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食の進化論 第7章 ついに動物食を始める

2020年11月01日 | 食の進化論

食の進化論 第7章 ついに動物食を始める

 芋の火食が定着した後、どれだけか経って、とうとう動物の火食が始まってしまったと考えられる。火の利用についても、同様に消極的な表現をしたが、芋の火食は共産主義体制を確立するという偉大な成果を生み出したものの、動物の火食については、のちほど述べるように歯止めが掛からなくなり、人間性を喪失する元になってしまうという悲しい出来事につながるからである。
 なお、本章はあらかた小生の想像をもとにして記述していることを最初にお断りしておく。

第1節 最初は遊びとしての動物の捕獲
 原人のずっと前の猿人やその前の時代から、実り豊かな季節には食糧採集はすぐに終わり、暇は持て余しすぎるほどにあり、好奇心の強い若い男子たちは、走り回る動物を捕らまえて遊ぶことがあったであろう。今日にあっても、よちよち歩きの幼児を原っぱで好きなように遊ばせておくと、動くものに興味を示して、昆虫を見つければ捕まえる。この動くものは何だろうと、足をちぎったり、体を潰して遊ぶ。
 生き物とは何かを独学しているのである。幼いながら、ぼんやりと生き物の生死を知り、命を敬う「こころ」を醸成していくのである。名前は忘れたが、ある高齢の昆虫学者がそのようにおっしゃっていた。
 肉食動物の子どもも、親に教えられなくても、当然にして小動物を追いかけまわし、捕らえてじっと観察する。すると、小動物が逃げ出してしまい、再び捕らえて観察する。その繰り返しのなかで、時には小動物に大怪我をさせて動けなくしてしまう。でも、食べることを知らない。肉食動物の子どもとて、たまたまそのとき腹を空かせておれば、母親が食べ方の手本を示してくれ、初めてそれを学び、狩猟と食の関連を学習するのである。
 人の祖先たちも、若者になれば、鹿を追いかけまわして捕らえたものの、鹿が逃げようとして暴れるから首の骨を折ったりして殺してしまうことがあったであろう。こんなことはまれであったと思われるが、何かに驚いて骨折して動けなくなった動物をしばしば見かけることがあった。自分たちだって、仲間が骨折して動けなくなることがある。この動物の骨折の具合はどんなだろう、そしてこの動物の体のつくりはどうなっているんだろう。と、好奇心でもってしげしげと覗き込んだであろうが、観察が終わればその動物をその場に放置して行ってしまうだけである。
 現生のチンパンジーと違って子殺しと共食いを決してしなかったであろう人の祖先(犬歯の退化が非暴力のこころを養った、と小生は考える。)であるから、その動物に対してかわいそうだなという感情を抱くことがあっても、もっけの幸いとばかり、その動物を食べてやろうなどとは露とも思わなかったに違いない。

第2節 火という生き物は動物も食べる
 しかし、ここで再びドラマが生まれる。決して自分で食べることはしないが、たまたま見つけた小動物の死体を火という生き物のために、焚火に放り込むという悪戯好きな若者がいても不思議ではない。火という生き物は動物も食べるのであろうか。きっと食べるであろう。食べるとすると、どのようにして食べるのか。それを観察したいという好奇心が若者のこころの中に必ず生じる。
 植物とは大きく違った、異様な臭いを強烈に発し続け、骨だけが残るという不思議な現象を目の当たりにする。大人たちから、何を火にくべたのかと叱られ、以後このようなことは止めさせられたであろうが、気づかれなかった場合も有り得る。その場合には、興味本位にこれが繰り返される。

