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食の進化論 第10章 美食文化の功罪

2020年11月22日 | 食の進化論

食の進化論 第10章 美食文化の功罪

第1節 人間の異常大発生
 この地球上に哺乳類が現れる前、恐竜が大繁栄していたと言われている。森林とそれに続く大草原のなかに、巨大な恐竜がそれこそウジャウジャ住んでいたかに錯覚する。しかし、細い足であの巨体を支えるにしては、地球の重力はあまりに強すぎて、陸上を動きまわることは困難であった。そこで、川や湖で体を浮かし、首を水面からヌ~ッと出して、陸上の草を食べていたと考えられる。
 大きな恐竜の首が長いのは、岸辺からより遠い所の草を食べたかったから、そのように進化したのである。こうした生息条件から推計すると、恐竜の生息量は、重量で100万トン程度にしかならない。
 鯨について推計すると、最も多かった頃には、全海洋で4千500万トンであったろうと考えられる。

 食生態学者の西丸震哉氏(故人)がそのようにおっしゃっている。では、現在の人間はというと、氏のデータは少し古いので最新のデータに置き直したところ、3億トンにもなる。77億人(2019年)の総重量である。
 西丸氏の話を続けよう。

 これほどの量になると、生物界では、その種の異常大発生と言う。人間の異常発生が、農業において作物の異常発生を極度に進め、これにより病害虫の異常発生を起こし、…。また、主要作物の穀類は作付けが限界に近づいており、これを全部人間の食糧にすれば80億人の人間を養うことができるものの、家畜に回す分が多く、肉、乳、卵に変形させると7分の1に減り、たいへんな無駄となる。
 一度、一般化した肉食率を減少させることは困難を極め、その国が飼料を確保できる力がある限り、絶対に肉食率は低下しない。その力がない国から順次脱落して、強制的に人口を減らされる。つまり餓死者が出る。
 現時点で日本人の安楽追究が度を過ごして、20~25%の過食の域に達している。そのために生活習慣病の多発の不幸を招いているわけだから、摂取カロリーは1日1750キロカロリーに、蛋白質は45グラムに減らさねばならない。この数値は重労働での生体実験で実証した値であり安全である。

 以上のように西丸氏はおっしゃっている。
 なお、参考までに平成30年国民栄養調査によると、日本人成人の平均摂取量は、それぞれ男2164・女1728キロカロリーと、男78・女66グラムである。
 こうした西丸氏がおっしゃるような減食が、現在広く勧められている。腹八分で済ませ、ということである。しかし、それは不可能である。ダイエットのために一時的に実行できたとしても決して永続はしない。
 人間は、あまりにも口が卑しい動物になってしまったからである。特に、日本人は、朝昼晩と1日3食も取り、晩は苦しいほどの量を食べてしまう。かつ、おやつや夜食を取ることも多い。食べる量を減らして腹八分で済ませても痩せないとよく言われるが、苦しいほどに食べればそれは120%であり、八分に落としても満腹状態であり、決して痩せるわけがないのである。

第2節 美食文化の始まり
 どうして人間がこんなにも口が卑しい動物になり下がってしまったのであろうか。それは人間の異常発生に伴って誕生した文明の高まりによって、富裕層が生じて生活に余裕ができ、美食を求めるようになったからである。専従の料理人を雇い入れ、彼らの技術研鑽で、一気に美食文化の花が開いたことであろう。
 まずは味付けが先行したであろう。塩、香辛料で始まり、砂糖、酒と続き、遅れて植物油の登場となろう。これらにより、何の変哲もない素材の味が、美味なるものに変身する。次に、ソースの開発により、本来は食材が腐ったときの味である酸味を楽しむようになる。最後に、本能的には毒と感ずるはずの苦味までも嗜好に取り入れた。なお、子どもは苦味を嫌う傾向にある。苦味を求めるようになるのは中高年になってからだ。苦味というものは、健胃薬として働き、胃の働きが落ちてきた中高年の胃がそれを欲するからである。このように、味は特定の内臓や器官と関連しており、年齢とともに変化していくものである。また、大汗をかいたら塩味を求め、逆に寒すぎれば体を温めるために塩味を欲するというように、生活習慣とともに味覚は変化もする。

