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食の進化論 第2章 類人猿の食性と食文化

2020年09月27日 | 食の進化論

食の進化論 第2章 類人猿の食性と食文化

第1節 熱帯雨林の植物の不思議
 植食性になると、動物はたいてい大型化してくる。類人猿は霊長類のなかで一番体が大きくなった。熱帯雨林では植食性の食糧が毎日簡単に豊富に手に入り、大きな体でも栄養補給に問題はないことと、植物は特に食物繊維が消化に時間を要するから、胃腸を大きくせざるを得ないこととの両面からそうなったのであろう。
 しかし、熱帯雨林の蒸し暑さは、体が大きくなればなるほど体に熱がこもりがちになり、こたえる。毛がうっそうと生えている類人猿には特にそのように思われる。炎天下へは出ていきたくないであろう。
 もっとも、体が少し小さい真猿類のヒヒたちは、毛をうっそうと生やしたままで熱帯の草原サバンナを住みかとし、炎天下でも平気そうにみえる。ヒヒは、類人猿の祖先に熱帯雨林から追い出され、我慢させられているのであろうか、慣れてしまったのか。
 何にしても、樹木の葉っぱで直射日光がさえぎられた熱帯雨林の中は居心地がいい。
 加えて、植物性の食べ物が有り余るほどにふんだんにあり、餌探しに悩まなくてよい。そして、熱帯の果物の果肉と木の葉っぱを食べれば、どちらも体を冷やしてくれて、誠に好都合でもある。
 だが、熱帯雨林は様々な樹木の混合林であり、隣に生えている樹木は皆、種が異なるというほどに植物にとって生存競争が激しい森でもある。樹木はうず高く背を伸ばさないことには競争に負け、生きていけない。
 そのためには、光合成を急がねばならず、葉っぱは1枚なりともおろそかにできない。葉っぱを動物に食べられては、その分生長が遅れて死活問題になる。また、子孫も激しい競争のなかから育つのであるから、実もたくさんつける必要があり、そのためにも光合成を十分におこなわねばならない。
 よって、樹木は自己防衛のため、その葉っぱと果物の実には毒を含んだものがほとんどである。
 ただし、種(タネ)を動物にばらまいてもらうため、果肉に毒があるものは極めて少ない。多くの動物にとって果肉がごちそうになる理由はここにある。なお、大粒の種はその場で吐きだされて撒き散らされ、小粒のものは飲み込まれて離れた場所に運ばれることになる。
 熱帯雨林以外では毒を有する植物の種類は相対的に少ないし、毒性の弱いものが多い。他種の樹木との競争は比較的少なく、1つの種だけの単一林さえある。草についても同様な群生などの生態がみられる。
 もっとも、こうした植物もアルカロイドなどの特定の物質を持っていたり、特定のミネラルを蓄積するなどして防御態勢をとっており、1つの植物の多食を継続することは、通常その動物の健康を害することになる。
 植物同士の競争が激しい熱帯雨林での偏食は、即、死につながる恐ろしいことではあるが、半面、毒は薬でもあり、熱帯雨林は生薬の宝庫にもなっている。熱帯雨林に居住する種族はそれをよく知っており、数多くを薬として活用している。近代医学においても、医薬品としていくつも利用するようになり、現在ではそれを元にして化学合成し、量産して重宝がられているものが実に多い。
 なお、チンパンジーでさえ、薬になる植物をいくつかは知っているというから驚きである。