第3節 間違って動物を食う
 手足が短い、死んで間もない小動物を焚火に放り込んだ、その悪戯好きな若者が、たまたま用足しか何かで焚火から離れることがある。タイミング良くそこへ腹を空かせた誰かがやって来て、火を突いて、何か柔らかいものを発見する。これは何だろうかと思いながらも、新種の芋か何かと勘違いして一口食べてみる。未知の味であるが、食べられないことはない。どうしたものかと考えていると、その小動物を焚火に放り込んだ者が戻ってきて、それは動物だと告げる。食べた者はびっくりして吐き出そうとするが時すでに遅し、である。
 知らずに食べた者は、とんでもないものを食べてしまったと恐ろしくなり、毒がありはしないかと心配するも、時間が経ってもいっこうに体調は悪くならない。それどころか、かえって元気が出てきたような気がしてくる。不思議な気分を味わうことになる。
 こんなことは1回きりで終ってしまうであろうが、時として好奇心の塊のような悪餓鬼が登場し、動物と知っていて二度三度とこれを繰り返し行い、幾度も動物を食べてみようとする横着者が出てきてもおかしくない。すでに、人は火という生き物を家畜化し、人以外の生き物に対するおごりを無意識のうちにも持っていたのであろうから、そうした行動に走らせてしまうことになる。
 でも、動物は植物とは大きく異なり、異様な臭いを発するから、皆が気持ち悪がり、彼を変人奇人扱いする。まして、動物は人と同じように動きまわる生き物であり、拘束すればいやがって逃げようとするし、悲鳴を上げるし、最後には恐怖でブルブル震えている。人の本性である「やさしさ」と「思いやり」そして「気配り」を持ち合わせているかぎり、動物を殺して食うなどということは決してできない。
 現に、今日、日本人の男のお年寄りは、鶏肉が食べられない方がけっこう多い。一昔前までは、鶏を飼っていた家が多かった。そこで、卵を産まなくなった老鶏は一家の長がそれをつぶして家族の皆に食べさせていたのである。その経験から鶏肉が食べられないのである。人の本性をしっかり持っていれば、必然的にそうなるのである。
 また、この頃の人はすでに犬歯を退化させており、それによって男たちが女の獲得を巡って殴り合いや殺し合いで血を見るようなことは決してなかったに違いないから、なおさらである。
 こうした背景からして、動物を食べるということには、非常に強い抵抗感が伴ったのは確実であろう。
 しかし、若い男子には、皆に注目を浴びたいと思う気持ちがけっこう強い。早くいっぱしの大人になりたいからである。そこで、変人奇人扱いされると、よけい調子に乗り、それを繰り返す。そうした横着者は、えてして餓鬼大将となり、後輩の面倒見がいい。最初は誰もその真似をしなかったが、おっかなびっくり彼に従う若者がでてくる。ここに不良少年の小集団ができあがる。
 餓鬼大将の指揮のもとに、そのグループで小動物の狩猟を行ない、それを大将が焼いて、うまそうに食べるのを見ながら、他の皆もそれを恐る恐る食べる。口に入れ、飲み込むときに精神的興奮はピークに達するであろうが、肉は優れた強壮剤であり、また体をグーンと温める働きがあるから、しばらくしてから精神が異常に高揚してくるのを実感する。肉というものはそういうものであり、本来は虚弱体質の改善や病中病後の滋養強壮のための薬なのである。
 よって、不良少年グループは、単なるものすごい刺激的な遊びとして行なった動物の火食が、副産物として今までに経験したことがない精神的高揚を生み出したことを感知して、狂喜したに違いない。
 現生のチンパンジーたちが行う動物の生食パーティーと同様に、皆が異常な興奮状態に陥ったことだろう。