 国が繁栄して庶民にまで生活の余裕が生ずれば、味付け法が広く普及する。美味なる料理は食がすすみ、毎日、満腹になるまで食べてしまう。繁栄は長続きせず、やがて没落して生活の余裕がなくなるが、一度覚えた美食文化は容易には捨てられず、美味なるものを求める欲求はかえって高まりを見せることになる。
 西丸震哉氏が次のようにもおっしゃっている。
 ニューギニアの原始種族には、味に関係する単語が一つもない。彼らは、来る日も来る日も同じものを同じようにして食べ、動物がガツガツ餌にかじりつくのとあまり変わらないやり方で、かなりあっけなく短時間で食事を済ます。原始社会人に共通して言えることは、あらゆる食べ物に対する嗜好度が低いということである。
 食べ物はなければ困るという意識はあるが、一応存在するだけで安心し、それ以上の精神的高揚にはつながらない。食生活を楽しんで生きているとは思えないし、おそらくは考えたこともないであろう。
 そして、原始種族は、案外山菜の類には手を出さない。苦味などは毒がある証拠であり、毒にやられる危険を回避しているのであって、彼らの食材の幅は狭い。文明社会において、与えられた食べ物は何でも安心して口にするということは、外界に対する危険感を喪失し、原始性を急激に失っていくという、一種の退化現象かもしれない。

 西丸氏の話はこれくらいにして、この外界に対する危険感の喪失は何も人間だけに止まらない。
 2、3の書からそれを紹介しよう。
 氷の島、グリーンランドへ連れていった馬に食べさせるものがなくて、やむを得ず肉を与えたら食べたので、飼育することができた。動物園では、乳離れしたゴリラに肉をどれだけか与えて飼育すると元気に育つ(ただし、ある程度成長した子どもや大人のゴリラは肉を与えても手を付けようとしないが)。家畜の牛には、家畜の残渣を飼料に混ぜて与えれば食べるのであり、そうすることによってよく育つ。
 このように、完全な草食動物であっても安心して肉を食べ、また、動物食をすんなり受け入れることが多い。さらに、野生動物も、動物園で飼育するとき、彼らが食べたことがないものを試験的に与え、食べるようであればそれを代用食とする。竹しか食べないパンダがリンゴをおいしそうに食べるようになったりもする。
 飼育される動物は、餌をわざわざ自分で探しに出かけなくても、人間が餌を定期的に運んできてくれ、これほど安楽なことはないと、安心して人間に依存してしまい、与えられた食べ物には決して毒がないと思い込み、食べ物の種類を大きく広げるのである。
 人間が、かくも広く何でも食べるようになったのは、食べたことがない物を食べてみるという勇気ある先駆者のお陰ではあるが、いったん安全と認識されると、より嗜好に合うように味付けを施し、食文化に組み込んでしまう。そして、あるところの文明が自分たちのそれより優れていると思えば、安心してその文明の産物に頼り、世界中に定着する道を歩んできたのではなかろうか。
 こうして、文明の発達に比例して、美食文化が高まり、広まっていったのであろう。極端な言い方をすれば、食文化に関しては、人間は文明という得体の知れない「生き物」の家畜と化してしまったとも言える。

