマカしてコンビニへ・・・酷いのは何十年もである。
食うことだけは忘れないようで「即身成仏」はしていないよ . . . 本文を読む
もう忘れたでしょうか、「拉致」という言葉を・・・「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる!」この声が聞こえたでしょうか。憶えているでしょうか・・・・
拉致被害者の家族の心情を汲む心があれば、普天間基地問題と同様、他人事であってはならないが、他人事の感がある。
拉致問題の解決の糸口も無い現状において、政府の意図を知るよすがはないが、何らかの情報を持って来日した金賢姫元死刑囚に対する政府の処遇 . . . 本文を読む
我が住む地域の歴史などを学ぶ講座にイチャモンを付けた広報宣伝文があった。
「ここの登場人物は、幕末や明治初期の人が多く、忠君愛国も出てきて大きな問題となるので考慮すべきである」と・・・
これじゃ歴史の勉強など出来ないのではないか。幕末は尊王攘夷、開国、勤皇佐幕が入り乱れた後「大政奉還」となり、漸く明治維新となった。「富国強兵」など世界の列強に伍する政策が充実してくる様になった。
日清、 . . . 本文を読む
TVでチラッと見た。「命を賭ける程の国じゃない・・・」「国の為に死ねと言う国なら滅びればいい・・・」
日本人が言っているのだろう。64年前まではこの反対で「お国の為に死ねるのは光栄である。立派に死んで来ます」であった。
徴兵制もなく自由気ままな今がいいのは決まっている。
この国が滅びるのは、何も外敵から攻められて岸壁に追いつめられて海に落ちて行く事だけではない。
守る人、日本人がいな . . . 本文を読む
「御座候」って、何でソーローか、これは城下町にあった「今川焼」の名前である。厳密にいえば、店の名前であるが、即、品物でもあった。
中学の頃、昭和30年前後か、甘味などまだ乏しい時代であり、父が買ってきてくるのが楽しみであった。
高校になって行く機会もあり、必ず立ち寄って買っていた。一個10円くらいだったか、白餡もあった。
何故に「御座候」か、城内で・・でございます、いらっしゃいます、ご . . . 本文を読む