第4節 動物の火食パーティー
 こうして動物の火食は一部の少人数の若い男子の遊びとして始まり、順次若者の大多数が加わっていく。若者たちは暇を持て余したときには、皆で動物狩りを行ない、刺激的な興奮を求めて動物の火食パーティーを時々開くようになり、これが若者文化として定着し始める。
 これは昭和40年代から特に欧米の若者が盛んに行ったマリファナ(大麻)パーティーに似ている。暇を持て余した若者が刺激を求めて大麻をタバコにして持ち寄り、マリファナパーティーを開いて大きな社会問題となった。これと同じで、動物の火食は、その強烈な臭いと相まって破廉恥極まりない行動として、このときばかりは長老たちから厳しく叱られ、動物の火食は禁止されたことであろう。動く生き物を食うとは何事ぞ、である。
 しかし、若者たちには、もはやこの刺激的な遊びを止めることはできない。
 この頃はまだ火をおこす方法を知らなかったであろうから、若者たちは集落の焚火から火種をこっそり持ち出し、住居とは遠く離れた場所で、隠れて動物の火食パーティーを頻繁にやったであろう。それも、やがて大人たちに見つかる。でも、若者たちは場所を変えてそれを繰り返し、決して止めようとはしない。
 今日、ヨーロッパや北米の一部の国や州では、大麻はさほどの習慣性はなく、止めさせようにも止めさせられず、暴力団の資金源にもなっており、禁止したほうがかえって社会問題を大きくすることから、大麻は合法化したほうがよいという考え方に変わり、正々堂々とマリファナパーティーが開けるようになってきた。
 それと同じように、動物の火食パーティーも長老から渋々許されることになったであろうが、大人たちは今の若者はどうしようもない奴だと軽蔑したことであろう。
 文明は文化の変化をもたらし、世代間で衝突するという歴史を繰り返す。大人は保守的であり、若者は新たに覚えた行動を通して革新的になる。火の利用という大きな文明の開化によって生じた文化大革命は、動物の火食によって第2段階に突入し、世代間の衝突を想像以上に激しいものにしたかもしれない。しかし、この革新的な行動も2世代進めば、これを始めた若者たちが長老となり、その集団の習慣として認知され、集団の全員が動物の火食パーティーに加わるようになってしまうに違いない。当然にして幼い子どもも加わる。
 もっとも、決して毎日のように行うわけではない。マリファナパーティーと同じように、動物の火食は「麻薬」と同列のものであり、あまりにも刺激的な遊びであるからして、そうしょっちゅうではくたびれてしまうではないか。現生チンパンジーが行う動物食パーティーと全く同じレベルの感覚である。生活の余裕なり、何かの衝動といった内的要因が生じないことには動物の火食はしなかったであろう。現生チンパンジーとて多くても年間十数回しか動物食パーティーを行なっていないのであるから。

第5節 祭事の食文化として定着
 人の祖先も、何かあったときに動物の火食パーティーを皆で行い、初めは年に数回程度のことであったろう。それは何かというと、宗教なり呪術に関連して行われる祭事ではなかろうか。この時代に、すでに宗教なり呪術が発生していたと考えてよいからである。
 今日の世界にあっても、普段はほとんど植食性の食生活をしていても、祭事には皆が集まって動物の火食を行う民族がけっこう多いのである。熱帯や亜熱帯の湿潤気候の地域で文明が進んでいない所にそれが顕著であり、豚の丸焼きがご馳走として出されるのが一般的である。文明化した社会にあっても、昔の歴史を紐解くと、そのような習慣があった所が多くある。 
 動物の火食は、世代を重ねるに従い、祭事という宗教なり呪術という精神的な高揚の場づくりに欠くことができない必須行事として位置づけられ、祭事に付随する食文化として定着していったことであろう。長い長い年月の経過により、動物の火食が持っていた麻薬的な刺激は、いつしか宗教なり呪術が持つ精神的高揚そのもののなかに飲み込まれてしまい、それによって、動物の火食の麻薬性が覆い隠されてしまう。
 そして、いつしか動物の火食は麻薬性を完全に失うに至ったのである。人のこころから麻薬であるという意識が消えるだけで済めばまだしも、残念ながら積極的な狩猟という、おぞましい行動を身に付けてしまった。
 これは何を意味するか。
 これによって、平和的な人の社会が崩壊することはなかったであろうが、人がこころのなかにずっと包み隠し続けてきたところの「凶暴」性と「残忍」性を大きく揺さぶることになったのは間違いなかろう。
 芋の火食で最高潮に達したであろう人間性は、これ以降、少しずつ醜さを増していったと考えざるを得ないのである。もっとも、人は狩猟を行うなかで、そのこころの変化に気づいたであろう。そこで、自らのこころを恐れるようになり、動物神の信仰を持つに至った。獲物とする動物を崇めることによって、こころの野蛮さにブレーキを掛けようとしたのである。多神教の世界では、現在もこれが生き続けている。日本列島では今もそれは根強く残っている。