第3節 1日3食は口の卑しさから
 人間の口の卑しさの第2は、1日3食も取るようになったことである。
 これは、特に日本人に顕著である。採集狩猟時代は不規則な食事とならざるを得なかったであろうが、農耕が始まってからは安定して穀類が確保できるようになり、決まった時間に1日1食生活をしていたと思われる。それは、前漢時代(紀元前206年~紀元8年)に完成された基本古典医学書「黄帝内経素問」の「第40編 腹中論」から読み取れる。その後、世界中がたいてい1日2食になったことは世界各地の古文書からはっきりしている。決して3食ではなく、朝食は取らなかったのである。
 動物の生理機構は同時並行して2つも3つも働かせることはできない。消化吸収・活動・病気治癒は並立し得ないからである。最初に動物の病気治癒について説明しよう。家畜やペットにも当てはまる。
 彼らは病気になったときには、一切の飲食をせず、体も動かさず、ただじっとしている。免疫系統に全てのエネルギーを集中させて自然治癒力を最大限に発揮させるためである。人間とて同様であり、病気すると食欲が失われる。栄養を付けないと病気が治らないからと、無理してでも食べよ、というのは大間違いである。もっとも、例外はある。それは、ひどい栄養失調の場合であるが、現在の日本人には無縁の話だ。したがって、ヒトに特有の脱水症に備えて、喉の渇きを止める程度に水分補給だけにしたほうが治りがずっと早いのである。
 次に、消化吸収についてであるが、食べ物が口に入ってから胃腸で消化吸収し終わるまでに使われるエネルギー量は、摂取したエネルギー量の2割程度にもなる。当然に、その間、血液は消化器系統へ集中して送られる。特に胃での消化が急がれるから、食後に眠くなるのは、それにより脳への血液循環が少なくなるからである。動物は食べ終わったらゴロゴロしているのは、完全に消化吸収しようとしているからだ。
 3つ目の活動については、肉食動物のライオンがいい例である。彼らは完全な空腹状態になってからでないと狩りをしない。消化器系統が完全な休み時間になってからである。血液が脳と筋肉に集中して送られる態勢が整ったとき、初めて狩猟を開始するのだ。
 ライオンの場合、狩猟は失敗の連続で何時間経っても獲物が手に入らないことが多い。初めのうちは筋肉や肝臓に蓄えられているグリコーゲンをブドウ糖に変換して運動エネルギーを生み出すが、これを使い果たすと、体内に備蓄している脂肪を分解し、ブドウ糖の代わりになるケトン体などを作り、これで運動エネルギーを生み出す。2日、3日と狩猟に連続して失敗しても、備蓄脂肪がある限り、全力疾走が可能であり、腕力も決して衰えない。1日1回程度の少しばかりの水分補給だけで、いずれは獲物を手にすることができる。
 ヒトの生理機構も同様である。夕方の明るいうちに軽い夕食を済ませ、日の出とともに起き、水を飲むだけで作業に取り掛かることができるのである。消化器系統がほとんど休み時間に入っているから、体がよく動き、頭も冴えて効率良く作業が進む。喉が渇き、時々水分補給せねばならないのがライオンと違う点である。1日の作業がお昼には終わる。ここで最初の食事を取る。食事が済むと消化器系統が盛んに働く時間に入り、ゴロゴロしているか昼寝をする。日が西に傾き始めると、腸は活動中だが胃の活動は終わっており、軽作業ができる態勢となる。翌日の作業準備をゆっくり行い、後は日が落ちるまで自由時間となる。
 食糧が乏しい採集狩猟時代であれば、早々に寝てしまい、1日1食で済ませてしまったであろう。穀類栽培が本格化して食糧備蓄に余裕が出だしてからは、口寂しさから明るいうちに軽い夕食を取り、1日が終わる。
 歴史時代になってからも、つい最近まで、世界中の庶民はこのような生活をしていたと考えられるのである。
 長寿で知られるグルジアでは、朝食は取らず、1日の主な食事は午後2~4時頃までに取り、夕食は6~7時半までに軽く取るという生活スタイルを取っている。生理学的に実に理にかなっているから長寿なのである。
 朝飯を食わなくても、力が出るのである。いや、逆に、朝食を食おうものなら、力仕事を始めると腹は痛くなるし、力は出ないし、脳に血が回らないから、やる気も生じないのである。
 いつから人は馬鹿みたいに朝食を取るようになったのか。
 記録としては、紀元前の古代ギリシャ市民がそうであった。市民は皆、富裕層であり、まともな労働もしなくてよかったから、一日中遊ぶことが仕事であった。すると、口寂しさが高じて卑しさに変わる。朝は胃が空っぽであり、食べようと思えば、容易に胃の腑に納まる。こうして朝食を取るようになった。
 ヨーロッパでは、中世の時代まで、栄華を極めた特権階層は1日3食であった。そして、贅沢病に悩まされた。今で言う生活習慣病である。現在のヨーロッパでは、何度も繰り返されたこの悪習を教訓に、庶民も朝食は食うことは食うが、極めて小食にしており、水分補給がメインと言ってもいい。ただし、民族的例外もある。それはユダヤ人だ。彼らの存在基盤は脆弱であり、その日の昼食や夕食が確実に取れる保証はなく、先食いしておかねば安心して1日を過ごせないから、朝食もしっかり食べる。それが今日でも習慣化している。
 日本での1日3食は、鎌倉時代に一部宗派の僧侶の間で始まったようであるが、江戸時代の初期までは、天皇や将軍までが朝食は食べていない。朝食を食べ、1日3食となったのは、
江戸時代になってしばらくして世情が安定して天下泰平となってから、僧侶、公家、武士に広まり、元禄文化が花開いた頃に江戸町人の間にもこれが広まった。そして、大坂町人もこれに続いた。しかし、農民や地方の商人は、依然として1日2食で通すのが普通であったようである。
 1日3食化と時を同じくして、食生活が贅沢になり、雑穀入り玄米食から精白米食(白米食)を食べるようになり、これの多食により、江戸患いが流行り出した。ビタミンB1欠乏による脚気である。
 たいていの藩では農民もけっこう豊かではあったものの、朝食は取らず、飯は雑穀入り玄米食であったが、開国後、明治中期には1日3食の白米食(もっとも麦飯が多かったが)に変わったようである。その原因は、明治初期に新政府が富国強兵政策の下、農家の次男坊、三男坊を対象に兵隊募集をかけたことによる。殺し文句は「1日3度、白い飯が食える」である。これによって、兵役から戻った働き盛りの若者が、家に帰ってから1日3食の白米食を求めたのであり、こうして1日3食が全国に広まったと思われるのである。
 白米3食は、江戸時代の将軍に脚気を引き起こして心不全で若死にさせるなど、その危険性は枚挙にいとまがないのだが、兵食において、とんでもない悲劇をもたらした。少々長くなるが、それを紹介しよう。
 篠田達明氏の「闘う医魂」のなかで詳細に示されているが、その概略は次のとおり。
 「1日3度、白い飯が食える」という白米食は、質実剛健な兵士の4人に1人が脚気を患うはめとなった。明治18年に麦飯に切り替え、いったん脚気を激減させた。しかし、明治27年の日清戦争では4万1千余名の脚気患者を出し、死者まで出た。その病死者数は戦死者の約4倍の4千余人にのぼる。さらに、明治37年に始まった日露戦争では25万人余の患者が発生し、病死者は戦死者の約3倍の2万8千人にのぼった。
 なぜ、こんなことが起こったのか。犯人は、陸軍医務官の森鴎外である。彼は脚気伝染病説を信奉し、陸軍兵食論で白米食を主張し、それを実施させたからである。脚気は麦飯で防ぐことが分かっていながら、白米食に切り替えさせたのである。白米食によって脚気が再発しだしたことから部下から麦飯に戻すよう進言があったが、森鴎外はそれを聞き入れなかった。乃木希典大将は、この森鴎外に全幅の信頼を寄せており、それゆえ203高地でいたずらに戦死者を出すばかりであった。なお、当時、海軍は麦飯を取り入れており、脚気患者は発生せず、日露戦争での日本海海戦で圧倒的な勝利を収めたのとは、あまりにも対照的であった。
(要約引用ここまで)
 その後、乃木大将は戦争であまりにも多くの死者を出した責任から自害したが、一方の極悪人である森鴎外は小説家となり、戦後に文化人切手にも採択されるなど文人として高く評価され、今日に至る。
 なぜに国家反逆罪以外の何物でもない森鴎外が免責されたのか。それは、森鴎外が官僚のトップにいたからにほかならない。今も昔も官僚のやることは全て正しいのであり、誤りはないとされているのである。小生思うに、森鴎外自身も、脚気は伝染病でないことに早晩気が付いていたことだろう。しかし、官僚のトップに上り詰め、その地位を失いたくないから
、自分が打ち立てた伝染病説と陸軍兵食論は絶対に撤回できない。1日3食とも白い飯が食えれば兵隊どもは大喜びするから、陸軍の徴兵が円滑に進み、国民も納得する。その兵隊が大勢死んでも兵隊は単なる虫けらであり、何万人死のうが俺の知ったことではない。病死者もお国のため戦死したことにしておけばよい。森鴎外はそんなふうに考えたであろう。そして、森鴎外は巧妙な逃げ道を打っていた。その兵食論には「純白米にたくわん」と記されていたのである。たくわんは米糠で漬け込むから、多量にたくわんを食べれば玄米を食べたのと同じになり、脚気は防げる。そのためには兵隊に毎食丼鉢1杯ものたくわんを食わせなければならないだろうが、そんなことはとうてい不可能だし、戦地となると補給もわずかとなる。でも、官僚的理屈からすれば、たくわんを十分に補給しなかっか補給処が悪いのであり、兵食論を著した自分が悪いのではない、ということになってしまうのである。
 今も昔も高級官僚は、国民から見ればエイリアンであって、彼らはそのあまりにも優秀な頭脳が災いして、国民をゴキブリ以下にしか扱わない。国民の健康問題については、らい病患者を長期にわたり隔離したり、薬害エイズ問題を正当化し続けたりと、国民に対する彼らの扱いはエイリアンの仕業としか言いようがないのである。先に述べた食品添加物など表面化していない健康問題がまだまだたくさんある。政府はその実情を知っていながら、国民の健康はどうでもいいと、エイリアン的立場でウソの情報を発信し続け、また、屁理屈でもって国民をだまし続けていることを肝に銘じておかねばならないのである。
 日本での1日3食の、その後の話に戻そう。
 明治初期の兵食の影響を受けて、農民も1日3食になってしまったのだが、地租としての米の供出が江戸時代の年貢よりも強化されたがために、農民は雑穀米や麦飯とせざるを得ず、脚気は防ぐことができた。しかし、朝食を取ることによって、胃の疾患が激増したことは間違いない。食べてすぐ動けば、胃への血液循環が不十分になり、胃が弱るに決まっている。胃が弱れば消化吸収が不完全となり、栄養吸収も悪くなる。また、製塩と塩の流通が発達して塩の入手が容易となり、3度の食事に塩味の濃い味噌汁が必ず付き、かつ、塩辛い漬物を多食し、塩分の取り過ぎが輪をかけて胃を悪くしたのである。
 明治維新前後に欧米人がびっくりした日本人の健康さ、丈夫さは、1日3食の普及と相まって順次失われていくことになったのであるが、1日に3度もおまんまが食える喜びが、体のだるさなどの不調を上回ってしまった、その結果であろう。再び朝食抜き1日2食へ戻すという行動は取られなかった。
 体の不調というものは、永続すれば知らないうちにそれを感じなくしてしまい、その状態が普通と思えるようになり、その状態にあっても健康であると錯覚するに至るのである。慣れとは、かくも恐ろしいものである。もっとも、なかにはごく少数だが、今までどおりの健康体を維持している者が残るが、そういう人は例外的に、“異常に丈夫なお化け”の扱いをされることとなる。ひところ欧米人がビックリした日本人の丈夫さは、こうしてだんだん失われていく。しかし、誰もそれに気が付かない。
 健康かどうかの判定は、周りの皆による相対評価で決まる。皆が病気になれば皆が病気でない、と思い込んでしまう、とんでもない悲劇が過去にあった。それは、古代ローマの都市国家ポンペイである。ヴェスヴィオス火山の噴火による火砕流で一瞬のうちに全滅し、降り積もった火山灰で完全に埋もれてしまったことで有名である。商業都市として栄えたポンペイは都市機能が充実しており、今日の都市と全く同じように上水道が完璧に整備され、各家庭に水道管が引き込まれていた。その水道管は全て鉛で作られており、これによって都市に住む全員が鉛中毒になっていたのである。古代ローマの各都市も大なり小なり、その傾向にあったようであるが、ポンペイほどまでには水道管は整備されてはいなかったようだ。こうしたことから、ポンペイの住民は、他の地域の人々に比べて背が低く、平均寿命も短かったようであるが、ポンペイの住民は、皆が普通に健康であると思っていたようである。健康とは周りの皆による相対評価で決まる、悲しい一例である。
 日本は、明治政府の安定とともに中央集権体制が強化され、それに伴って食文化の均一化が大きく進んだ。豪華な朝食が登場し、すぐに全国に広まっていった。ヨーロッパと同様に生活習慣病が多発しそうなものであるが、動物性蛋白質の摂取が少ない食生活であったがために、それは表面化しなかった。動物性蛋白質で毎日取るのは魚を少々であって、肉はまれにしか口にしなかったからである。今日まで、世界にまれにみる豪華な朝食を取る文化が続けてこられたのは、ここに原因している。しかしながら、皆が胃弱になり、かつての丈夫さをだんだん失っていった。そのことに誰も気づかずに今日に至っている、世界一胃弱な民族、それが日本人なのである。よって、明治維新前後には例外的に“異常に丈夫なお化け”がいただけだ、としか見ない。
 近年になって、若者を中心に朝食を取らない者が増えてきているが、これは夕食が遅くなったことと肉や油脂の過剰摂取で、消化器官、特に胃に高負担がかかり、胃が疲労困憊しており、体が朝食を要求しなくなったからである。朝、
食欲を感じなかったら、決して食べてはならない。しばらくの間、胃を休ませてあげねばならないのである。食事の欧米化が進んできたのだから、1日3食とするならば、朝食はごく簡単なものへと移行させねばいけないのだし、基本的には朝食は抜くべき性質のものだ。