第2節 類人猿の葉っぱへの挑戦
 類人猿以外にも熱帯雨林の植物の葉を主食とする動物がたくさん住んでいる。彼らの多くは、特定の木の葉っぱを食べ続ける道を選び、その植物に特有の毒素に対する解毒能力を獲得している。なかには毒が強い果物の種(タネ)のほうをもっぱら食べるものまでおり、その毒に対して格段に強力な解毒能力を持っている。
 動物は一般的に極度な偏食傾向にあり、数少ない特定の種類のものしか食べない種が多いが、例外も当然にしてあり、何でもかんでも少しずつ食ってやろうという道を選んだのが類人猿やヒトの祖先である。
 地球環境は激変の連続であり、今まで食べていたものが急に無くなることは日常茶飯事である。しかし基本的に動物の食は非常に保守的で、飢餓に瀕しても食べたことがないものには決して手を付けない。おかしなものを食べると、それには毒があり、死んでしまうのに違いないと恐れているのであろう。悶え苦しんで死ぬより、餓死を選んだほうが楽だと思っているのかもしれない。
 多くの草食動物は、親から教わらなくても、その生態系に自生する有毒な植物を避ける能力を持っており、決してそれを食べない。極めて性能のいい毒素検知器を舌や鼻に持っているようであり、食性は限られた種類の草に偏っている。
 現在の我々も、見た目に悪い、おかしな臭いがする、変な味がする、といったものは、たとえ飢餓に瀕していても決して食べようとはしない。もし、それらを食べるとすれば、勇気ある誰かが先に食べて、その人が健康を害する様子がないことを確認できてから、一部の者が恐る恐るその後に続くだけであり、最後まで決して手を付けない者も何人かは残る。霊長類は、多くの草食動物のような高性能の毒素感知器を一切持たないから、仲間同士で学習するという、このような不確実な方法しか取り得ないのである。
 これが幸いもする。飢餓に直面したとき、新たな食材を開発できる可能性があるからだ。このまま餓死を選ぶか、食べたこともない物を食べることによって悶え死ぬかもしれないが、これを食べることによって運よく生き延びられる可能性があるかもしれないと考えるのであろう。
 でも、新たな食べ物へのチャレンジは、好奇心が伴わないことには不可能である。ある程度脳が発達した動物はけっこう好奇心を持ち合わせている。特に子どもは学習意欲が旺盛で、好奇心が強いし、類人猿のなかではチンパンジーは大人でも好奇心がかなり強い。ある程度脳が発達した類人猿の祖先が身の回りにふんだんにある柔らかい若葉に好奇心を起こすことは大いにあり得る。
 今まで食べたことがない葉っぱを食べる勇気を持った猿が登場してもおかしくない。勇気ある猿がほんの少し食べてみて、体調に変化はないかどうか考え、異常が感じられなかったら、また次の日に少し食べてみる。つまみ食いを繰り返すのである。何日も繰り返すなかで安全性を確認し、ほかの仲間が真似をする。全てうまくいくということはない。当然、毒の強い物を食べて悶え苦しむ結果となることがあるが、周りの皆がそれを見て、これは毒性が強いから食べてはだめだと学習する。すると、食のレパートリーが少し広がる。飢餓が訪れるたびにその繰り返しをしつつ、だんだんと食のレパートリーを広げていき、ついに熱帯雨林に生えているあらゆる植物の毒性の強弱を知ったことであろう。
 その記憶は子どもに教育され、毒の強いものは決して食べないようにさせる。現生類人猿の子どもが毒の強い葉っぱを口に入れようとすると、母親がパンと払い除ける光景が観察されている。その繰り返しで子どもはこの種類の葉っぱは食べちゃいけないと学習するのである。
 こうして、霊長類のなかで最も賢い、類人猿やヒトに共通する祖先が誕生したのであろう。これは食べていいもの、あれは食べちゃいけないもの、と、絶えず頭を使わねばならず、記憶が最重要なものとなる。脳の一部、大脳新皮質の発達により、記憶容量の増大がこのような食性を確立させた。というよりは、膨大な情報の記憶に迫られ、それができなければ死が待っているから、脳が絶えずフルに働かされ続けて、自ずと脳が発達したと言ったほうがいいであろう。
 類人猿は毒の弱いものを選び、それも毎日少しずつ数多くの種類の植物を食べている。熱帯雨林に住む現生チンパンジーの主食は果物の果肉ではあるが、木の葉っぱもどれだけかは食べており、食用となる約360種もの植物を知っている。食用になるといっても、どれだけかの毒は含まれており、彼らの食事はほんのちょっとずつのつまみ食いである。一見すると実に贅沢な食事をしている。枝をポキンと折ってチョチョッと葉っぱを食べて残りは捨て、すぐに種類の異なる樹木へ移動し、この繰り返しを行なう。
 また、毒があると教えられた植物も念のため少し齧ってみて、どの程度のものか確認しているかもしれない。そして、どんな植物にどんな毒がどの程度含まれているか、新芽は大丈夫か、若葉はどうか、成長した葉っぱはいかがなものかと、熱帯雨林の植物の全てを知り尽くしているのではなかろうか。
 肝臓には様々な解毒酵素があり、それぞれの毒に対応している。したがって、種類の違う少しずつの毒が入ってきても肝臓での解毒を可能とし、また、多種類の小量の毒が絶えず入ることによって肝臓の解毒機能全体の強化も進み、ほんのちょっとずつのつまみ食いであれば完全に解毒でき、やがてそれらの毒に対する耐性ができ、健康体を維持できる体質を獲得するに至ったのであろう。
 エジプトでは昔、王様が毎日、微量のヒ素をなめて肝臓の解毒機能を高め、ヒ素による毒殺を免れたという話は有名である。酒も鍛えれば鍛えるほどに強くなるというふうに、どれだけかの効果はあったではあろうが、王様一人一代かぎりでは、それほどには肝機能が向上するとは思えず、かえってヒ素の体内蓄積で健康を害したことであろう。これは涙ぐましいむだな努力であったと言える。
 熱帯雨林の動物の様々な食性をみたとき、肝臓の解毒機能が動物の種ごとに個別に発達し、世代を重ねることによってその機能がやがてその種全体に獲得されるに至ったようだ。
 つまり獲得形質は遺伝する。そのように考えるのが自然だ。

