久し振りの「びわ」の登場です。
私の居るベットに来るのは、日曜日などの花火の音やザーザーの雨音の時くらいで、震度3、4くらいでは驚かなくなった。
午前中は畑などゴチャゴチャしているが、午後は風呂に入りベットで寝てTVでも見ているだけだ。
「びわ」は、ベットに私が居ない時には上がって来るようだ。私が来るとサーッと降りて行く。危険を察してか・・・コチトラは危険を察するも逃げるところも宛も無い・ . . . 本文を読む
・・・・萌出ずる春になりにけりかも・・・「岩を縫って落ちた滝のその滝のほとりに蕨の萌えいづる春になったのだ・・・・私は歌が好きで毎年この頃になると口に出てくるのである。
童謡の春よ来い春よ来い歩き始めたミヨチャンんが・・・「早春賦」か・・・昨年5月かに訪れた早朝の小川の流れはヒンャリ冷たかった、寒かった。記念碑の前で暫し佇む・・・・
今年はやや体力も落ちた齢もとtった。当り前だよ人生は・ . . . 本文を読む
意図しないままにTVのDVDに録画されていた映像が目に入った。
これが以前ブログに書いた「私がガン治療を受けるのは貴方のためよ」・・・読売新聞に連載された日本のガン治療トップの妻の言葉が心に残っていたからだ。
私が治療を放棄したら「貴方の男が立たない」・・だから・・こんな苦しいことにも耐えているのよ・・・
数奇な運命のもとに結婚した二人の愛の物語と壮絶な闘病生活でもあった。死は家で・・ . . . 本文を読む
店頭に出ている「タコ焼き」を何となく食べてみたくなって買ってきた。
結構にタコは入っていたが噛み切れず全部出してしまった。まあぁ足の先っちょばかりだったが・・・
以前、孫達に自家製のタコ焼きを作ってやったが、タコの代わりに「かまぼこ」を入れてみた。
「タコの入っていないタコ焼きなんて・・・」不思議そう?驚き笑いか?
最近の正月には「酢だこ」は見当たらなかった。一頃のように出ていないこ . . . 本文を読む
昨年、ある人のお勧めの蕎麦屋に入った。
店内に写真が掲示されていた。その中の一枚に目が止った。
桃の木(花)が山里にホンワカと咲いている。唯それだけのものであった。題名に「○○町、山の里」にひっかったのである。
○○町は、私の村の隣町でそこの高校に通った。山の里はそこからはそう遠くはない所のようだった。と言うのは聞いたことはあるが一度も訪れたことは無いからである。
呼び方は一般には . . . 本文を読む
朝夕に「雨戸」を開閉する。正確には、引く、納めるか。アルミかジュラルミン製かでスムースに人押しで「戸袋」に入っていく。敷居・鴨居も同様の製品である。
この時、何時も思い出す。
東京に出てくるまでは我が家の2、3枚しかない雨戸の開閉は自分の仕事であった。これが難儀な仕事で、何しろ建物が傾いているし、戸も 敷居も腐っている。いわゆるガタビシ・・・「戸袋」も傷んでいるし、納めるに大変であった。
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関東南部にも久し振りの積雪があった。と言っても4センチ位か。
生まれてこの方、此の方70余年、雪にはあまり縁が無い所で生活をしてきた。
記憶に、小学校時代には残っていない。中学校では校庭で雪合戦をした。
高校時代には記憶が無い。おそらく降らなかったのだろう。
上京してから大雪らしいのが5、6回もあっただろうか・・・・・・・
年に1、2回の雪も取るに足らないもので今日まで来た。
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元旦はその過ぎ2日になった。「三が日」とは昔から言われているが、昨今は、お店等は動き出しているのでその気分はもう一つである。
御節、煮物等の食べ物もどっさり仕込んで?備えていた頃と違ってその必要もない状態である。
食べたいものは一応揃っているし・・・贅沢を言わなければ・・・
喰っちゃ寝、飲んじゃ寝じゃ身体に良くない。正月に限ったものではないが・・・
注文した御節も4人に平らげられて、「 . . . 本文を読む
早朝からペッタン、ペッタン、ペッタンコ、各家から音が聞こえてくる。子供の頃の郷里でのことである。
今はもう無いと思うが、少しは残っているかも・・・今思えば、年末の風景・風物詩であった。
29日は苦餅といって、31日は何だか知らないが餅つきはやらない。28日か30日にやっていた。
本家に近くの子供の4世帯が集まっての餅つきであった。私達(孫)は搗き上がるのを待ってアンコロ、カラミ、黄粉な . . . 本文を読む
クリスマスが間近だと言うのに今年は例年のようにジングルベルが流れて来ない。お店もラジオもTVも・・・その後は「お正月」もういくつ寝たら・・・であるが・・・
大震災などの影響か寂しい気もするが、あの喧騒は風物詩と感じることもある。
サンタクロースはいるのかいないのか、信じるのか信じないのかなどとよく言われれて来た。
私とクリスマスはプレゼントとは全く関係が無いが、チョットした思い出とい . . . 本文を読む
叔父の訃報に接し告別のため帰郷した。
序でに、予てから見ておきたいと思っていた「瞼の原風景」に足を延ばした。
小学校時代の夏休み等は毎日のように魚釣りや泳ぎをした川幅10m位の川で「蛇淵」と呼ばれていた直角に近く曲がっていて蛇が何かを飲み込んだように腹の膨れた状態になっている個所が(私の推測)・・・今は当時の姿は殆んど無く・・・それでも往時を僅かながら偲ばれる。暫し佇むのである。
中学 . . . 本文を読む
何かの拍子に、「ポロッ」と出てきた。冒頭の写真のものである。
「共布、トモ切れ」と言うのか、背広やズボンを買うとこれがポケットなどに入っている。
破れたらこれで補強するのだが、そんな場面は一度あったか、無かったか。
そして、付いてくるのが「ボタン・釦」である。取れて落としてしまったり、欠けたりする時に使う予備である。
以前はタンスに保管していたが、今では捨てている。背広などももう必要 . . . 本文を読む
今日で夏休みは終わりである。(特に関係はないが・・・)
中学3の年の今日だったのだろうか。同級の・・・と言っても1クラスしかなかった。所の友達4人くらいだったか、川で遊んでいて急に「今晩はここに泊まろう!」と意見が一致した。
来年は高校で別れることもあるし・・・の思いがあったのだろう。
それぞれ家に帰り筵やゴザなどを持ちより、河原に竹の柱などを立て一坪くらいの掘立小屋とも言えないもの . . . 本文を読む
66回目の終戦記念日が巡って来た。8月15日には「全国戦没者追悼式」が政府主催で行われる。
昭和20年のあの日の記憶は全く無い。5歳と10カ月であったのでそんなものだろう。
疎開や食糧難も厳しい感じはしていなかった。何とか食べさせて貰っていたから・・戦争をしていたとか、終わったとかは記憶にもなかった。
昭和21年4月、小学1年生で・・・戦後教育の始まりであった。教科書は近所の一年先輩 . . . 本文を読む
子供のころ毎日のように魚釣り、水泳などで遊んでいた川がある。
誰が名付けたか「「蛇淵(じゃぶち)」と呼はれていた。川幅は20メートル位で、下流に向け45度位に右折し、下流に行くその手前のコーナーがパワーポイントである。
そこは川幅もやや広く、淀んで深くなっていたり、チョットした砂浜?があったり・・・水流がぶつかる所には石垣があった。
そこで、釣り糸をたれたり、泳いだりしていた。魚が釣れ . . . 本文を読む