第6節 火食は第三の食
 動物の火食が祭事の食文化として定着し、麻薬性を失うと、「食」を「植物食」と「動物食」という区分とは別に、「生食」と「火食」という区分で捉える考え方が自ずと生まれ出てくる。そうして、「火食」は「火」という「生き物」によってもたらされた「第三の食」であり、「火食」は「生食」とは姿形や味が全く異なった別の食べ物であると認識するに至る。
 ここに、「火食」に適するものは「火食」にして食べるという「第三の食」を展開することになり、植物と動物という垣根をとうとう乗り越えた考えに至った。これにより、様々な動物が火食の食材に加えられ、ついには抵抗感なしに動物を楽しんで食べるようになってしまう。
 特に、狩猟に加わらない子どもが動物の火食に慣れ親しんでしまうと、当然にして大人たちが行う動物の解体作業を見ており、大人になって狩猟に加わったときには動物を殺すことの後ろめたさが弱まっていて狩猟に対する抵抗感が薄らいでしまう。
 こうなると、祭事の前には意識的に様々な動物を捕獲するようになり、祭事に本格的な動物の火食パーティーが催されることが恒常化し、それを皆が楽しみにし、動物の火食が最大のご馳走となるに至る。
 火の利用を知ったであろう数十万年前には、鋭い刃先を持った石器が作られるようになった。動物の解体を行い出したのである。
 なお、動物の生食も、火食が一般化すると、すぐに始まったことであろう。動物の火食をするなかで、生焼けのものが少なからず生ずる。初めはそれを口にしても吐き出して焼き直したであろうが、生のほうがうまいものもある。動物の生食文化も若者が開拓していっただろう。スリルを求めて、限りなく生に近い、血が滴るような生肉を食べる若者が必ず登場し、生食文化も一般化の道をたどる。
 いずれにしても、この段階に至って、植物性のものも動物性のものも格段に食域の幅を広げ、豊食へと進んだことは間違いない。ただし、調理が面倒な穀類にはまだ手を付けていない。毎日必要とする食材は、植物であろうと動物であろうと周りに幾らでもあり、それが簡単に手に入った時代であったと思われるからである。
 この時代は、人類の歴史上、最初で最後の最も幸せな時代であったことであろう。特に男どもにとっては最高であったに違いない。なんせ狩猟は当然にして暇を持て余した男どもの遊びであったのだから。

