薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

「食の進化論」のブログアップ・前書き

2020年09月13日 | 食の進化論

 2007年5月に「食の進化論」と題して、小生の処女論文を発表した。発表といっても、ワープロ打ちしてコピーした手作り出版物であり、知人友人100名ほどに配っただけのものであるが。
 それから13年も経ち、もうこれはお蔵入りにし、他の論文のようにブログアップするのはよそうと思っていた。その論文の一部は勉強不足で、通り一遍の中身のないものになっており、将来の食については断片的にしか取り上げていない。これが原因だ。
 ところが、新たな論文(テーマはまだ未定)を書くようにと、幾人かからケツを叩かれ、今、模索し始めた。処女論文とも関りがありそうな雰囲気もある。よって、その論文を一度精査し、改訂版としてブログアップしておいたほうがいい感じがしてきた。
 というようなわけで、初版物はワープロ打ちでフロッピーディスクに収められており、それもどこへやら行ってしまったので、1冊保存してある手作り出版物を眺めながらパソコンのキーボードをこつこつと叩き、改訂版を作り上げていこうと思い立ったところである。
 ブログを何本も立てている小生である。「食の進化論」をどのブログに載せようか迷ったが、このブログ「薬屋のおやじのボヤキ」は食学に重点を置いているので、ここが座りが良かろうと思い、カテゴリーを1本新設して掲載することとしました。
 読者の皆様に、どれだけお役に立てるかわかりませんが、興味ある方はお読みいただけると幸いです。
 なお、できるかぎり毎週日曜日に1章ずつブログアップしたいと思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 永築當果の真理探訪
     
 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
 <2007年(平成19年)4月30日 第1刷発行>
 <2020年9月 一部改訂> 

目次
はじめに(このページに収録)
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき
雑記編1日本・中国・韓国の食文化の違い
雑記編2世界の食糧難を救った作物はなぜかアンデス生まれ、そしてこれからも
雑記編3「大陸=力と闘争の文明」VS「モンスーンアジア=美と慈悲の文明」の本質的な違いは食にあり
雑記編4 肉は薬であり、麻薬なのです。ヒト本来の食性から大きくかけ離れたもので、これを承知の上で食べましょう。
雑記編5 人はどれだけ食べれば生きていけるのか?毎日生野菜150g(60kcal)で十分!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(製本した論文の知人友人への送付書 2007年5月)
拝啓 野に山に新たないのちが芽吹いて人に生気を授けてくれる季節となりました。
貴方様におかれましても益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

小生は団塊の世代の生まれです。近年、我々の2、3年先輩たちが定年退職されるに当たり、人生の中間決算として自費出版で書物を世に出すのが一つの大きなブームとなっています。それら先輩と同様に、小生も57歳になって直ぐに、どういうわけか無性に本を書きたくなりました。そして、去年の3月に、40ページほどの詩の雰囲気を持たせた随筆「ヤーコンの詩」という小編ものを処女作として発刊しました。ヤーコンというアンデス原産の芋の栽培記録を元にしたものです。これを農業をこよなく愛する方などほんの一部の関係者にのみお送りしたのですが、思わぬ激励をたくさんいただいたものですから、がぜん自信が湧いてきて、本格的な物書きをやってみようという気にさせられてしまいました。

そこで、小生が13年間の薬屋稼業をするなかで最も関心を持ち続けている、人の「食」について、一般的に正しいと言われているもののなかに、あまりにも間違っていることが多すぎると感じられるものですから、そもそもヒトは何を食べてきたのか、そしてヒト本来の「食性」とは何かを深く切り込んで調べ、つまり、真理を探訪し、それを書物にまとめようという気になってしまいました。
早速に関連する本を買いあさって読みふけり、また、インターネットで調べたり、前から持っている本を読み返したりしながらワープロ打ちに入りました。
全体を打ち終えてからも、論理的飛躍があったり、根拠薄弱であったりする部分が多々あり、再びそれらに関することをインターネットで検索し、出てこなければ新たに本を取り寄せて補強作業を続けました。稼業の合間にこれを行ない、1年かけてやっと作り上げることができました。
こうして完成したものを読み返してみて、本筋では当初から自分で思っていたことが正しかったと確信した次第です。全くの独自の理論となってしまい、世の常識と外れるものではありますが、皆様に「食」というものを正しく再考していただく一助になれば幸いと考えております。