第3節 進化に関する諸説と論
 フランスの生物学者ラマルクが動植物の観察を地道に続けるなかで発見した「用不用説」と「獲得形質遺伝説」は正しかろう。彼は1809年に「動物哲学」を著し、全ての動物において「使う器官は順次発達し、使わない器官は退化する。その器官の変化がその種に共通であれば次代に伝わる。」と言っており、これは生き物の世界に共通する大原則ではなかろうか。
 1859年に「種の起源」として出版され、あまりにも有名になりすぎたチャールズ・ダーウィンの「偶発的な変異により有利な条件を備えた個体が、その種の間での生存競争に打ち勝ち、適者として生存し、自然淘汰を通して、その子孫だけが選ばれる。」という1個体の優位性に端を発したダーウィンの進化論よりも、ラマルクの説のほうが真理に近いと思えてならない。
 たった1匹のサルが突然に肝臓の解毒能力を獲得し、その子孫だけが生き残って増えていったというより、皆が一緒の食べ物を食べることによって、その機能を皆が揃って順々に高めていったと考えるほうがよっぽど素直であろう。生態学の大御所である京都大学名誉教授今西錦司氏(故人)もその著「主体性の進化論」(中公新書)のなかで「個体の変異からではなく、その種全体の一様な変異により種は進化する。」のではないかと主張しておられる。
 ラマルクの「用不用説」は「用不用の法則」であり、ダーウィンの「進化論」は「進化仮説」であって、ダーウィンは基本的に間違っていると言い切る学者さえいる。
 [参照 生物は重力が進化させた 西原克成著 講談社]
 しかしながら、ダーウィンの進化論は、現在、正しいものとして揺るぎない不動の地位を獲得している。なぜにそのようになってしまったのか、少々長くなるがその経緯を説明することとしよう。
 ダーウィンの進化論は「生存競争」「弱肉強食」「適者生存」「自然淘汰」の概念で貫き通されており、これは、当時、産業革命を近代的に成し遂げた大英帝国にあって、経済学者トーマス・マルサスやアダム・スミスの経済論と全く共通するところであり、大衆が素直に受け入れられやすい理論でもあった。これが、ダーウィンの進化論が強力に支持され続けてきた、その根っこになっていることは間違いないであろう。
[参照 世界の歴史Ⅰ 人類の誕生 今西錦司ほか京都大学グループ著 河出書房新社]
 ダーウィンの生物観察は、広範囲にわたって鋭いものがあり、世界中を広く回って、進化を考えるうえで貴重な財産を数多く残してくれた偉大な人物であることは確かであるが、彼が一般通則をまとめ上げるに当たり、「あたかも生き物のように振る舞う経済」の発展と生物進化とが同じように見えてしまい、見間違ったのではないかと指摘する評論家もいる。
 小生が思うに、ダーウィンは先に挙げた4つの四字熟語をあえて前面に強く押し出すことにより、わざと経済の発展と生物の進化は全く同一であると、皆に錯覚させることにより、自説が広く認められることを狙ったのではないか、そのように勘ぐりたくもなる。
 当時は自然科学の分野においても、キリスト教会がまだまだ絶大な権限を持っていた。人間そして動植物は神が創った不変なものでなければならなかった。だが、ダーウィンは生物観察を通して「人間は猿から進化した」ことを知った。しかし、これをはっきり言うことはとうてい許されざることであることも承知していたから、人間の進化については多くを語ることなく、さらりと逃げた表現にせざるを得なかった。最終的には「多くの光明が人類の起源とその歴史の上に投げられるであろう。」と意味不明な表現にした。
 しかし、全体を読めば類推できてしまう。発表したいが発表できないもどかしさを感じていたところ、教会との論争になったときに強力に支援してくれる実力者ハクスレーが現れ、全面的なバックアップが約束されて、ついにダーウィンは発表を決意し、予想される教会との論争をハクスレーが受けて立つことにしたのである。
 彼がダーウィンの進化論を世に出した陰の功労者であることを忘れてはならない。策士ハクスレーが戦術として目論んだのは公開討論会であり、その場に来た大勢の聴衆を味方に付けようというものである。
 そこで、発表論文は、経済学者マルサスの言葉を何度も引用し、大衆受けしやすい理論を鮮明に打ち出すことにしたのであろう。もう一人の有名な経済学者アダム・スミスからの引用はないが、彼との接触も密接に行っており、その思想も全体の流れのなかに組み込んだのである。
 その論文が「種の起源」として出版されるやいなや、当時の英国でベストセラーとなり、大反響を呼んだ。
 当然にしてキリスト教会から聖書に反するものとして激しい非難を浴びることとなったが、案の定、公開討論会の場においてハクスレーの弁論が圧倒的な聴衆の支持を受け、教会派の学者をみごとに退散させて大勝利を収めたというのが、歴史上の事実である。
 公開討論会に出席していた者の多くは、産業革命の成功により、一介の職人や商人から資本家として頭角を現してきたブルジョアジーであった。彼らにとっては、資本主義経済とはダーウィンの示した4つの四字熟語とぴったり一致する競争原理が働く世界であるとの認識があり、彼らはその勝利者であることから、ダーウィンの進化論を全面的に支持するのは自明のことであったのである。
 ダーウィンの進化論はこうして日の目を見たわけであるが、彼自身は、人類の進化についてはそれでもまだキリスト教会を意識してか、「種の起源」を発表した11年後におもむろに「人間の由来」を出版し、やっと進化論を明確なものにした。
 ダーウィンの進化論は、当時としてはあまりにも画期的であり、加えて、世界を制覇する勢いの大英帝国の学者が知られざる世界の生物を調査して得た結果ということもあって、当時の欧米の考古学者、生物学者たちに大きな影響を与えた。
 もっとも、当初は、英国に対抗意識を燃やす欧州各国の学者は、ダーウィンとは異なる説を出し、学者間での論争が展開された時期があるなど紆余曲折はあったものの、その後に米国の学者が助っ人に入って盛り返し、学界での地位を不動のものにしていったのである。
 なお、ダーウィン自身は、ラマルクの用不用説と獲得形質遺伝説をも認めていたが、その後において、ドイツ人ワイスマンが獲得形質は遺伝しないという実験結果を示し、もって用不用説をも含めてラマルクの説全体を否定し去り、ダーウィンの進化論を単純明快なものにスリム化してしまったのである。
 ワイスマンの実験とは「ネズミの尻尾を22代にわたって切り続けても23代目のネズミに正常な尻尾が生え、何ら変化が求められなかった。よって、獲得形質は遺伝しない。」というものである。
 この実験に、はたして証明力があるのか。あなたなら、この実験結果をどう評価なさるか。私は専門家ではないから判断できないと、決して逃げないでいただきたい。
 
いたって簡単な実験であり、学術的な予備知識なしで判定が可能だからである。
 生まれてすぐにオスもメスも尻尾を切られて大人になり、尻尾がない者同士で子を作る。生まれた2代目の子どもたちに尻尾が生えたので、その子たちの尻尾を全部切り取る。これを22代にわたって繰り返したが、尻尾のない子が一向に生まれない。この実験結果から何が言えるか。小生は次のように考える。
 22代にもわたってネズミが大怪我をさせられ続けて、皆、悲しみに暮れただけのことであり、23代目のネズミは尻尾を切られずにすみ、ホッとしただけのことである。ただそれだけのこと。これ、何の実験?
 ネズミに「尻尾がない」という「獲得(?)」された「形質」を22代にもわたって受け継がせようと試みたが、23代目のネズミにはその形質が全く獲得されなかったから、獲得形質は遺伝しないのである、との弁。
 こんなバカな話がまかり通ってよいであろうか。獲得とは、例えば四足動物が生後間もなくから絶えず直立二足歩行を強いられて骨格構造が変化(獲得)し、その子も同様に強いられ、幾代もこれが続いた場合に、新たな骨格構造が遺伝するかどうか、という話である。この場合にあっても、進化というものはそう易々と進むものではなく、もう1桁いや2桁以上の世代交代を経なければ遺伝しないであろう。
 ワイスマンの実験はとんでもないものであったのだが、どういうわけか当時の進化論学者はこれを是として認め、ラマルクの説を間違いとして捨て去り、今日に至ってもラマルクは日陰者扱いされたままである。ラマルクがあまりにも気の毒だ。
 百歩譲って、当時、ワイスマンは医学、動物学の大御所であるからして、とても口を挟むことなどできなかったからやむを得なかったと認めるにしても、今日に至るまでの百年もの間、前述の西原克成氏以外にこれを指摘なさった学者はそう何人もいないようであり、何とも情けない話である。
 (ブログ版補記)ラマルクの主張の正確な表現、ラマルク説に対するダーウィンの実際の見解は以上述べた一般的な説明と若干異なります。また、ワイスマンの実験回数にも疑義がでています。詳細は下記の別立てブログ記事で述べました。
 → (追補)進化論:ラマルクの用不用説と獲得形質遺伝説が否定される理由

