薬屋のおやじのボヤキ

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日本という高度科学技術文明社会で生きていくにはどうすればいいの?

2021年10月05日 | よもやま話

幾本か立てているブログの過去記事に目を通していて、このブログの趣旨にも合うものがアメブロにありましたので、それにこのブログの過去記事の一部をつぎ足し、皆様に紹介することとしました。かなりの長文で申し訳ありませんが、ご一読いただけると幸いです。

日本という高度科学技術文明社会で生きていくにはどうすればいいの?

 「食生態学入門」という書があります。1981年発刊ですから、もう40年が経っており、随分と古い本ですが、現代にもずばり当てはまり、興味深いものがあります。著者は亡き西丸震哉氏(1923年生まれ、2012年没)で、氏が58歳のときに書かれたものです。
 なお、食生態学という学問は、氏が建てられたもので、その経緯を次のように語っておられます。
(以下、本書より引用)
 日本でただ一つの国立研究所官能検査研究室を私が担当したとき、守備範囲を単なる統計的手法による、人間に好まれる食品の開発にとどめず、動物としての人間とエサとの関係、あらゆる条件下での人間の思考と行動の範囲と限界の追究にまで進めた。
 そしてこの分野に食生態学という呼称を与えることにした。今ではこの名の講座をもつ大学もあるようになったが、残念ながら「食」にこだわりすぎている。食を基本とする人間そのものの研究、人間はいかに生きてきて、現在の様相がどの程度に良いのか悪いのか、将来どうあればよいのかというあたりまでを徹底して考えるようにしなければ、ほんとうの人間の存在に役立つものとはならない。
 自分の土俵にこだわり、他の分野から割り込んでくる勢力を警戒し、排他的であるのは自分の無能をさらけ出していることである。恩師の論説には指一本触れられない涙ぐましい師弟愛は人類にとって有害でしかない。
 人間社会も科学も人生も、すべては未知の部分を知りたい、より良い路線がどこにあるのかを、より適確に模索しつづけることで意味をもつ。そのためには探検精神がいつもあふれていなければならない。
 幸いにして食生態学には既成の土俵がなく、恩師も見当たらない。自分が水を飲みたければ自分で井戸を掘るしかない。…だれかが先に掘ってくれて役立つ井戸の水はありがたく頂き、よその庭の井戸も活用させてもらい、悪い水だったら悪いと言い、甘露だったら褒めそやし、自分の好みの水が欲しいときや、いい井戸が掘りたくなったら、みずからは井戸堀人夫になる。
(引用ここまで)

 ところで、氏は、農水省の異色官僚(中途退官)、エッセイスト、探検家、登山家など幅広い分野にも精通していた「変人」といってもいいでしょう。特に、ニューギニアの食人種族と生活を共にする調査に入られたのは圧巻である。
 以下、「食生態学入門」から、その一部をそのまま抜粋します。

 …すべての動物を責めさいなんできた最大の苦痛は飢えであった。この飢えから逃れるためには、動物はどんなことでも血相をかえて努力しないではいられない。
(ここで引用を一時ストップし、同著の中で、動物そして人間の食餌行動の解説がありますので、それを要約して以下引用します。)

 自然界では、餌の量は、良くてギリギリ、通常は不足するのが当たり前。
 人間ないし動物の生きる姿を生体維持の観点から眺めれば、
   休息ーー興奮ーー労働ーー食事ーー休息
という順序で事が進行し、この方式で少なくとも1千万年が経過した。このくらいの時間があると、動物の生理機構は、この順序どおりに進行するときにうまく機能するように適応させられていて、順序を変えると調子が狂い、生理機構が乱れ、天寿を全うできない。
 身体を生活の糧とする力士は、この順序どおりにしないと調子が狂う。夜は、休息であり、朝、たたき起こされてビックリという興奮を味わい、直ぐに稽古という労働が始まり、それが終わると食事が摂れ、その後、昼寝の休息時間となる。理にかなっている。
 ところで、先の順序は理想型であって、餌にありつけないことも多く、
   休息ーー興奮ーー労働ーー[食事×]ーー休息
という失敗型を常時体験していたから、この型も生理機構は正常として組み込まれていると考えて良い。丸1日絶食しても、どってことないのである。
 人間の原始社会では1日にどちらかの型を1回まわり取っただけであったが、農耕社会に入ると理想型が安定して取れるようになり、歴史時代になって分業化社会になると生活に余裕が出てきて、これを2回まわり取ることができるようになった。つまり、昼食と夕食の2食を摂るようになったのである。
 平和で豊かになると、さらに生活にゆとりが出てきて、今は、1日3食摂るのが普通になっている。1日に3回まわり理想型が取れれば、それで良いであろうが、はたして、その順序どおりに行っているか疑問である。特に、第1クールに問題がある。
 休息(睡眠)-興奮(目覚時計)-[労働×]-食事(朝食)ー[休息×]-労働(出勤)
 これでは、順序がメチャメチャで生理機構に合わず、体調を崩すのは当たり前である。   
 ここは、失敗型を採用して、朝食抜きにするしかない。
 なお、歴史的にみて、1日3食摂るようになったのは、ごく最近のことであり、1日2食へ戻すことによって、より生理機構に合う方向へ修正すべきであり、できることなら、1日1食ときどき断食して、生理機構を正常化すべきである。
(挿入した要約引用はここまで。以下、そのまま抜粋に戻します。)
 
 飢えから開放されたとき、身体は休息をとりたくなり、心は安らぐ。…
 飢えからの開放が一時的なものではなく、おそらく永続的にその心配がなくなったと期待できるとき、…安楽追求へと動き出す。エサを求めてかけずりまわることがごく当たり前のときは、かけずりまわることを苦痛とは意識しなかったが、労力を減らしてもエサが入手できるようになると、もはや労働を苦痛として受けとめるから、こんどは労働という苦痛から逃れようとする。
 安楽の追求とは、ひとくちでいえば横着をきめこむことで、人間の現在の文明化という路線は、横着を徹底して追及しようとする願望にほかならない。…
 人間が横着をしたいとき、使われる側よりも使う側のほうが楽であるから、使う側にまわりたがる。職員は役員に、庶民は貴族になりたがり、なにもしないで生きていける立場に自分を置きたいと考える。
 文明の方向には理念の追求や、精神面の開拓、芸術、美術などいろいろあるが、これらすべて、ひまができてはじめてその存在を認識できる。しかしいちばん人間にもてはやされるものは、横着を助長することを保証する科学文明という方向であった。…
 人間が生物としての基本的労働をやめて、余った力を自分の好みの方向に使うことになるかというと、楽になったところでとどまって、スポーツは見る側にまわって自らは動かず、旅行とは乗り物が動きまわるものとなり、ケーブルカーが山登りするのに便乗し、…スキーは登りをやめてしまって滑るという後半だけのものとなった。
 洗濯は洗濯機、それに脱水機がつけば新しいものに切り替えなければ気がすまず、かつては下僕にやらせ、後進国での宗主国人ならば土着民を雇ってすませたような仕事は、今の文明国では労働力がないので、しかたなしに機械にその肩がわりをさせることで埋め合わせをする。
 はじめのうちの機械は人間の能力のほんの一部でしかなかったから、御主人がそれにつきそって働かされていたが、ついにはワンタッチですむようにまで横着化は進んだ。ひと声命令すれば下僕が動くところまで、もう一息だ。
 何十人かの下僕にかしずかれた王様が、まったく自分では動く必要がなかったのにくらべると、返事をするかしないかのちがいだけで、労力的には王様と少しもちがわないことをやってもらえる大衆が存在するようになった。
 日本人の1億の大多数が王様であるなら、もしその下にかしずく下僕がいたら、日本の国土には何十億の人間がひしめくことになる。それがいなくてすむだけでもたいへんな幸せだという考え方ができる。…
 日本に住む1億人は、使用人は人間でなくとも、まちがいなく1億人の王様だ。…
 まわりじゅう王様ばかりなのだから、やたらとまわりが気になって、体面維持は容易なわざではない。むかしのほんとうの王様のまわりには王様などはどこにもいなかった。
 日本人から見ると、アメリカ人あたりは自分たちより王様ぶりがよく、キング・オブ・キングスがやたらと住んでいるから、せめてあの程度にならなくちゃあと考える。…
 日本人は野次馬根性がとくに強く、オッチョコチョイだ。他人のよさそうなところを、自分とのちがいを深く考えることなく直輸入して、その結果がおかしくなったとしても、気にしない。日本人にとっていちばん気になるのはアメリカ人の生活である。
 …低級な味のものをパッと食べることができるシステムを近代的だと信じ、カッコいいという気になると、それを食べなければ時代から取り残されるようなあせりを覚えて、まずくてもまずいと思えず、これで幸せなのだと自分を納得させ、そのあげくうまさの感覚をも自分でたたきつぶしてしまう。
 使い捨てが現代人のすることだと、だれかが叫ぶと、自分の収入がどうであれ、…景気よく捨てることで満足した気になれる。…こういうやり方をすれば、あくせく働いて…買い込まねばならないから、ゆとりを作る方向ではなくて、ますますかけずりまわって人よりよけいに働かねばならず、ゆったり遊ぶ気持ちも出てこない。その遊びも、一流文明人はこういう遊びをやるものだといわれると、自分の趣味がどうであれ、いっせいにその遊びに突進して、血相かえてレジャーに取り組む。日本人には、この路線が身動きできない終点に着くまでは、絶対に心の平静が訪れなくなった。…
 モノに取りかこまれ、人にもっていかれないようにいつも気を配り、人情がうすれ、そして人間の究極の幸せとはこれなのだと、だれかに断言されれば、なるほど自分は最高の幸福をつかんだのだと満足して死んでいける。こういう日本人と太刀打ちできる民族はどこにもないだろう…
(引用ここまで)

 西丸氏は、このように科学技術文明というものはどういうものかをとても面白く表現しておられます。“日本人1億人みな王様”とは恐れ入りました、です。本書が書かれてから40年が経っているのですから、それから随分と便利になった現代です。その当時は、ポケットベルを企業の営業マンが持ち始めた頃で、まだ全国で100万台しか普及していませんでしたし、テレホンカード式公衆電話はその翌年から設置が始まったという時代でした。
 現代は、携帯電話はすでに古く、スマホの時代になり、格段に便利になりましたが、それによってゆとりができたかというと、そうではなさそうです。
 40年前、電車の中では日本人は世界的に例がないことですが、多くの人が目を閉じて仮眠し、休養を取っていました。それが今では、スマホとにらめっこし、フェイスブック(いや、これは古い)、LINE(これも古そう)、最近はTwitter(ツイッター)、Instagram(インスタグラム)といったソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で交友関係を持つ諸々の輩どもと頻繁に会合をもっておられる。電車内は様変わりし、居眠りする人がほとんどいないという世界標準の風景になりました。
 こうしたものを一切やらない小生。“皆さん、お忙しいなあ。家に帰ったらきっとパソコンも叩かねばならないだろうに。寝る時間を削るしかないのでは?”と心配させられます。
 皆が王様になって、煩わしい仕事を何もしなくてもよくなったであろうにもかかわらず、忙しくて寝る暇もない現代。40年前より格段に便利になったにもかかわらず、くつろぐ時間がうんと減ってしまった現代。どうなってるんでしょうね。この先が案じられます。
 そこで思い出しました。経済学者のE.F.シューマッハーが1973年(48年前)に言った名言を。