なお、「ヤーコンの詩」の第1刷に誤字が4つもありました。それをご指摘くださった同期のN君にこの場をお借りして感謝申し上げます。本書についても当然にあります。ページ数からすると誤字脱字が何十個と出てきそうです。加えて主語述語の関係がおかしかったり、修飾語の係りが不明であったりする文章もあったりして大変読みにくい所が多々あろうかと存じますが、国語能力に落ちる小生のこと、何とぞお許しいただきたくお願い申し上げ、処女論文送付のご挨拶とさせていただきます。            敬具

                                        永築當果こと三宅和豊
 2007年5月吉日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

食の進化論

はじめに

 肉は麻薬である。牛肉、豚肉、鶏肉そして魚の肉に至るまで、それは麻薬である。
 麻薬は人間を幸せな気分にしてくれる実に有り難いものです。
 ただし、はまると強い習慣性が生じて、心身ともに害するから恐ろしい。アヘン、コカイン、これらは今日では麻薬として世界中で禁止されています。でも、アヘンはアヘン戦争で有名ですが、当時の清王朝の貴族のたしなみとして愛用されていたもので、アヘン中毒に陥る者は少数であったそうです。
 コカインとてアメリカインディアンの儀式で飲まれていたものですが、それがコカ・コーラという清涼飲料水として米国で発売されました。当然にして常飲する者が現れ、中毒症状を呈して、コカインを入れてはだめとなりましたが、名前だけはそのまま使ってよいというから、米国文化は面白いです。コカインの害はたいしたことないとの背景があったのかもしれません。

 大麻から作られるマリファナという麻薬があります。日本では所持しているだけでも厳罰に処せられますが、大麻は習慣性が比較的少ないという屁理屈で、オランダなどでは容認されています。
 酒も麻薬です。イスラムの世界では絶対に飲んではならない麻薬です。かつて仏教においてもそうでした。また、タバコに含まれるニコチンも麻薬の一種で、習慣性がかなり強いものですが、どういうわけか程度の差こそあれ、喫煙は世界中で認められています。
 日本の法律で成人に認められている麻薬であるからといって、酒はやはり飲まないほうが健康的でしょうし、タバコを吸わないというのは絶対的な健康法でしょう。でも、この2つを小生から取り上げたら、ストレスが溜まりすぎて発狂すること間違いなしです。酒とタバコなしの生活をするくないなら死んだほうがましだなどと息巻いたり、屁理屈をこねたりして家族を黙らせています。酒に弱い小生ですから、たいして飲めるわけではないので、毎日たしなむ程度の晩酌は全く問題ないと考えていますが、タバコに関してはヘビースモーカーでもあり、自分でも何とかしなくてはと、ちと心配しています。
 でも、止めるのはとても無理です。この2つは明らかに麻薬です。正真正銘の麻薬であるアヘンと何ら変わりはありません。程度を超えて習慣化すると、必ず心身を壊すのが麻薬です。したがって、麻薬であろうが心身に良い物であろうが、法律でだめだからだめとか、国が推奨しているからもっと積極的に摂取しようとか、そうした観点から善し悪しを決めるのは的外れとなる危険があります。もっとも、覚醒剤を推奨するわけではありませんので誤解のなきよう。今日のストレス社会にあっては、一度はまったら止められなくなるのが覚醒剤の怖さであり、決してアヘンを時折吸っていた清の貴族のようにたしなみでは済まなくなりますから。