 その後、20世紀初頭に「突然変異」という現象が発見されたことから、ダーウィンが言った「偶発的な変異」をこれに置き直して「突然変異によって新しい変異が起こり、そのなかの有用なものだけが自然淘汰で残され、それが積み重なって進化が生ずる。」と修正され、進化は「突然変異」に重きが置かれるようになってしまった。
 こうして進化論のスリム化と突然変異という現象によって理論強化されたダーウィンの進化論は、今日、学者は元より学校教育を通して一般大衆にも染みわたり、不動の地位を築き上げてしまっているのである。

第4節 経済は学問を支配する
 当初は単なる説であっても、その時その時の学界の権威者たちが長年にわたり支持し続ければ、それが正論となり、いつしか「アンタッチャブルな永久不変の法則」に格上げされ、「真理」として扱われることになってしまう。これに異議をはさむ者は異端者として葬り去られるのが時代の常であり、悲しことに「経済の原理」の適用をもろに受ける羽目に陥る。
 なぜならば、名誉と高い報酬を受けている学界の権威者にとって、自説が否定されることは失職・失業を意味するからであり、権威者の常として、息のかかった学者や子弟に自説を擁護させ、補強する研究を重ねさせて守りを固め、学界を牛耳ることに心血を注ぐ。学者は、経済的観点に立って持論を主張し続け、もって「経済は学問を支配する」ことになるのである。
 古くは「大陸移動説」を発表した地質学者ヴェゲナーが長年にわたり完全に無視されたり、新しくはのちほど説明するエレイン・モーガンが紹介した「人類水生進化説」が徹底的に叩かれたりしている。
 時の権威者の立場を揺るがすような新説は、十分な根拠がどれだけ呈示されていたとしても、権威者一派による総力を挙げての重箱の隅をつつくようなあら探しの洗礼を受ける。些細な間違いや少しでも根拠薄弱なところがあれば、それが大袈裟に指摘され、それみたことかと痛烈に非難され、もって新説の全体が否定されるに至るのである。それにとどまらず、その後もあらゆる方法を駆使して、その新説を永久に闇に葬るべく画策され、ついには皆に忘れ去らせる。こうして時の権威者に戦いを挑んだ者は冷や飯を食わされ、最後には非業の死を迎えるというのが世の常である。
 進化の法則の真理というものは、ダーウィンの進化論とは全く別のところにあるのであるが、次々と発表される進化学説は強固に否定されたり、あるいはダーウィンの進化論の補強のために吸収されたりしてしまう。
 こうしたことから、ダーウィンの進化論に真っ向勝負し、系統立てて説明し直すバカな学者は誰一人として出てこないであろう。
 もっとも、前掲のとおり今西錦司氏が晩年になって異説を打ち出されているが、当の本人は、2つの説いやもっと多くの説もあってよく、それら皆、認めようじゃないか、とおっしゃっている。これでは、論争放棄で面白くない。唯一例外の真っ向勝負の野武士は、前掲の西原克成氏お一人であろう。氏は、東京医科歯科大学を卒業後、東京大学医学部博士課程を修了し、同大医学部付属病院で長く臨床に携わり、口腔外科講師どまりで定年退官された。人工歯根開発の第一人者である一方、実験進化学、臨床系統発生学を打ち立てられたほか、免疫病治療の画期的な方法を編み出された偉大な方ではあるも、経歴から分るとおり東大医学部から干された人物であり、その業績は完全に無視されている。「歯医者は歯医者の仕事をやっておればよい。天下の東大において外様ごときが他人の仕事に口出しするとは何事ぞ。ど素人め。」である。
 したがって、逆に、開き直って広範囲の研究ができ、好き勝手に物を言える立場にあり、脊椎動物の進化について幾つかの実証実験に成功し、ラマルクの用不用説が正しいものであることを立証できる画期的な証拠をつかまれた。その新しい発見の内容についての紹介は割愛するが、これぞ真理であるという進化の法則の一部を明らかにされたのである。
 しかし、干された立場にあっては、乏しい研究費のもとで孤軍奮闘するしか術がなく、また、氏は免疫病治療の臨床と研究を本職としておられるから、それ以上のことを望むべくもない。誰か氏の後継者が生まれ、進化の法則のさらなる拡大・充実をしてくださるといいのだが、学者というものは教授に少しでも楯突けば出世の道は完全に断たれ、守備範囲以外の学問に口出ししようものなら、周りから総スカンを食うという世界である。皆、我が身可愛さで、異端者にされることに尻込みし、残念ながら誰も後継しないであろう。
 これは、個々の学者が悪いわけではない。異端者覚悟で果敢に立ち向かおうとしても、そうしたことを行なった場合には、研究費は削られ、調査も実験もままならなくなり、加えて出世の道は断たれるという現実を、学者の皆が痛いほど知っているからである。
 長々とくどいほどに進化に関する学界の概況を説明してきたが、それは、我々が学ばされている学問とは実際にはどういうものであるのかを正しく認識しておく必要があるからである。なにもこれは進化に関する学問にかぎらない。あらゆる学問に共通するものである。
 明治維新の青写真を描いた男と言われる実学思想家の横井小楠は「高名な学者の書いた書物を読むことによって物事を会得しようとすることは、その学者の奴隷となることに過ぎぬ。その学者が学んだ方法を研究することが大切であり、学問の第一は、そうしたなかから心において道理を極め、日常生活の上に実現するための修業である。」と言っている。
 [参照 横井小楠 徳永洋著 新潮新書]
 小楠は幕末の表舞台に立ったことがないのでほとんど無名の存在であるが、坂本龍馬が師と敬い、勝海舟が恐れた鬼才である。明治政府樹立後には、木戸孝允、大久保利通らとともに政府の参与という要職に就き、政策立案などで最も重宝がられた人物であるが、残念ながら明治2年に暗殺された。
 小楠の学問は人文科学であり自然科学ではないが、彼のこの言葉は科学全般に共通する指針であると言えよう。
 小楠はことさら実学を強調した。それは、維新という動乱期にあって特別にその要求が強かったからである。しかし、それに続く今日までのいかなる時代においても、科学の目的というものは、単に知識欲を満たすためだけにあるというものではなく、常に世の中にいかに役立てるか、であったはずである。今日、この実学的思想がないがしろにされる傾向が強い。思想のないところに、はたして学問が成立し得るであろうか。
 なお、小生は、小楠が言う「その学者の奴隷となるに過ぎぬ」という言葉に出くわしたとき、身の毛がよだつ思いがした。これは、既存の学問を全否定することになるのではないか、と。
 でも、よくよく考えてみるに、小生の経験でも奴隷にされてしまったことが過去にある。そうした経験も踏まえて、たとえ完璧な理論であると言われているものであっても、これを鵜呑みにはせず、自分なりにじっくり考えてみる必要があろう。それが本当に正しいのかどうかを見極めることが大切であり、小生のような凡人には、おおよそ不可能なことではあろうが、少なくともそれを模索することにどれだけか意義があると思っている。
 そうした考え方でもって、ヒトの食性についての検討を順次進めていくことにする。