 「ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する。」

 このとおりでしょうね。将来、ますます余暇の量は減っていくことでしょう、日本の王様たち。
 もう一つ、西丸震哉氏の同著「食生態学入門」から、その一部を抜粋します。

 人間の心ーー適量の人数よりもはるかに多数が一定空間に生息すると、共同生活ができず、ぶつかりあってお互いにいらいらしてカラカラの世相となる。
 じつはこれは人間社会だけのことではなく、水槽内のグッピーの社会をみると、一定数になるまではふえつづけるが、限界を超えると親が子を追いかけまわして食うようになり、一定数以下になればこの闘争はやむ。…
 地球上に40数億人の人間が生存している…
 あまり聞かれない表現で、…人権を無視したと思われそうな方法だが、目方に換算してみると、約1億7000万トンとなる。単一の種の動物が地上にこれだけ生きているということは、生物の歴史のなかでごく当たり前のことだったかどうか。
 …クジラ類だが、…かつてもっとも多かったときにどのくらいの量になったかを推算してみると、全海洋で4500万トンぐらいであったと考えられる。つまり、人間の4分の1くらいでしかない。…
 (人間は)穀類を大量に作るようになったおかげで人口を増大させることが可能になって、これほどの人間量になったのだが、生物界でこれほどの量になるとき、その種の異常大発生という表現をする。イナゴやネズミの異常大発生は、一地域での特異的なものだが、今回の人間は全地球での同時大発生であるところにより大きな異常さがある。…
 …先進国が、さわぎとなるはるか以前に、人口を増やして、さんざん植民したあげく、後進国に人口を抑制しろといっても、その身勝手は反感をつのらせるばかりである。
 教育レベルを高めた大衆を保有する先進国で、その大衆が自発的運動として産児を減らそうとする傾向が増大するとき、人口増加率は減るが、人口が減るまでには20年以上を必要とし、…。
 後進国は生活レベルを上げながら、人口の増加率を落とすような器用な方法はなく、教育レベルを上げる努力が基盤にないかぎり、人為的に人口を調整することはできない。…
 人間の異常発生がもとで農業という作物の異常発生を極度に進め、病害虫の異常発生を起こし、農薬の異常多用によって人間の寿命にはね返らせるという循環によって、人間の異常発生が抑圧される段階が次に起こることになる。
(引用ここまで)

 西丸氏は、増えすぎた世界人口を「人間の異常大発生」と表現しておられます。そのとおりですよね。グッピーの社会と同じ。人間も一定数以下になればこの闘争はやむ、ということになりましょうが、中東やアフリカなどでの内戦は、とてもじゃないが一定数以下になりそうになく、永久に終わりそうにありません。
(なお、「農薬の異常多用によって人間の寿命にはね返らせるという循環」は、西丸氏の別の書「41歳寿命説」で述べられていますが、これは単なる警告であって、当の本人もそこまでのことは思ってみえなかったようです。)
 日本社会においても、ますます大都市への人口集中、つまり「人間の異常大発生」によって、「適量の人数よりもはるかに多数が一定空間に生息すると、共同生活ができず、ぶつかりあってお互いにいらいらしてカラカラの世相となる。」という現実があります。
 それに輪をかけているのがSNSで、これが人々の生活に深く入り込み人間関係をより複雑化し、ぶつかりあってお互いにいらいらさせているようでもあります。
 日本における「人間の異常大発生」の状態は永久に終わりをつげないでしょうから、日本人の精神疲労も相当なものになりましょう。

 これからの世の中、日本の王様たちが幸せに生きていくためには、いったん王様を止め、SNSを全部切ってしまい、過疎地へ逃げ込んで自給自足の生活でもするしかなくなってきたようです。そこまでのことはなかなか無理な相談ですが、少なくとも高度科学技術文明に振り回されるのではなく、それを最小限に上手に使いこなす、そうした生活を目指すしかないでしょうね。

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「知の巨人」と言われる立花隆さんも意外にご存じないことがあるようだ

2021年07月01日 | よもやま話

「知の巨人」と言われる立花隆さんも意外にご存じないことがあるようだ

 「知の巨人」と言われる立花隆さんが、この4月30日に亡くなられ、それが6月23日に報道された。享年80。そして6月30日にNHKクローズアップ現代で「知ることに終わりはない~立花隆さんからのメッセージ」と題して放映され、これを見た。
 彼は幾つになっても実に好奇心旺盛で、文系出身でありながら理系にも精通し、その蔵書は数万冊もあるとは驚いた。これだけの蔵書があれば、オールラウンダーとして何でも知っておられる、きっとそうに違いない、そう思わせられた。
 ご自身も大腸ポリープ(良性か悪性か不明)を切除され、膀胱がんも患われ、身内にもがんがん患者がいて、それが元になって、がんについてもさぞや精通しておられよう。テレビの中で「がんになったら生き方を変えなきゃいかん」といった旨のことを言っておられた。まさにそのとおりで、小生と同意見だ。

 ところで、テレビの中で「高血圧とコレステロールと痛風の薬、その他幾つも薬を飲んでいる」旨、言っておられた。“あれっ!?”である。
 そこで、放映の翌日、彼の健康状態をネット検索してみると、長年、心臓病(心筋梗塞)、糖尿病を患っておられたようである。それに痛風も、ということになる。そして、ここ1年は「回復を積極的な治療で目指すのではなく、少しでも全身状態を平穏で、苦痛がない毎日であるように維持していく」という方針の病院(入院か通院か不明)に移っていたとのこと。なお、死因は急性冠症候群とのことであるが、冠状動脈の詰まりによる心筋梗塞であろう。
 糖尿病を抱えた心臓疾患となると、治療マニュアルでは「血管拡張薬、血小板凝集抑制薬、降圧剤、コレステロール降下剤、血糖降下薬」といったところだ。
 これらの薬は、本当にいる薬、飲む必要のない薬に分けられよう。治療方針の「平穏で苦痛がない毎日を維持」となると、降圧剤とコレステロール降下剤はまずもって不要である。もっとも、テレビ放映のインタビューはたぶん1年以上前のものだろうから、一般の病院が必ず出すこれらの薬を飲んでおられたのであろう。

 ここで大きな疑問が生じた。蔵書を数万冊も抱えた「知の巨人」ならば、降圧剤とコレステロール降下剤は、よほどのことがないかぎり飲んではならないものであることを、どうしてご存じなかったのだろうかと。あのインタビュー時はけっこうお元気そうであったから、この2つの薬は飲む必要がないと思われたのである。
 他の薬についても、実はそれらよりもっといい漢方薬や健康食品がある。これらのほうが体調もグーンと良くなり、副作用も全くないから、これらに切り替えるべき性質のものだ。
 自分がそうした疾患を患えば、がんがそうであるように、漢方薬や健康食品についても知的好奇心が湧き、直ぐに見つけられたものを。

 まあ、自然科学分野にあってはいくら科学が発達したとは言え、分からないことのほうが多すぎるし、正しいと言われていることの8割は間違っているのだから、さすがの「知の巨人」であっても、よう見つけられなかったというところか。

 ところで、立花隆さんは臨死体験の精力的な取材を通して「死ぬのは怖くなくなった」と言っておられ、これはさすがである。また、彼は、葬儀にも墓にも関心がなく、死後は「生命の大いなる環」に入ることを志向し、文字通り土に返る「コンポスト葬」を理想とされたようだが、「妥協点」として樹木を墓標とする自然葬を希望し、家族がそのようにされたとのこと。ご冥福を祈りたい。小生も同様な思いであるが、樹木葬ではなく山の中への散骨だ。
 立花隆さんはテレビでみただけで、彼が執筆された本は持っていない。これを機会に1冊買うことにしよう。そこで早速に最新の著『サピエンスの未来』を発注。

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正座、足のしびれない座り方

2020年07月12日 | よもやま話

正座、足のしびれない座り方

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。 で紹介したものです。)
(以下引用)

 足に血液を送る血管は、太い1本の血管が枝分かれしている。血液が順調に流れれば、足はうまく動く。だが、正座を長くしていると膝の太い血管が圧迫されて、足の先まで血液がうまく流れなくなる。そのため足がしびれて、ぴりぴりと変な感じがしたり、立てなくなったりする。
 …正座してしびれないコツは、足のひとところに体重がかからないように、うまく座ることだ。また、座りながら、ときどき足を動かせば、しびれにくい。
 たとえば、両足の親指を重ねて正座し、ときどき親指を上下に入れ替えれば、親指の運動ができてしびれない。茶道の先生や坊さんが長時間正座していてもしびれないのは、座り方がうまいし、訓練しているからだ。…
(引用ここまで)

 まあ、これは通常言われていることで、これでもって、すぐにいつもより長時間正座ができるようになるものではないと思う。
 小生は、けっこう長い時間、正座ができる。これは、たったの1回だけだが、長時間の“修行”のおかげだ。30年も前のことだろうか、東京の親戚の葬式に行ったとき、会場は公民館で、びっしり参列者が入り、なんと板の間で1時間も正座させられっ放し。足はしびれ、痛みを通り過ぎて無感覚。葬儀が終わって立ち上がろうにも、全く足がいうことをきかない。恐れ入りました、です。
 これ以来、法要など座布団を敷いての正座は、読経が1本終わるまで平気になった。もっとも、すぐにサッと立ち上がるのは無理だが。そして、料亭の座敷で宴席がある場合も、正座していることが多い。このほうが楽なのである。長時間あぐらをかいていると腰が痛くなるからだ。
 ところで、我が宗派は有難い。浄土真宗の場合、法要などの最後にたいていは「御文様」が読まれる。これを聞いている間は、座ったままで頭を低くする。すると、その間、ケツを気持ち浮かせぎみにし、それでもって足の血流を回復させることができるのだ。うまいことを坊主は考えたものだ。これによって、ああ、全部終わった、すっくと立って蝋燭を消そう、お布施を坊さんに渡そう、と、ササッと行動に移せるのである。

(本ブログでの追記)
 近年、中高年で正座ができない人が急激に増えてきた感がします。
 どうやらこれは“ウンチング・スタイル”の変化が原因と思われます。つまり、和式トイレから洋式トイレにほとんどの家庭が変わり、膝を大きく曲げる習慣の喪失、これにより膝関節が硬くなったからではないでしょうか。
 正座によって膝関節は柔らかくなりましょうし、正座は背骨を真っすぐ直立させますから、首から足までの骨のゆがみを正してくれるように思われます。
 1日1回は正座、これを心がけたいものです。公式の場で、まだまだ正座せねばならないことが多い日本社会ですからね。

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食後すぐに力仕事をしてはならない理由とは

2020年07月08日 | よもやま話

食後すぐに力仕事をしてはならない理由とは

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。 で紹介したものです。)

