ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

韓国に行ってきました

2007-02-24 19:00:16 | 旅行けば
平成11年(1999)3月、定年前の退職者3人で記念にどこかに行こうということになり、「韓国・ソウル」に決まったのである。

 3泊4日の往復キップとホテルの予約だけの自由行動で着いた日は市内見物、次の日は景福宮、一時は日本の朝鮮総統府の置かれた所、ソウルタワー、南大門、明洞など市内あちこち、その夜は韓国伝統の踊りなどと「韓定食」のコースだった。結婚式が多かったのかあちこちで新郎新婦が写真を撮っていた。
次の日は「板門店」へ
 ソウルから北へ、米人が殆どで日本人が少々の観光バス数台が連なって80kmくらい走ったか、途中随所の幹線道路のあちこちにコンクリート製の跨道橋あり、北からの侵入の戦車にはこれを落として妨害するということである。
 市内でも電柱がなく、事態あれば幹線道路は滑走路になるとか、危機感は厳しいものがあった。

 板門店では、緊急事態発生に備え生命の保証はないことに了承するなどの内容の英文書面によく分からないままに差し出された誓約書に署名をして、軍事境界線、展望台、38度線に入ったのである。

 写真中央の旗の位置ががその38度線である。展望台から見る北方は、北朝鮮側の宣伝村からは巨大宣伝スピーカーから放送が流れるとのことであるが、当時はやってなかった。
 マンションのような建築物も立ち並んでいたがデモのようで人は住んでいないようだった。これらも2004年には撤去されたようだ。
 デパートの地下食料品売り場では「キムチ」が大量に売られていた。レートは1、000ウォンが100円位で物価はやや安いかという程度であった。

 最後の日は「焼肉を腹一杯」食べた。ガイドブックの有名店に行き、骨付きカルビを鋏でジョキジョキ切ってくれるのどんどん、次はブルコギだとかで5~6人前を平らげた。勿論ビールでかき込んだのである。値段はそれだけの料金だったのではと思う。

 ソウルの観光は、日本人客で持っているという感がした。


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