第5節 生き物を擬人化することの可否
 通常ならダーウィンの進化論の考え方に基づいて、まず検討を進めるのがセオリーではあろうが、これが正しいのか否かという以前に、正直な気持ちを言うと、小生の肌には合わず、なんとも好きになれない。
 ダーウィンの進化論は「1個体から出発して、その延長に種ができる」という、欧米近代社会の成り立ちと同様な、強烈な個人主義に基づく発想から生まれているからである。逆に、まず社会があって、そのなかに1個人が存在するという、純日本人的にしか考えられない小生にあっては、個人主義というものは、あまりにも重圧感がかかりすぎて押しつぶされそうになり、息苦しくもなり、そうした考え方から逃げ出したくなるのである。
 加えて、1個体の出発が「無方向性の変異をする突然変異から生じた個体の優秀な機能」という単なる機械論的な考え方に立っては、その先どう展開していくのかが何とも頭に浮かんでこないのである。
 特にヒトの食性を考えるとき、ある日突然に熱帯雨林に多く住む蛇を盛んに食う者が現れたり、樹冠にたくさん住んで
いる鳥が産んだ卵を狙い撃ちする者が現れたりしても、いっこうにおかしくないことになる。
 そんなチャランポランなことを頭の中で巡らしていると、つまるところ最後に浮かんでくる言葉は「真理は唯一絶対の神のみぞ知る」であって、完全にギブアップするしかないではないか。これではいたたまらなくなる。
 真理というものは、美しいものであり、単純明快なものである。小生は、そう信じている。自然科学の分野で現在でも通用し、誰も異議を挟むことができない「公理」は皆、美しい数式なり、平易な言葉で著され、素人でも容易に理解できる。こうしたものだけが真理であろう。
 複雑かつ難解な理屈を持ち出さねば説明ができなかった天動説や大陸不動説が完全な間違いであったように、「無方向性の変異をする突然変異から生ずる」などという、気まぐれで美しくもない動機から複雑に進化が進んでいくなどという進化論は、小生には正しいとはとても思えないのである。

