昭和24、5年の小学生のころ、巡回映画かで見た「この子残して」である。
勿論、モノクロである。
長崎の原爆で妻と長女を亡くし自分も被爆して白血病となった永井隆博士の著書の映画化であった。
私たちと同年ぐらいの男の子と女の子を抱えた病床でのシーンが多くあった。
つい最近、あの女の子が死んだと報道された。筒井茅野さん、66歳とあった。兄の方は健在か・・・・・・・
夕べの星に母を恋い ひとり佇む影かなし この子残して・・・・・
こんな歌があったことはインターネットで知った。
博士は、昭和26年に逝った。その後のあの兄妹のことなど知る由もなかったが、報道で思い出した。
長崎医科大学教授の遺児として、生活、学資には不自由はなかったろうが、両親のいないことは致し方なく寂しいものであったろう。
私事、貧乏でも独り立ちするまで両親がいたことは、何物にも代えがたい有難き幸せであった。
そして、我が子に対しても、独立するまでどうにか両親揃っていてやれたことは人の力だけではなく、運が良かった思うしかないのではないか・・・他に何がある????・・・・
勿論、モノクロである。
長崎の原爆で妻と長女を亡くし自分も被爆して白血病となった永井隆博士の著書の映画化であった。
私たちと同年ぐらいの男の子と女の子を抱えた病床でのシーンが多くあった。
つい最近、あの女の子が死んだと報道された。筒井茅野さん、66歳とあった。兄の方は健在か・・・・・・・
夕べの星に母を恋い ひとり佇む影かなし この子残して・・・・・
こんな歌があったことはインターネットで知った。
博士は、昭和26年に逝った。その後のあの兄妹のことなど知る由もなかったが、報道で思い出した。
長崎医科大学教授の遺児として、生活、学資には不自由はなかったろうが、両親のいないことは致し方なく寂しいものであったろう。
私事、貧乏でも独り立ちするまで両親がいたことは、何物にも代えがたい有難き幸せであった。
そして、我が子に対しても、独立するまでどうにか両親揃っていてやれたことは人の力だけではなく、運が良かった思うしかないのではないか・・・他に何がある????・・・・