 食後の運動に要注意
 食後すぐに運動すると、よく左側上腹部が痛むが、これは脾臓が痛むのである。
 脾臓は、みぞおちの左側、胃や肝臓よりも深部にあり、…老朽血球の破壊を行なったりしている。
 ふだんは血液を貯蔵していて、からだのどこかで大出血して、体内の血液が少なくなったときや、激し運動をして、からだのある部分に多量の血液を送る必要が生じたときなどに、脾臓は縮んで、たくわえていた血液を送り出して補う役目をする。
 こんな場合に、脾臓は2分の1から3分の1、ひどいときには6分の1にも収縮する。
 食事をすると、食物をこなすために胃や腸など、消化器に血液がよけいに集まるので、脾臓は懸命に働いている。(つまり、縮こまる。)ところが、このとき、急激な運動をすると、筋肉へも急いで多量の血液を送らねばならない。
 そのため、脾臓はいつも以上に縮まろうとする。つまり、脾臓がひきつるようになるので、左腹のあたりに痛みを感じるのである。
(引用ここまで)

 「昼飯を食ったら食休め」と、先日この日記に書いたのだが、その理由の一つに以上のものがあるのだ。ヒトのからだは一度にあれもこれもできるようには作られていない。
 食後は消化器系に血液が巡るのであり、運動しているときには筋肉系に血液がよく回るのである。そして、頭を使うときは脳血流が良くなるというものだ。
 なお、病気したときは、これら3系統への血流を絞り込み、からだ全体に存在する免疫系に血液を回すために、「食わず、動かず、脳を休ませる」に限る。
 動物は病気したとき、自然治癒力を最大限に発揮せんとして、皆、そうしているのであるからして、ヒトも動物を見習わねばいかんのである。

(本ブログでの追記)
 今般のコロナ騒動で、「らしき症状が出たからといって医者に来るな、3日(4日?)間は自宅で安静にしておれ」と、医師会は「コロナはクルナ」と、当初は(今も?)受診を拒否していました。
 ここは、旧型コロナ(普通の風邪)であっても新型コロナであっても、今般のお医者様がおっしゃることに素直に従い、症状が出たら家でじっとし、動物を見習って「食わず、動かず、脳を休ませる」の“3無”生活をするのが一番です。
 旧型コロナにしろ新型コロナにしろ治療薬は医者は持っておらず、唯一頼りにできるのは自分が持ち備えた自然治癒力しかないのですから、この力を最大限に発揮できる状況を作り出す以外に治療法は存在しないのです。
 よって、インフルエンザを含め風邪一般は、今回の教訓「コロナはクルナ」を大原則として、医者にかからないのが最善の道となります。
(注)抗インフルエンザ薬があるじゃないか、という反論がありましょうが、この薬にはウイルスを殺す力はなく、あくまで増殖を抑えるだけのことで、罹患初期に効果的なだけです。ウイルスを殺すのは、やはり自分が持ち備えた自然治癒力しかないです。

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“屁”学入門

2020年07月06日 | よもやま話

 “屁”学入門

 佐伯誠一著「からだの雑学事典」(1984年)からの引用記事を先日書いたところであるが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日も、その一つを紹介。 で紹介したものです。)
(以下、本書を部分的に引用)

 おならには2種類ある
 …腸内には…100兆個もの細菌がいる。これらの細菌が…食物のかすを発酵分解して、ガスを発生する。このガスがおならである。
 ところで、おならには、もう一つある。食物を飲みこむとき、空気も一緒に胃の中に入る。飲みこんだ空気は溜まり、やがて口に逆もどりしてゲップになるが、腸に送られ、消化器を通って、おならになって排泄される。
 つまり、おならには、…2種類がある。腸の働きの活発な人は発生するガスが多く、おならがよく出る。また、大口でご飯をぱくつく人も、空気を飲みこむから、ゲップやおならが多い。
 日本人の成人男子が1日に放つガスの量は400~2000cc。1回に出る量は、ふつう100ccぐらい。日本人は概して、食事をせかせか食べるから、おならの量が多い。お茶漬けサラサラは屁のもとだ。…もっとも、1回の量は個人差があって、50~500ccまで幅がある。おならを小出しにする人は1日に10回以上はしているわけ。1時間に2回も3回も放出する人がいる。

 おならも香水も、においは同じ
 口から飲みこんだ空気が、おならになって排泄されるが、このおならは音が大きくても臭くない。…反対に、体内で発生したガスのおならは臭い。…
 肉や豆などの蛋白質が腸内で分解するとインドールができるが、これが猛烈に臭い。澱粉が発酵するとメタンガスが出るが、これは無色無臭でにおわない。…インドールが、おならのにおいの元凶だ。日本人のおならは、それほど臭わないのに、西洋人のおならが、ものすごく悪臭なのも、肉食だからだ。
 ところで、香料、つまり、芳香の代表は、動物はジャコウ、植物ではジャスミンだが、どちらもにおいの素はインドールだ。インドールは、化学構造がジャスミン花精油と同じである。インドールは濃いと糞臭を感じ、薄めると芳香になる。おならも薄めると、悪臭転じて芳香を放つ。
 なお、腸内にはウエルシ菌といって、臭いおならをつくる細菌もいる。この細菌は老人になるとふえるから、老人のおならは臭い。

 日本中が待望したおなら
 …胃腸の手術のときも、多量に空気が入るから、おならが出る。手術後になかなか腸が動かず、おならが出なかったりすると、命にかかわる。
 昭和5年…浜口雄幸首相が…右翼青年の凶弾に倒れた。弾丸は腸壁を6か所つらぬき、首相は…大手術を受けた。
 腸壁の穴がふさがり、腸の機能が回復すれば、その証拠に、おならが出るはずだ。
「……それだのに、ガスがまだ出ない」と、国民は心配した。
 待ちに待ったおならが出たとき、新聞の号外は大きく報道した。
「待望のガス出る。今朝二時一五分」
「放屁一発天下にとどろく」
 暗い気持ちでいた国民が、どんなに喜んだかわからない。
 腹部の手術後の一発が待たれるのは、医学が進んだ今日でも変わらない。おならは腸の機能回復のあかしである。…

 宇宙旅行の大問題
 …宇宙食は、量は少ないが高カロリーなのでおならの生産率が高く、水素やメタンガスの発生量も多い。
 NASA(米航空宇宙局)で実験したところでは、ふつうの食事の場合、1日に発生したおならの量は275ccで、このうちメタンガスが約60ccだったが、高カロリーの宇宙食を食べると、おなら560ccを生産し、その中に水素ガス205cc、メタンガス90ccが含まれていた。
 密閉された宇宙船の船内には、電気系統の装置が複雑に配置されているから、水素やメタンなどの可燃性ガスが船内に充満すると、スパークによって爆発する危険性が考えられる。宇宙旅行では、飛行士のおならが問題になった。世界で最も大規模におなら研究した組織はNASAだ。その結果、宇宙食はおなら発生の少ないものに改良された。

 おならは爆発する
 NASAの研究で、おならには約400種類のガスが混じっていることがわかった。窒素、炭酸ガス、水素、メタン、酸素が主成分だが、このうちメタンガスと水素は天然ガスとして燃料に用いられるくらいだから、よく燃える。…
 1978年、デンマークの病院で手術中、患者の腸内に溜まったガスが電気メスの熱で引火、爆発するという事故が起こった。…結腸をメチャメチャにするほどひどものだった。…患者は敗血症を併発して死んだ。
 こうした爆発事故は、それまでの20年間に、外国で9件、日本でも2件起こっている。日本の一例は、…横行結腸に電気メスをあてたとたん、「バーン」と爆発、あたりに血や便が飛び散り、腸が裂けた。命に別状はなかったが、患者は余分に腸を切られる羽目になった。
 もっとも現在は、こうした事故の心配はない。手術前に、すっかり腸内を掃除したり、反対に下から炭酸ガスを注入したりしてから、メスを使うからだ。

 危険なガス人間は3人に1人
 メタンも水素も無臭だから、においの強いおならより、においのないほうが爆発の危険性が高い。といっても、体内ガスの成分は個人差が大きい。実際は、メタン生産能力のない人のほうが多数なのだ。
 …成人の3分の2は、メタンを生産する腸内細菌をもち合わせていない。いいかえると、3人に1人がメタン発生の危険人物である。
 
 我慢したおならはどこへ行く
 おならを我慢していると、しばらくは腹がはって苦しいが、やがて体内に吸収されてしまう。だから、後でしようと思っても、一度止めたら、もう出ない。
 我慢したおならは、小腸まで逆流して吸収され、血液中に入って体内をめぐる。
 吐く息の中に水素が含まれているが、これは消化管のガスが血液に吸収され、肺から呼気に入って排泄されたもの。人は口からも“おなら”を出しているのである。
 明治5年、日本に鉄道が開通した当初、客車にトイレの設備がなかった。そのくせ窓から放尿すれば罰金10円、放屁1発罰金5円という定めがあった。5円で米が150キロも買えた時代だから、みんな、おならを懸命に我慢した。…
(引用ここまで)

 いや~あ、面白い。この本の発行は1984年だから、36年も前のもので、単位のmlがccと表記されたり、二酸化炭素が炭酸ガスであったり、ウエルシュ菌がウエルシ菌となっている。でも、その内容はちっとも古くなく、今でもチャンと通用します。

 この記事を下書きしていたところ、今日では「放屁1発罰金5円」という罰金は取られないものの、屁をこいて音や臭いが周りにまき散らされては迷惑千万ですから、音も臭いも消すパンツができないか、なんと、これをけっこういい線まで進めた高校生の研究グループがいました。そのネットニュースは次のとおり。
 2019.7.15配信 「オナラの音と臭いを消すパンツ」高校生が開発、商品化めざす 
 (本稿で追記:このニュースは保存期間が過ぎていしまい、見られませんが、高校生新聞にはまだ残っています。→ 「オナラの音と臭いを消すパンツ」高校生が開発、商品化めざす

(本稿で追記)
「放屁1発罰金5円」が定められたのは明治5年、この言葉も面白いですが、昭和5年の「放屁一発天下に轟く」の新聞見出しは最高傑作ですよね。思わず吹き出してしまった小生です。どの新聞社か調べたのですが分かりませんでしたが、文才がある記者さんがいたものです。新聞はこうでなくちゃいけない。今どきの新聞は国民を脅す見出ししか考えない。国民が楽しくなる新聞づくりをしてほしいものです。 

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フンザは世界一の長寿郷ではなかろうか

2020年07月03日 | よもやま話

フンザは世界一の長寿郷ではなかろうか

 コーカサス、フンザ、ビルカバンバが世界三大長寿郷と呼ばれ、新彊ウイグル 、巴馬(中国:ベトナム国境)を含めて世界五大長寿郷と呼ばれたりしています。そのなかで、フンザは「桃源郷」とも謳われたりしているのですが、なかなか実情が伝わってきません。長寿以外にも何かと特色があるようで、少々情報を得ましたので、紹介しましょう。

 フンザはパキスタン奥地のカラコルム山脈に囲まれた山間盆地で、1974年まで王政が敷かれており、パキスタン国の自治州といった存在でしたが、平和裏に王政が解体されて現在に至っています。人口は約3万人ほど(4、5万人とも)と少なく、ワーヒー・タ ジク族、ブルーショウ族、シナーキ一族など(それぞれ言語が違う)が地域や村ごとに住み分けています。近年は、辺境であるがゆえに、外国人観光客や登山目的の旅行者が多くなっているようです。
 宗教はイスラム教イスマイール派のニザール派のさらにホジャ派(もともと西インド地方の商人層に信者が多い)が大多数で、この宗派は戒律にあまり厳しくなくて、ラマダンをする人も少なく、女性は顔を隠さずに外に出て働いています。そうしたこともあって、女性の教育、社会参加がごく普通に行われいるのが特徴的です。
 
