「断捨離」という言葉か本かが出てきたようだ。不要なものを絶ち、捨て、離れる、を意味するとか・・・整理術とか、収納法、片付けなどのも出た。
そんなのを買うと、又、片付けるのに苦労する。金が貯まる本で金が貯まったか。
今年の諸々を整理しょうと思っていたが其の儘である。思う気持ちが有るだけましというものか・・・・これを当然だと、感知もしなくなったらお仕舞いか。ゴミ屋敷も我がお城となる。
身近 . . . 本文を読む
マイカーを小さいのに買い替えた。色は「キナコメタリック」
なんじゃこりゃ!!
食べる黄粉餅のキナコである。そんな色をしている。黄色に茶が入っている感じである。
最近の報道で「映画」になったの見習い警察犬「きな子」が難関辛苦の末テストに合格し、嘱託警察犬に採用されたという記事に接した。
それがどうした。
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このクリスマスにランドセルの寄贈が児童相談所にあった。10個、30万円相当のものである。送り主は「伊達直人」と書かれていた。「タイガーマスク」の主人公と同じで該当者はなかったという。
今は冬休みでSBはないが、学童に同行しているとき、何時も背中のランドセルばかり見ている。そして、何時も思うことは、自分の小学校の時のカバンはどうだったか、これがシカと思い出せないのである。
勿論、「ランドセ . . . 本文を読む
「大過なく・・・・」、これを嫌う人がいた。
「適当にやってくれィ・・」と言ったところ、良い加減でいいのか?上手いことやって処理すること、だったりして・・・適切で、の意は感じられないがどんなものだろう。適当に判断してくれればそれでいいとしかない。
その日、その日を何となく過ごしてきた凡人には、簡単に表現するなら「ボーと夢現(うつつ)」であろうか。
よく転勤に際しての挨拶、定年退職時のお言 . . . 本文を読む
年末となり、忘年会真っ盛りである。高齢者も、それなりに数回はあるようだ。
宴酣(たけなわ)の前に、もう「カラオケ」である。我も!私も!マイクを持ったら離さない、離れない。他人(ひと)のことも考えずにである。
中には「アカペラ」の人がいる。寮歌みたいなのを歌っている。ああ玉杯に花受けて・・・「それなら、カラオケにもあるョ!」「いや、これでいいんだ!」ナンダァ・・・曲に合わせられないのか、こり . . . 本文を読む
大相撲の「四本柱」が50年ほど前に撤去された。
屋根をつり屋根式にして、観客の視界を良くしたのである。柱の代わりに屋根の四隅に青、赤、白、黒の房を下げた。
「四本柱」は、四季と天の四神獣を表わし、五穀豊穰を祈念している。
青柱、東方の守護神・青龍神、春。赤柱、南方の守護神・朱雀神、夏。
白柱、西方の守護神・白虎神、秋。黒柱、北方の守護神・玄武神、冬。
子供の頃の相撲は、棒で地面に土 . . . 本文を読む
ある時、軒先に「リンゴ箱」を干しているのを見かけた。
懐かしく、子供の頃を思い出す。
リンゴなどを食べた記憶はないが、何故か、我が家にもこの箱はあった。
机にしたかどうかは記憶に無いが、金網を張って「十姉妹」などを飼った。
それでも、リンゴは籾殻と共に詰められている状態を憶えている・・・籾殻(もみがら)実った稲穂を扱(こ)いだままでまだ脱穀しない米を、脱穀機で穀粒した殻・・・・・・
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未だかって、正真正銘の本格的トリフ、フカひれ、キャビアなど食したことはない。
私はそんなものとっくに食したわ!のお方もおありでしょうが・・・おっとット、それ
は「モドキ」ものではないのでは?ほんの少々「エキス」が入ったものではありませんでしたではないでしょうか?貧乏人のヤッカミでんがな~
5月ころ、ツアー旅行の北京のレストランでのオプション料理に「フカひれスープ」「アワビの煮もの」があり . . . 本文を読む
スーパーからの買物の帰途、よく、すれ違う老夫婦がある。
妻の方は写真の様な「歩行器」を押してはいるが、もう掴まっているいるだけで、上を向き意識朦朧状態である。夫が傍に付き添い状態でお買い物である。これが日課であろう。
かっては、数年前は夫婦仲良く、手を繋いで散歩などをしていたのだろうが、今は哀れを誘うのである。
病院で見かける・・・老夫婦の一方は車椅子、一方が押しているその姿・光景は哀 . . . 本文を読む
先日、一泊で養老渓谷に行ってきた。
そこに、養老八景の一つ「弘文洞跡」があった。
約140年前、農地開拓のため「川廻し」を考えたのである。
「川廻し」とは、農地を得るために、蛇行している川の上流と下流が近接するところをトンネルでバイパスさせて流れを変え、干上がった河川を農地などに利用したのである。
この写真のトンネルは、昭和54年5月に崩壊した。
諫早湾干拓訴訟で、周辺海域の環境 . . . 本文を読む
もう年賀状の時期になった。「喪中に付き・・・」も結構来る。
パソコンの住所一覧録に、今年の夏逝った人のがあった。
ああ、君はもういないのか・・・削除した。
第二の職場によその団体からきた人だったが、何故か気が合うと言うか、私の事を好いてくれていたようだ。
外回りの仕事も一緒の時もあった。ある時、バスを降りてすぐ、彼がバス内に大事な書類を忘れたことに気付き、すぐタクシーでバスを追いか . . . 本文を読む
私鉄軽便鉄道・赤穂線の思い出である。
記憶に残っている最初は、赤穂線有年駅のホームである。国鉄(現JR)有年駅より百メートル位西にあるこのホームは屋根もなく、汽車の到着まで待っていた。
午後9時ころだったか、待合室も閉まっていたのだろうか、薄暗い街燈の電球があったようだ。
母と姉、妹の四人で私は5歳くらいか、昭和19年ころだった。
妹は母に背負われていたのか、姉と私は寒くて手が悴んでい . . . 本文を読む
前日の午後2時頃だったか、就職先の東京へ、当時、鈍行で直行はこの1本しかない汽車で郷里を後にした。
翌朝5時頃、東京駅に着いた。昭和33年9月21日のことだった。
23日が入校式であったので、余裕を持って宿舎兼教習所に入ることにしていた。
時間も早かったので歩いて九段まで行くことにした。赤レンガの高架沿いに水道橋、お茶の水、飯田橋と、人の動きも無い朝の清々しい空気を吸って辺りを見ながら . . . 本文を読む
今、国中で歌舞伎役者が絡む傷害事件が、ああだ、こうだと報道されている。
「喧嘩両成敗」の感がしないでもない。示談解決の運びでお手打ち「シャン、シャン、シャン」かいな~
最近、我国の一部を殴られる事件があった。
隣国ではドンパン砲撃の応酬があった。戦争中のことでそんなに驚くことではないが、長く休戦中で少しは驚いたようである。これが全面戦闘再開になると日本は?
我国は、殴り返していな . . . 本文を読む
思わず一人で苦笑してしまった。ニガニガしく諦めに近く・・である。
メガネ(老眼)を掛けていながら「メガネ」を探したのである。額に上げて掛けていたのなら未だしも・・・もう銅賞(どうしょうも)も無い・・・金には届かないか。
二階に上がって「さて、何を探しに上がってきたのかいな~」・・思い出せない。また降りて原点に返って思い出そうとする。
同年代でこんな会話が出て来ると「皆そうなんだァ、我一 . . . 本文を読む