第4節 「エネルギー変換失調症」の発生
 1日3食の弊害の最大の問題は次のことに尽きる。
 1日に3食も取ると、体に必要なエネルギーは、ほとんどが食べた物から直接取るようになってしまう。おやつに夜食、喉が乾いたら砂糖入り清涼飲料水を飲むという食生活をしていると、完璧にそうなってしまう。
 つまり、血液中に漂う栄養を、体中の諸器官の細胞群が直接取り込むだけで済んでしまうのである。血液中の栄養が足りなくなると、通常は肝臓や筋肉に蓄えているグリコーゲンの出番であるが、これさえブドウ糖に変換するのに苦労するようになり、血糖値が少しでも標準値を切ると、小腹が空いたと感ずるようになる。1食でも抜こうものなら、脂肪をケトン体などに変換する機能が完全に錆びついているから低血糖になってしまい、我慢できないほどの空腹感に襲われる。この状態になっても食事が取れないとなると、低血糖が進み過ぎ、脳へのエネルギー源の補給が経たれて意識を失い、昏睡状態となる。
 空腹感は、胃が空っぽになって生ずるものではない。低血糖になって、脳へのエネルギー源の補給が困難になったサインが空腹感であることを、しっかり頭に置いておかねばならない。1食でも抜いたら空腹感を生ずるという状態は「エネルギー変換失調症」という名の、高度文明社会に特有の病気である。かような名称の病名は医学書にはないのであるが、小生はそう呼びたい。日本人のほぼ全員がグリコーゲンをブドウ糖に変換する機能は持ち備えていようものの、脂肪をケトン体などに変換する機能をほとんど喪失している事実、これは病気以外の何物でもなかろうから、小生はそう名付けたいのである。
 野生動物や文明前の人たちは、平時には空腹感など一度も感じたことはないと考えられるのである。それを感じるのは、もはや体の中にエネルギーに変換できる脂肪も蛋白質もなくなった餓死寸前の事態に陥った場合だけであろう。小生は、1日1食の生活を3年半続けており(ブログアップ時点では、これを12年ほど続け、最近2年間は昼食を軽く取り1日2食に戻している)、それに慣れっこになっている。また、ときどき1日断食を実行し、47時間にわたって食を断つ。その間、口寂しさは募るものの、空腹感は全く感じないのである。”腹減ったぁ、飯食いてえ”という感覚は完全に喪失している。(ブログアップ時点でも、そう)
 長期断食の経験はないので、その場合にどうなるのかは分からないが、平気で繰り返し長期断食をなさる方も大勢おられるということは、空腹感を全く感じないからできるのではないかと思える。(ブログ版追記 3日断食し、その前後も極めて少食で、実質5日断食を2回したことがあるが、その場合も空腹感は生じなかった。ただし、うまいものを食いたいという口の卑しさの高まりは相当なもの。)