 この時代(概ね中期旧石器時代:約30万年前~4万年前)、人はどんな生活をしていたであろうか。通説によれば、昼は休みなく食糧を探し求め、夜は猛獣に包囲され、居心地の悪い洞窟に身を寄せ合い、恐怖と不安の時代であった、というものであり、一般にそう思われているが、今ではこれを否定する学者が多い。
 現在の採集狩猟民は、主に女子どもが採集に当たり、実働時間はせいぜい3時間程度である。大人の女は、それ以外に家事雑用が2、3時間で、小さな子どもがいれば子守が家事として加わるも、年長の女子が相当部分を受け持ってくれるからさほどの負担にはならず、日長ぼんやり過ごす時間がけっこう長い。
 男たちは何をするかというと、狩猟という遊びに惚けているだけであり、週に2、3回程度、気が向いたときにふらっと出かけて、獲物一匹捕れなくても平気な顔をして帰り、時には気の合った仲間と1か月も連れだってどこかへ出かけ、家を留守にすることもあるという。
 それでも、女たちは何一つ文句を言わないし、また、男どもは決して家事を手伝うわけでもなく、女たちに食わせてもらっている、まさに「ヒモ」の生活をしているのが実態である。そういう採集狩猟民がけっこう多いのである。男にとっては1年365日、遊んでばかりで暮らせる理想郷であり、まさに男の天国である。
 もっとも男どもにも多少は仕事がある。食糧が十分に得られる所へ定期的に移住せねばならず、住まい屋の建設、補修がそうである。また、猛獣に襲われそうになったときには果敢に立ち向かわねばならない。現生のゴリラが天敵であるヒョウに襲われたとき、群のボス・ゴリラが素手で立ち向かい、格闘しながら群からの引き離しを図り、命を落とすこともしばしばである。採集狩猟民の男どもの場合、こうした命を張った行動が唯一の取り柄ではあるも、今は多くの所が文明社会との交流があって、彼らにも近代的な銃なり、少なくとも鉄製の槍などが普及し、その任務も格段に楽なものになってしまった。
 オーストラリア原住民のアポリジニの多くは採集狩猟民であり、彼らのなかには今でも「労働」と「遊び」を使い分ける言葉を持たない部族がいる。彼らの観念としては、「労働」イコール「遊び」なのである。男どもが行う狩猟はまさしくそうであろう。女たちが行う採集行動も同じ感覚で行われているかもしれない。そうでないとしても、採集や調理や子育てを、敢えて「労働」という一括りの概念で示し、石っころでのお手玉や泥人形づくりを「遊び」という言葉で対比させなくてもすむほどに、実に単調な生活をずっと送ってこられたからであろう。

 一般に、飢餓と隣り合わせの状態にあると思われている採集狩猟民の食生活は、たしかに質素なものではあるが、決して飢えることはなく、季節折々に採れる旬の食材と男どもがときおり捕ってくる獲物だけで十分に堪能しているのである。
 彼らの食事の食材は、芋が4割、その他の植物性のものが4割、動物性のものは2割といったところが一般的である。なお動物性のものには、女たちが採集してくるものも含まれる。
 はるか昔の中期旧石器時代の人も同様な生活であったに違いない。今日との違いと言えば、動物食がうんと少なく、火食の頻度もさほどのことはなかったのではなかろうか。そして男どもの狩猟も満月に合わせて行うといった程度であったろうから、普段は男も遊び感覚で気が向くままに採集に加わったのではなかろうか。
 高度科学技術の恩恵をたっぷり受けている先進国の我々男どもは、たしかに毎日世界中の様々な食べ物を飽食することができ、少なくとも毎日テレビを見る程度の娯楽も楽しめる。そのために週の5日を残業もいとわず懸命に働き、わずか2日間の休息日をもらう。その休息日も半分は雑用やなんやかやで消えてしまう。それでも、今どきの男どもは、これが最も余裕ある生活であると信じている。採集狩猟民の彼ら、そして中期旧石器時代の人々に比べ、何とも哀れな生活ではないか。
 経済学者E・F・シューマッハ(1911-1977)は言う。「ある社会が享受する余暇の量はその社会が使っている省力機械の量に反比例する」と。けだしこれは的を得た名言である。

第7節 動物食が主食となる
 話を元に戻そう。通常であれば、この動物食文化は祭事限定のものとして、せいぜい月に1回程度でずっと続いていったことであろう。チンパンジーの動物食パーティーと同程度に。現にそういう民族も多々ある。
 しかし、寒冷化や乾燥化が進むと、森林は後退し、草原が広がってくる。温帯においてはこれが顕著なものとなる。すると、草食動物が生息数を大幅に増やし、肉食動物もそれに伴って数を増やす。かたや食用となる植物は大幅に減ってしまい、人は主要なカロリー源を失う。こうした事態になると、植食性の食生活を維持することが難しくなる一方で、動物食を行なおうと思えば、いつでも可能となる。
 そこで、植物性の食糧の入手が少なくなる時期には、動物食が祭事限定の枠から外れてしまい、毎日とはいわないものの、普段の食事の代用食として動物食を取り入れるようになる。
 いったんこの代用食を採用すると、歯止めが掛からなくなてしまう。寒冷化や乾燥化が長期化し、植物性の食糧がさらに希少となった地域では、人類の歴史から見れば瞬時ともいえる短期間に、一気に代用食である動物食が本格化してしまい、ついに動物が主食の座を占めるに至る。
 以前は人と動物が共存していたから、動物はそこら中にそれこそウジャウジャいた。人が動物の火食パーティーを始めてからは意識的に捕えるようになっていたので、動物は人を恐れて人を見かけたら逃げるようになっていたであろうが、なんせ数が多いのだから、幼稚な道具であっても十分に役立ったことであろう。この時代に特別に狩猟用の石器などが進化した形跡はないのだから。