 人間は生き物であり、人間は「こころ」の赴くままに行動しようという欲求が強い。その「こころ」の源泉がどこにあるのかよく分からないが、少なくとも脳だけではないことははっきりしている。人間は脳が大きいから「こころ」を持ったわけではないのである。
 人間と人間以外の生き物というものを比較したとき、どれほどの違いもないのであるからして、2つに分けて考えるのではなく、一緒のものと捉えるべきものであり、人間以外の生き物にも「こころ」があって、皆、その「こころ」の赴くままに行動していると考えるのが素直であろう。
 生物の進化においても、その「こころ」を無視して語ることはできないと思われるのである。極端な言い方をすれば、「こころ」が生物を進化させたと言っても、あながち間違いではなかろう。
 真理とは美しいものであり、生物の進化は一見複雑そうに見えても、その真理というものは平易な美しい言葉で著されるはずであるからである。
 先に類人猿の食性の変化がどのようにして起こったであろうかを述べたが、これは小生が類人猿を完全に擬人化し、自分の「こころ」から湧き出してきた想像力で記述したものである。もっとも、この部分を書くに当たっては、河合正雄氏の「サルからヒトへの物語」(小学館ライブラリー)のなかの現生霊長類の食性の説明を元にしつつ、西丸震哉氏が「食生態学入門」(角川選書)のなかで原始部族社会の食文化のあり様について、氏が原始人になりきって、ある習慣ができ上がっていくまでを巧みに想像して述べておられるので、その手法を真似して書いたものである。
 類人猿の食性の変化については一切の証拠がないのであるからして、そうでもしないことには何も書けないからであるが、当たらずとも遠からずの説明になっていると自負している。
 ところで、類人猿を「擬人化」することは、正しいであろうか、間違っているのであろうか。
 ラマルクの2つの説が徹底的に叩かれたその背景には、ラマルクが「生物の要求」とか「生物の努力」といった言葉を多用したことが挙げられる。つまり、生物を擬人化したことにある。人間以外の生き物に「こころ」を持たせることが、欧米の生物学界では極度に嫌悪され、これは今日まで続いている。
 科学史家の村上陽一郎氏がおっしゃるように、欧米においては、自然科学は反擬人主義が尊重され、全ての現象を「こころ」に係わる言葉ではなく、「もの」に係わる言葉で記述することを要求しているのである。このことに関して、今西錦司氏は「主体性の進化論」(中公新書)のなかで、遠慮がちに「動物には擬人主義を多少とも認めて良いではないか。でも植物までに擬人主義は持ち込めないが。」と、おっしゃっている。そして、もう一人、「重力が生物を進化させた」と主張されている西原克成氏は「内臓が生み出す心」(NHKブックス)のなかで「単細胞生物でさえも既に心がある」と、おっしゃっている。
 小生は西原氏の考えを支持する。全ての生き物に「こころ」があると考える。例えば、植物の葉っぱや果物の種に毒があるということは、それを食われたくないという「こころ」があるから、そうなったのではなかろうか。小生が行っている原種のヤーコンの栽培体験からも、植物に「こころ」があることを実感している。
 全ての生き物に「こころ」があるのだ。そう叫びたい。
 キリスト教の精神に基づく欧米人は、人間は神から特別に選ばれた存在であるとの意識が強く、明らかに動植物を単なる「もの」として差別しているのであって、動物愛護運動にあっても上から下への単なる慈善にすぎず、決して人間と動物を対等な生き物とする考えはなく、動物に「こころ」を認めないのである。
 進化学説には、ここで紹介したもの以外にも様々なものがあるが、今西氏は、それぞれ多くの観察や実験を通して打ち出されたものであり、その価値はいずれも計りしれないものがあると、おっしゃっている。
 小生は、その一つ一つに敬意を表しながらも、その全ての説や論に、生き物の「こころ」を付与したところで見直しをしようと思う。
 ラマルクの2つの説は、既に生き物の「こころ」が入っており、「用不用説」は「用不用の法則」に、「獲得形質遺伝説」は「獲得形質遺伝の法則」に格上げし、それを「公理」とし、これに素直に従えばよかろう。なお、西原氏は、この2つの説はともに「法則」であると、別の観点から詳しく解説されておられる。
 その他の説や論については、一々ここでは取り上げないが、随所随所で擬人主義を持ち込んで、小生なりの見方をしていくこととしたい。

第6節 類人猿の食性の拡大
 たびたび脱線してしまって申し訳なかったが、ここて再び類人猿の食性の話に戻す。
 熱帯雨林に生息する類人猿といえども、新たな食材の開発を迫られることが往々にしてある。地球の環境は、地球が誕生して以来、絶えず激しく変化してきている。特に、約5百万年前からしだいに寒冷化が進み、2、3百万年前に本格化した氷河期は過酷なものであった。
 地球の長期にわたる寒冷化は、熱帯地方にも大きな影響を及ぼしたであろう。熱帯雨林は乾燥し、大幅に後退していったと考えられる。湖沼や湿地帯も縮小に縮小を重ね、その多くが消滅したことであろう。逆に、海水面の低下で陸地は多少広がり、その分、熱帯雨林が広がったであろうが、焼け石に水であったろう。
 加えて、植物相の変化も広範囲に起きたであろうから、深刻な食糧難に見舞われ、生態の変更を迫られたに違いない。このとき、チンパンジーやボノボの祖先は、熱帯雨林だけでなく、灌木地帯にまたがる生活域をとったり、たまたま残った水域への進出をしたようである。
 灌木地帯にはマメ科の植物が多く自生しており、チンパンジーの祖先は、このときから新たな食にチャレンジし、様々な豆を食べるようになったと思われる。それも十分に実った硬い豆を。また、水域には柔らかい茎や太い根を持つ水生植物が自生しており、ボノボの祖先は、こうしたものへも食を広げていったのであろう。
 食に対する貪欲さがヒトに次いで旺盛なのがチンパンジーである。現生チンパンジーは植物性の食域の幅も広いし、蜂蜜を好み、アリを釣って食べるほかに、ときどき狩猟を行ない、真猿類をはじめ10種類以上の哺乳動物を食べることが知られている。
 そこで、肉の多食が定着しきっている欧米の動物学者は、次のように考える。
 飢餓に瀕したとき、チンパンジーの祖先は、遠い祖先の食性である動物食を取り入れたのであろう、と。それが今でもときどき狩猟を行なう行動として続いていると考えられ、チンパンジーは人類と同様にずっと前から雑食化への道を歩み始めていた、と。
 一般的な考え方は以上のとおりであり、そして、ヒトも初めから雑食性であった、と言うのである。はたして、これが本当であるのかどうか、そのあたりをじっくりと考えてみたい。

 現生類人猿の動物食をもう少し詳しく紹介しよう。
 オランウータンもアリ食いをし、まれに小動物の狩猟を行なうのが観察されている。
 ボノボはチンパンジーと違ってめったに狩猟を行なわないようである。小さなムササビをまれに捕らえて食べるのが観察されているほかは、水辺の砂をすくって水生昆虫や小さな魚を捕らえて食べることが知られているだけである。(ブログ版追記:近年、わりと大きい哺乳動物の狩猟が観察された事例が1件あり)
 巨漢のゴリラにいたっては、たまに行うアリ食い以外には、動物食は全く観察されていない。
 日本の動物学者のなかには、ボノボも同様であるが、チンパンジーの動物食は、飽食時に行われることから、これは遊びの範疇であるとみる方がいらっしゃる。小生も、類人猿が動物を食べる習慣は、別の観点から見るべきだと考える。