 毎日朝食を取っている人が朝食を抜くと低血糖状態になって、午前中は脳の働きが悪くなる。2グループの比較実験でそのような結果が出ている。一時的に朝食を抜いたグループの人は皆、たしかに低血糖になり、脳細胞に十分な栄養が届かず、脳の働きが落ちるからだ。そこで、この結果を見て、栄養学者は、砂糖はすぐに吸収されて瞬時にブドウ糖に変換されるから、朝は砂糖を取れ、とまで言う。
 脳細胞が、ブドウ糖だけを栄養源としているのであれば、そういうことになるかもしれない。しかし、そうではない。この方面の研究はいろいろ行われているので、それを紹介しよう。
 まずは、断食してブドウ糖が底を突くと、脳の栄養源として脂肪から変換されたケトン体が使われるようになる。ケトン体には何種類かあるが、そのなかで最も多く作られるのがβヒドロキシ酪酸であり、これが優れものである。このβヒドロキシ酪酸は母乳に多く含まれており、赤ちゃんの脳の発達に重要な役割を果たしていることが、京都大学の香月博士氏の研究で明らかになった。赤ちゃんは、目覚めているときに猛烈に学習せねばならない。このとき、ブドウ糖よりもβヒドロキシ酪酸のほうが脳細胞を活性化させるのであり、βヒドロキシ酪酸のほうが記憶効果を上げるのである。
 したがって、朝食抜き(ただし、これをずっと続けている人)のグループのほうが、本当は頭が良い結果が得られることになるはずである。朝食抜きというミニ断食によって、必要とするエネルギー源は脂肪が分解されて得られる
βヒドロキシ酪酸などが用意され、これが脳に行って記憶効果を上げるのであるから。小生も実感している。朝食を取らなくなってから、朝から体がよく動き、頭が冴え、仕事の効率がアップするのである。
 つぎに、長期断食を続けると、脂肪のほかに蛋白質もエネルギー源として動員されるようになる。つまり、筋肉の蛋白質が分解変性されてαアミノ窒素などが作られ、これも脳の栄養として使われることがカナダのオーエンス博士によって明らかにされている。
 脳細胞はブドウ糖のみを栄養とする、などと言う輩は、精糖メーカーの御用学者以外の何物でもない、と断言できる。ついでながら、昨今のテレビ番組で、あれが体にいい、こちらのほうが体にもっといい、などと毎日のように放映され、紹介された食材がスーパーの店頭から姿を消す、ということが度々あるが、これらは、全てペテン師が仕掛けたウソと心得たほうが利口であろう。