第8節 氷河期に生きる
 動物食に親しんでしまったのは、どこに住んでいた原人たちであろうか。その筆頭に挙げられるのがヨーロッパである。数十万年前から約4万年前までの旧
石器時代(前期旧石器時代の終わりがけから中期旧石器時代まで)の状況を見てみよう。
 この時代には、ヨーロッパには火の利用を知っていたであろうハイデルベルゲンシス原人が数十万年前からいたし、その後、約30万年前からは旧人のネアンデルタールが希薄な密度ではあったろうが広範囲に生息していた。時代は氷河期であり、氷期にはアルプス以北まで氷河に覆われていた。その南は広大な草原が広がっており、地中海縁辺の山々は森で覆われていたようである。
 氷期の後に間氷期が訪れて温暖化し、氷河は後退して順次草原に変わり、草原であった所は次第に森林と化していく。北から氷河、草原、森林と東西に帯状の配列となり、氷期、間氷期という氷河の前進、後退に伴って植物相も南北に移動を繰り返した。氷期と間氷期は不規則に訪れたが、氷期が8~9万年続いて、間氷期が1~2万年続くというのが大雑把な期間間隔である。また、寒冷化、温暖化の程度はバラバラであり、草原化、森林化は極端な変化もあれば、そうでなかったこともあったと考えられている。
 ヨーロッパへ入ってきた原人やその後の旧人たちは、温暖な間氷期に地中海沿岸沿いの森林からまずまず得られる植物性の食糧を求めて入り込んだのであろう。間氷期にある今日の地中海沿岸の山々はほとんどがハゲ山になっているが、これは古代文明の発生の少し前から、片っ端から木を切りだし、その後に芽吹いた若木を家畜が食べつくした結果であり、当時は平坦部を含めて豊かな森が連続していたのである。
 原人あるいは旧人たちが、この植物性の食糧がまずまず豊かな土地に定着して間もなくすると、寒冷化が訪れて長い氷期となる。地中海沿岸部の植物相が貧弱になる一方で、内陸部へ一歩入り込めば、まだそこには針葉樹や広葉樹が生い茂り、シカなどの草食動物がいて、その生息密度は草原に比べて格段に低いものの、狩猟は十分に可能である。
 こうなると、今までのような植食性の食糧を中心とした採集生活は困難になるから、必然的に狩猟の頻度が高まる。特に冬場は植食性の食糧が得られにくく、狩猟が中心となり、必然的に動物食に慣れ親しんでしまう。加えて、動物食は体を内から温めてくれ、寒い時期には好都合である。
 こうした地域においては、採集狩猟エリアを広げざるを得ないが、各集団間のエリアの間には、今日の採集狩猟民の多くにみられるような無人のエリアが設けられていたであろうから、必要な食糧は十分に確保できたであろう。採集狩猟エリアの拡大で、労働時間が多少は長くなったであろうが、食生活はまだまだ余裕があったと思われる。そして、こうした狩猟を続けていても、無人エリアがあれば草食動物が生息数を減らすには至らなかったことであろう。なんせこの時代の人の生息密度は極めて低かったのだから。
 もし仮に、この時代に動物の生息数がどんどん減っていったとすると、獲物が捕りにくくなり、それがために狩猟技術が発達するはずであり、狩猟用の道具としての石器の改良も行われるはずである。しかしながら、この時代、数十万年にわたって石器の発達はほとんど認められない。このことは、まだまだ安泰な時代がずっと続いていたと考えるしかなかろうというものである。
 氷期の訪れとともに森林は北から次第に姿を消していき、代わって広大な草原が南下してくる。彼らが生息していた地域の森林は消え、草原だけになってしまう。そうなると、この地域の草原には芋の自生はなかったと思われるから、植食性の食糧は皆無に近い状態となる。一方、草食動物はそれこそわんさと出現し、捕りたい放題の状態になったに違いない。ここに動物食に大きく偏向した食文化が生まれ出る。
 間氷期には草原は北上し、それに伴い草を求めて草食動物は移動する。人はまだ定住していない時代であり、それに合わせて人も北上する。こうして寒帯に居住し、もっぱら狩猟に頼る人集団が誕生したことであろう。