 もう一度言いますが、人間にとって肉は麻薬である。
 たまに食うと体は温まり、気力が湧いてきて滋養強壮薬として最高のものです。必須アミノ酸がバランス良く摂取できるからです。ヒトの体は蛋白質でできており、蛋白質を分解したものがアミノ酸です。ヒトの体を構成する蛋白質と極めて類似しているのが肉であり、これを食べれば、それが消化されてアミノ酸になり、ヒトの体にとって不可欠の蛋白質をいとも簡単に体内で再合成できるからです。
 江戸時代には生類憐みの令があって犬の肉を食べることはご法度でしたが、薬と偽って食べていたという記録があります。四足動物の肉をまず食べたことがない江戸時代にあって、病人にとって漢方で肝臓の滋養強壮になるとされている犬の肉は、朝鮮人参に勝る薬であったことでしょう。
(ブログ版追記 まれにしか獣肉を食べなかった江戸時代、俳人小林一茶がこれを「薬食い」として俳句を詠んでいます。→ “行く人を 皿でまねくや 薬食い”(小林一茶)の“薬”とは? 何と“肉”なのです!
 植物性の蛋白質からでは何種類もの食品をバランスよく摂取しないことには、必須アミノ酸を十分に摂取することは容易ではありません。随分と多くの量の植物を摂らないことには追い付かな
いからです。そんなことは病人にはとても無理です。ここに肉の有り難さがあります。
 ただし、はまると強い習慣性があり、心身ともに健康を害するようになります。我々はこれに気づかない。皆がはまっているから、これで正常だ、健康だ、と思い込んでいるだけです。加えて、動物性蛋白質は体に良いと教え込まれていますから、体調を崩しても原因は別のところにあると考えてしまう。

 紀元前の大昔に、既に肉は麻薬であることを知っていた節があります。
 それは、一部の原始宗教のなかから推察されます。彼らは肉は麻薬であるとは言っていませんが、決して常食することなく、儀式に伴って食べるだけという文化を持っているからです。
 日本人の食文化は、今や肉を常食するようになってしまいました。おいしいものがいつでもどこでもたらくふ食べられる飽食の時代を満喫しています。豊かで平和な時代が続いています。輪をかけるように農林水産省は、畜産振興がためにやれ肉を食え、牛乳を飲め、卵を食えと大号令をかけ、水産振興がために肉より魚が良いから魚をもっと食えと言い、農業振興がために米をもっと食え、野菜は倍食べろとくる。加えて、厚生労働省や文部科学省は、朝昼晩1日3食きちんと食べないと体に悪いと、子どもから大人までしっかり教育する。
 そんなに食ったら体がどうなるか。健康を害するに決まっています。
 ついに、厚生労働省は、昨年(2006年)「メタボリックシンドローム」なる、舌を噛みそうな言葉を登場させました。メタボリックとは代謝のことですが、分かりやすいように「内臓脂肪症候群」と訳されています。もっともこれは、もう20年前に「死の四重奏」として、肥満、高血糖、高脂血症、高血圧が重なると命が危ないと警鐘が鳴らされたことと同じ内容で、何も目新しいことではないのですが。
 何にしても食べ過ぎであることは間違いありません。それも、おかしな食べ方をしているから、そうした危険が出てくるのです。