甲南女子大学文学部 辻本雅史氏は1993年8月フンザ教育事情調査報告で次のように言っています。
 (当地の)アマン校長は(初等教育の就学率として)93~94パーセントの数字をあげた が、われわれの調査の印象からして、決してそれは誇張とは思われない。パキスタンの全国平均の初等教育(5年間の小学校)就学率が38パーセント(1989年現在:男子49%、 女子27%)であるのに、フンザでは
女子の普通教育も常識化している。
 イスマイリ一派はそのアガ・ハーン財団を通して学校教育、医療厚生事業、農業(産業)近代化を積極的に推進している。その活動を経済的にささえる基金は、主に先進国やパキスタン都市部在住のイスマイリ一派信者による寄付によっており、イスマイリー派では貧富の区別なく、毎年収入の10パーセントを財団に寄付しているという。近代化路線を推進するこのイスマイリー派の宗教的共同体は、ある種の「見えざる国家」という側面をもっているといえるのではあるまいか。
(要約引用ここまで)

 フンザの人々がどのような生活をしており、健康状態はいかようなものか、これについては少々古いですが、ブライアン・グッドウイン著「DNAだけで生命は解けない~場の生命論~」(1998年発刊)の中で「第7章 質の科学 フンザにおける健康」と題して次のように紹介されています。
 パキスタンの最北に位置するフンザ渓谷は海抜7500フィート(約2300m)にあり、そのヒマラヤの山頂は20000フィートを超えてそびえている。この谷に住む人々は、生物、社会、文化そして生態系のすべての面において「健康さ」の際立った例として広く知らされている。ここは比較的最近まで近づきがたく孤立していた。そこでフンザは、ライフスタイルと「環境」との関係がよく溶け合っており、ヒトの可能性を全開にして見事に「自然」と「社会」の間のバランスをとっている。イギリスの軍医R.マッカリソンは1903年当時のイギリス領インド北部であったこの地に配属された。彼の受け持ち区域はフンザ王国を含んでおり、次のように記録している。「私自身の経験から見て、体格の完全さや一般的な病から解放されている点において卓越している人種の例といえる。…これらの人々の間では寿命は極端に長く、中央部でわたしが数年間(1903~1910年)に彼らに与えた治療は主に、不慮の外傷の手当て、老人の白内障の治療、まぶたのいぼを取り除く手術、あるいは疾病の治療とはまったく関係のない食事の配達といった仕事であった。」
 幼児の死亡率は非常に低く、また、3歳までの子供の世話が次の妊娠によって妨げになることがないように、家族は年齢差の広い2~3人の子供を持つ。もし母親が上の子供に食事を与えている最中なら、妊娠中の胎児が栄養不良に陥ると信じられているのである。訪れた医師のP.D.ホワイトは1964年に次のように報告している。90歳から110歳までの男子を診察していても、心臓病、高血圧、あるいは高コレステロールの兆候は誰にもない。彼らは両眼1.0の視力を持ち、欠歯はない。3万人の地域で、血管、筋肉、臓器、呼吸あるいは骨の系統に関する疾病はまったくなかった。死ぬときには死因を見つけることはできない。彼らはこの極度に高いレベルの健康をどのようにして保つっているのだろうか。
 フンザは主に菜食主義で祭の日にいくらかのヤギの肉を食べるだけである。農業は広範な谷の段丘で行われ、灌漑はよく発達して山川から定期的に給水され、さまざまな穀物、野菜そして果物をつくっている。アンズが主な産物で、世界的に有名になっている。果物は夏に乾燥させ、穀類や根菜といっしょに貯蔵して、長く厳しい冬に備えている。すべての有機ゴミは注意深くあつめて土壌に返し、ヤギ、ロバ、ウシ、ポニー、さらにはヒトの下肥も土壌に返し、土を肥やす。ヤギやウシは多くはないが、それは食料としてはあまり消費しないからである。
(農薬、化学肥料に関する1段落を省略)
 フンザ王国は伝統的にイスラム教国であるが、ここでは彼ら独自の習慣を守っている。女性は、イスラムの規範からまったく解放されており、ベールはかぶっておらず、野外ではズボンをはいて働いているし、財産も相続する。アルコールはイスラムの国では禁じられているのに、フンザでは丘の中腹で栽培されたブドウから非常に効能の高いワインが醸造され、祝日には大いに飲まれている。男たちは建築技術や国家スポーツのポロに優れている。フンザではそのポロはルールのないゲームで、有名なポニーポロで巧みな乗馬を見せる。歯を失う原因は大抵このカオス的な激しいプレーにある。骨を折ってもほぼ3週間で完全に治ってしまう。彼らのスタミナは伝説的で、それはG.T.レンチの著作“健康の輪”からの次の引用に具体的に表れている。
 挿絵旅行家で学者でもあるA.スタイン卿は6月25日の朝帰ってきた使者を見て仰天した。その使者は、フンザの責任者がタシグルカンの公的なムンシ(インド人の通訳の意)へスタインの訪問の準備をさせるために遣わした者であったが、18日に出立していたから、帰還まで丸まる7日間要したことになる。彼は徒歩で280マイル(約450km)を旅したこととなり、道幅は大体2~4フィート(約60~120センチメートル)の道を通って、ときには絶壁に突き刺された棒だけを支えにして、モンブランの最高峰にあるミンタカ峠を2度越したことになる。帰ってきた使者はまったく元気で、自分で成し遂げたことも異常とは考えていなかった。
(引用ここまで)

 いかがでしょうか。これを読むと、“メチャ長寿で、皆、元気そのもの、病気知らず”という世界一の長寿郷といった感がします。ただし、世界長寿郷のどこもそうですが、老人の年齢はけっこうサバを読んでいるようでして、辻本雅史氏のフンザ教育事情調査報告でも子供の歳さえはっきりしていない場合があるとのことですから、P.D.ホワイト氏の言う「90歳から110歳までの男子」というのも年齢に関しては眉唾物ということになりましょう。
 ところで、引用の最後の段落のフンザの人の健脚ぶりですが、峠越えの標高差がいかほどなのか分かりませんので、どの程度凄いのか不明ですが、過去記事『「歩く」とは、本来は「小走り」することなのです』で紹介した2つの民族とどっこいどっこいではないでしょうか。いずれも、現代人にとっては圧倒される健脚ぶりです。
 それを要約して以下に再掲します。
(1)
本多勝一著「極限の民族」の中の第2部「ニューギニア高地人」
 ほとんど芋しか食べないニューギニアの高地民族なのですが、すさまじいほどの“芋力(いもぢから)”でもって、30キロもの重い荷物を背負っていても駆け足で山を登っていくのですから、これには驚かされます。その彼らの日常の食事は、芋に時々野菜を少々加えて蒸した貧相なもので、完全な火食であって生菜食しないのです。なお、彼らは豚を飼っていますが、これは冠婚葬祭のときに丸焼き(蒸し)にして食べるだけです。果物が少ない土地柄ですから、生食は全くしないと言ってもいいです。

(2)国分拓著「ヤノマミ」(アマゾン奥地に住むヤノマミ族)
 目的地までは直線で30キロ弱。森の道は蛇行しているので、実際の距離は4、50キロというところだ。聞くと、男と女は別々に行くという。森を歩く速さが違うからだった。僕たちは長老の一人に頼み込み、女たちと一緒に行きたいと伝えた。男たちのスピードについていく自信がないからだ。僕たちの申し出は了承された。
 夜明けとともに僕たちは出発したが、女のペースは、それでも凄まじい速さだった。途中、女たちが「男なら先頭を歩け」と言った。冷やかしているようだった。2、3時間も歩き続けると、僕らの足取りは重くなっていった。先頭を歩けないばかりか、女たちからも離されるようになった。女たちは30キロ近い荷物を担いでいるのに、僕たちの荷物はせいぜい7、8キロ。それでも離されるのだ。あとから出発した男たちが追いつき、颯爽と抜かしていった。男たちは4、50キロの道を5、6時間で歩いてきたのだ。
(要約引用ここまで)

 ついでながら、昔の日本人もびっくりするほど健脚だったと考えられます。これも過去記事『健康な食生活の原点は“朝食抜きの玄米菜食”=元禄時代以前の食生活』で紹介していますが、羽柴秀吉の「美濃返し」が有名です。
 
約4百年前の戦国時代。戦の場面がテレビドラマでよく映し出されます。これは絵巻物などに基づき忠実に再現されていると思われるのですが、馬にまたがった武将の周りを足軽が並走していきます。実戦ではけっこうな距離を走ることになると思われるのですが、彼らは、いざ敵軍と会い交えても息が上がることは決してなかったことでしょう。史実としては1583年の賤ヶ岳の戦いにおける羽柴秀吉の「美濃返し」が有名ですが、このとき、秀吉軍は大垣から木之本までの丘陵地帯を含む52キロメートルを5時間で移動しています。足軽たちは、鎧を纏い、刀や槍を持って、丘陵を上ったり下ったりしながら平均時速10キロで5時間も小走りしたのですから、その体力には驚愕させられます。
(部分引用ここまで)

 このように、昔の人は健脚で、また、健康そのものであったことでしょう。そして、昔ながらの生活様式を残している民族・部族にあっては、現在に至っても健脚で健康そのものと言えるのではないでしょうか。
 フンザの食生活の詳細は不明ですが、かなりの粗食のようで、ニューギニア高地人ほどではないでしょうが、ヤノマミや戦国時代の日本人とどっこいどっこいに思えます。
 美食をせず、そうした粗食で毎日を過ごし、かつ、毎日動き回るという、動物としての本来のヒトの生活をしていれば健康長寿間違いなし、となりましょう。
 ただし、長寿は必ずしも保証されません。昔から現代にいたるまで、地域によっては感染症で多くの人が命を落としています。これは低地で人口密集している場合に顕著です。一方、高地で人口密度が低ければ感染症に罹患する恐れは格段に減少します。世界長寿郷のどこもかもがこれに該当します。日本の長寿郷も大半がそうした地域です。
 今の日本人は不健康で長寿なのですが、長寿の原因は感染症がほとんど撲滅されたからと言えましょう。一昔前は子どもは疫痢(えきり)やチフスといった感染症で死ぬことがけっこうありましたし、成人してからは結核で命を落とす人が数多くいました。これ以外にも疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡(水痘)といったものがありますし、梅毒もそうです。そして時には海外から入ってきたコレラの流行など、数え上げればきりがないです。
 現代の日本に残っている感染症で、らしいものは久しくインフルエンザしかなかったのですが、今般、新型コロナで大騒ぎ。昔の人が感染症でどれくらい死に、現代のインフルエンザでどれくらい死んでいるか、それも子供や働き盛りの年代がどれほどなのか、こうしたことを鑑みるに、コロナ騒動は的外れもいいとこです。
 話が随分と横道にそれてしまいましたが、フンザの人々が、いかに健康なのか、その一端がお分かりいただければ幸いです。

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二十四節気をさらに3分割した「七十二候」に親しみませんか