第5節 断食のすすめ
 まず、1週間とか10日間の長期断食であるが、断食道場の話によると、中小企業の経営者が定期的に長期断食に訪れるようである。事業に行き詰まったり、製品開発が思うように進まなかったりしたときに長期断食すると、頭が冴え、良いアイデアが湧いてきたりして、苦境から脱することが往々にしてあるからのようだ。
 1日3食取っていた古代ギリシャにあっても、ピタゴラス、ソクラテス、プラトンなど有名な哲学者たちは、計画的に断食を行い、これにより、知的な閃きがグンと湧いたと言われている。体を飢餓状態にしてやると頭が冴えるのは、こうした事例からも確かなことと思われる。
 次に、ミニ断食である朝食抜きで、重労働に耐えられるか、である。重労働をしていると自負する方は、腹が減って力が出ないとおっしゃるが、そういう方はたいした重労働ではないからであろう。
 最高に重労働するのは大相撲の力士である。彼らは伝統的に朝食抜きで、恐ろしいほどに激しい朝稽古をする。消化器官が完全な休業状態でないと、あんな過酷な運動をすることはできない。少しでも胃に食べ物が残っておれば吐くに決まっている。彼らは1日2食の食生活に慣れきっているから、脂肪をケトン体などに変換する機能を十二分に持ち備えており、これが筋肉のエネルギー源となり、力が最大限に出せるのである。筋肉にとってもブドウ糖よりケトン体などのほうが効率的にエネルギーが生み出せるのかもしれない。
 なお、ついでながら、心筋が求めるエネルギー源はブドウ糖ではなく、悪玉として評判の高いLDLコレステロールのみだ。これを悪玉と呼ぶのは死神以外にいないと思うのだが、たいていの日本人は、心筋に必須のLDLコレステロールを減らそうとしているが、これは心臓を飢え死にさせる道であると心得たほうがいい。

