この話は、下町のナポレオン「いいちこ」のことではない。
「ホッピー(hoppy)」である。差し当たり何と表現すればいいのだろうか。差詰め下町のオン・ザ・ロック(On the rocks)と名付けてみた。
商品名である。ビールのようで、ビールじゃない。焼酎で割るけど、サワーじゃない、と書いてある。
昔は、下町の墨田、葛飾、江戸川の区で勤務していた頃のアフター5は居酒屋で最初はビール、その後 . . . 本文を読む
ボケーとして、生きているんだか、死んでいるんだか、こんな状態がここん所続いている。「腑」抜け状態である。
冒頭の写真は、「麩」菓子である。麩に砂糖かチョコレートが付けられている。駄菓子で隠れた人気があるようだが、私達の子供の頃にはなかった。
麩の思い出は、朝の味噌汁の具に入っていたこと、たまの「すき焼き」には必ず入っていたものだ。
腹が空いても食べるものがないと「棒麩」をちぎって食べ . . . 本文を読む
難病の子供たちが臓器移植を受けるため米国などへ赴く、8千万円とか1億円の費用を善意の寄付を受けて行く報道を目にする。渡米し順番を待ち手術を受けて帰ってくる。
日本では15歳以上でないと臓器提供の意思表示ができないので子供の臓器を確保できないからである。米国などの子が頼みである・・・・・・・
ドナー(donor)レシピエント(recipient)関係は複雑である。
厚生省(社)日本臓器移 . . . 本文を読む
今日は気温も上がり、ポカポッカです。ガラス越しに日光が気持よくウトウトと、日向ぼっこである。
わたしゃ一杯!でウトウトと、びわと一緒で何ァんもすることないが昼寝をすると癖になるのでここんところ極力しないでいる。
「春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな」(蕪村)
・・・・春一番 各地で被害 手柔らかに・・・・・・・・・ . . . 本文を読む
冒頭の写真のようなものが、小学校などの片隅にある。使われているのだろうか?「ひゃくようばこ」と読めるのだろうか?
温度計、湿度計などは備え付けられており、定時に測定するようだが、やっているのかいないのか定かでない状態である。
地上高さ1.5m前後、扉は北側に(開けた時に日光が差し込まない配慮か)白塗りの鎧戸で地面は芝生が一般的であるようだ。
これが驚いたことに、現在でも10~20万円で . . . 本文を読む
If winter comes,can spring be far behind?「冬来たりならば春遠からず」「君よ朝の来ない夜はない」などと言われている。
春来たりならば冬遠からじ、夜の来ない朝はない、などとマイナス指向は言わない。
四季の変化がはっきりしているのが日本の特徴である。外国で一年間も生活したことのない者なのでその有り難味は分からないのだが、そういうものらしい。
常夏のハ . . . 本文を読む
冒頭の写真は、生誕百日のものである。昭和15年1月15日頃のものか、姉妹弟のものもそれぞれある。
満一歳の昭和15年10月頃のものもある。全部写真館での撮影である。
私も母に習って、子供の百日、一年目をマイカメラで撮影してあるが、孫の親たちは、今はもう、デジカメの氾濫普及で撮り放題、整理などなく無差別に何百枚も撮りまくっているだけの感がする。
下の子が生まれると上の子は年齢の半分以下 . . . 本文を読む
毎朝、卵2個を使い卵焼き(japanesse omlet)目玉焼き(sunny-saide egg)炒り卵scrambled ham-egg)などを作っている。ダシ巻きなどは作れない。
夜は早く寝るので、5時起床を心掛けている。冒頭の写真は朝食の定番である。チョット不味そうであるがマアマア食べられる。食べないとしょうがないのである。
ラップ冷凍の茶碗半分の白飯を3分間半のチン!、納豆一つ、 . . . 本文を読む
家庭菜園をやっているが、茄子、胡瓜、トマトの他に、何か珍しいものを作ってみようと、苗屋で見つけたのが「ペピーノ」である。
ペピーノ(pepino dulce)ナス科でキュウリ、メロン、ナシを併せ持ったえも言われぬ味の果実だそうだ。
これの育成に2年挑戦して2敗、惨敗である。
今年は性根を入れて取り組んでみることにした。まず、肥料をしっかりとやる。そして結実促進剤をやってみる。
これま . . . 本文を読む
IKKOさんです。おねえ口調でTVによく出てくる有名なカリスマ美容師である。
意味が解らないという人もいるようだが、関西地方では、どれだけ、値段、程度、量についての疑問を表わす。
「ご飯を炊いておいてょ!」「どんだけー(炊くコメの量、5合か、一升かを聞いている)」また「このお肉どんだけしたの?(値段がどれくらい)だったのか?」「育てるのにどんだけ苦労をしたか」などで、どうってことのない方言で . . . 本文を読む
小学校の頃は食べ物に不自由していた。勿論、お八つなどなかったがどこの家でも同じようなもので、大体そんな言葉も知らなかった。
アラレ、オカキなども学芸会、運動会の時か、時たま、お八つの感じで食べたことがあった程度である。
思い出されてくるのは、暮れに搗いた赤、白、青、黄で食紅など色を付けた熨斗餅を四、五日たった硬くなる前に5㎜四方で長さ3㎝位に切り刻み蓆の上で乾燥させるのである。さらにこ . . . 本文を読む
1949年、中華人民共和国の成立宣言がこの天安門楼閣から発せられた。
115元と危険物持ち込み防止のための手荷物預け料を支払って登楼した。
南方を望むと東西500m、南北800mの広大な広場が展開される。
右方に人民大会堂、正面に人民英雄記念碑(冒頭の写真)、その後方には、かってはこの楼閣から宣言をしたが1976年に没し、その遺体が安置されている毛主席記念堂がある。
後方には、かって紫 . . . 本文を読む
随分昔の話である。平成5、6年頃か・・・
課員十数人の中の2名の女性からまとめて「チョコ-レート」である。
とても「本命」とはいえず、単なる「義理チョコ」でもなし、一把絡げの「皆さんでどうぞ!」の箱入りチョコである。15、6個も入っていただろうか・・・
ゴッツアンと一個食った。そこまではいいんだが・・・・・・・・・・・・
気の利く男性が「お返しだ・・1、000円徴収!」と廻ってきた . . . 本文を読む
最近は、スパー銭湯などがあるようだ。
今では少なくなった大衆浴場の思い出である。
昭和34年、浅草馬道の独身寮に入った。部屋の先輩が、名前は忘れたが○の湯に連れていってくれた。
料金は10円だった。先輩がそこの娘さんと婚約していることから寮員は3円か5円をまけてくれていたのだ。現在、都内の料金は430円位かとも思うが定かではない。
昭和40年、結婚し、やはりすぐ近くの家族寮に入った。 . . . 本文を読む
ティシュペーパー(tissue paper)
今はどこの家庭にもある。孫たちは「鼻が出た」「手が汚れた」などですぐティシュ!ティシュ!である。
部屋には冒頭のような写真のものが最低一箱は置いてある。当然のようにヒョイと摘みだす。
暇なもんで箱の記事を読んでみる。「150W 2PLY」この場合は2層になっており300枚入っているという表示である。180Wのもある。
紙のない時代に育っ . . . 本文を読む