第7節 ゾッとするチンパンジーの子殺し行動
 ここで、なぜにチンパンジーが、真猿類などの動物を捕らえて食べてしまうのかについて考えてみよう。
 類人猿のオスにとって、「食」が第一の欲求であり、食が満たされれば第二の欲求として「性」欲が生ずる。第三の欲求は暇を持て余したときの「遊び」である。
 類人猿のオスは、大人になってもよく遊ぶ。常日頃は寡黙でどっしり落ち着き払っている大人オス・ゴリラであってもそうであり、遊びが類人猿の大きな特徴になっている。類人猿以外の動物の大人オスには遊びがほとんどみられないのであり、類人猿は例外的な存在なのである。(もっとも、極めて生息密度が低いオランウータンの大人オスは群を作らず、完全な没交渉の生活をしているが。)
 さて、チンパンジーの狩猟というものは、欲求第二の「性」と第三の「遊び」の結合から生じたものと考えたい。
 ボノボにはないが、ゴリラとチンパンジーには悪しき「子殺し」の風習がある。ゴリラとチンパンジーは、大人オスがいなくなって群が崩壊したとき、別の群の大人オスが、その群の乳児を殺してしまう。これは、乳児を抱えるメスから乳児を奪い去り、メスの発情を促すためであると考えられる。
 メスは、授乳中には発情フェロモンを分泌しないが、子が死んで授乳しなくなると、過栄養がために(授乳できるということは体が過栄養状態にあり、授乳によって正常状態を維持する)再び発情フェロモンを分泌するようになる。これは、彼らオスはよく知っているし、各種のフェロモン匂を嗅ぎ分ける能力はヒトはあらかた失っているものの、類人猿は十分にその能力を持ち備えている。なお、類人猿同士の個体識別は、姿形の違いを視覚で行うほか、各個体に特有のフェロモン匂によるところも大きいと考えられる。(この段落はブログ版で補記)
 