 「腹が減っては戦はできぬ」「食べてすぐ寝ると牛になる」という格言があり、食べたらすぐに働くことが当然のように思われている。これも1日3食を習慣化させる大きな要因となっている。
 この格言がどのようにして誕生したのか。
 予防医学の第一人者である小山内博氏(故人)は次のように述べておられる。
 昔は税金の一種に「庸(よう)」という役務の無償提供があった。ただ働きをさせられるのだから、「腹が減っては戦はできぬ」と食べ物を要求する。ならば、食べさせるから働けと食事を提供する。食べさせたはいいが、皆、食後は眠くなって横になろうとする。これでは困るから「食べてすぐ寝ると牛になる」と脅して働かせようとした。ということで、この格言が対になって作られたのである。この格言は、支配者と被支配者との間で、役務をする・しないの駆け引きに食べ物が使われたのであって、生理機能は完全に無視されている。
 「庸」の制度がない今日であるも、雇用主と従業員という関係が、これに類似しており、あたかもこの格言が正しいものであるかのように生き続けているのである。
 食に関して、別の格言がある。「親が死んでも食休み」というものがある。あまり知られていない格言ではあるが、葬儀の準備や何やらで大忙しであっても、食後は体を休ませねば健康を損なうというものであり、いくら仕事が忙しくても食後は十分に休憩せよ、ということだ。
(要約引用ここまで)
 この格言だけが、ヒトの生理上、正しいのであって、前の2つは間違っているのであるが、「食べてすぐ寝ると牛になる」とは誰も思ってはいないものの、それは怠け者のすることであり、イタリア人は昼食後に2時間も3時間も休憩するから他のヨーロッパ諸国より遅れた国になると軽蔑する。だが、イタリア人は、この点で非常に健康的な生活をしているのであり、これを卑下することがはたしてできようか。イタリア人より少しばかり余計に働いて銭を稼いで、胃腸を患って治療費を使うことが褒められたことか、大きな疑問である。
 こうして、日本人には食べたら働けという「庸」の習慣が今日でも生きている上に、食べないと口が寂しくなるという卑しさが加わり、「腹が減っては戦はできぬ」という格言が完全に正当化されてしまっている。
 ところで、実際の戦において、戦う前に食事を取ったであろうか。否である。武士の時代は鎌倉時代に始まったが、鎌倉武士は出陣にあたって、梅干を食べただけである。梅干の主成分であるクエン酸が血液をサラサラにし、全身への酸素供給をスムーズにする。加えて、クエン酸は細胞内小器官ミトコンドリアにおけるエネルギー産生回路を円滑に回し、戦においてパワーが出るのである。
 この時期から、生活の知恵として梅干の効能をよく知っていたのである。これは、江戸時代まで続いた。大名は、必ず広大な梅林を城の近くに設けて梅の実を収穫し、兵糧として梅干を蓄えたのである。全国各地にある梅林はその名残である。
 現在でも、闘いの前には食事を全く取らない者が何人かいる。だいぶ昔のことになるが昭和30年代に活躍したプロレスラーの力道山は試合の前日は何も食べなかったというし、最近ではスピードスケートの金メダリスト清水宏保選手も、お腹を空っぽの状態にして試合に臨んでいた。2人とも持久力なり瞬発力なりを最大限に発揮させるためには、空腹状態でないとダメなことを知っていたのである。