2020年01月01日 | よもやま話

二十四節気をさらに3分割した「七十二候」に親しみませんか

 七十二候(しちじゅうにこう)とは、古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと。各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっている。中には「雉入大水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる)のような実際にはあり得ない事柄も含まれている。古代中国のものがそのまま使われている二十四節気に対し、七十二候の名称は何度か変更されている。日本でも、江戸時代に入って渋川春海ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂され、「本朝七十二候」が作成された。現在では、1874年(明治7年)の「略本暦」に掲載された七十二候が主に使われている。

とのことです。「略本暦」の「七十二候」を以下に紹介します。
 大自然と毎日触れ合うなかで、日に日に移ろいゆく季節感を味わってみてはどうでしょうか。
 その中に「腐草為蛍」(腐った草が蒸れ 蛍になる)という、おかしなものがありますが、これは「刈り取った雑草が暑さで腐ってきた頃に蛍が舞うようになる」と解釈すればいいでしょう。
 なお、このブログで各節気ごとに記事にしている「24節気の健康と食養」のページに関係部分を順次再掲することとします。

立春
 初候 東風解凍(こち こおりを とく)東風が厚い氷を解かし始める

 次候 黄鶯睍睆(うぐいす なく)鶯が山里で鳴き始める
 末候 魚上氷(うお こおりを いずる)割れた氷の間から魚が飛び出る
雨水
 初候 土脉潤起(つちの しょう うるおい おこる)雨が降って土が湿り気を含む

 次候 霞始靆(かすみ はじめて たなびく)霞がたなびき始める
 末候 草木萌動(そうもく めばえ いずる〉草木が芽吹き始める
啓蟄
 初候 蟄虫啓戸(すごもり むし とを ひらく)冬蘢りの虫が出て来る

 次候 桃始笑(もも はじめて さく)桃の花が咲き始める
 末候 菜虫化蝶(なむし ちょうと なる)青虫が羽化して紋白蝶になる
春分
 初候 雀始巣(すずめ はじめて すくう)雀が巣を構え始める

 次候 桜始開(さくら はじめて ひらく)桜の花が咲き始める
 末候 雷乃発声(かみなり すなわち こえを はっす)遠くで雷の音がし始める
清明
 初候 玄鳥至(つばめ きたる)燕が南からやって来る

 次候 鴻雁北(こうがん きたへ かえる)雁が北へ渡って行く
 末候 虹始見(にじ はじめて あらわる)雨の後に虹が出始める
穀雨
 初候 葭始生(あし はじめて しょうず)葦が芽を吹き始める

 次候 霜止出苗(しも やんで なえ いづる)霜が終り稲の苗が生長する
 末候 牡丹華(ぼたん はな さく)牡丹の花が咲く
立夏
 初候 蛙始鳴(かわず はじめて なく)蛙が鳴き始める

 次候 蚯蚓出(みみず いづる)蚯蚓が地上に這出る
 末候 竹笋生(たけのこ しょうず)筍が生えて来る
小満
 初候 蚕起食桑(かいこ おきて くわを はむ)蚕が桑を盛んに食べ始める

 次候 紅花栄(べにばな さかう)紅花が盛んに咲く
 末候 麦秋至(むぎの とき いたる)麦が熟し麦秋となる
芒種
 初候 螳螂生(かまきり しょうず)螳螂が生まれ出る

 次候 腐草為蛍(くされたる くさ ほたると  なる)腐った草が蒸れ 蛍になる
 末候 梅子黄(うめの み きばむ)梅の実が黄ばんで熟す
夏至
 初候 乃東枯(なつかれくさ かるる)夏枯草(うつぼぐさ)が枯れる

 次候 菖蒲華(あやめ はな さく)あやめの花が咲く
 末候 半夏生(はんげ しょうず)烏柄杓(からすびしゃく)が生える
小暑
 初候 温風至(あつかぜ いたる)暖い風が吹いて来る

 次候 蓮始開(はす はじめて ひらく)蓮の花が開き始める
 末候 鷹乃学習(たか すなわち わざを なす)鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える
大暑
 初候 桐始結花(きり はじめて はなを むすぶ)桐の実が生り始める

 次候 土潤溽暑(つち うるおうて むしあつし)土が湿って蒸暑くなる
 末候 大雨時行(たいう ときどきに ふる)時として大雨が降る
立秋
 初候 涼風至(すづかぜ いたる)涼しい風が立ち始める

 次候 寒蝉鳴(ひぐらし なく)蜩が鳴き始める
 末候 蒙霧升降(ふかき きり まとう)深い霧が立ち込める
処暑
 初候 綿柎開(わたの はな しべ ひらく)綿を包む萼(がく)が開く

 次候 天地始粛(てんち はじめて さむし)ようやく暑さが鎮まる
 末候 禾乃登(こくもの すなわち みのる)稲が実る
白露
 初候 草露白(くさの つゆ しろし)草に降りた露が白く光る

 次候 鶺鴒鳴(せきれい なく)鶺鴒(せきれい)が鳴き始める
 末候 玄鳥去(つばめ さる)燕が南へ帰って行く
秋分
 初候 雷乃収声(かみなり すなわち こえを おさむ)雷が鳴り響かなくなる

 次候 蟄虫坏戸(むし かくれて とを ふさぐ)虫が土中に掘った穴をふさぐ
 末候 水始涸(みず はじめて かる)田畑の水を干し始める
寒露
 初候 鴻雁来(こうがん きたる)雁が飛来し始める

 次候 菊花開(きくの はな ひらく)菊の花が咲く
 末候 蟋蟀在戸(きりぎりす とに あり)蟋蟀が戸の辺りで鳴く
霜降
 初候 霜始降(しも はじめて ふる)霜が降り始める

 次候 霎時施(こさめ ときどき ふる)小雨がしとしと降る
 末候  楓蔦黄(もみじ つた きばむ)もみじや蔦(つた)が黄葉する
立冬
 初候 山茶始開(つばき はじめて ひらく)山茶花(さざんか)が咲き始める

 次候 地始凍(ち はじめて こおる)大地が凍り始める
 末候 金盞香(きんせんか さく)水仙の花が咲く
小雪
 初候 虹蔵不見(にじ かくれて みえず)虹を見かけなくなる

 次候 朔風払葉(きたかぜ このはを はらう)北風が木の葉を払い除ける
 末候 橘始黄(たちばな はじめて きばむ)橘の実が黄色くなり始める
大雪
 初候 閉塞成冬(そら さむく ふゆと なる)天地の気が塞がって冬となる

 次候 熊蟄穴(くま あなに こもる)熊が冬眠のために穴に隠れる
 末候 鱖魚群(さけの うお むらがる)鮭が群がり川を上る
冬至
 初候 乃東生(なつかくれくさ しょうず)夏枯草が芽を出す

 次候 麋角解(おおしかの つの おつる)大鹿が角を落とす
 末候 雪下出麦(ゆき わたりて むぎ いづる)雪の下で麦が芽を出す
小寒
 初候 芹乃栄(せり すなわち さかう)芹がよく生育する

 次候 水泉動(しみず あたたかを ふくむ)地中で凍った泉が動き始める
 末候 雉始雊(きじ はじめて なく)雄の雉が鳴き始める 
大寒
 初候 款冬華(ふきの はな さく)蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す

 次候 水沢腹堅(さわみず こおり つめる)沢に氷が厚く張りつめる
 末候 鶏始乳(にわとり はじめて とやに つく)鶏が卵を産み始める

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権威ある論文のなんと9割もがウソなんです

2019年03月02日 | よもやま話

権威ある論文のなんと9割もがウソなんです

 もう半年近く前になりますが、ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑・京大名誉教授が2018年10月1日に記者会見で受賞の喜びを語られました。そのなかで…

 私…は、なにか知りたいという好奇心がある。それから、もう一つは簡単に信じない。
 
よくマスコミの人は、ネイチャー、サイエンスに出ているからどうだ、という話をされるけども、僕はいつもネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だと言っていますし、大体そうだと思っています。まず、論文とか書いてあることを信じない。自分の目で確信ができるまでやる。それが僕のサイエンスに対する基本的なやり方。つまり、自分の頭で考えて、納得できるまでやるということです。…
 
研究者になるにあたって大事なのは、知りたいと思うこと、不思議だなと思う心を大切にすること、教科書に書いてあることを信じないこと、常に疑いを持って、本当はどうなっているのだろうと。自分の目で、ものを見る。そして納得する。そこまで諦めない。
(部分引用ここまで)

 いかがでしょうか、この本庶佑の発言。
「ネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だ」
「教科書に書いてあることを信じないこと、常に疑いを持って本当はどうなっているのだろうと自分の目でものを見る。そして納得する。そこまで諦めない。」
 この2つは、良識ある研究者であれば、きっと皆が感じていることでしょう。でも、真正面からそれを言うことはできないのです。
 ネイチャーやサイエンスは世界一権威のある学術誌で、それに載せてもらえば研究者は箔(はく)が付くのですし、一目置かれることになりましょう。
 そして、教科書に書いてあること、これは真理として扱われますから、それに異論を論ずるなんてことは恐ろしくてできない、もし、そんなことをしたら学界の大御所やその取り巻き連中から総スカンを食うということになってしまいます。
 でも、それを本庶佑は堂々と皆が注目している記者会見の場で言い切った。こんなことは受賞前には言えなかったことでしょうが、受賞して一気に大御所扱いされたがゆえに言うことができた、そんなふうに小生は受け止めました。
 これを聞いて、苦虫を潰している大御所の研究者が何人もおみえでしょう。そろそろボロが出そうな既発表の研究論文を抱えている方々にとっては脅威です。「あれはウソだった」と烙印を押されるのが早まりはしないかと。

 小生の経験として、地方公務員時代がそうでしたが、この世はいかにも多くのウソが氾濫しており、加えて政府・マスコミを先頭に詐欺師もどきが暗躍し、そうした所から発せられる情報が、さも正しいものとして国民は皆、信じさせられているのです。木っ端役人として小生もそれに加担させられました。
 地方公務員を中途退職して薬屋稼業を継いだのですが、
人の健康を預かる医薬・健康関連の業界とてそうです。いや、最も質(たち)が悪い業界と言えましょう。この業界は命に関わることですから、そんなことはなかろうと最初思っていたものの、いやいやどうしてビックリ仰天です。
 そうしたことから、このブログを建て、真の健康情報を発信せんと奮闘しているところですが、ボヤキがどうしても出てしかたないです。

 さて、何が正しいのか、それをつかむ方法はあるのか、ということになりますが、先達の偉人の名言がいくつかありますので、それを紹介しましょう。

 まずは、アインシュタイン。
 私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である。常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。大切なのは疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。

 次に、福沢諭吉。
 「学問のすすめ」は、第17編まで次々と発刊されましたが、その中で、第15編「事物を疑って取捨を断ずる事」に、真理の追究についての取組み方を示しています。
 信の世界に偽詐(意味:うそ、いつわり)多く、疑の世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、…その信は、偽を信ずる者なり。西洋諸国の人民が、今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、疑の一点より出でざるものなし。…ガリレヲ…ニウトン…ワット…何れも皆疑いの路に由って真理の奥に達したるものと言うべし。…進歩して真理に達するの路は、ただ異説論争の際にまぎる(意味:波間を切っていく)の一法あるのみ。而(そ)してその説論の生ずる源は、疑の一点に在りて存するものなり。…疑の世界に真理多しとは、蓋し(けだし:思うに)これの謂(いわれ)なり。