 子殺しは、オス・ライオンが群を乗っ取ったときに必ず行われる行動と同じであり、少数派ではあるものの動物界に広く見られ、特に霊長類において多い。
 なお、チンパンジーのオスによる子殺しは、同一の群の中において行われた例も相当数あり、また、数は少ないものの、メスが実行犯となった例も観察されており、なぜにこんなことをするのか、いまだ謎が多い。
 たぶんこれは、他の群に移籍したメス(チンパンジーの社会は、オスは生まれた群れに残り、生殖可能となったメスが群から出ていく父系)がその群で妊娠し、その後すぐにまた別の群に移籍して、そこで出産したのだろう。そうなると、子のフェロモンはその群の者(移籍してきたメスは除く)と全く異なったものとなり、その子は仲間ではないと感知するのではなかろうか。(この段落はブログ版で補記)
 一方、ボノボはというと、メスの発情が消える期間が極めて短いし、何よりもフリーセ
ックスの社会であるからして、オスは「性」については全く不自由しておらず、このような事態になっても子殺しは一切しない。
 ヒトの祖先にも、このような悪習はなかったと言えよう。今の我々男どもがこんなことをしたら、女性に一生憎まれ続け、性の享受は永遠に遠のいてしまうではないか。ヒトの祖先のメスはいつしか性の表出をしなくなり、現在と同じで発情は隠されてしまっていたであろうし、反対に、ほとんどいつでもオスを受け入れられる態勢になっていたと思われるから、このようなことはあり得なかったに違いない。
 ゴリラの世界においても、子殺しによるメスの獲得率は5割を切っており、亜種によっては子殺しをめったにしないから、彼らにも何らかのブレーキが働いているのであろう。
 もう一つ、ヒトは子殺しをしないと考えられる理由がある。現在の人類の男どもは、戦争という、やたらと殺し合いを行なう凶暴な動物になり下がったが、生来は決してそうではない。それを説明しよう。
 日頃はおとなしい草食動物でも、繁殖期には角や牙でオス同士が壮絶な争いをする種が多い。性の欲求のために、相手が傷ついたり死んだりしてもお構いなしで、相手が退散するまでオスは戦いに明け暮れる。
 類人猿にも牙があり、オス同士の争いに専らこれが使われ、時として相手を噛み殺すことさえある。それに対して、ヒトには糸切り歯が申し訳程度に生えているだけである。歯の化石が出たとき、ヒトであるか否かの判定は、まず犬歯を見て行われるくらいであり、ヒトの祖先は争いのための牙を持っていなかったのである。
 ヒトには角もなければ鋭い爪もない。オス同士の争いに使う武器を放棄したということは、ヒトのオスは争いを好まない、おとなしい性格の動物であったとしか考えられない。こうした性格を持ち合わせているかぎり、子殺しなどという空恐ろしいことは決して考えも及ばなかったであろう。
 加えて、チンパンジーは複雄複雌の群を構成しているのだが、オスはいたって子供に無関心で、邪魔者扱いさえするのに対し、人間の男どもは、他人の子どもであっても可愛いと思う心が強い。目が合えば、つい微笑んでしまうし、何かあれば手を差しのべてあげようという気になり、また、そうするではないか。ヒトは、この点、ゴリラに似ている。群の主のオス・ゴリラは、子どもの良き遊び相手になり、母親が死ねば一緒に寝てやったりもする。
 さて、「子殺し」のやり方だが、ゴリラは、大人オス1頭で乳児を一撃のもとに即死させて放置するだけだが、チンパンジーとなると全く様相が異なる。彼ら大人オスは、子を捕まえたら、身の毛がよだつ恐ろしい行動を取るのである。1頭の大人オスが捕まえた乳児を生きたまま手足を引きちぎって食べ、血をすすり、そこへ他の大人オスが加わってあらかた食べ、あげくの果てには老若男女入り乱れて、残り物のご相伴にあずかり、皮まで引き裂いてクシャクシャと噛むのである。さすがに、その子の親兄弟はこれに加わらないが。
 まさに狂乱地獄絵図が繰り広げられ、現実にチンパンジーたちは異常な興奮状態に陥る。でも、乳児を殺されたメスは何日か後に発情し、大人オスたちのほぼ全員の「性」を受け入れて身ごもり、複雄複雌で連れ添うこととなるというから、人間にはとても理解できない空恐ろしい行動形態である。
 ゴリラとチンパンジーのこの行動の違いは、どうして生ずるかを考えてみよう。
 ゴリラのオスはメスの2倍の体重があり、基本的に一雄複雌の群(単独行動をする大人オスの下に他の群から生殖可能となったメスが順次入ってくる父系)をつくる社会である。また、メスが群れ落ちして単独で暮らすことは、身の危険(生息域にネコ科の猛獣がいる)があることなどから決してしない。よって、メスは、配偶関係を結ぶオスの選択権が制限され、たとえ自分の子を殺した憎きオスであっても、そのオスに保護を求めざるを得ないことが多いのである。もっとも、彼女に恨みが残っているのかどうか定かでないが、別の群が接近したときに、その群に移ってしまうケースが多く、先ほど述べたように、子殺しオスのメス獲得率は5割を切る。
 また、ゴリラの乳児死亡率は5割を超え、原因は何であれ、乳児の死は日常茶飯事であって、いつまでも悲しんでいられないのが現実である。現に、人間の世界にあっても、ニューギニアに住む文明と隔絶された民族は、乳児死亡率が5割を超え、乳児が死んでも3日もすれば母親はケロッとしていると報告されている。多産多死の世界では、人もゴリラも乳児の死に対してはあきらめが早いのではなかろうか。
 一方、チンパンジーは複雄複雌の群をつくり、基本的には乱交社会ではあるが、特定の者同士での配偶関係が相対的に強い場合が多々ある。子殺しという事態が発生した場合に、そのメスは、群が複雄であるからして、配偶関係を結ぶ相手の選択権が当然に幅広くなる。自分の子を殺した下手人である憎きオスとは決して配偶関係を結ぶ気など起きないであろう。
 そこで、手を下したオスは、周りの者たちにも、まだ生きている乳児を食べさせて共犯者を数多く作り、メスの選択権を亡きものにするのであろう。いや、そうとしか考えられない。
 さらに、そのメスも過去に共食いに参加した経験があるだろうし、加えて、我が子が食いちぎられ骨と皮が細かくばらばらに地上にまき散らされて瞬く間にこの世から消滅してしまえば、我が子の死に対してあきらめが促進されるというものである。
 このような習性を持つチンパンジーであるからして、彼らに生活の余裕ができたときの遊びとして、強い刺激を求めて「子食い」に代わる狩猟による動物食の習慣が根づいたのではなかろうか。
 加えて、動物狩りとその祝宴は、メスの獲得のための「子殺し」「子食い」行動の正当化に一役買うことになるのである。なぜならば、狩猟は子殺し行動と同様に大人オスどもが単独または共同で行い、宴会は大人オスどもが中心となるものの、メスや子どももどれだけかはご相伴にあずかれるからである。
 なお、この習慣は飢餓に瀕した場合の代用食とは考えられない。チンパンジーの狩猟は、通常の食事を行なった後で行われているから、腹が減ったから狩りをしようという考えは全くないからである。
 大人オスどもが、彼らの狩猟の対象としている好みの動物と河原ですれ違っても、全く無視するがごとく何事も起こらなかったことも観察されており、チンパンジー社会の何か内的な必然性がないことにはハンティングに踏み切らないことははっきりしている。
 チンパンジーの狩猟は、群によってその頻度が異なっているが、最大で1年に十数回までであり、1回に1匹を仕留め、皆で分け合って食べるのが一般的である。もっとも、仲良く平等にとはまいらず、獲物をしとめたオスに優先権があり、気に入った仲間には多く、気に入らないライバルにはなかなか分けようとしないなど、日頃の個体間の付き合い状態が大きく反映される。
 彼らがもし飢餓に直面したときに、どういう行動をとるであろうかを考えてみよう。
 彼らが最も好む果物が異常な不作となった場合には、休むことなく果物を求めて移動を繰り返すであろう。それが手に入らないとなると、柔らかい木の葉っぱを主食とし、あとは豆捜しである。こうした飢餓のときは、毎日が腹ペコで、朝から晩まで餌捜しで手一杯であり、オスどもの誰にも遊ぶ余裕や気力などこれっぽちも生ずるわけがない。体力も消耗しきっている。
 刺激を求めたくなるのは、食が満たされた、暇で暇でしょうがないときに限られる。我々でもそうである。生活に困窮すれば貧乏暇なしであり、たまにはゆっくりしたいという願望があっても、疲れ切った状態では、刺激がある遊びなど誘われても、とてもじゃないが御免こうむるとなるではないか。
 以上のことから、チンパンジーの狩猟は、強い刺激を求めての遊びとして行われると結論づけてよいと考える。チンパンジーは雑食化への道を一歩、歩み始めたという考えは否定されねばならない。
 チンパンジーほどの高等動物となると、広い意味での「文化」を持っていると言っていい。この動物食行動は、飽食時に細い木の枝で爪楊枝を作ってアリを巣穴から釣って食べる昆虫食行動とともに、彼らの文化として位置づけることができよう。
 チンパンジーの進化の過程で、いつしかこうした「遊びの食文化」を築きあげたということは言えようが、本来の固有の「食性」としては決して位置づけられるものではない。くどいようだが、狩猟は飢餓のときには決して行われないと考えられるからである。ちなみに、食糧資源が豊富な森林に暮らすチンパンジーよりも、食糧資源の乏しいサバンナで暮らすチンパンジーのほうが、狩猟頻度は少ないという調査報告がある。
 なお、ボノボの水生昆虫や小魚取りも同様な「遊びの食文化」と言っていい。そして、ボノボがまれに行うムササビ食いなどは、チンパンジーとの共通の祖先のときに、既に子殺しと動物食の風習があり、種が分かれることによって子殺しをやめる方向に向かったが、その文化は完全には消えなかったと解したほうがよいと考えられよう。

つづき → 第3章 熱帯雨林から出たヒト

(目次<再掲>)
永築當果の真理探訪 食の進化論 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
「食の進化論」のブログアップ・前書き
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき

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