 原因の一つとして、食欲煩悩というものは自己努力だけでは容易には抑えられない、ということがあります。人間は、新たな食の誘惑には滅法弱いものです。
 その最たるものが、朝食をとるという習慣の定着です。
 歴史時代を通して、ほとんど世界中が朝食をとらず1日2食でした。西欧社会においては、古代から平和が長く続くときには富裕層が朝食をとり、ひどい生活習慣病を患うという繰り返しが起こり、朝食は体に悪いという考え方が定着し、今日の西欧では朝食は口寂しさを紛らす程度に消化のいいものをほんの軽く食べるだけにしています。
 それが日本ではどうでしょうか。
 徳川家康の時代までは、一部例外があるも総じて上から下まで1日2食でした。徳川政権が安定して平和が続き、まず武家が朝食をとるようになり、これが江戸町人にも普及しました。相前後して、米を精米し白米を多食するようになって、江戸患いという脚気に悩まされることになったのですが、農民や地方の商人はずっと1日2食で通し、雑穀米を食べていました。
 そして、明治維新を迎えました。明治新政府が富国強兵のため兵隊募集のキャッチフレーズに使ったのが「1日3度、白い飯が食える」でした。訓練中の兵隊が次々と脚気にかかることから、原因は白米にあると気づき、早々に麦飯に切り替えたので脚気を防ぐことができましたが、その後「募集要項」を復活させた陸軍は、日清・日露戦争で、戦死者の何倍もの脚気による病死者を出すという悲劇を生んでしまいました。ちょっとした食の誤りが大変な健康被害をもたらした一例です。
 兵隊に始まった庶民の1日3食は、あっという間に全国民に広がったようです。兵隊が郷里に帰って、1日2食では口が寂しいからと1日3食にするのは食欲煩悩からして自然の流れです。そうして全国民に1日3食があっという間に定着してしまいました。
 でも、たいていは麦飯に味噌汁と漬物という粗末な朝食でしたから、西欧のようには明確な生活習慣病は発生しませんでした。しかし、たっぷりと朝食をとった後に、すぐに体を動かすわけですから、胃での消化と筋肉運動を同時に行うことにより、胃に十分な血液が回らず、胃は酷使され続けます。
 以来、日本人は「胃弱の民族」になってしまいました。
 典型的な例が、東南アジアでのコレラの発生時に見られます。旅行者のうち西欧人は滅多にコレラに感染しないのに、日本人は多くが感染します。コレラ菌は酸に弱いですから、胃が丈夫であれば胃酸で死んでしまい発病しないのです。世界一朝食をたくさん食べる民族、日本人の弱さがここに顕著に現れています。朝食は、胃弱と食べ過ぎを招くだけで、健康上何の御利益もないないことを知るべきです。
 小生の健康法で大きな成果を上げているのが朝食抜きです。さらに一歩進めて昼食も抜いています。もう一段上が断食です。「ときどき1日断食」に取り組んでいますが、これは慣れてもけっこうきついです。毎日の食事に気を付ければいいんだから、そこまではせんでおこうと妥協している今日この頃です。
 朝食を抜くとは何と不健康な。昼食まで抜くとはあきれて物も言えん。あんたは痩せすぎで、あと5キロは太らなあかん。その体で断食するとは何事ぞ。
 多くの方々から、そのようにご心配いただいておりますが、様々な健康法を勉強し、試したりするなかから、これがきっと健康にいい方法だという結論に至り、女房ともども体験した結果、やはりよかったと実感できましたので、ここに紹介した次第です。すでに3年にわたりこれを続けており、お陰で心身ともに快適な生活を送らせていただいております。
(ブログ版追記 その後10年間、夕食だけの1日1食を続けましたが、女房も高齢となり、昼食に何か軽く口にしたいと言いだし、小生の体重増加希望もあって、昼食におにぎり1個食べるようになり、3年経ちます。でも、昼食のおにぎりは義務的に食べているだけで体重減少も防ぎ得ないです。なお、3日断食にも何度か取り組みましたが、空腹感も生ぜず、その間に農作業もしましたが、ほとんど平気であったものの体重減少が大きすぎて、数年前から1日断食さえやっていません。)
 これ(朝食抜きのミニ断食)は万人向けの健康法ですが、素人考えで取り組むと逆に健康を害することがあり、朝食抜きはやはり体に悪いということになってしまいます。それみたことかと朝食支持派に大々的に発表されたりして、朝食抜き健康法は劣勢にあり、どれだけも広がりをみていません。誠に残念なことです。
 腹も空いていないのに朝食を食べないかんという観念から無理に食べておられる方は、一度お試しになってください。早い方で2週間、遅くても2、3か月で習慣づけされ、体調が良好になったことを自覚できます。体重が少なくとも2キロ減ることでしょうし、確実に体脂肪が落ちます。
(参照 朝食抜き、1日2食で健康!昔は皆がこれで驚くほど元気だったんですがねえ…