 3人目は無名ですが、横井小楠(しょうなん)。
 小楠は明治2年に暗殺されてしまいましたが、彼は学問の中にまだ生きています。熊本藩の下級武士で、明治維新の青写真を描いた男と言われる実学思想家です。
 その彼が素晴らしい名言を残しました。

 高名な学者の書いた書物を読むことによって物事を会得しようとすることは、その学者の奴隷となるに過ぎぬ。その学者が学んだ方法を研究することが大切であり、学問の本質は、そうした中からこころにおいて道理を極め、日常に実現するための修行である。
 従って、小楠は、講義中に塾生がメモを取ることを嫌い、メモを取っているのを見つけると、そのメモを取り上げて火中に投じたこともあったという。
[参照:徳永洋著「横井小楠(新調新書)]

 小楠は、幕末の表舞台に立ったことがないので、ほとんど無名の人物ですが、坂本龍馬が師と敬い、勝海舟が恐れた“鬼才”です。明治政府樹立後は、木戸孝允、大久保利通らとともに政府の参与という要職に就き、政策立案などで最も重宝がられた人物でもあります。龍馬は凄い男であることに間違いないですが、参照であげた本を読むと、困ったら小楠の所にフラッと立ち寄り、知恵をもらって、さも自分で考えたように装った、実は頭が空っぽの人間であったようにも思えて面白いです。

 いかがでしょうか。本当のことをつかむことはなかなか難しいことですね。
 まずは疑うこと、そして信じないこと。
 わからなくても、そのスタンスを崩さないことがとても重要ではないかと思います。

(備考)
 とっくに投稿していたつもりでいたのですが、下書き未投稿のままになっているのを発見し、遅掛けながら本日投稿した次第です。 

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日本人の日本人による日本人のための本当の働き方改革

2018年11月22日 | よもやま話

日本人の日本人による日本人のための本当の働き方改革

 巷ではカルロス・ゴーンさんの不正で大騒ぎしていますが、彼の不正についてよりも、ゴーン経営の本質、それも根っこの部分について、今一度考えてみなければいかんでしょう。
 日産自動車の立て直しに、ゴーンさんが欧米型経営方式の会社づくりをしたのは当然のことですが、これはトヨタ自動車のみならず日本の大企業の経営方式だって、今日では大同小異になっていましょうが、こんなんで本当にいいのでしょうか。
 そもそも「会社は誰のためにあるのか」、これが根っこにあって、それを元にして、それぞれ会社は成立し、発展もすれば衰退もする、といえましょう。
 さて、日本の会社はというと、従業員とともにあり、どちらかというと「従業員のため」にある、これが昔の会社であり、従業員皆が生き生きと働き、それによって日本という国が大きく発展してきた、といえるのではないでしょうか。
 これは、今に通用することでしょう。今日世界のグローバル化により、何もかもグローバルスタンダード(=欧米式)にして、はたしていいものか。
 日本の中小企業のなかには、昔でもここまでの会社は珍しい、という日本型経営方式の会社づくりをしている優良企業が幾つもあります。
 そうした企業から学ぶべきことが非常に多いと感じます。そうした企業は、「従業員の従業員による従業員のための会社」、といったところでしょう。
 その1例を紹介しましょう。こうした企業を見習うことのなかから、はじめて、「日本人の日本人による日本人のための本当の働き方改革」ができるのではないでしょうか。
 ゴーンさんの解任によって、日産自動車が日本型経営方式の会社に変貌してくれることを願っているのですが…。

(みやざき中央新聞 2018.11.5及び11.12の記事で、その前後1週間の4回にわたる講演録からの伊那食品工業の紹介です。)

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人生100歳時代、「長寿頌」と「長寿の心得」、思わず笑っちゃいます

2018年07月11日 | よもやま話

人生100歳時代、「長寿頌」と「長寿の心得」、思わず笑っちゃいます

「長寿頌」については、このブログで2回紹介し、小生がとても気に入っている言葉です。ホームページでも、それを写真にして掲げています

長 寿 頌(しょう)
一、人生は六十歳から長寿
二、七十歳にしてお迎えが来るときは留守といえ
三、八十歳にしてお迎えが来るときはまだまだ早すぎるといえ
四、九十歳にしてお迎えが来るときは左様にせかずともよいといえ
五、百歳にしてお迎えが来るときは時機を見てこちらからぼつぼつ行くと
いえ

(岐阜県各務原市川島町にある「エーザイ」川島工場に併設されている「くすり博物館」に、これを書いた大きな額が掲げられています。出典不明)

 これとよく似たものがあることを今日、知りました。全国たばこ新聞(2018.6.25)に次のとおり紹介されていたのです。

長寿の心得(作者不明)
【還暦】60歳でお迎えが来た時は、留守と云え
【古希】70歳でお迎えが来た時は、まだまだ早いと云え
【喜寿】77歳でお迎えが来た時は、せくな 老楽これからよと云え
【傘寿】80歳でお迎えが来た時は、なんのまだまだ役に立つと云え
【米寿】88歳でお迎えが来た時は、もう少しお米を食べてからと云え
【卒寿】90歳でお迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え
【白寿】99歳でお迎えが来た時は、頃を見てボツボツ行くと云え

 いやーあ、これも傑作ですね。たぶん長寿頌をもじって、それぞれの長寿祝いの年齢になったときの心得を説いたものでしょう。
 小生はあと2か月で古希の祝いとなりますが、還暦の祝いは当然にパスしました。古希の祝いは「長寿頌」の70歳時のとおり「留守といえ」に従い、これまたパス。
 次の喜寿は、ここに紹介した「長寿の心得」のとおり「せくな 老楽これからよ」でいきたいものですし、傘寿も同様に「なんのまだまだ役に立つ」と、80歳になってもまだまだブログ記事を書き続けていたいものです。
 当ブログ、末永く、この先少なくとも10年はご愛読くださいませ。
 ひょっとして、その前にピンピンコロリと逝くかもしれませんが。小生はそれを熱望しているのですが、非常に高い確率で「長寿頌」の「百歳にして…」となりそうだと娘にしっかり言われています。そうは長く生きたくないものですが、一人一人の寿命というものは予測不可能ですから、どう転ぶか全くわかりません。
 そうしたことから、いつお迎えが来てもいいように、「一日一日を坦々と生きる」、これしかないと思っているこの頃です。

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ブログのアクセス者数が急に大幅ダウン、その原因は?

2017年12月16日 | よもやま話

ブログのアクセス者数が急に大幅ダウン、その原因は?

 このブログは「真の健康情報」の発信に努めています。そして、ブログの趣旨は表題の下に説明書きしています「公的健康情報には嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。」です。
 お陰で、毎日、数多くの方
々からアクセスいただき閲覧していただいています。
 ちょうど1年前にはトータル訪問者数が200万人に到達し、その頃は1日のアクセス者数は平均1700人程度で横ばいとなっていました。
 その後は、地味な内容の投稿記事がほとんどであったがために、アクセス者数は漸減し、ここ2、3か月は1日平均1200人ほどに減りました。でも、ごく最近まで1000人を割ることはなく、ずっとそうした状態で推移したのですが、ある日から急減。
 たしか12月6日だったと記憶しているのですが、初めて4桁の大台を割り込み、さらにその翌日からは6~700人台になってしまいました。一気に4割もの大幅ダウンです。アクセスランキングも200位前後から、500位台に急落してしまいました。
 最初は“カウンターが故障してんじゃねえの?”と思いましたが、何日もこうした状態が続き、元に戻らないものですから、なんだかどこかで策略が展開されてはいまいかと疑いたくもなってきました。
 アクセスが急減して1週間ほど経った頃、たまたま覗いてみた次のブログを読んで、当局の
策略がとうとう小生のブログにも仕掛けられたのかな、と感じました。

 自ら「キチガイ医」と自称しておられる内海聡氏の「うつみん(内海聡)のブログ」
 12月8日付け「FBの動きとフォロワー数減少について
(以下部分引用)
 …特に医療系の記事を発信している人はフォロワーが減っているのですが、…実はこれは世界戦略であり、グーグルの検索戦略につながっています。その裏にはあるシナリオが見えてきます。この現象の中で唯一といってもいいくらい激増を繰り返しているのが、やはり安倍晋三と安倍昭恵。…増えているヘビーユーザーはみな要注意人物か、体制真っ只中の人だと考えたほうがいいでしょう。…グーグルが偽医療サイト撲滅をうたい、そのような検索順位を大幅に変更したこと(代替療法=噓という流れで、科学的根拠があるものしか検索できなくした)、そしてこのアカウント減少とアベシだけはぐんぐん上昇している現象、これをどう考えるかです。…(引用ここまで)

(参考) 内海聡氏は精神医療のベテラン医師。反精神薬・薬害ネットワークという向精神薬に反対するネットワークも立ち上げ、精神薬の断薬を目指すためのクリニックを開業。医療だけでなく政治や社会の問題点に鋭く切り込んでおられ、そのあまりの過激さゆえに、たびたびFBアカウント停止などの妨害行為を受けておられます。

 さて、上のブログ記事を読んでも、にわかには小生のブログまでもが妨害行為を受けたとは信じられず、他に原因はないかと、いろいろチェックしてみたのですが、このgooブログはその頃にシステムなどに何らかの取り扱い変更があったわけでもないようですし、自分のブログの設定変更も一切しておらず、また、目立つような記事も書いていません。
 そうなると、やはり考えられるのは、このブログへのアクセスはグーグル検索からが圧倒的に多いですから、内海氏がおっしゃるように、グーグルの検索エンジン
の掛け方に変更があった可能性が高まります。
 そこで思い出したのが1年前のディー・エヌ・エー(DeNA)メディア事件です。グーグルなどの検索エンジンの掛け方を悪用して、粗悪な記事を絶えず上位に表示させてアクセス者数を増やすという悪巧み。これが大きな社会問題になりましたから、当然にグーグルなども検索エンジンの掛け方に工夫をこらしたことでしょうし、また、頻繁にその調整もしているようです。
 となれば、当局の指示あるいは自らの判断でもって“反社会的”と烙印を押されるような「真の情報」へのアクセスを妨害することもどれだけかは可能でしょう。たとえば検索キーワードの性質によって、それに引っ掛かったページは順位を落とすという調整です。
 小生のこのブログの場合、いつもアクセスが多い主要な数本の「真の情報」が軒並みアクセス減となっているようですから、冒頭で掲げました「公的健康情報には嘘が多く…真の健康情報…」というブログ趣旨の中の2つのキーワードでもって、ブログ全体の記事が順位を落とされてしまった、と勘ぐることもできます。
 以上、根拠の乏しい推測にすぎませんが、日変動がほとんどないアクセス者数が、12月6日を境にして突然4割もの大幅ダウンとなり、10日ほど経過した今日まで低値で安定しているということは、どうやら何かが操作されていると思わざるを得ないのですが、いかがなものでしょうか。
 

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身長が低い人ほど病気にかかりにくく長生き、これって本当?

2017年08月26日 | よもやま話

身長が低い人ほど病気にかかりにくく長生き、これって本当?

