MIZUNO Katsuya

STEP WORLD LL日進駅前教室 代表講師のブログ

わかっちゃいるけどやめられない

2013-08-17 01:48:55 | 英語教室

 「分かる」ことと、実際に「行う」ことは、別の問題であるとJuly 18, 2013 MIZUNO Katsuya blogに書きました。英語を「知ってるつもり」「言えてるつもり」「覚えたつもり」になっていることがよくあり、「分かっていても簡単に口から出て来るものでない。」という例をあげました。自分では「出来てるつもり」でも、実際は簡単には出来ないのです。

 この「分かる」と「行う」は違う、ということと関連して、「わかっちゃいるけどやめられない」ということがあります。例えば、勉強をやろうと思っていても、自分の好きなこと、つまり、ゲームやスマホ(SNS・Email...ect.)などをやってしまい、つい時間が過ぎてしまった・・・という経験です。大人も含めて、ほとんどの人が思い当たるのではないでしょうか?

 特に、スマホについては、影響が大きくなってきています。教室でも、生徒の皆さんがスマホをさわっている姿を見かけることが増えてきました。ご送迎の車から降りた時から始まり、授業の直前まで触っていて、終わったら途端にまた触る・・・。ガラ携の時代でも、頻繁にEmailの送受信をしていた姿を見かけましたが、そこまで極端なことはありませんでした。教室への携帯orスマホ持ち込みについては、ご送迎の保護者様との連絡もあり、禁止にはしていません。ただ、上記のように使い過ぎは良くありませんので、教室でも何らかの対策の必要性を感じています。

 実際、「成績が下がってしまった。スマホをやり過ぎたようだ。」という声を保護者様からも伺っています。

 2013年8月1日のニュースで伝えていました。
 『全国の中高生約10万人が回答したインターネットに関する厚生労働省研究班の実態調査で「病的な使用」と判定され、ネット依存が強く疑われる生徒が8・1%に上った。研究班は結果を基に、ネット依存の中高生が国内で約51万8000人に上ると推計した。』依存が強いほど睡眠時間が短くなり、「ネット依存が健康に悪影響を与えている」と警鐘を鳴らしています。これは、日本に限らず、海外でも「スマホ依存」の中高生が増えているそうです。例えば、韓国では高校生のほぼ5人に1人はスマホ中毒になっているとのことです。

 それでは、どうすれば良いのでしょうか?

 いくつかの解決策が考えられます。まず考えられるのが、規制をする使い方について約束事をするということです。

 あと1つは、やはり自己管理です。スマホについては、理想的には規則で縛るのではなく、「自主規制」をして欲しいです。確かに、大人でも簡単ではないのですから、子どもの場合は、さらに難しいというのは事実です。「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、人間が生きている限り、なくならないことのようですから。(下記*備考参照)

 完全な人はいません。しかし、「わかっちゃいるけどやめられない」とあきらめてはいけません。完全に無くそうとはしなくても、その欲望は、心の持ちようでコントロールすることは出来るはずです。

 自分の夢や目標を頭の中で思い浮かべて、それを実現するために、 「今何が大切なのか」という優先順位をしっかりと考える。そして、「分かってはいたけど、つい・・・」という後悔した時の気持を忘れないでいる・・・。こうありたいものです。

 生徒の皆さん「良い成績をとってor合格をして嬉しい」「大勢の人の前で堂々とスピーチを発表している」「カッコ良く英語を使っている」・・・など、そんな自分を想像して、ゲームやスマホ(SNS・Email...ect.)はほどほどにして、今やるべき事をしっかりとこなして行きましょう

 「今じゃなくても、明日やればいい」のではありません。

未来の自分を過信してはいけません。

明日の自分ならばやるのですか?

「未来の自分を創るのは、今の自分です

<追伸>
関連事項はこちらをクリック
「出来てるつもり」
http://blog.goo.ne.jp/mizuno-katsuya/d/20130718

(*備考)
 昔、植木 等という有名なコメディアンが「スーダラ節」という歌を歌っていました。その中で、お酒が「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズがあります。
以下、ウィキペディアからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9C%A8%E7%AD%89
 植木さんは、生真面目な性格で、『「スーダラ節」の楽譜を渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と悩んだ。(浄土真宗の僧侶である)父親に相談すると「人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これは親鸞聖人の教えに通じている。そういうものを真理というんだ。上出来だ。がんばってこい」と諭され、植木は歌うことを決意した。』とのことです。


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