第6節 グルメ文化最高潮の日本
 「腹が減っては戦はできぬ」の逆をいく、優れた健康法である、こうした事実はなかなか報道されない。
 ここのところ、やたらと報道されているのは、大リーガーとなった松井秀喜選手が、1日3食に加えて試合前におにぎりを2個食べて、それで好成績を収めているという話である。彼はゴジラとあだ名されるほどだから、胃袋もとびっきり丈夫であろうから、それでも健康を害することがないのかもしれない。
 健康を維持するためには、少なくとも1日3食きちんと食べなさいという広報宣伝を、政府とマスコミが一体となって繰り広げているのが現状である。資本主義経済の下では必ずこうなってしまう。
 何でもいいから需要を生み出すことが資本主義経済の最大の関心ごとであり、大量消費社会を作ることに専念する。人の健康など、どうでもいいのであり、朝食産業や昼食産業が儲かればいいのである。間食として、おにぎりを食べて米の消費が進めば、農水省の思う壺でもある。
 人間の口の卑しさに付け込めば、食糧消費は必ず拡大する。そして、過食により健康を害し、その結果として医療産業や健康産業までもが必ず儲かる。食に銭を使うあまりに医療・健康にも銭を使わざるを得なくなる。これによって、銭の流動が拡大に拡大を続け、経済は膨張し、経済は繁栄する。経済もまた生き物であり、人間の欲に付け込む恐ろしい魔物であり、最も進化した魔物が資本主義経済である。今や資本主義経済という魔物は、国家をも支配してしまい、国境という壁も溶かしてしまった。グローバル社会への変貌である。
 資本主義経済は今や恐ろしく急成長し、物質文明を極度に高めるに至り、先進国ではついにエンゲル係数という言葉を死語にしてしまった。実質上の食費(贅沢は除く)は生活費のわずかなウエイトしか占めなくなったのである。日本人であれば、いかに貧乏していても、塩、胡椒、砂糖、醤油、ソース、グルタミン酸ソーダなどの調味料は極めて廉価で手に入り、安くてまずい食材もこれらによる味付けにより、美味なるものへ変身させられるからである。安さを売り物とする外食産業は、皆、調味料を多用する、こうしたやり方だ。
 金銭的余裕から、高級料理を食べたいという欲望も当然にして生まれ、テレビの各チャンネルで食べ歩き旅やグルメ番組を盛んに放映するようになった。海の幸、山の幸などなど、いかにもおいしそうなものを次から次へと登場させて消費を煽るから、日本人皆がグルメ志向となる。
 日本人は、世界でもまれにみる豊かな自然環境の生態系のなかに住んでいる。様々な生物が野にも山にも川にも海にも豊富に存在し、四季折々にその恵みを得ることができる。加えて、南北に細長い島であり、寒暖の差による生態系の違いが、より生物種を豊富にしているから、これほどの美食天国は世界に例がない。和食だけでも十分すぎるほどに堪能できるのである。加えて、世界中から美味なる食材がいくらでも入ってくるのだから、極楽三昧の毎日となる。こうして、日本人の食文化の高まりは、とことん行きつくところまで到達してしまっているのではなかろうか。
 残された唯一の道は、古代ローマ市民のようにご馳走を食べてからそれをいったん吐き出し、また別のご馳走を賞味してみるという、極限状態に至った口の卑しさを満足させる食文化を味わうことだが、こんなことができるのは、食べ物を単に栄養としか捉えない西洋文化だからできることであって、食べ物を天の恵み、地の恵みと捉える日本人の文化観からして、こんなもったいないことには大きな抵抗感があり、決して誰もしない。
 最高潮に上り詰めた日本人の食文化に対し、小生もグルメの誘惑にはなかなか勝てないでいる。飽食に慣れ親しみ、美食文化にどっぷり漬かりきってきたツケは、あまりに大きい。断食すると、無性に口が寂しくなるのは、そのせいであろう。つまり、口が卑しくなるのである。断食の夜には、何か仕事を作って、眠くてしょうがない状態になるまで夜鍋仕事(といっても、決して鍋をつつくことはしないが)に没頭でもしないことには、それから逃れることは決してできない。
 何も断食までしなくても十分に相対的に健康であると思っている小生は、こんなつらい思いまでして何になる、と考えるようになってしまった。十数回にわたる1日断食の臨床実験で、けっこうな成果は得られたであろうからと妥協し、最近は女房ともども断食から逃避している。
 食欲煩悩があまりにも研ぎ澄まされてしまって、情けないことに、もはやどうしようもない状態に自分が陥ってしまっていると思うのであるが、我々日本人は皆、そうなのではなかろうか。

つづき → 第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて

(目次<再掲>)
永築當果の真理探訪 食の進化論 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
「食の進化論」のブログアップ・前書き
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき

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