 「独活(うど)の大木」という言葉がある。これは、体が大きいだけで何の役にも立たない者をあざけて言ったもの。他に類例として「大男総身に知恵が回りかね」「大男の見掛け倒し」というのもある。つまり、背が高い奴はろくなもんじゃんねえ、ということ。加えて、対義語として「山椒(さんしょ)は小粒でもぴりりと辛い」とあり、これは小男を褒めた言葉だ。その逆の、ノッポを褒めたり、チビをけなしたりする言葉は見当たらない。もっとも「馬鹿の大足、間抜けの小足、中途半端のろくでなし」という、全否定する言葉があるが。

 どうして、こうしたことが言われるのかはさておき、表題にした「身長が低い人ほど病気にかかりにくく長生き」というデータがけっこう多い。それを紹介しよう。
 2017年07月27日付け人民網日本語版に出ていたのだが、その概略を以下に記す。

①長生きできる
・米国ハワイ大学:8千人以上の日系アメリカ人を50年間追跡調査:身長156cm以下の人が最も長寿である。
・イタリア:身長約162cmの人は身長が162cm以上の人より平均2年長生きする。
・ニューヨークのアルベルト・アインシュタイン医学校老衰研究所:千人以上の95歳以上の高齢者調査:多くは身長が高くない。100歳を超える高齢者の多くは身長が低い。
②発癌リスクが低い
米国の国立がん研究所:身長が高い人の発がんリスクは身長が低い人より高い。
 身長が10cm増えるごとに、女性の発癌リスクは約18%、男性は約11%増加。
 ガンの種別でみてみると、身長が10cm増えるごとに、女性は乳がんリスクが20%、黒色腫リスクが32%増加し、男性は黒色腫リスクが27%、前立腺がんリスクが21%増加。
③女性の場合、脳卒中のリスクが低い
・ノルウェーのトロムソ大学:身長が高い女性は
脳卒中にかかるリスクが高い。
 女性の身長が157cm以下で、かつ標準体重の場合は血栓リスクが約3倍も減少する。

 以上、5つの研究報告がまとめて掲げられていた。他にないかと、ざっとネット検索したら、がんについてしかなかったが次のものが見つかった。
①男性の場合、悪性リンパ腫にかかりにくい
 日本の国立がん研究センター:1990年から16年間にわたる40~59歳の男女約1万5千人の追跡調査結果:身長の高いグループが悪性リンパ腫になるリスクは、低いグループの1.38倍。ただし、これは男性のみに見られる傾向で、女性にはこの傾向はない。
②女性では発がんリスクが低い
 英国オックスフォード大学:1996年から5年かけてイギリス人女性130万人を対象に調査:身長152.5cm以上の女性は10cm背が高くなるにつれてがんの発症リスクが16%ずつ高くなる。
がんの種類によって若干異なり、身長が10cm高くなるごとに大腸がん1.25倍、乳がん1.17倍、子宮頸がん1.19倍、腎臓がん1.29倍、白血病1.26倍。
発がんリスクが低い
 スウェーデン:1938~91年の間に生まれた男女550万人を対象:身長が高いほどがんのリスクは増加する。この傾向は女性で顕著にみられ、身長が10cm高くなるごとにがん発症率が男性で10%、女性で18%高まる。うち、女性の乳がんリスクは身長が10cm高くなるごとに20%上昇、悪性黒色腫(メラノーマ)のリスクは男女ともに30%も増える。

 ところで、身長の低い人のほうが病気になりやすいという、逆の研究報告もある。
 それを以下に紹介しよう。
身長の低い人のほうが脳卒中になりやすい
 日本の国立がん研究センター:1990年から16年間にわたる40~59歳の男女約1万5千人の追跡調査:身長が低いグループの脳卒中発症リスクは、身長が高いグループの1.6倍。(参照:国立がん研究センター発表
身長と循環器疾患発症リスクとの関連
 (先に紹介したノルウェーのトロムソ大学の調査と間逆の調査結果であり、同様の調査結果は欧米にも数多くあるようで、トロムソ大学の調査結果は例外的なもののようだ。ただし、トロムソ大学の調査は女性に限っているから、直ちに間違いと断定することはできないであろう。)
身長の低い人のほうが心臓病のリスクが増加する
 フィンランドのテンプル大学教授ツーラ・パーヤネン氏ら:約3百万人のデータ(52の研究):160.5cm未満の身長の低い人は173.9cm以上の人と比べて、心臓病のリスクが約1.5倍になる。(①の日本の国立がん研究センターの調査では、身長との相関はないとの結果が出ている。)
男性は身長の低い人のほうが認知症のリスクが増加。ただし、女性は逆転。
 英国エディンバラ大学:1994年から2008年にかけ18万人の病歴などを収集分析:身長が170cm未満の男性は認知症になる確率が50%高くなる。
 ただし、身長が170cm以上の女性は背の低い女性よりも認知症のリスクが35%高くなる。女性は身長が8センチ低くなるごとに認知症のリスクが13%減る。

 以上、なんとも眉唾ものの調査研究が多いような気がするのであるが、身長の高低との相関関係がたとえ統計学的に有意であっても、因果関係ありとすることは決してできない。
 たとえば、一番最後の「男性は身長の低い人のほうが認知症のリスクが増加。ただし、女性は逆転。」の場合を例にとってみてみよう。
 チビの男は何かと不利な人生を歩んできたであろうから、老後もつまらない人生をおくることがままあって、認知症になりやすいのかもしれない。逆に女性の場合はノッポだと不利になり、男と真逆になるだろう。こうした場合、「老後に有意義な人生をおくっているか否か」と「認知症の罹患率」の相関関係を調査したほうがいいことになるのである。

 ところで、米国のある科学者は、次のように主張している。(人民網日本語版による)
 人間はその生存に最適な身長が存在し、男性は165~168cm、女性は159~162cmである。身長が高い人は生き残るためにより多くのエネルギーや水分、酸素の摂取が必要となり、それにより各器官に与える負担が増える。一方、身長が低い人は日常的なエネルギー消費が比較的少ないため、必要とする栄養素も少なく、体の耐力が比較的強い。
 ということだそうだが、これも眉唾の説明に聞えてくる。
 所詮「馬鹿の大足、間抜けの小足、中途半端のろくでなし」であって、健康と身長との関係にあんまり振り回されてはいかんでしょうなあ。無視したほうがいいでしょうね。

 「飽食せず、小まめに体を動かし、ストレスを上手に抜き、充実した毎日をおくり、感謝を忘れない」といった生活、これしか健康を維持することはできないのではないでしょうか。
 小生はチビ(身長157cm)で若い頃はコンプレックスを持っていましたが、今ではなんとも思っておらず、「飽食せず」以下の前2行に掲げた生活でもって、すこぶる健康です。
 本稿はつまらないよもやま話になってしまい、失礼しました。

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平均余命は伸びる?それとも縮む?

2017年07月20日 | よもやま話

平均余命は伸びる?それとも縮む?

 日本人は随分と長生きするようになった、平均寿命は世界トップクラス。で、世界一だったかどうだか? これは調べれば直ぐに分かることですが、その気になれません。
 なぜならば、平均寿命なんて個人個人には何の関わりもないことであり、それを知ったって何の役にも立たないからです。これが役に立つのは、時の為政者がその統治する民の人口動態を先読みするときに必要とするだけのことです。
 我々個人個人が必要とするのは、人生設計する上において、あと何年生きられるかという「平均余命」です。ただし、最近は、年老いていったん大病すると寝たきりにさせられ、死にたくても死なせてもらえないという、生き地獄の期間も含めての「平均余命」ゆえに、これもあまりあてにできない数字ではありますが。
 「健康寿命」という言葉があるように「平均健康余命」の数値を厚労省がしっかり調査し、周知徹底させてほしいものですが、その定義がまだ確定していませんし、ちゃんとした調査もなされていませんので、いまだこれがはっきりせず、残念なことです
。これについては、自分なりに計算してみたものがありますから、一応の参考になるかと思い、下に貼り付けておきます。
 2012年6月1日発表「健康寿命」のマスコミの取り上げ方は間違っている

 さて、表題にした「平均余命は伸びる?それとも縮む?」についてですが、本題に入る前に、現在の高齢者の年齢別平均余命については、その死亡原因とともに、「高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ」の記事で紹介しました。
 その記事の冒頭で表にしましたが、かいつまんで言うと次のようになります。
 男の場合:70歳の平均余命は15年で平均85歳で死ぬ。85歳まで生きれば平均余命は6年で平均91歳で死ぬ。90歳まで生きれば、あと4年、平均94歳まで。
 女の場合:70歳の平均余命は20年で平均90歳で死ぬ。90歳まで生きれば平均余命は6年で平均96歳で死ぬ。95歳まで生きれば、あと4年、平均99歳まで。
 大ざっぱに言えば、男は85歳前後から、女は男より5歳長生きし、90歳前後からバタバタと死んでいくということになります。ここらあたりを頭に置いとかれるといいでしょう。

 これより本題に入ることとします。
 “昔の平均寿命は40歳、今は倍の80歳。日本人は随分と長生きするようになった”
 幾度もこうした話を耳にします。加えて“昔は80歳の年寄りなんてめったに見かけなかった”とも言われます。これ皆、大間違いです。
 “昔の人は長生きだった。80歳の元気な年寄りはたくさんいた。”
 と言ったほうが正しいようです。
 それを、以下、説明することにしましょう。随分前になりますが、36年前(1981年)に人口動態調査の結果をデータ解析された西丸震哉氏(1923年生、2012年没)の解説をその著から紹介することにします。
(西丸震哉氏は、その後1990年に「41歳寿命説」を著しておられ、2000年には「体内崩壊 加速する『41歳寿命説』」も書いておられます。氏の警鐘を一言で言えば、「1959年以降、日本は“薄いガス室”になったのであり、この環境の悪化は幼い子供たちを直撃し、彼らの寿命を大きく縮めている」というものですが、本稿においては、このことについては触れないことにします。)

(1981年:西丸震哉著「食生態学入門」より)
 平均寿命…、ここ30年(1951-1981年)のあいだに日本では男子は49歳から73歳まで延び、世界の最長寿国になったと信じられている。そして人は、自分の残り年数をこの平均寿命から消費年数を引いたものと見做すことにしている。
 これはたんへんな誤りであることに気がつかない…。
 平均寿命が延びた理由は、生後1年までのゼロ歳児の死亡率が15%から1%以下に低下し、20歳前後の結核死亡率がゼロになって、平均値の足をひっぱっていた大きな要因が抜けたことによる。…(ほかには)寄生虫病や伝染病などの天敵排除が画期的によくなったためである。
 これの見方を変えると、むかしだったら健康で成人になり得ずに死ぬ程度の人が、自分がそれに属する弱さであることも知らずに、今生きているという現実がある。
 この弱さは他のマイナス因子に対しても同じように弱さとして現われる可能性をもつ。現在だからゼロ歳では殺されずにすんだが、30歳までは生きられない人というのも含まれるし、生きてはいるが健康ではないという人もいる。
 70年前(1911年)の30歳になり得た人は、当時の悪条件下でとにかく30年間殺されずにすんだ、かなり強健な人であり、当時(1911年)の30歳の人が(1941年に)60歳になれた率は、30年前(1951年)の30歳の人が現在(1981年)60歳になった率よりも高い。ゼロ歳から測ると、過去の時代ではまるで低くなってしまうだけのことであって、最大寿命の平均値、つまり何歳まで生き得たかとなると、その延びはまったくない。