第9節 魚や昆虫を食べたか
 動物食の対象となるものは、人がそれを覚えてからずっと哺乳動物だけであったと思われる。鳥については、前に述べたように神様扱いで手を付けにくかったろうし、飛んで逃げていくから狩猟効率が悪い。
 それ以外に可能性として考えられるのは魚介類であるが、好んで食べることはなかった感がする。水生生活にわりと馴染んでいる現生のボノボは小魚取りをして遊ぶことがある。ボノボよりもっと水生生活に馴染んでいた原人たちであったろうから、当然にこうした遊びはしたであろう。魚は逃げてつかみにくいが、乾季には干上がってきている所が必ずあり、子どもでも容易につかみ取りができるし、貝であれば逃げはしない。小生は貝の刺身には目がない。刺身にして塩水で洗えば、こんなうまいものはない。周りを海に囲まれている日本人であるからして、そう思うのだが、一般的にはどうもそうではない。生魚を決して口にしようとしない民族が多いのである。
 原人たちははたして魚介類を食べていたであろうか。魚の骨は分解して残りにくいであろうが、貝殻なら残りやすい。哺乳動物の骨はずいぶん昔の遺跡からやたらと発掘されるが、魚の骨や貝殻がまとまって発掘されるのは、やっと十数万年前からであり、魚介類を食べるようになったのは比較的新しい食文化と言わざるを得ない。その頃には地域によっては哺乳動物が数をどれだけか減らしてきて、狩猟で走り回るのは面倒だからと、ずっと楽な方法である魚介類の採集を行う地域が所によって現れてきたのであろう。
 もう一つの可能性が昆虫食である。日本人はイナゴの成虫やハチの子を食べ、東南アジアでは様々な昆虫の幼虫やゴキブリの成虫さえ食べるなど、世界各地で昆虫食の風習が数多くある。これはいつ頃から行われだしたのであろうか。遠い遠い祖先である原猿類は昆虫食であるから、その生命記憶が呼び覚まされたとすれば、草原にはバッタの類がたくさん生息しているので、人の祖先がサバンナへ出たときにすんなり昆虫食に入ったはずである。でも、乾燥したタンザニアの灌木地帯で暮らすチンパンジーは各種の哺乳動物の狩りをときどき行うものの、昆虫にあってはアリ(通常、アリ食いは蛋白質の補給と言われているが、小生は関節痛の薬として食べていると考える。)以外は食べない。人も全く昆虫を食べない民族も多い。こうしたことから、人の昆虫食の風習も随分と新しい食文化と言えるのではなかろうか。
 簡単に欲しいだけ哺乳動物というおいしいものが手に入れば、捕るのに手間が掛かったり、小骨があったり、小さすぎて食べにくいもののは見向きもしなかったに違いない。魚介類や昆虫はその類である。加えて、まだまだ食に保守的であった時代であろうから、ゲテモノ食いにはそうそう走らなかったことであろう。

つづき → 第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明

(目次<再掲>)
永築當果の真理探訪 食の進化論 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
「食の進化論」のブログアップ・前書き
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき

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