 もう一つの日本人の胃弱の原因が、時代の移り変わりとともに食習慣がヒト本来の食性から段階的にどんどん離れていき、それが民族により大きな差が生じてしまって、健康で生きていける食の許容範囲に明らかな違いが付いてしまったことに起因しています。
 日本人が西欧人の食をそのまま取り入れると健康を害するまでに、生物としてのヒトの食性が異なってきています。胃袋の厚みや腸の長さが違い、消化酵素の出の良さ悪さに差があり、これはそれぞれの民族に生まれつきのものです。数千年から数万年の経過でそうなったと思われます。
 蛋白質は胃で半分消化されます。肉を食べると胃は重労働をしなければなりません。胃袋を長時間動かし続け、消化酵素をたっぷり出さねばなりません。これを何万年も繰り返していれば、胃は丈夫になります。日本人に比べドイツ人の胃袋の厚みは3倍あるという研究結果も出ています。
 半面、日本人は西欧人に比べ、腸の長さは5割も長いと言われます。これは、玄米、雑穀や芋の多食を繰り返してきた結果です。これらの主成分は炭水化物・食物繊維であり、胃はふやかすだけが仕事で、消化は主に腸が受け持っているからです。
 これ以外にも民族による違いがあります。脂肪の消化酵素がよく出るかどうか、牛乳に多量に含まれる乳糖を分解する消化酵素を持っているか否かということが日本人には大きな問題になります。
 加えて、日本人が好んでよく食べる魚は蛋白質と脂肪が主成分ですが、これを多食するようになったのも最近のことです。はたして、これに対応できる胃袋を持っているのか、体内に吸収された後に代謝されときに何ら問題はないのかも疑問です。肉に代えて魚なら良いとは安易には言えないのです。
 ここは、原点に立ち返って、抜本的に検討し直さねばなりません。
 室町時代に西欧から日本に布教に訪れたキリスト教宣教師が異口同音に日本人の類いまれなる体の丈夫さと頭の賢さに驚きの声を上げています。これは、食によるところが大変大きいのです。
 日本は世界でもまれにみる豊かな自然環境の生態系に恵まれています。
 ヒトが誕生して以来、探し求めてきたあらゆる動植物が野にも山にも湖沼にも海にも豊富に自生しています。そして、それらを大切にし、神として敬い、四季折々にその恵みを神様から少しずつ頂戴して、自分たちが住んでいる自然と共存を図ってきたからに他なりません。
 木を切った後に植林するという文化はずっと昔から日本にはありましたが、明治初期にこれを知った欧米人は、なぜにそのようなことをするのか、全く理解し得なかったというから驚きです。
 これは、日本人が自然を「恵み」と考える文化を持っているのに対し、西欧人は自然からは「収奪」すればよいとしか考えない文化を持っていることによる差です。
 加えて、日本人は食事時に「いただきます」「ごちそうさまでした」という、世界に誇れる生き物を敬う挨拶文化を持っています。「もったいない」の語源も同様でしょう。
 飽食時代の今日にあっては、我々はこうした食の有り難さをつい忘れがちになってしまっています。歴史上、戦後の混乱期まではそのようなことはなく、おまんまが食えることに深く感謝していました。
 我々日本人は、少なくとも戦後の混乱期以前、できれば徳川家康の時代まで立ち返って、「食」を真摯に受け止めねばならないでしょう。

 拙論は、歴史を大きくさかのぼり、人類誕生時からの「食」がどのようなものであったかを探訪しようとするもので、「ヒトの食性」を明らかにしようと試みたものです。
 そうしたことから、その大半は数百万年前の猿人や原人の食性に始まり、古代文明前の食性に多くを費やさざるを得なくなりましたが、ヒトの消化器官の形態や機能、そして代謝機構というものは、千年やそこらでは容易に変わり得るものではなく、基本的には百万年単位の時間を必要とするからです。
 したがって、随分と基本的な内容ばかりを追い求めることになってしまい、今日、即応用できるような食については触れておりません。その点ご容赦くださるようお願いします。
 「食」は健康の源です。「食、正しければ病なし」です。自然の生態系のなかで暮らして
いる野生動物は病気しないと言います。人間もそうありたいものです。
 小生の力不足で、本論はその一部しか明らかにできていませんが、「食」の基本にはどれだけか迫ることができたと思っています。
 皆様方に、正しい「食」とはどういうものかについて、今一度じっくりお考えいただき、明日からの食生活改善の参考にしていただければ幸いです。

   2007年4月
  (2020年9月 一部追記)

つづき → 第1章 はじめに結論ありき

コメント    この記事についてブログを書く
« 漢方五味で秋の健康食を(三... | トップ | 食の進化論 第1章 はじめ... »

コメントを投稿

食の進化論」カテゴリの最新記事