 いかがでしょうか。大正12年生まれの西丸震哉氏が58歳のときに書かれた、36年も前の書物につき、文章が難解で、どぎつさもあり、読み取りにくい箇所がありますが、氏が言わんとするところは次のようなことになるでしょう。
 「昔は若くして死ぬ人がかなり多かったが、30歳まで生き延びた人の余命は、少なくとも60歳までをみた場合、戦前戦中に高齢者となった人の方が戦後の人より長かった。そして、長寿者はおおよそ何歳まで生きられるかというと、これは今も昔も変わりない。」
 ということなのですが、後段は“最大寿命”の意味するところが不明ではあるも、平均余命が延びに延びていることからして、これにはクエスチョンが付きます。

 ところで、平均余命とは何かと言いますと、「ある年齢の人がその後何年生きられるかという期待値であり、生命表で、ある年齢に達するまで何人生存し、その年齢のうちに何人が死亡するかが計算されており、これを元にし、現在の死亡状況が将来にわたってそのまま続くと仮定した場合の生存年数」となっています。
 よって、西丸震哉氏がおっしゃるように、今の高年齢層はかなり強健な人たちで占められており、後に続く人たちはどうしても虚弱さが拭えず、実際の平均生存期間は期待値ほどまでにはたどり着けないというマイナス因子を持っており、これは年齢が若いほどその傾向が強くなりますから、平均余命は真の姿を捉えてはいません。
 そして、生活習慣や生活環境の変化に大きく左右させられる面もあり、流動的です。
 一方で、医学が進歩し、重篤な病になっても助かる確率が増えて長寿になるということもあります。このプラス因子で平均余命は延びているのではないでしょうか。

 さて、戦後、平均余命は着実に延びてきています。例えば65歳の男性であれば、1950年:11.5年、1960年:11.62年、1970年:12.50年、1980年:14.56年、1990年:16.22年、2000年:17.54年、2010年:18.86年、2015年:19.46年となっています。なお、女性の場合は1950年で男より2.4年長く、その後だんだん開きが大きくなり、2015年には4.8年長くなっています。

 戦後の高度成長により、平和でとても豊かになった日本です。まずは食が豊かになり、ついで生活が非常に便利になり、また住環境も大幅に改善されたものですから、お年寄りの寿命が延びるのは必然でしょうが、日本的特徴も幾つかあります。 
 その第一は、高度成長末期をピークにして圧倒的に死因第1位であった脳血管疾患死が大きく減少に転じたことがあげられましょう。それまでは、肉をあまり食べない食生活につき、血管壁のもろさが原因してのピンピンコロリと逝く脳出血死が際立っていたのに対し、食生活が豊かになって血管壁に脂が巻くこと(コレステロール沈着)により、脳出血死が減る一方となったからです。
 なお、その後は飽食が進みすぎて血管が詰まる脳梗塞が脳出血にとって代わり、脳血管疾患はかなりの増加傾向(ただし死因としては漸減)にあります。
 
 第二は、救命救急医療の目覚しい発達で、昔なら脳血管疾患、心疾患でピンピンコロリと死ねたものを、直ぐに救急車が来て救命救急病院で手当てしますから、寿命が延びます。この救命によって後遺症が出なければ残りの人生を楽しめるのですが、最悪、寝たきりにさせられてしまいますから、そうなったら救命救急は良かったのか悪かったのか、ということにもなり、考えさせられます。
 第三は、寝たきり老人の増加です。高度成長後しばらくしてから肺炎死が一直線で増加傾向にあるのですが、その大半は寝たきりによる誤嚥(ごえん)が元での肺炎の発症によるものです。やれ点滴だ、胃瘻(胃ろう)だ、人工心肺だ、といった無駄な延命治療で命を引き延ばされているからです。こうした延命治療は日本に特有なもので欧米にはなく、欧米では、逆に、これは老人虐待であるとして避けられています。

 こうしたこともあって、統計上、平均余命は着実に延びてきているのでしょうが、いつまでも元気なお年寄りとなると、だいぶ差っ引いて考えねばならんでしょうね。

 それと、もう1点、前の話に戻りますが、「昔は年寄りは少なかった。それだけ昔は早死にしたんじゃないの。」と勘違いしてしまう原因として、明治以降、子だくさんで人口が急増していた時代にあっては、子供や若者の数が圧倒的に多くなってしまい、相対的に年寄りの割合が小さくなってしまっていたことがあげられます。
 これは、完成したばかりの住宅団地のようなもので、若者夫婦とその子供たちの核家族が大半を占め、3世代入居者なり年寄り夫婦入居者はわずかばかりとなり、そうした団地では、年寄りをあまり見かけないのと同じことです。
 加えて、現在の日本は急速な高齢化社会になり、年寄りの数があまりにも目立つようになったことも、錯覚の要因となっていましょう。

 ここで、反論がありましょう。歴史上の人物で80歳を超えた人がどれだけいたか、今日では一昔前に著名だった方の訃報は80歳超がざらだ。加えて、100歳以上の長寿者が千人を超えたのは1981年の1,072人であったのに対し、現在(2016年)では65,692人にもなっているではないかと。
 たしかにそのとおりで、小生もこれを否定しません。ですが、考えてもみてください。歴史上の長寿者は大半の人が死の直前まで活躍していました。楽隠居を決め込んで命を長らえた人はどれだけいたでしょうか。一方、今日の著名人の訃報は“まだあの方生きておられたの?ずいぶん長く入院していらっしゃったんですね”ということが多くて、80歳になっても現役を通していた方の突然の訃報となると数は少ないです。
 100歳以上の長寿者も同じで、長~く楽隠居させてもらい、終わりがけは要介護となり、ボケも進み、最後は寝たきりで生き長らえさせられているといったところでしょう。

 今も昔も80歳ともなると、体がなかなかいうことを利かなくなりましょうし、脳の働きも落ちてきます。90歳ともなると、半分気力で生きているという状態になるのではないでしょうか。そうであっても、昔の人は懸命に働き続け、とうとう“もう動けん”となって気力が一気に萎えてしまい、ろうそくの火が消えるように逝ったのではないでしょうか。
 ご近所でも死ぬ20日前まで毎日畑に出かけ、80歳をどれだけか過ぎたところで、“もう動けん”と言って、皆に隠していた肝臓がんで亡くなられた男の方がいらっしゃいます。そして、小生のおふくろは93歳まで毎日畑でどれだけかは百姓仕事をし、ある日仕事をし過ぎたことが元で1か月ほど寝たり起きたりの生活となり、滋養強壮漢方薬でもって回復させたものの、その後の4年弱の期間は楽隠居を決め込んで百姓仕事はほとんどせず、何とか自立生活はできましたが、最後は10日間寝込み、享年98で逝きました。おふくろの場合はオバケのような強靭な体でありましたから普通の人より数年は長く働き続けられたのですが、これは例外でしょうし、昔であればもう少し早く(93歳で仕事をし過ぎた時点で
)逝ったことでしょう。

 いずれにしても、昔のお年寄りは基本的に生涯現役で過ごし、家族や社会に役に立つ生き方に徹したのですし、“もう動けん”となったら悪足掻きせずに早々に逝ったと考えられます。ですから、昔のお年寄りは尊敬されもしたのではないでしょうか。
 楽隠居を決め込み、家族や社会に甘えて長~く介護していただくようでは、次世代に敬老の精神は決して生じませんし、年寄りが“死にとうない”と悪足掻きすれば、“早よ、死ね!”と言われるのがおちでしょうね。
 団塊世代の小生です。この先10年20年ひょっとしたら30年、少なくとも自分だけはそうならないよう、生涯現役を通したいと願っているのですが、果たして思惑どおりに事が進んでくれるかどうか、だんだん甘えが出てきそうで不安になります。
 そのなかで一番気がかりなのは、血管性疾患で救命救急のお世話になって後遺症が出たり寝たきりになることです。もし、血管性疾患になったら一切の手当てを受けずにピンピンコロリと逝きたい。そのためにリビングウィルをしたためているところです。
 次のブログ記事をご参照ください。
 
延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
 そのリビングウィル、今までに3回書き直し(日付だけ)したのですが、その度に“もう、いつこの世からおさらばしても思い残すことはない”という気分にだんだんなってきて、“今日一日を坦々と生きる”という、若干の余裕を持った半農半商の充実した暮らしができるようになった気がします。
 これは一つの死生観ということになりましょうが、リビングウィルを書く前と後とでは、死に対する
心の持ちようが随分と変化しました。書いてよかったとつくづく感じています。
 高齢者となられた皆さんにお勧めします、リビングウィル。

 長々と書き綴ってまいりましたが、主題とずいぶん外れた内容となってしまい、申し訳ありませんでした。今回も最後までお付き合いいただきまして有り難うございます。

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困ったあ~、返事が差し上げられない。

2017年01月15日 | よもやま話

 このブログでも健康相談を受け付けているのですが、今日届いたこのブログの「メッセージ」からの相談者は、メールアドレス欄が空白で、ご返事の差し上げようがありません。
 この記事が目にとまりましたら、再送信をお願いします。

 ・メッセージを送信した人 S様
 ・件名 高血圧で悩んでいます

 gooブログの「メッセージ」は、匿名で何かを伝えたいときはメールアドレス欄を空白、送信者がわかっていい場合はメールアドレス欄に打ち込む、という方式が取られています。
 今まで数多く匿名メッセージが届いていますが、なかには健康相談の場合もあり、「困ったあ~、返事が差し上げられない。」となっちゃいます。

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2017年 新年にあたって

2017年01月01日 | よもやま話

 明けましておめでとうございます。
 本年も当ブログのご愛読のほどよろしくお願いします。
 今年の干支は酉(とり)です。その昔、干支を覚えやすいようにと、酉には鶏(にわとり)が当てられたようです。そして、酉は、酒壷の象形文字のようで、意味としては「果実が極限まで熟した状態・酒熟して氣が漏れる状態」とのことです。
 偶然にも、11月19日に投稿した「老い、赤秋に生きる」の本質と同じです。今年は“熟しましょうぞ!”といきたいものです。 
 一方、鶏は人に時を報せる動物ですから、人の生活を正してくれますし、また、
「とり」は「とりこむ」ことになり、商売には縁起がよいものとなります。
 当店の売上も昨年で底を突いた。今年は増収増益!といきたいものです。

 さて、当ブログを立ち上げて早7年目に入り、お陰さまで読者も増え、昨年暮れにはトータル訪問者数が200万人を突破しました。改めてご愛読のほどお礼申し上げます。
 そして、記事数も413本とかなり多くなってきてはいます。しかしながら、今年は、ついにネタ切れ状態に陥りそうで、新規の記事はどれだけも書けそうにありません。
 今までの記事に、新たな知見を追記したり、訂正したり、といったものになりそうです。
 昨年は、シリーズで「24節気の食養」を書いてきたのですが、今年の新企画は何もなく、それを若干補充した「24節気の健康と食養」と題した改訂記事ぐらいになりそうです。

 読者の皆様のご期待に沿えず申し訳ありませんが、数えで70歳になった小生ゆえ、今年は「酉=果実が極限まで熟した状態・酒熟して氣が漏れる状態」でもありますので、しばし充電し、今後はじっくりと「赤秋」の趣を味わうなかで、このブログの充実を図ってまいりたいと思っております。

 末筆ながら皆様方のご健康とご多幸を陰ながらお祈りいたしております。

 

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