昭和30年代、浅草に会社の独身寮があったことから、週3位は六区で映画を見ていた。
あのころの映画街は、冒頭の写真のように平日も御上りさんで混み、日曜日ともなると朝から人出が絶えず通行もままならない混雑で、夜十時ころ映画が刎ねると帰る人でまた混雑し、その後は静寂となるのである。
館内では上映前にスライドの広告が何枚か流されるのである。
「行きにしようか、帰りにしょうか、ならば行きにも帰り . . . 本文を読む
学芸会で、浦島太郎を竜宮城に案内している「亀」を思い出す。これは60年前の私である。(昭和23年)
かけ足も遅かったので、あだ名に「カメ」が付きそうだったが何とか遁れたことを思い出す。
あれから50年、時は移ろい、数年だけの第二の職場は「亀戸」であった。JR亀戸駅近くの公園に親ガメの上に子ガメその上に孫カメの「羽亀」がある。そこを通って外廻りに往来する。
当時の四季の写真とチョットした遊 . . . 本文を読む
大雲山龍安寺の枯山水の方丈石庭、15個の石全部は一度には見えない、14個しか・・・ただ、中の部屋の一か所からは見えるとか。
十五夜の満月にあたる15という数は「完全」を表わし、一つ足りない14は「不完全」を表わすという。完全から崩壊が始まるという思想から不完全にしておくということのようだ。英国人か京都大学の先生かが何か難しい解釈をしているようだ。
エリザベス女王が是非にと訪れ、絶賛したこ . . . 本文を読む
文部省唱歌「故郷(ふるさと)」「兎追いし かの山」である。
「兎追い鹿の山」と思って歌っていた。ある人は「兎 美味し かの山」だったという。兎はそんなに美味しいの?誤った解釈であるが、兎を追うということは食べることにあったのでは?強ち誤りとも言えない。まあ私の方が情緒ある勘違いか。
2段の「小鮒釣りしかの川」はすんなりであるが、1段は山には鹿がしっくりくる。近年は我が故郷の裏山にも猪・ . . . 本文を読む
朝、血圧の薬を飲むが、得てしてこれを忘れる。忘れたことがハッキリしていればいいのだが、飲んだか飲まなかったかがアヤフヤなので困る。
食後からの行動を遡ってみること屡々である。この防止策として薬に日付を書くなどあるが、水を飲んだコップをMyテーブルに置くことにしている。
コップを置くことも忘れるようになったら、もう薬もいらない末期症状だろう。
まだ忘れないのは、飯を食うこと食ったこと、晩 . . . 本文を読む
メダカの学校は池の中・・・誰が生徒か先生か・・・みんながそろってツーイツイ
3番にあるツーイツイが解らない。幼稚園児の母親に聞いても解らない。メダカの行動の状態をいうのだろうか・・・
メダカの群れにリーダーなどいるんだろうか、一斉に散ったり集まったりしている。生まれ落ちてから親兄弟のことなど思うことなどあるのだろうか、勉強をしているんだろうか。老人クラブなどでもワィワィガャガャ騒いでばかり . . . 本文を読む
平成4年(1992)ころか、一本のカセットテープを貰った。「いいョー泣けるよー」であった。
もう忘れたかしら・・全国の涙を集めたこの語りは忘れられない、溢れる涙は頬を伝い、これ程感涙した話はなかったと今でも思う。
ある年の大晦日の晩、「看板」を下そうとしている蕎麦屋に子供二人連れの女性が現れる。どうしても蕎麦が食べたいというので店に入れると母親は「かけそば」1杯を注文した。
三人で1杯 . . . 本文を読む
またまた食べ物で恐縮です。昭和32年ころ、高校時代、テニスの部活の帰りに立ち寄っていた町に一軒しかない「うどん屋」が思い出されます。 当時で一杯20円位でしたか、こずかいが無いのでこの店に入ったのは3年間で2,3回しかありませんでした。そして「狐」でもなし「狸」でもなし、「おかめ」などとんでもない。単に一杯の「素うどん」でした。
関西のうどんの汁は、関東の黒い濁ったものとは異なり、昆布 . . . 本文を読む
次は自分たちの番だなァーと口にこそ出さないが、胸に思うのは同じではないだろうか、ノーテン以外は・・・である。
そろそろ届く時節になったか、「喪中のため・・失礼させて・・」例年今頃になると届く中に「母(父)永眠いたしました・・」である。その方を知っていても知らなくても、我が余命の「少な死」を、おっと誤変換だ。
つい思う、母親の三回忌を済ませたばかり、七回忌はできるかナー
・・・子が . . . 本文を読む
あなたは、目玉焼きに醤油をかけますか、それともソースですか。
カレーに、ソース?醤油? 関西での子供のころはソース、いまは関東で何もかけない。関西の食堂でカレーを注文すると、ソースが出てくるところがある。それをかけて、グジャグジャかき混ぜてたべる。いと美味し・・・
ペットを飼うにも、猫派、犬派がある。たまに両方もある。犬猫の仲?である。
子供にも、電車派、バス派があるようだ。
かって . . . 本文を読む
数年前、一泊ヘボゴルフのため、伊豆修善寺温泉駅に降り立ち、昼飯時でもありすぐ前の蕎麦屋に入り名物の蕎麦の盛りを註文した。
冒頭の写真の様な小さなわさびと小さな下ろし金(正確には陶器)が出てきたので「これは如何するのか」と聞いたところ、自分で摺り下ろすのだということだった。
東京などでは粉わさびを練ったものが薬味の小皿の傍にチョコンとついてくるが、ここではさすが本場の本物であることをアピール . . . 本文を読む
馴染みの女に逢いてえな!
その背景は、聞くも涙、語るも涙である。
会社の慰安旅行で佐渡金山に行った時のことである。蟻の巣のような入り組んだ坑道に置かれている電動で動く人形のの一つが喋っている言葉である。
佐渡金山は、慶長6年(1601)に発見され、徳川幕府の天領となった。
佐渡の相川は急激な発展を遂げ、商人、掘り子などが集まった。露天掘りから地下に掘り進むにつれ地下水の排水が必須と . . . 本文を読む
カレンダーに行事を記入する。携帯のカレンダーにも、これが日常茶飯事である。約束する前に手帳などを見て確認、予定が入ってますなんてことが多い。
人の生死は「潮の満ち干」に起こるといわれているが、とんでもない。統計上でも概ね均等して起っているように思える。大体、交通事故、殺人によるものなど説明がつかない。
最近では「うちの孫は今月の31日午前、女の子が生まれます」医師不足の時代には合理的に処 . . . 本文を読む
「後の祭り」祭りのすんだ翌日に山車(だし)を出しをたことから、時機を失した、手遅れのことをいうようだが、単純に祭りの済んだ翌日、神饌(お供え物)を下して宴会をすることの意もあるようだ。
私の隣のおじさんは・・・ワッショイワッショイ ソーレソーレお祭りだ・・・お祭りすんで日が暮れて 家を焼かれたおじさんと ヘソクリとられたおばさんと・・・いくら泣いても後の祭りょー(お祭りマンボ) 美空ひばりで . . . 本文を読む
軍隊でも言われていたようだ。この言葉を久しぶりに思い出した。
昔、職場の昇級試験で、これをすべきが正解○マルの問題があった。
意味は、自分の判断だけで、思いのままに事を行うこと。即ち、誰にも伺い図ることの出来ない緊迫の状況においては、自らがこれが最善と決め行動しなければならないし、すべきだということである。
戦闘で中隊長が斃れ「以後、中隊の指揮は俺がとる!」先任小隊長が叫んだ。これが . . . 本文を読む